口の立つやつが勝つってことでいいのか 口の立つやつが勝つってことでいいのか (頭木弘樹)の書評

a sign that says be kind on it

口の立つやつが勝つってことでいいのか 口の立つやつが勝つってことでいいのか
頭木弘樹
青土社

口の立つやつが勝つってことでいいのか 口の立つやつが勝つってことでいいのか (頭木弘樹)の要約

頭木弘樹氏のエッセー集は、カフカをはじめ、ヴォネガットやカーヴァーの言葉を通して、絶望や言葉にならない思いにそっと寄り添う読書案内として心に残ります。 ヴォネガットの「愛せ」よりも「親切にしろ」という言葉や、「絶望は部屋の隅に追いやれる」といった表現が、励ましすぎることなく、それでも確かなかたちで、私たちに生きる力を与えてくれます。

「言語化できないこと」が教えてくれたこと

言語化できることなんて、ほんのわずかだ。言語化するというのは、たとえて言うと、箸でつまめるものだけをつまんでいるようなものだ。スープのようなものは箸でつまめない。そういうものは、切り捨ててしまっているのだ。だから、じつはスープがたっぷり残ってしまっている。そのスープのほうが気になる人は、「うまくしゃべれない」ということになる。もちろん、箸でつまめるものをきちんとつまむことも重要だ。 (頭木弘樹)

日経新聞の夕刊に掲載されていた文学紹介者の頭木弘樹氏のエッセーを、私は毎週楽しみに読んでいました。その文章が書籍化されたと知り、すぐに購入したものの、しばらくは他の本に埋もれて積読状態になっていました。今年の正月に「積読解消プロジェクト」の一冊として手に取り、読み始めたところ、あっという間に読了しました。

著者は20歳のとき、突然下血や下痢が止まらなくなる難病、潰瘍性大腸炎を発症し、13年にも及ぶ闘病生活を送っています。その過酷な日々の中で、カフカの言葉に支えられた経験をきっかけに、絶望や孤独に寄り添ってくれる文学を紹介し続けてきました。

カフカの「少女の人形」のエピソード、そして彼の人生を追体験できたことは、頭木氏のエッセーを再読しなければ得られなかった深い気づきでした。

本書のタイトルが象徴しているように、著者は「理路整然と話せるほうがいいのか?」という問いを私たちに投げかけます。幼少期、「口の立つ子ども」だった著者は、論理的に話すことで常に議論に勝ってきました。

しかし、その一方で、先生の前でうまく説明できない友人が謝罪させられる場面を目にし、「腕力が強いほうが勝つのと何も変わらないのではないか」という違和感を覚えていたといいます。

ところが20歳で難病を患い、長い闘病生活に入ったことで、立場は一変します。今度は自分自身が「うまく言葉にできない側」になったのです。その経験を通じて著者は、「言葉にできる思いなんて、本当にごくわずかで、言葉にできない思いのほうが大半なのだ」と気づかされます。そして、言葉にできない思いの中にこそ真実があり、うまくしゃべれない人にこそ魅力を感じるようになったと述べています。

とりわけ印象に残ったのは、移住先の宮古島で出会ったMさんとの対話です。Mさんは、いつも自然と人が集まる魅力的な人物でしたが、決して理路整然と話すタイプではありませんでした。そのため当初、著者はそれを欠点だと感じていたといいます。 しかし次第に、「理路整然と話せるほうが本当にいいのだろうか」と疑問を持つようになります。

「理路整然と話さない」というのも、素晴らしいことだ。箸でつまめる豆だけでいいと、簡単にスープを切り捨てられない人なのだ。そのことに誇りを持っていいと思うし、大切にしたほうがいいと思う。理路整然としゃべることができる人も素敵だが、理路整然とせずにしゃべることができる人も、また素敵だ。前者だけでなく、後者もいてほしい。前者だけでなく、後者も尊重してほしい。

そして、たどり着いたのが、「言語化とは、箸でつまめるものだけをつまんでいるようなものだ」という考えでした。 スープは箸ではつまめません。言葉にできるものだけを拾い上げるという行為は、スープのように大切な部分を切り捨ててしまうことでもあるのです。

Mさんの会話には、箸でつまめる具よりも、むしろスープがたっぷり含まれていました。 だからこそ豊かで、人を惹きつけていたのだと、著者は気づきます。言語化できることは、ほんのわずかにすぎません。言葉にできないもののほうが、実はずっと多く残されています。

