考察する若者たち
三宅香帆
PHP研究所
考察する若者たち (三宅香帆)の要約
現代の若者は「失敗したくない」という思いから、正解のある問いを好み、共有できる答えに価値を置く傾向があります。三宅香帆氏は、その背景にある「報われたい」という欲求を分析し、考察文化の広がりを読み解いています。正解のない問いに向き合う批評の重要性を見直し、多様な感性や視点の意義を提言しています。
若い世代の考察文化とは何か?
たしかに私たちは怖がっている。失敗を、恥を、後悔を、報われない努力を、何にもならない時間を、何の意味もない感情を、誰にもわかってもらえない感想を。プラットフォームがいいものをおすすめしてくれる時代に。ネットに最適解が転がっていそうな時代に。なぜ報われないことを、自分がしなくてはいけないのか。だからこそ「考察」のような、正解を当てるためのゲームが流行する。(三宅香帆)
起業家養成大学のiUで、毎週Z世代の学生に向けてフレームワークの授業を担当しています。彼らに共通しているのは、「失敗したくない」という強い思いです。現代の若者は、効率や成果を重視する傾向が強く、何かに挑戦する際も「無駄な努力は避けたい」「結果が保証されていないことには踏み出しにくい」と考えることが多いようです。
その背景には、情報が過剰なほど溢れ、常に最適解が求められる社会構造があると感じています。 授業を通じて私は、失敗を通じてしか得られない学びがあること、そして起業においてはチャレンジし続けること、あきらめない姿勢こそが成功の鍵であるというメッセージを、さまざまなゲスト経営者の講義を通じて伝えるようにしています。
教科書や理論では学べない、生きた知見やリアルな挫折の経験談を共有することによって、彼らの価値観に小さな揺らぎを与えられるよう努めています。
今の若い世代の本の読み方や情報収集のスタイルも大きく変化しています。ここにも、失敗したくないという感情が強く働いているようです。文芸評論家・三宅香帆氏の考察する若者たちは、現代の若者たちが抱く「正解」への渇望を読み解いた一冊として注目されています。
三宅氏は、現代の若者が「批評」から「考察」へと姿勢を変えてきた理由を、エンタメ文化の変化とともに丁寧に分析しています。 「考察」は、作者が仕掛けた謎を解くことで正解にたどり着こうとする姿勢であり、報われることを前提とした思考です。
一方、「批評」は、作者すら意図していなかった可能性に対して独自の解釈を加える行為であり、正解のない個別的な営みです。
若者たちは、自らの行為が報われることを重視し、「正解がある」問いを好む傾向があります。三宅氏は、これを「報われ消費」と呼び、娯楽の世界ですら正解を求める文化が広がっていると指摘しています。 SNSやアルゴリズムに最適化された情報社会では、自分だけの感情や解釈よりも、共有可能な「正解」に価値が置かれるようになっています。
感情や実感だけでは意味がないと感じる若者は、意味のある時間を過ごすために「報われること」を求め、作品を味わう行為すら「正解を解くゲーム」として捉えています。
考察文化は、こうした「意味のある消費」を志向する時代背景と密接に関係しているのです。 「推し」の概念もまた、理想に向かって努力する対象に自分を重ね、報われたいという願望を投影する構造となっています。
「萌え」が純粋な感情の発露であるのに対し、「推し」は行動とゴールを前提としています。理想化された対象に向けて応援する「推し活」は、その行動が報われると信じられるからこそ成立しています。ここにもまた、「報われたい」という根源的な欲求が存在しているのです。
さらに、「推し」という存在が広く支持される背景には、共感やつながりを重視するSNS時代の価値観も影響しています。推しの成功は自分の喜びとなり、そのプロセスに関与することが、個人の存在意義や感情の充足感につながっています。
令和のヒットコンテンツは、TikTokやYouTubeといったプラットフォームから生まれる傾向があります。つまり、「報われるかどうか」が明確なコンテンツほど、アルゴリズムに推薦されやすく、拡散されやすいのです。
現代の若者は、自分の感情で選ぶよりも、最適化されたおすすめに従う傾向が強く、「報われ消費」はこうした仕組みと非常に相性が良いといえます。その結果、エンタメにおいても「正解」が求められるようになり、作品を楽しむ行為すら、あたかも正解を探すゲームへと変化しているのです。
失敗を恐れず、批評家マインドを取り戻そう!
