先週のブログに書いた死ぬときに後悔すること25(大津秀一先生)を時々
読み返すことで、自分の人生の意味を確認しています。
若いときとは異なり、老眼になったり、肩こりがひどくなるなど
確実にカラダは退化しているのですが、気持ちは負けないようにしたいのです。
諦めずに、なんとか自分を今後も成長させたいと日々、考えています。
自分の知識や体験をこのブログやソーシャルメディアを通じて発信し
その結果、誰かに貢献し続けるというのが、50歳を超えた今の私の夢なのです。
この夢を失わないために、この本に書かれている25のリストを
備忘録として、読み返すようにしているのです。
死ぬときに後悔すること25のリストの6番目には
「夢をかなえられなかったこと」と記されているのですが
その中の大津秀一先生の言葉が今の私にはとても刺さります。
人が人であるように生きる。言うのは簡単であるが、夢や情熱を長く続けさせるというのはたやすいことではない。人は残念ながら老い、可能性は少しずつ削られていくものである。その中で、夢や情熱を持ち続けるというのは、若いときに持つのよりも、大きな力を必要とするだろう。厳しい現実がきしみを上げたとしてもなお、その先に光があることを信じ、ひたすらに鞭を振るい続けるというのは並大抵のことではないだろう。しかしだからこそ、その「夢追い人」の存在は貴重なものとなるのである。そして余人を感動させる生き方となるのである。
可能性は少しづつ削られるのであるのなら
今日やれることは、明日にできるだけ先延ばしにしないようと考え始めました。
一日一本のブログを書けるのなら、二本も三本も書けるはずだと
最近は思うようにしています。
隙間時間に集中すれば、どんどんiPhoneで下書きは書けるのです。
一度書き始めると脳は集中して、書く時間を楽しく感じるようになります。
自分の好きな時間がこれで増え、時間を無為に過ごすことがなくなり
一日一日が以前より充実したのです。
そして、ブログの読者の方々からのメッセージが私のモチベーションになっています。
仲間にリアルでお会いしたときに何気なくいただくコメントや
会ったことのない皆さまのソーシャルメディアでの一言が
私のやる気に火をつけてくれるのです。
夢や情熱を持ち続けるのは、確かに大変なのですが
私の場合はこのソーシャリアルの応援がとても大きな力になっています。
皆さんの応援が私の背中を押してくれるおかげで
書くことが習慣化できるようになったのです。
また、今まで以上に隙間時間に書く行動が習慣化されることで
私は幸せな時間を以前より持てるようになったのです。
自分で毎日書くと決めたこと、書き続けること、そして皆さんの応援という報酬で
私は楽しい幸福な時間を過ごせるようになったのです。
先日のブログでご紹介した後悔すること 25のリストを改めてここに書いておきます。
1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくなかったこと
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと
11 遺産をどうするかを決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
14 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと
22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
※死ぬときに後悔すること25(大津秀一先生)から引用
今後も書くことを継続して、いろいろな体験をしたいと思います。
書くことで、私は多くの出会いを引き寄せてきました。
この新たな人脈も私の人生を楽しくしてくれています。
年をとると新たな出会いは減るとよく言われていますが
自分で自分の限界を引くことはないのです。
また、アウトプットや自分のネットワークが広がることで
会いたい人にも会えるようになってきました。
この引き寄せ力は今後も活用したいと思います。
そして、そのためにも書き続ける必要があるのです。
という大津秀一先生の次のメッセージは、何度読んでも響きます。
25のリストとともに、忘れたくない一言としてここでご紹介します。
人が生まれ、交配し、子孫を残すのは、あるいは生きるために食し、寝るのは、生物としての既定路線にすぎない。つまりそれらは、必ずしも人間らしい、人間固有の営みであるとは言えない。人が人であるように生きるということは、そのような生物のくびきから逸脱して生きることかもしれない。夢や希望を抱いて生きようとするとき、人は人らしい生を手に入れる。そしてまた、自分の思いをかなえようと長い年月にわたってその思いを温めることも、人に特有の営みと言えるだろう。こうしてずっと守り続けた夢が輝くとき、人の生の道はききっと照らされることになるだろう。そして最期まで夢をその手に持ち続けることができれば、たとえそれがかなえられなくても、後悔は少ない。
後悔しない生き方を見つけたい人には
死ぬときに後悔すること25は、お薦めの一冊です。
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