その「残ってしまったスープ」のほうが気になる人は、結果として「うまくしゃべれない人」になるのかもしれません。 もちろん、箸でつまめるものをきちんとつまむことも大切です。しかし、それだけですべてをわかったつもりになる危うさがあることを、著者はこのエピソードを通して丁寧に教えてくれます。

頭木氏の読書案内から気づいたこと

あなたがたがもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。「どうか──愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに。 スラップスティック (カート・ヴォネガット)

本書では、カフカ以外の作品からも多くの文章が引用されており、たとえばカート・ヴォネガットやレイモンド・カーヴァーといった作家たちの言葉が取り上げられています。それらの引用は単なる紹介にとどまらず、頭木氏自身の読書体験や人生観と重ね合わされながら語られており、秀逸な読書案内としての側面も備えています。

たとえば『スラップスティック』に登場する、ヴォネガットの言葉──「どうか──愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」。 このフレーズを、頭木氏は印象的な姿勢として紹介しています。この言い換えには、ヴォネガットの倫理観や人間観が、実に端的に表れていると言えるでしょう。

「愛」という言葉は、力強く美しい響きを持つ一方で、ときに抽象的で重たく感じられることがあります。言葉としての期待が大きいぶん、扱いが難しく、どこか身構えてしまう人もいるかもしれません。

それに比べて、「ありふれた親切」はもっと身近で、具体的で、実践しやすいものです。相手を大切に思う気持ちは、壮大な言葉に託すのではなく、日々のささやかな行動として表す。そうした姿勢のほうが、人の心にすっと届くこともあるのです。

こうした発想の背景には、ヴォネガット自身の人生経験があると考えられます。幾度もの戦争や喪失を経験し、理想だけでは支えきれない人間の弱さや不条理を直視してきた彼にとって、感情の深さを求めるよりも、日々繰り返される小さな行為こそが、人を支える力になると実感していたのでしょう。

この二つの言葉の違いは、一見するとささいに思えるかもしれません。しかし、その意味するところは大きく異なります。「愛」は理想であり、ときに人を追い詰めてしまう重さを伴います。

一方の「親切」は、もっと軽やかで、無理なく実践できる、日常に根ざしたふるまいです。それは他者との関係を築くための“入り口”として、誰にでも開かれているものです。 だからこそ、ヴォネガットの言葉には、無理をせず、しかし諦めない──そんなバランスの取れた優しさが宿っているように思えるのです。

さらに頭木氏は、『国のない国』における絶望と向き合う姿勢にも注目し、ヴォネガットのこんな言葉を引用しています。

ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。

この言葉は、絶望を完全に消し去ることはできなくても、それと一定の距離を取ることは可能なのだという、きわめて現実的で実感に即した感覚を示しています。希望を強要するのでもなく、現実を美化するのでもない。だからこそ、「部屋の隅に追いやる」という表現には、誰にでも実践可能なささやかな抵抗としての力が宿っているのだと思います。

絶望を完全に取り除くことはできなくても、それを遠ざけることはできる。その認識が、重たい現実と向き合う私たちに、ある種の勇気を与えてくれるのです。

ヴォネガットの言葉は、確かに励ましのように聞こえますが、決して励ましすぎない。その控えめな語り口が、読む者にとって都合のいい「逃げ道」ではなく、現実に踏みとどまるための力として機能しています。希望を誇張することなく、それでもなお生きる力を差し出してくれる。そうした言葉だからこそ、読み終えた後も長く心に残り続けるのです。

私は若い頃、村上春樹氏の影響で、カーヴァーやヴォネガットの作品を読み耽りした。当時は、文体の新しさや世界観の独特さに惹かれていたのだと思います。本書を読んで、久しぶりに二人の作家に再会し、自然と「もう一度読んでみたい」という気持ちが湧いてきました。

この正月休みに手に取ったのは、ヴォネガットの「スローターハウス・ファイブ」と、カーヴァーの「大聖堂」でした。若い頃に読んだときとは、文章の響き方がまったく違います。

以前は通り過ぎてしまっていた一文で、今は自然と立ち止まってしまう。笑っていたはずの場面で、ふと考え込んでしまう。そんな読み方に、自分でも少し驚きました。

時間を経て再び出会う読書には、確かにこうした豊かさがあります。同じ本であっても、読む側の時間や体験、環境が変われば、立ち上がってくるものはまったく違ってくるのだと実感します。

本書は、単なる文学紹介にとどまりません。 読む人の人生にそっと寄り添いながら、頭木氏は、それまで自分では気づけなかった別のアプローチを提示してくれます。 かつて読んだ本に、もう一度立ち返ることの大切さを、あらためて教えてくれる一冊でした。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
株式会社INFRECT取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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