書籍:アナーキー経営学 街中に潜むビジネス感覚
著者:高橋勅徳
出版社:NHK出版
ASIN : B0CVDZLB8C

30秒でわかる本書のポイント
【結論】 経営学は大企業だけのものではなく、すべての人が日常で実践している「生き残るための行為」である。街角の二郎系ラーメン店が増殖するのは「計算可能性」を示す合理的戦略であり、お寺が不動産経営で生き残るのは「脱連結」の実践であり、中華街やゲイバーの起業は「エフェクチュエーション」を体現した野生のビジネスである。
【原因】 従来の経営学はMBA的なフレームワークや大企業のケーススタディに偏り、街中の「泥臭い生存戦略」を見過ごしてきた。模倣が合理的である理由、強い組織ほど脆い逆説、制度の隙間で生まれるグレーゾーンビジネスなど、教科書に載らない「野生の経営感覚」こそが、不確実な社会を生き抜く本質的な知恵である。
【対処策】 制度派組織論で「模倣的同型化」「規則的正統性」「脱連結」を理解し、エフェクチュエーションの5原則(手中の鳥、許容可能な損失、クレイジーキルト、レモネード、飛行機のパイロット)を活用して、手持ちの手段から環境に適応し、ルールの隙間を突いて新しいビジネス機会を創造する。
本書の3行要約
経営学は会社経営だけでなく、私たちの日常すべてに関わる学問です。本書は、ラーメン二郎やゲイバーなど「教科書に載らない野生のビジネス」を経営学の理論で分析し、ルールの隙間を突く起業家精神の本質を解き明かします。MBAでは学べない、泥臭くもリアルな「生存のための経営感覚」を身につけられる一冊です。
おすすめの人
・従来の経営学に物足りなさを感じているビジネスパーソン
・起業や新規事業の創出に関心がある人
・中小企業経営者や個人事業主として現場の知恵を求めている人
・グレーゾーンビジネスの仕組みを理論的に理解したい人
・既存のルールや常識に疑問を持ち、新しい視点を得たい人
読者が得られるメリット
・身近な事例から経営理論を実践的に理解できるようになる
・制度やルールの「隙間」を見抜くビジネス感覚が身につく
・模倣と差別化の戦略的バランスを理解できる
・不確実な環境でも生き抜く「野生の知恵」を獲得できる
・大企業のケーススタディでは学べない、現場の経営感覚が養える

ラーメン二郎が増殖する理由。模倣的同型化とは?
経営学という学問は、どうやればうまくいくのか本質的にはわからない不確実な世界の中で、学術的な手続きから「こうあるべし」というルールを提供する役割を担ってきたと言えます。今や、経営体を運営する際に、組織、戦略、管理、マーケティングといった言葉を用いることを疑う人はいないと思います。私達は、「これがこの世界のルールである」と確信できる何かとして経営学の理論を利用することで、この世界をシンプルに生きていくことができるわけです。(高橋勅徳)
経営学は大企業だけのものなのでしょうか。MBAのケーススタディに登場するのは、グローバル企業や上場企業が多くなりがちです。
しかし、街中の中小の商店も経営を行っています。駅前の蕎麦屋は限られた席数と食材で日々の売上を最大化しようと工夫し、郊外のフラワーショップは季節ごとの仕入れと廃棄ロスのバランスに神経を尖らせ、個人経営のカットハウスはリピーターとの関係性だけで何十年も店を続けています。
彼らはMBAを持っていませんが、不確実な市場の中で手持ちのリソースを駆使して生き残るという、極めて高度な「経営」を日々実践しているのです。
アナーキー経営学 街中に潜むビジネス感覚において提唱されている「日常生活に潜む経営の視点(野生の経営感覚)」は、経営を会社やビジネスパーソンのためだけのものと捉えず、この社会で生きるすべての人間が「生き残るため」に実践している普遍的な行為として捉え直すものです。
