ネット世論の見えない支配者 フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体
ルネ・ディレスタ
原書房

ネット世論の見えない支配者 フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体(ルネ・ディレスタ)の要約
SNSとアルゴリズム、インフルエンサー、そして群衆が複雑に絡み合う現代の情報環境では、「現実を共有する」こと自体が困難になりつつあります。ルネ・ディレスタは、こうした構造的な問題に鋭く切り込み、私たち一人ひとりがどの情報に耳を傾け、何を信じるかという選択が、これからの社会におけるリアリティを形づくるのだと指摘します。
インフルエンサー・アルゴリズム・群衆という3つの力がネット世論の形成を後押しする!
わたしたちはもうマスメディアが発信するメッセージの受動的な受け取り手ではない。それどころか、世論を形成し、バイラリティを生みだすツールを扱い、数百万もの人々に届き、影響を 与える可能性があるメッセージを拡散する力を誰もが手にしている。(ルネ・ディレスタ)
なぜ私たちは、フェイクニュースかもしれないという情報に心を動かされ、信じ、それを拡散してしまうのでしょうか。なぜ事実ではなく偽情報がSNS上で広がり、真実のように受け取られてしまうのでしょうか。
FacebookやXが日常化し、誰もが情報の発信者となったいま、こうした疑問は、もはや一部の問題ではありません。私たち一人ひとりが、誤情報の消費者であり、同時に加担者にもなりうるのです。
そうした現代の「情報環境」の危機に対し、冷静かつ鋭い分析を提示するのが、ルネ・ディレスタのネット世論の見えない支配者 フェイクニュース、アルゴリズム、プロパガンダを操るものの正体(Invisible Rulers)です。
本書は、「フェイクニュースとは何か」という一般論を超え、インフルエンサー、アルゴリズム、群衆という三者が織りなすネット世論の構造そのものを描き出した本格的なプロパガンダ論です。
著者のディレスタは、ウォール街やベンチャーキャピタルでのトレーダー経験を持ち、ソフトウェアやコンピューターの仕組みを定量的に理解する理系的素養を備えた希少な人物でもあります。2015年、麻疹ワクチン反対運動に触れたことをきっかけに誤情報に関心を持ち、スタンフォード大学の研究機関で反ワクチン、陰謀論、ロシアや中国の政治や選挙介入などを分析してきました。
著者が本書で「見えない支配者」と呼ぶのは、陰謀論者や万能のAIではなく、緻密に設計されたインフルエンサーとアルゴリズム、そしてその動きに共鳴する群衆の組み合わせです。彼らは「反エリート」「普通の人」を装いながら、実際には巨大な影響力と収益構造を持つ新たなエリートとなり、オーディエンスの怒りや不信を資源として現実認識そのものを書き換えていきます。
こうした現象は、単に情報が多すぎるから起きているのではありません。問題は構造にあるのです。 アルゴリズムは、「何が正しいか」ではなく、「何がよく反応されているか」に従って情報を増幅します。その結果、極端でセンセーショナルな内容が可視化されやすくなり、熱狂的マイノリティの活動が過大評価されます。
インフルエンサーはその仕組みを熟知しており、使うべき言葉、引用すべきミーム、適切なトーンまでも戦略的に選び、狙ったとおりの反応を引き出します。彼らは自身の属するニッチなコミュニティの言語や文脈に精通し、世界の出来事に即応して解釈を与え、ストーリーを組み立てていきます。
いまやインフルエンサー、アルゴリズム、群衆から成るオーケストラが、社会ではなく各自のニッチ内で、休むことなく複雑な信念体系を構築する。
しばしば、インフルエンサーはストーリーテラーであると同時に、ストーリーそのものでもあるのです。 こうして形成されるのが、「ビスポークリアリティ」です。
これはアルゴリズム、インフルエンサー、キュレーションされたコンテンツによって、個々のユーザーに合わせて構築された現実のバージョンであり、各人が異なる現実を生きることを可能にします。
群衆によって合意された現実──つまり、「これが事実だ」と共有できる土台──は崩れつつあり、私たちはもはや同じ現実の中で会話しているとは限りません、そうした分断された情報環境が、民主的な合意形成をほぼ不可能にしているのです。
FacebookやXの「いいね」ボタンは、もはや単なる共感のサインではありません。ごく普通の人々が、それを通じて意図せず群衆を動かし、無自覚のままフォロワーに影響を与えているのです。 オンラインクラウドに広がる日々のタイムラインでは、何気ないアクションが他者の認識や感情を静かに方向づけていきます。
そしてひとたび、特定の投稿が勢いを得ると、その動きは加速し、プラットフォームのアルゴリズムが極端な情報さえも増幅しながら、瞬く間に拡散していくのです。
偽情報に騙されないために必要なこと
最初は、アルゴリズムによる後押しと個人的な興味から、人はオンライン群衆に参加する。政治的派閥の一員となることには充実感もあるだろう──そこには理念と使命があるのだ。共通の「敵」との闘いは仲間意識と帰属感を作りだす。楽しさもあるだろう。しかし派閥への参加は没入、より極端な意見、あるいはより強力で好戦的な党派心〔特定の政党などへの強い忠誠心や偏見〕へつながりもする。わたしたちが参加しているグループは自己意識の基礎となる。派閥のために闘う戦士となることは、自身のアイデンティティの一部になるのだ。
