コロナ政策の費用対効果
原田泰
筑摩書房
本書の要約
日本政府のコロナ対策には戦略がなく、アベノマスクなど個別対応に終始していました。戦略よりも個別対策で手柄を立てようとする政治家や官僚の姿勢にもっと私たちは厳しい目を向けた方がよさそうです。政治家や官僚はケインズの視点を持って、あらゆる事態に対処すべきなのです。
なぜ、日本ではPCR検査が行われなかったのか?
日本の成果は、感染者を出さないことと経済の打撃を抑えることの両面で、主要先進国の中では良好だが、アジア太平洋の先進国の中ではそうではないという結果になった。(原田泰)
ウクライナ危機で、新型コロナウイルスのニュースがかすんでしまっていますが、この2年間世界中の人々が、このウイルスによって不自由な生活を余儀なくされています。
人と人との接触を完全に断てばコロナウイルスに感染しませんが、それでは経済・社会・生活の基盤が崩壊してしまいます。世界各国はそれぞれのスタンスでコロナ対策を行っていますが、データを精査するとその優劣が明らかになります。日本の政策は主要先進7カ国の中では比較的評価できますが、アジア太平洋の先進国では劣っていると著者の原田氏は指摘します。
日本の政策で他国と最も異なる点は、その検査体制です。諸外国がPCR検査を積極的に行なっている一方で、日本は消極的であることは明らかです。
PCR検査の進め方には、ネットの言葉を使えば、拡大すべきではないという「PCRスンナ派」と、拡大すべきであるという「PCRシーヤ派」がいます。
■スンナ派・・・PCR検査は絶対ではなく、偽陽性者(陰性なのに陽性となる)、偽陰性者(陽性なのに陰性となる)が出て、偽陽性者は無駄に医療資源を使い、また、隔離することが本人に過大なコストを与えてしまいます。偽陰性者は、むしろ安心して自由に行動し感染を広めてしまう可能性があります。
■シーヤ派・・・PCR検査が絶対ではないとしても、患者の隔離にPCR検査は有効であり、検査がなければ医療現場に感染を広めてしまうという考え方。
著者はスンナ派に批判的です。日本はクラスター対策を採用し、感染者を発見したら、その濃厚接触者をあぶりだし、それだけを追跡して感染者を隔離し、感染を広げないようにしています。この政策は感染者が少なければ、追跡可能ですが、患者数が爆発的に増えると対応できなくなります。彼らはPCR検査は必要ないと考え、検査による陽性者の発見を怠ったのです。
政府はその後、検査数を増やすことを決定しますが、行政は検査を積極的に行いませんでした。他国は最新の検査マシンを採用し、検査数を増やしましたが、日本は人海戦術を採用することで、検査数を増やせずにいたのです。PCR検査を人手に頼ることで検査代は高くなりますが、他国のように機械で行えばコストは大幅に下げられたのです。早期に陽性者を見つけ、隔離を行えば、ここまで重症者や死者を増加させなかったはずです。
コロナ禍で明らかになった戦略なき政治の実態
日本の行政は、PCR検査を制限した。検査して陽性になっても隔離する場所もないし治療法もないから無駄だというのだが、隔離しなければ感染を広げるだけだ。治療法がないからと言ってそのまま死なせるわけにはいかない。医者にかかっても無駄なのかもしれないが、医者にかかれずに死ぬのは本人にとっても遺族にとって悲劇だろう。
では、なぜこのようなことが起こったのでしょうか?
著者は、官僚の思考と働き方に問題があると指摘します。行政は権限で仕事をするため、費用と効果を考えていないのです。感染症法上、クラスター対策を行う地方自治体の保健所は、厚労省の一部局のように動くことになっていますが、大規模なPCR検査は厚労省の命令でできるものではありません。
PCR検査陽性者の大規模な隔離政策は、厚労省の一部局でできるものではありません。彼らにはそのための予算も人員もなかったのです。
本来であれば、専門家が必要と考える手立てを考え、そのために必要な人員と費用を算定し、その効果(感染を抑えて経済を元に戻す利益)が費用を上回ることを示して、政府に必要な予算と人員を求めるべきでした。しかし、官僚にはその発想はなく、予算内でできる政策を続けたのです。
彼らはクラスター対策で陽性者をあぶりだし、その人々だけを隔離すればよいと考えましたが、感染経路不明者が急増し、院内感染も多発するという事態になったことで、クラスター対策は失敗に終わりました。
また、厚労省はCOCOAアプリの導入でも失敗します。政府や厚労省はコロナ対策の目的を理解していないがために失敗を重ねたのです。
デジタル敗戦とは、デジタルが分からないから負けるのではない。それで何をしなければならないかを理解していないから負けるのである。
コロナ対策の目的は、より効率的に濃厚接触者を選び出し、PCR検査を行い、隔離と治療をすることすが、しかし、スンナ派は、PCR検査、隔離と治療の資源に制約があると思い込み、その資源の拡大を検討せず、COCOAアプリを使うことも考えませんでした。ここにデジタル敗戦の原因があったのです。
PCR検査を行い、感染者の早期発見と隔離・治療を行うことで、重症者の増加を防げたはずです。政治家は直感的にPCR検査の必要性を理解していましたが、厚生労働省を動かすことができませでんした。感染症学者がPCR検査への抵抗が、政治家のリーダーシップに打ち勝ったことが日本の悲劇だったのです。
「政府の新型コロナ感染症対応では、できる手段を動員して、少しでもよい方向に社会を進めようという気概が感じられない」という著者の言葉が印象的でした。ワクチンの入手の遅れ、医療体制の崩壊など政策が後手後手になっていたことは間違いありません。著者はさまざまな政策が、費用や効果の検証なしに行われていると指摘します。
日本政府のコロナ対策には戦略がなく、アベノマスクなど個別対応に終始していました。戦略よりも個別対策で手柄を立てようとする政治家や官僚の姿勢にもっと私たちは厳しい目を向けた方がよさそうです。政治家や官僚はケインズの視点を持って、あらゆる事態に対処すべきなのです。
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