その理論的な柱となるのが「制度派組織論」です。制度派組織論は、人間のあらゆる日常的な行動を「経営」という切り口から捉え、説明できる可能性を持っているといいます。
著者の高橋勅徳氏は、東京都立大学大学院経営学研究科准教授で、企業家研究とソーシャル・イノベーション論を専門としています。彼は経営の起源をマックス・ウェーバーが提唱した「一定種類の持続的行為(Betrieb)」に見出しています。
すなわち経営とは、大企業や行政の都合に振り回されることなく、自分や家族、友人たちが快適に生活できる「居場所」を確保し、それを維持していくための活動なのです。
本書において提唱されている「野生の経営感覚」は、経営を会社やビジネスパーソンのためだけのものと捉えず、この社会で生きるすべての人間が「生き残るため」に実践している普遍的な行為として捉え直すものです。
ラーメン二郎といえば、首都圏に住む人なら本家の店舗に行けるはずなのに、なぜか「二郎インスパイア系」と呼ばれる模倣店が次々と増えています。著者自身も、インスパイア系の中には美味しいと感じる店があることを認めつつ、本家が身近にあるエリアでわざわざ似た店が増殖する現象に疑問を抱いていたといいます。
しかし、この一見不思議な現象こそ、経営学でいう「模倣的同型化」の好例です。すでに成功しているビジネスモデルを真似ることは、決して安易な「パクリ」ではありません。むしろ、不確実な市場の中で生き残るための極めて合理的な選択なのです。
本当に味が良いかどうかは一旦横に置いておいて、融資担当者にも客にも味が「計算」できることが重要なのです。
二郎のインスパイア系(真似)の店が増殖することが「極めて合理的」だとされる理由は、銀行の融資担当者や来店する客の双方に対して、味や客数の「計算が立つ(予測ができる)」からです。
まず、ラーメン店を開業するには約1000万円ほどの初期投資が必要であり、銀行などから融資を受けるための事業計画書が不可欠です。このとき、「新ジャンルの創作ラーメン」などを提案しても、融資担当者にはどれくらい売れるのかが分からず、返済計画の「計算」が立ちません。経営学ではこれを「新奇性の脆弱さ(斬新すぎる商品は投資や購買を見送られやすい)」と呼びます。
一方、「二郎系ラーメン」という看板には、資金調達の面でも大きな強みがあります。銀行の融資担当者にとって、ターゲット層やニーズの規模が明確なビジネスは「計算可能」な案件です。どんなに独創的なラーメンでも、市場が読めなければ融資は下りにくい。しかし「二郎系」なら、どれくらいの客が来て、どれくらい売れるかの見通しが立てやすく、事業計画の説得力が格段に増すのです。
これは顧客の心理にもそのまま当てはまります。限られたランチ代を、味も量も想像がつかない未知のラーメンに賭けるのは小さなリスクです。しかし「二郎系」と書かれていれば、あのボリューム、あの味わいが瞬時にイメージでき、安心して暖簾をくぐることができる。つまり模倣は、融資する側にとっても、お金を払う側にとっても、不確実性を下げる装置として機能しているのです。
不確実な世の中で生き残るために必要なのは、安易に新奇性や差別化を追うことではありません。まずは融資と集客の両面で「計算可能」な成功パターンを堂々と模倣し、確実な足場を築くことが重要です。
街角の二郎インスパイア系ラーメン店の店主たちは、その極めて合理的でスマートな「野生の経営感覚」を、日々の営業を通じて私たちに教えてくれているのです。
目的と手段を切り離す(脱連結)とは何か?
激しい環境変化に対応して生き残るのは、目的─手段の連結が弱く、容易に脱連結して手段を入れ替えることのできる組織なのです。つまり、「強い組織ほど脆い」のです。
客が全く入っていないシャッター街の呉服や金物など個人店や、都市部のビルの谷間にひっそりと佇むお寺。一見すると衰退の象徴に映るこれらの存在が、なぜしぶとく生き残っているのでしょうか?