ディレスタは、こうしたメカニズムの中で起きる「オーディエンス・キャプチャー」という現象に注目します。インフルエンサーが、自身のオーディエンスが求める型にコンテンツや意見を合わせてしまうことで、表現の幅が徐々に狭まり、過激化していく構造です。
そしてこれは、インフルエンサーに限らず群衆内でも起こります。メンバー同士が互いの見解を強化し合い、異論を排除することで、意見の多様性が失われていくのです。こうして形成されるのが「ソーシャル・キャプチャー」です。 人は、他者が正しいと見なしていることを手がかりに、自分の判断を形成します。どの情報を信じるか、どの行動が許容されるかを、まわりの反応を通じて読み取っているのです。
アルゴリズムは、インフルエンサーによって推進された情報を群衆によってさらに増強し、エンゲージメントの見返りにさらなる拡散を促します。結果として、ユーザーは互いに影響を与え合いながら、目的と関心を声高に叫ぶ巨大な蜘蛛の巣のようなネットワークを形成していきます。
そこで目にする現実は、他者の目に映る現実とはしばしばまったく異なります。自分の属する集団内では意見が一致し、強固な合意があるように見える一方で、群衆と群衆の間には共有できる現実がほとんど存在しません。
どの集団も「自分たちこそが大衆である」と信じていますが、実際にはその一部にすぎないのです。 このようにして、ソーシャルメディアはコンテンツ拡散の民主化を進め、誰もが発信者としてオーディエンスを持ち、メッセージを拡げ、コミュニティを育てられる環境を整えました。
さらに、生成AIの登場はその変化を加速させています。コンテンツ制作のコストは限りなくゼロに近づき、技術そのものは世界中の人々に利益をもたらす可能性を秘めています。
ただし、技術の存在そのものが社会を崩壊させるわけではありません。真に影響力が生じるのは、オーディエンスが発信者を信頼し、コンテンツを本物だと信じたときです。 人は最初、興味関心とアルゴリズムの導きによってオンライン群衆に参加します。特定の政治的派閥に属することは、目的や理念を共有する充実感をもたらします。
共通の“敵”を持つことで、仲間意識と帰属感が強まります。そこには一体感と楽しさすらあるかもしれません。しかし、その没入はやがて、より過激な主張、強固な党派心、排他的な態度へとつながっていきます。所属するグループは、次第に自分のアイデンティティそのものとなり、個人は“派閥の戦士”として振る舞い始めるのです。
こうした状況の中で、ディレスタ自身もまた、コロナ・パンデミックやアメリカ大統領選挙期間を通じて、誤情報・偽情報の拡散を分析し、その対策に取り組んできました。しかしその活動は、一部から「情報検閲」として誤って認識され、やがて組織的な攻撃の標的となります。彼女自身に関する虚偽情報が流布され、事態は次第に深刻化していきました。 議会公聴会への召喚、訴訟の提起、執拗なオンラインでの中傷。
圧力は長期にわたって続き、ついには彼女が所属していたスタンフォード・インターネット・オブザーバトリーが、設立からわずか5年で2024年に閉鎖される事態にまで至ります。ディレスタ本人も退職を余儀なくされました。
この一連の出来事は、偽情報という目に見えにくい脅威に立ち向かうことが、いかに困難で、そしていかに個人の人生やキャリアに深刻な代償をもたらしうるかを、象徴的に物語っています。
いま、わたしたちはメディアの受け手であると同時に、物語の創り手になっています。SNSというツールは、誰にでも拡散力と影響力を与えました。声が増え、つながりが広がり、創造性が解放される一方で、情報空間は分断され、リアリティはビスポーク化され、共通の現実が失われつつあります。
自身の偏見や好みを認識し、不信と信頼のバランスを取り、同じリアリティを共有したいと心から願うことが求められている。
いま求められているのは、「何が正しいか」を一方的に決めつけることではありません。多様な声が飛び交う情報空間のなかで、どの視点に触れ、どの意見と距離を取り、どんな文脈を読み解くか。私たち自身の問い直しと選択が、社会のリアリティそのものをかたちづくっていきます。
テクノロジーが進化し、あらゆるコンテンツが瞬時に届く時代だからこそ、本当に問われているのは、どの声に信頼を置き、どの沈黙に気づくかという、人間としての姿勢です。
当然、FacebookやXなどのプラットフォーム自体も対策に取り組むべきですが、私たち自身もこの状況を理解し、行動を変えるべきです。情報に流されるのではなく、自分の軸をどこに置くか。それが、リアリティの分断を越えていく第一歩になるのかもしれません。
ディレスタは、認知バイアスを自覚し、情報との関わり方にバランスを持つことの重要性を語っています。私自身もその言葉を胸に、自分が何を取り上げ、どんな物語を生きるのかを、丁寧に選び取っていきたいと思います。
















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