仕事のやりがい=報われにくい
仕事の成長・安定=報われやすい
やりたい仕事をやることは、楽しい、嬉しい、という実感をもたらす。しかし、目に見える報われた証は残らない。ただ自分の感情や実感が残るだけになってしまう。
仕事観の変化も同様に読み解くことができます。やりがいを重視していた時代から、成長や安定を求める時代へと価値観は移行しています。これは、やりがいという感情的な満足よりも、成長や安定という目に見える成果のほうが報われると感じるからです。行動の意味や結果が明確であることが、安心感と納得感につながる時代においては、「報われなさ」への耐性が低下しているともいえるでしょう。
プラットフォーム社会の中で、最適解を示すAIの存在感も増しています。Google検索よりもChatGPTに問いかけることで、より「報われる」答えが得られると感じるユーザーが増えているのです。自分の個別の感情や思考よりも、正解に近い情報が評価される構造が、この時代の特徴といえます。
こうした環境下では、自分自身の感性を表現するよりも、他者にとっての「正解」に合致したアウトプットを優先しがちになり、自己表現の多様性が狭められていく懸念もあります。
三宅氏は、そんな時代にあっても「批評」の価値を再確認しています。正解のない問いに向き合い、自分だけの視点を持つことの重要性を訴えています。批評は報われにくい行為です。しかし、それゆえに自分自身の感性や思考を研ぎ澄ます機会を与えてくれます。
考察ブームを的確に分析した本書は、情報に最適化されすぎた私たちに対して、多様な感受性を取り戻すきっかけを与えてくれます。 自分の感想が間違っているかもしれない、あるいは共感されないかもしれないという不安を乗り越え、自分の言葉で世界を語る勇気を持つこと。その行為こそが、情報に流されがちな現代において、自分らしさを取り戻す第一歩になります。
本書を通じて、「報われること」ばかりを追い求めず、「報われないかもしれないけれど意味がある」行動にこそ価値を見出す姿勢の大切さが改めて浮かび上がってきます。
現在62歳の私は、若い頃に広告会社で「チャレンジと失敗の価値」を肌で学びました。経験を積めば積むほど、人生がいかに思い通りにならないかを痛感します。そもそも人生は、報われないこと、思い通りにいかないことの連続です。
だからこそ、「やりたいことがある」という状態そのものがすでにリスクを含んでいるのです。望むほど、失敗の可能性も高まる。しかし同時に、それは自分の欲望や可能性に正直であるということでもあります。 やりたいことを持たないほうが安全かもしれない。でも、安全なだけの人生では、感情も行動も痩せ細っていく。
だから私は、報われなくても、後悔が残っても、チャレンジをやめない選択を取りたいと思っています。むしろ、報われないからこそ、意味があることもある。残された時間が短くなってきた今、自分らしさを取り戻す手段として「批評的視点」を大切にしたいと改めて思いました。
正解をなぞるのではなく、自分の言葉と感覚で世界を読み解く力を、これからも磨き続けていきます。 そしてそれを、Z世代の学生たちや、ともにビジネスに挑む若い経営者や起業家に共有していくことが私のミッションになります。
実践を通じて見えてくる本質や、失敗の中にこそあるリアルな学びを、彼らとともに探り続けること。それこそが、今の私にできる最も価値あるアクションであり、私自身が人生を納得して生き抜くための姿勢でもあるのです。
















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