本書はここに「脱連結」という経営学の概念を当てて、鮮やかに読み解いてみせます。 脱連結とは、目的と手段の結びつきをあえて弱くし、必要に応じて手段を柔軟に入れ替えられるようにすることです。この視点から見ると、お寺と新興宗教の命運を分けたものが浮かび上がってきます。
新興宗教は、信仰という目的と、稼ぎという手段を強固に一体化させました。収益の大半を信者からの寄付に依存し、閉鎖的な空間の中で「多く寄付する人ほど救われる」という論理を組み上げていきます。一見すると強力な組織に見えますが、信仰の求心力が揺らいだ瞬間、資金源も同時に崩れ、組織全体が一気に瓦解するリスクを抱えています。
一方、都市部のお寺は、明治維新以降に特権や檀家制度が揺らぐ中で、全く違う道を選びました。自前で持つ一等地の土地を活かし、ビルや駐車場を経営して不動産収入という別ルートの稼ぎを確保したのです。不動産収入があれば、檀家に多額の寄付を求めたり、お葬式の謝金を高く設定して不満を買う必要もありません。
ここに逆説が生まれます。信仰と稼ぎを切り離したお寺は、教義を過激に先鋭化させる必要がなくなり、かえって純粋に信仰や布教活動に集中できる環境を手に入れたのです。つまり「強い組織ほど脆い」。目的と手段をがっちり結びつけた新興宗教は環境変化に極めて脆く、両者を柔軟に切り離せるお寺の方が、時代の荒波をしぶとく生き延びることができる——これが本書の分析です。
般若心経には「色即是空」——物体に実体はなく、存在とは絶えず変化するものである——という一節があります。だからこそ、目に見える形や数字に執着する必要はありません。この教えと「脱連結」の発想は、驚くほど重なり合います。。
脱連結とは、言い換えれば「手放す技術」です。何かを手放した時にこそ、自由に生きるイノベーションへの道が開けていく。その実践を、何百年という時間をかけて静かに続けてきたのが、実はお坊さんたちかもしれないと著者は指摘します。
エフェクチュエーション:「持たざる者」の生存戦略
エフェクチュエーションがもともと、人間が有する野生の経営感覚であることを踏まえると、「起業を目指して行動する」仕掛けは、意外に簡単に実現できるのではないか。
著者は生きるための起業という考えを提示します。ここで鍵となるのが「エフェクチュエーション」です。これは、インド出身の経営学者サラス・サラスバシー教授が、連続的に成功を収めてきた熟達した起業家27人への意思決定実験を通じて発見し、体系化した理論です。(エフェクチュエーションの関連記事)
従来の経営学が重視してきた「コーゼーション(因果論)」――つまり未来を予測し、目標から逆算して計画を立てるアプローチ――とは対照的に、エフェクチュエーションは「未来は予測不能である」という前提に立ち、今ある手持ちの手段を活用して新しい状況や価値を創り出していく実践的な論理です。
本書ではこれが、「野生の経営感覚」を取り戻すための基盤概念として位置づけられています。 サラスバシー教授が見出したエフェクチュエーションの5つの原則は、まさに「持たざる者たちの生存戦略」を理論的に裏づけるものです。
・手中の鳥(Bird in Hand)の原則
新しい手段を探すのではなく、「自分は何者か」「何を知っているか」「誰を知っているか」という既存のリソースから出発すること。
・許容可能な損失(Affordable Loss)の原則
大きなリターンを狙うのではなく、失っても致命傷にならない範囲でスモールスタートすること。
・クレイジーキルト(Crazy-Quilt)の原則
競合すらもパートナーと捉え、形も柄も異なる布を縫い合わせるように多様な関係者と協働すること。
・レモネード(Lemonade)の原則
は、予期せぬ失敗や逆境を嘆くのではなく、それを新たな価値創造の素材として活用すること。
・飛行機のパイロット(Pilot in the Plane)の原則
刻一刻と変化する状況を見極めながら、自分がコントロールできることに集中して臨機応変に対応すること。
これら5つの原則は互いに補完し合い、不確実な環境下で行動するための実践的なフレームワークを形成しています。
