おはようございます。
今朝は、いつもより早起きしています。
昨日、9月5日のオルタナブログに書かせていただきましたが
これから秋田県の大潟村に出かけてきます。
放射能問題で揺れるおコメの安全、安心について積極的に取り組んでいる
大潟村あきたこまち生産者協会のお招きで
現地で取材させていただく事になりました。
福島の原発事故以降、国の食に関する放射能の基準が
どんどん緩められている気がします。
それが、益々国民を不安に陥れている現実。
生活者として、親として食について真剣に考えないといけない時代
そう、家族の安全は自分たちで作り出さなければいけない時代に
いつの間にかなってしまっていたのです。
そんな状況化で、食を預かる生産者の方々にも動きが出始めています。
その生産者の中のシンボル的な存在が
今日取材させていただく大潟村あきたこまち生産者協会の
涌井徹社長です。
涌井社長は、すぐにコメの国の出荷基準の500ベクレルと言う数字に疑問を持ったそうです。
生産者の方々も、当たり前ですが生活者です。
自分の口に入るコメに関して、
自分たちが安心出来る数字のコメしか出荷しないように
決めるべきだと考えたそうです。
自分1人で決めるのではなく
生産者の子育て主婦の方々と議論して
50ベクレルという数字をまず、決めました。
しかし。これでは生活者の支持は得られないのではないかと再考して
最終的には限りなくゼロに近い数字の1ベクレル以下のコメしか
出荷しないことを決めたそうです。
この基準値に関してはこちらのサイトをご覧ください。
国の基準の500ベクレルに対して生活者視点で基準を
自ら作られた涌井社長の取り組みに関して
大潟村でいろいろとソーシャルおじさんの目で見てこようと思います。
最後に大潟村あきたこまち生産者協会の企業理念が
あまりにも今の時代にあったソーシャルな考えなのでご紹介します。
昭和62年の大潟村あきたこまち生産者協会のこの動きは
生活者視点で時代を先取りしていた事にソーシャルおじさんは驚きました。
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