ウクライナ戦争
小泉悠
筑摩書房
本書の要約
プーチンはソ連解体時にバラバラになったルーシ族を統合することが、自らの歴史的使命だと考え、暴走した可能性があると著者は指摘します。プーチンのプランA=短期間でゼレンシキー政権を崩壊させて、親ロ派の傀儡政権を樹立するという目標は、ウクライナの激しい抵抗にあい、完全に失敗に終わるのです。
ウクライナ戦争のロシアの当初の思惑何だったのか?
「特別軍事作戦」の意味するところとは、「軍隊は投入されるが、激しい戦闘を伴わない軍事作戦」といったものであったのではないかと思われる。ことがプーチンの思惑通りに運べば、ウクライナには早々に傀儡政権が樹立されたのであろうし、その場合、ロシアの振る舞いに対する国際社会の対応もそう厳しいものとはならないそんな思惑もあったのかもしれない。(小泉悠)
今年の2月から始まったウクライナ戦争について、ロシアの軍事にスペシャリストの小泉悠氏が徹底的に深掘りしたのが、本書ウクライナ戦争になります。ロシアとウクライナの長い歴史を振り返るだけでなく、2014年のクリミア半島の併合以降の両国、そして欧米の動きについて詳細に解説しています。
クリミアに侵略した2014年以降のロシアは、西側の制裁を受けていたにも関わらず、エネルギー輸出によって経済は持ち堪え、2021年にはノルド・ストリーム2に対する制裁も緩和されていました。2021年からウクライナ国境に軍隊を配備していたロシアは西側の警告を無視し、プーチンの妄想に引きづられ、ウクライナ侵略を開始していったのです。
プーチンは開戦前に論文を書いていましたが、その中でロシア、ベラルーシ、ウクライナは同じルーシ民族に属していたと指摘します。ソ連解体時にバラバラになったルーシ族を統合することが、プーチンの歴史的使命だと考え、暴走した可能性があると著者は指摘します。ウクライナ侵攻最大の動機はプーチンの妄想であったと言うのです。
ロシアは開戦前に周到なプランを練っていましたが、それは計画倒れに終わります。ロシアは大量の内通者をウクライナ国内に確保していましたが、開戦後、内通者は逃亡するなどして戦力になりませんでした。
キーウの攻略も予想以上に手間取り、アントノウ空港を占拠しようとしたロシア空挺部隊は、ウクライナの激しい抵抗を受け、1度は空港占拠したにも関わらず、短期間でウクライナ軍に再び取り戻されてしまいます。これにより重装備を持つ後続部隊の輸送機が使えず、キーウを占拠できませんでした。結果、短期間でゼレンシキー政権を排除するという目標を達成できずに、戦争を長引かせることになりました。
ロシアはヴォロディミル・ゼレンシキーという政治家の力量を見抜けませんでした。ゼレンシキーは戦争前の外交戦で終始プーチンに負けていましたが、開戦後のゼレンシキーは有事のリーダーとして振る舞い、ウクライナを一つにまとめることに成功します。
ロシアにとって最良のシナリオとは、開戦とともにゼレンシキーが逃げ出し、国民の信頼を失う事態でしたが、ゼレンシキーが首都に踏みとどまるという決断をし、リーダーシップを発揮することでロシアは勝利を得られませんでした。プーチンのプランA=短期間でゼレンシキー政権を崩壊させて、親ロ派の傀儡政権を樹立するという目標が、完全に失敗に終わりました。
この結果、ロシアの「特別軍事作戦」は新たな段階へと移行しました。ロシアは通常の戦争でウクライナの軍事力を打倒し、ロシアの支配下に置くことを次なる目標として、東部の都市を破壊することを選択します。
ウクライナの抵抗力は、西側の予想を大きく上回るもので、開戦から1カ月の間、ウクライナ軍は組織的な戦闘力を維持しました。当然、ここにはウクライナ国民の意思が大きく働きます。48時間で消滅するはずだったウクライナが持ち堪えられた要因は、ウクライナ人のロシア軍への徹底的な抵抗によるものでした。
日本が今後取るべき道とは?
