雑誌考える人の二つの特集が面白く、図書館で集中して読書を楽しみました。
第一特集は人を動かすスピーチで、TEDに関する茂木健一郎氏の話が素晴らしく
日本の教育(特にプレゼン)をさっさと変えてしまいたいと思うほど話は痛烈で
プレゼンに無駄な時間は必要はないという考え方に共感しました。
そして、第2特集が村上春樹「厚木からの長い道のり」というタイトルで
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』にまつわるエッセーで
村上春樹の報告レポートで、大西順子の存在を久々に強烈に意識しました。
エッセーは大西順子の引退ライブに村上春樹が小澤征爾を誘い、
厚木の小さなライブハウスに見に行くところから始まります。
ライブの最後に大西が「残念ながら、今夜をもって引退します」と
しみじみ語り出したところ、小澤は突然立ち上がり
「おれは反対だ!」と叫んだのだそうです。
世界のオザワの唐突な叫びに、ライブ会場は騒然となりますが
この反対だと言う叫びをきっかけに、不思議な物語がスタートするのです。
ここから、大西と小澤の長い話し合いが始まり(村上は当事者)
大西は最終的には小澤を総監督とするサイトウ・キネン・フェスティバルへの参加を
引き受け『ラプソディー・イン・ブルー』の競演が今年の9月6日に
松本市のキッセイ文化ホールで行われたのです。
昔よく聴いた大西順子の厚木での引退ライブも知らず
今回の松本での『ラプソディー・イン・ブルー』の演奏も
残念ながら聴くことはできなかったのですが
村上春樹経由で再び、彼女の音楽に触れられたのは良かったです。
考える人の編集長の河野通和さんによると、本来は村上春樹の今回の原稿は
年明けの次号に載せるはずだったのですが
村上春樹が「どうしても直近の号に収めてほしい」と言い
最速で原稿を書き上げたから、この号に掲載できたそうです。(日経新聞)
この村上のやる気がなければ、今売りの考える人には記事が
掲載されていなかったはずなので、今日、村上の文章を読むこともなかったでしょう。
もしかすると大西順子の音楽と私との再会も無かったのかもしれません。
すべては不思議な偶然なのですが、こういった日経の記事を
検索で見つけて読んでいると、なんだか大西との音楽の再会が必然のように思えてきます。
大西順子はこれだけの実力を持ちながら引退をせざるを得ないのは
とてももったいないことだと村上春樹も考える人で書いていますが
大西の引退理由を調べていくうちに、日本の音楽業界の限界を感じてしまいました。
以下大西の引退理由をまとめたブログから引用します。
プロの誇り守り引退(ピアニスト「大西順子」日本のジャズ界けん引)
なぜ “ラプソディー・イン・ブルー
アスリートと同様に演奏家も肉体やスキルを維持するには、 フィットネスなど自分への投資と努力が必要だ。 しかしジャズだけでなく、 CD売り上げの激減など音楽ビジネス全体が急速に収縮している中で、 投資の経費と収入のバランスが取れなくなっているという。 「自分が思うような仕上がりになければ、 プロとして人前で演奏するわけにはいかない。 ならば引退もありではないかと思った」 と、大西はプロとしてのプライドを守ることを選んだ。
実力者の大西順子は、Jazzという古いフィールドにいたために
応援者が現れず音楽を続けることができなかっのだとしたら、とても寂しいことです。
村上の文章の中にも大西順子がアルバイトで今後は生活するという下りがありましたが
多くの名盤を残した大西順子ですら、生き残れない日本のJazz業界とは
いったい何なのだろうか?と怒りすら覚えました。
自分も久々に大西順子を聴いているので、偉そうなことは言えませんが
彼女ほどのピアニストを支援ができない音楽業界や
日本という国のシステムを何とかしないとと強く思いました。
村上春樹の「厚木からの長い道のり」がそのきっかけになればとも思います。
大西、小澤、村上の3人の偉大な人物が織りなす素敵なストーリーを
今日、図書館で偶然読めたのは、幸せだったのですが
このような理由で大西が引退することは
なんだか釈然とせず、私の中では消化不良の状態が続いています。
しかし、この村上のエッセーを読んだことにより
大西のいくつかの素晴らしい曲を再び、聴くことができました。
それも、最近手にいれたゼンハイザーの密閉型ヘッドホンMOMENTUMで
ピアノトリオのJazzを聴くのは格別です。
特に彼女のビレッジ・バンガードの大西順子ビレッジ・バンガードIIが好きだったので
iTunesで今日、改めてダウンロードをしました。
90年代によく聴いたライブ盤だったのですが、20年前より今の方が
トリオの演奏の渋さがわかり、よい体験ができました。
Herlin Reileyのドラム、Reginald Vealのベースが
大西順子のピアノとともにGrooveするのがたまりません。
特にリズムセクションの低音の再現がゼンハイザーのMOMENTUMでは素晴らしく
大西のピアノをより際立たせています。
ビレッジ・バンガードIIの「りんご追分」はトリオの魅力が最大限に引き出され
大西のピアノがスウィングしていくのがよくわかります。
ライブの息吹をMOMENTUMが忠実に再現してくれるので
あたかも自分がビレッジ・バンガードにいるかのように、トリオの演奏を楽しめました。
Jazzにこそゼンハイザーだと言われていますが
今日、大西トリオの演奏をMOMENTUMで聴くことで、それを改めて実感しました。
最後に村上春樹の大西順子への熱い思いを引用し、今日のブログを終わりにします。
MOMENTUMで大西順子を聴くことで、この村上の考えにより共感できました。
表層的なリズムの内側に、もう一つのリズム感覚が入れ子のように埋め込まれていることだ。その複合性、あるいはコンビネーションが、聴くものの身体にずぶずぶと食い込んでくる。僕は大西さんの演奏を聴いていて、いつもそのずぶずぶ感を肌身に感じることになる。僕の身体が、日常的には感じることのできない特別なリズムを貪欲に吸い込んでいることに気づく。そしてそれは、もう、他のジャズ・ピアニストからはまず得ることのできない、生き生きとして不思議な感覚なのだ。
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