書くことで私なども人生を大きく変えてきたのですが
この本を読めば、書くことでどう人生を変えられるかが
すぐに理解できると思います。
読者ターゲットは定年前後のシニア層を意識していますが
若い方が読んだ方がよいと思います。
理由は後ほど書きますが、執筆を考えているならば
スタートは早ければ早いほどよいからなのです。
書いてみて、わかっていたつもりのことで、何がわかっているのか、わかっていなかったのかが、はじめてわかるのです、それに書くためには調べなければならないもの、読まなければならないものもわかってきます。漠然と読んでいたり、観ていたりしたときとは違って、書くことで知的備蓄や精度が増すのです。これってなかなか気分のいいものです。
実際に、書くことで自分の知識のレベルが体感できるのです。
書評などもいざ書き始めると、自分がその本をどれだけ理解していたかがわかります。
私なども、わかっていると思っていた書籍の内容が
書いてみるとうまく説明できないことが多く
書籍を何度も読み返しながら、ブログにまとめています。
この書く作業で、一冊の書籍が自分ゴト化でき、血肉になっていくのです。
今回、鷲田 小彌太氏のまず「書いてみる」生活で、一番共感した言葉を以下引用します。
自分を書くと、自分に足りないものが判明するのです。その不足を少しでもカバーできたら、もっといい人生を送ることができたに違いない。これからでも遅くない。その不足を補ってみよう。こういう気持ちがわくのではないでしょうか?「不足」(不満)は「充足」(期待)と重なっているのです。ウォント(Want)で、欲望ですが、不足と充足の両義があります。
自分を書くと自分に足りないものが見えてくるのです。
私も毎日、このブログを通じて、理想の自分を追いかける作業をしているのですが
ブログを書くことで、毎日自分の能力不足を痛感します。
この年になっても知らないことが多く、自分の知識、経験不足が体感できます。
また、数年前の記事を再読すると、文章のレベルの低さに嫌気がさします。
今でも決してうまいわけではないですが、書き始めた頃から比べると進化しています。
こう考えれば、毎日、書き続けることで
自分を成長させていることだけは間違いないと思います。
書くとは、過去の発見、記憶の喚起であり、未来の発見、想像の喚起でもあるのです。つまり、自分の過去を書けば、未来の人生が見えてくる、ということでしょう。
書くとは、自分の足りないことを見つけることで
過去を客観的に再定義することかもしれません。
自分に足りないことが見つければ、そこから夢が生まれてきます。
それに、他者を、世界を書こうとすると、データを集め、それらを取捨選択し、編成するのに多くの労力を使わなくてはなりません。勉強(スタディ)が必要なわけです。それによって、自分の内部世界にいままでなかったものが蓄積されてゆきます。「自分」が豊かになるでしょう。「自分が豊かになる」ということは、人間の根源的な喜びの一つです。
書評を書くことで、確実に本の理解も深まっているはずです。
毎日、数冊の書籍を読んで、ブログにまとめているわけですから
知識も間違いなく増えていますし、書くレベルも上がっているはずです。
書くことで、自分の不足を補えると考えるなら
書かないという事実は、とても勿体ないことなのです。
書籍の出版や雑誌の連載、セミナーの主催など
過去には考えてもみなかったチャンスを引き寄せられるようになったのです。
過去を振り返り、ブログに書くことで、自分の不足が見つかり
そこから、新たな自分の未来をデザインできるようになりました。
こう考えると、書くことで未来をポジティブに変えられるのですから
できるだけ早くスタートした方が良いということがご理解いただけると思います。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
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