本書で紹介されている中華街やゲイバーの事例を、この5原則に重ね合わせてみましょう。戦後の在日第一世代の華僑の人々は、日本の一般企業に就職することが困難な状況にありました。そのため、彼らは「生き残るため」に自ら起業を選択し、中華街などでレストランや小さなお店を経営してきました。
これはまさに「手中の鳥」の実践です。公式な社会のルートから排除された状況下で、自分たちのアイデンティティ(自分は何者か)、料理の技術(何を知っているか)、同胞のネットワーク(誰を知っているか)という手持ちの手段を活用し、自律的な経済圏を構築しました。許容可能な損失の範囲で小さく始め、仲間をパートナーとして巻き込みながら(クレイジーキルト)、排除という逆境そのものを起業の原動力に転換した(レモネード)のです。
ゲイバーも同様です。社会的な生きづらさを抱えるゲイの人々が、ゲイとしてお金を稼ぎ、ありのままの自分で生きていくことができる「居場所」として運営されてきました。
彼らもまた、自分たちのコミュニティという手持ちの手段を起点にして、大企業や行政の都合に振り回されず、快適に生活できる「生存空間」を維持するためにビジネスを営んでいます。
変化する社会環境の中で、自分たちがコントロールできる領域に集中して居場所を守り続ける姿は、「飛行機のパイロット」の原則そのものです。
これらの事例から見えてくるのは、経営とは最初から「地域活性化」や「ソーシャル・イノベーション」といった高尚な目的から始まるわけではないということです。そうした大義名分は、いわば行きがけの駄賃として後から付いてくるものに過ぎません。
「生きるための起業」という原点に立ち戻った時に、起業とは社会から一人ひとりの人間を解放し、自力救済を可能とする社会的行為として捉え直すことができると思います。
中華街のレストラン経営者やゲイバーの運営者たちは、まずは自分や家族、身近な仲間が「生き残る」という切実な目的のために、今ある手段で何ができるかをピュアに模索しました。
有名な経営理論や後付けの大義名分に縛られることなく、手持ちの手段から環境に適応してしぶとく居場所を確保していく行動こそが、エフェクチュエーションを体現した「野生のビジネス」なのです。
制度があるからこそ、その隙間に逸脱の余地が生まれます。ルールは人を縛るだけでなく、ルールの外側で生きるための道筋をも照らし出します
コンサルタント 徳本昌大のView
私はこれまで、さまざまな企業のコンサルティングや大学での講義を行ってきました。その中で痛感するのは、教科書通りの戦略が通用しない場面がいかに多いかということです。MBAで学ぶようなきれいなフレームワークは確かに有用ですが、実際のビジネスの現場――特に中小企業や個人事業のレベルでは、もっと泥臭い「生存のための知恵」が動いています。
コンサルタントとしてクライアントに向き合う時、私がいつも意識しているのは、その企業や経営者が持っている「手中の鳥」を一緒に見つけることです。多くの経営者は、自分に足りないものばかりに目を向けがちですが、実はすでに手元にあるリソース――自分自身の経験、知識、人脈――の中にこそ、次の一手のヒントが眠っています。
本書で紹介されるエフェクチュエーションの5原則は、私が大学の最初の授業で必ず教える話でもあります。このフレームワークは経営者だけのものではなく、誰にでも使えます。
著者が教えてくれるのは、その泥臭さこそが経営学の本質だということです。「経営者のための学問」から「みんなのための学問」へと経営学を開くという著者の姿勢に、強く共感します。
シャッター街で商売をしている店舗やラーメン屋の行列を見たとき、ネットで転売品の価格を目にしたとき——これらすべてが経営学の教材になります。
本書を読んだ後、あなたの「街の見え方」は確実に変わるはずです。 経営学は会議室に閉じこもった学問ではありません。むしろ街中のカオスの中にこそ、ビジネスの野生の本質が潜んでいます。高橋勅徳氏は、その事実を知的興奮とともに教えてくれる稀有な案内人です。
🖋 書評:徳本昌大 書評ブロガー・ビジネスプロデューサー
















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