プーチンはKGB出身のスパイであり、国家を破壊することをなんとも思っていないことが、チェチェンやクリミアでの紛争からわかっています。そこに個人的な欲(昔のソ連を復活させたい)が加わることで、戦争を引き起こしたと考えた方がよさそうです。
プーチンは開戦に先立ってその「大義」を説明していますが、その核心は以下の3点に集約されます。
①ウクライナ政府はネオナチ思想に毒されており、ロシア系住 民を迫害・虐殺している。
②核兵器を開発しており、国際安全保障上の脅威である。
③ウクライナがNATOに加盟すればロシアの安全保障が脅かされる。
著者はこのプーチンの大義を全て否定します。
①2014年のウクライナ政変にネオナチ的・国粋主義的勢力が関与したことは事実です。その後の第一次ロシア・ウクライナ戦争ではこうした勢力の武装部隊も内務省国家親衛軍に編入されて戦っていました。マリウポリの攻防戦で国際的に有名になったアゾフ連隊もその一つで、彼らが当初掲げてきたイデオロギーは白人種の優越性を唱えるナチス的人種主義の影響を強く受けたものでした。
さらにアゾフ連隊は独自の政治部門を有しており、移民や性的マイノリティに対する政治的暴力を行使してきたほか、第一次ロシア・ウクライナ戦争においても民間人の殺害や捕虜の虐待を行っているとの記載が国連高等人権弁務官事務所(OHCHR)の2016年の報告書でも確認できます。
ウクライナ政府は第一次ロシア・ウクライナ戦争勃発後、「地域言語法」を廃止してロシア語を公用語から外すという決定を下しています。ウクライナがロシア系住民に対して全く弾圧を加えてきたことも否定できません。
しかし、ウクライナ全体がネオナチ思想に席巻されているわけではありませんでした。開戦前の段階においてゼレンシキー政権やウクライナ社会がネオナチ化していたとロシアが主張するのには無理があるのです。
②ウクライナが核兵器を開発しているという客観的な根拠は見当たりません。
③ウクライナがNATOに加盟すればロシァの安全保障を脅かすという主張自体には一定の理があります。実際、ロシアとウクライナは長大な国境を共有している上、モスクワまで最も近いところで450㎞しか距離が離れていません。仮にウクライナのNATO加盟が実現すれば、ロシアの戦略縦深が大幅に後退し、ごく短時間でミサイルが飛来する可能性が高まります。
しかし、アメリカのバイデン政権は開戦前に、ウクライナに大規模な軍事援助を行うとか、NATO加盟を後押しするような素振りは慎重に回避していました。また、ドンバスは紛争地域であり続けている状況で、ウクライナがNATOに加盟すれば、北大西洋条約第5条に定められた集団防衛条項が発動し、ロシアとの直接戦争に発展しかねないため、現実的にNATO加盟の可能性はなかったのです。
一方、第二次ロシア・ウクライナ戦争の開戦後には、スウェーデンとフィンランドがNATO加盟の意向を表明し、実際に6月には加盟が承認されました。両国が冷戦期以来守ってきた中立の方針を捨てたことがロシアにとって大きな失点でしたが、フィンランドやスウェーデンに対しては加盟前に先制攻撃をかけることはありませんでした。経済・エネルギー制裁の脅しも行われず、ウクライナに対する姿勢とは異なるものでした。
「自分の代でルーシ民族の再統一を成し遂げるのだ」といったプーチンの民族主義的野望のようなものを想定しなければ、この対応の差は説明できません。
核兵器が人類の破滅にさえ繋がりかねない破壊力を持ち、人類が暴力に対して脆弱な物理的存在である以上、その恐怖は究極の抑止力として機能する(してしまう)のある。仮想敵国全てが核保有国である我が国にとっても、この事態は他人事ではない。日米同盟によって米国の拡大抑止(要するに「核の傘」)を受けている日本がウクライナのように大国から直接侵略される蓋然性は低いとしても、台湾はこのような保障を持たないという点でウクライナとよく似た状況に置かれている。
著者は台湾有事が発生した場合、日本の役回りはポーランドのそれに類似したものになると述べています。日本が被侵略国に対して軍事援助を提供するための兵姑ハブや、ISR支援を行うアセットの発進基地になる可能性が高いのです。
現在こうした議論が行われずになしくずし的に、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高まっています。日本としてはこのウクライナ戦争を我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないように努力すべきです。ウクライナに対する軍事援助は難しいとしても、難民への生活支援、都市の再建、地雷除去などの支援策を実行することが望まれています。
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