君たちはなぜ、怒らないのか 父・大島渚と50の言葉(大島武・新著) を
読むことで、自分の人生と飲酒について考えてみたくなりました。
私は今は一滴の酒も飲みませんが
44歳の6月30日までは、強烈なアルコール依存症でした。
アルコールがなければ、一日が始まらず
昼も夜もビールやワインが私の側にいるという感じで
アルコールが脳のほとんどの部分を占領している悲惨な状態でした。
当時の私は、飲むために働いていて、飲むこと以外のことは考えていませんでした。
イメージするものがすべてお酒に結びついていて
いつ飲むか、誰とどこで飲むかが、当時の私の未来計画だったのです。
この君たちはなぜ、怒らないのかには、
大島渚氏の酒にまつわるエピソードや言葉がいくつか紹介されています。
酒飲みにとっては、世界は酒飲みと酒飲みでない人間の大きく二つに分かれて成り立っている。
以前の私は酒飲みとの付き合いしか考えていませんでした。
酒を飲む人だけが私の友人で、飲む以外のコミュニケーション手段がなかったのです。
ミーティングには、必ずアルコールがセットされていました。
しかし、44歳の7月に断酒して以来、私には酒が必要なくなりました。
このタイミングで死を意識するようになり、自分の未来を変えようと思ったのです。
7年前の7月1日に、飲まない素敵な自分を脳の中でイメージして
数ヶ月の間、お酒のパワーと格闘しながら、ついには飲まない自分をつくれました。
そして、今ではお酒なしの世界に生きながら
自分の夢に向かって、アクションできるようになったのです。
わたしはすでにまぎれもなく死の方向に向かって歩いている。人並み外れて酒を飲むのも、一種緩慢な自殺を図っているのかもしれない。
大島氏は緩慢な自殺という表現をしていますが
アルコールを飲み続けることが、自殺と同じだと私も気づけたのです。
倒れる前に酒をやめようと思ったのは、小さな娘の存在でした。
ここで止めなければ、彼女たちの成長を見守れないと考えたのが
断酒の一つの理由で、そしてそれがモチベーションになったのです。
長男の武氏は以下の様に大島渚氏へのオブジェクションを書いています。
死を恐れ、逆に無頼を気取った父親に、息子としては一言意見したい。飲み過ぎて倒れて17年の要介護生活。お母さんには迷惑かけたよね。人はそんなに簡単には死ねないよ。自分の体を大切にするのは家族や周囲の人へのエチケットだと思う。公人としても家族としても尊敬してやまない大島渚に対してもっている私の唯一のオブジェクションがこれだ。
私は御陰さまで倒れることなく、今を生きていますが
もし、断酒をしていなかったら、アルコールによる緩慢な自殺を続けていたわけです。
今も私が飲み続けていたら、私の娘や妻も武氏と同じ思いを抱いたことでしょう。
家族と周囲にエチケットを欠いていた過去の私を、今日は久々に思い出せました。
この本を読めたことで、過去の情けない自分を振り返れました。
君たちはなぜ、怒らないのかの巻末に紹介されている
「たけのこごはん」という大島氏の文章が秀逸です。
息子さんの小学校の宿題に大島氏が書いた作文なのですが
氏の戦争中の思い出を読むだけでも、この一冊には価値があると思います。
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