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「利他」とは何か
著者:伊藤亜紗、中島岳志
出版社:集英社
本書の要約
利他において、相手をコントロールすることが最大の敵になります。利他とは、「聞くこと」を通じて、相手の隠れた可能性を引き出すことであると同時に、自分を変えることなのです。そのためには、こちらから善意を押しつけるのではなく、むしろうつわのように「余白」を持つことが必要になります。
数字を目的にすると利他の心がなくなる?
「利他」の反対語は「利己」ですが、このふたつは常に対立するものではなく、メビウスの輪のようにつながっています。利他的な行為には、時に「いい人間だと思われたい」とか「社会的な評価を得たい」といった利己心が含まれています。利他的になろうとすることが利己的であるという逆説が、利他/利己をめぐるメビウスの輪です。(中島岳志)
今回のコロナ禍の中、「共助」や「利他」がキーワードになっています。このブログでも利他をテーマに記事を何度か書いてきましたが、東京工業大学の「
哲学者の國分氏は聖書の善きサマリア人の譬え話から、利他は義の心を一つのモデルにし、中動態において捉えられる責任だと述べています。政治学者の中島氏は志賀直哉やチェーホフをテーマ、見返りと利他の関係を整理します。小説家の磯崎氏は、小説家は原稿に向かっている時は自分の作品に集中していますが、一旦作品が出来上がるとその小説が連綿とした小説の歴史に奉仕していることに気づきます。
利他と利己は対になっていますが、相手に任せたり、信頼すること、利他を宿る構造をつくることが重要になっています。押しつけの利他にならないように、相手に意識を向けなければなりません。
美学者の伊藤氏は、数値化が目的化することで、利他が抜け落ちていくと言います
現状を把握するために数値化は重要な作業です。問題は、活用の仕方を誤ると、数字が目的化し、人がそれに縛られてしまうことです。人が数字に縛られるとき、その行為からは利他が抜け落ちていきます。現代は、さまざまな業績が数字で測られる時代になっています。(伊藤亜紗)
ジェリー・Z・ミュラーは、数字による評価の行きすぎがもたらす弊害をしてしますが、数値化が目的化すると、人は無意味な「数合わせ」を行ってしまいます。
アメリカの落ちこぼれ防止法であるNo Child Left Behind(NCLB法)は、生徒間の学力格差をなくすことを目的に、全国の小中学校で学力を測定するための共通テストを実施しています。このテストのスコアが子供だけでなく、教師や校長の昇給を左右するインセンティブになることで、授業が数学と英語ばかりに偏り、歴史や社会、美術、体育、音楽といった科目をおろそかにする弊害が起こりました。
結果、数学と英語もテスト対策的な内容が中心になり、長文を読んだり長い作文を書いたりするのが苦手な生徒が増えたと言います。さらに、テキサスとフロリダでは、特に学力の低い生徒を「障害者」にカテゴライズしたと言います。落ちこぼれた生徒を評価対象から排除し、全体の平均点があがるようにしたのです。数字を追求したことが、「落ちこぼれをなくす」という本来の利他的な目的を歪めてしまい、生徒を不幸にしてしまったのです。
利他の敵は他者をコントロールすること
人類学者のデヴィッド・グレーバーは、ムダで無意味な仕事である「ブルシット・ジョブ」が、多くの組織に蔓延していると言います。グレーバーは数値化が仕事にもたらす影響を、「ブルシット化」と名付け、そこから生まれる「クソどうでもいい仕事=ブルシット・ジョブ」が、人間を不幸にしていると言います。
ブルシット・ジョブとシット・ジョブ(クソ仕事)は異なります。シット・ジョブとは、ブルカラーに多い割に合わない仕事のことで。給与面で冷遇されています。誰かがやらなければならないにもかかわらず、不潔であったり、危険と隣り合い、世間からは蔑視されている仕事がこれにあたります。
一方、ブルシット・ジョブの多くは、ホワイトカラーの仕事で、仕事に見合わないほどの給与を稼いでいます。
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完壁に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。(デヴィッド・グレーバー)
ブルシット・ジョブとは、実際には「完壁に無意味で、不必要で、有害」なのに、あたかも「意味があって、必要で、有用」であるかのように振る舞わなければいけない雇用形態のことです。部下をただただ監督するだけのマネージャー職やリクエストを担当者に回すだけのコーディネーター職がこれにあたります。
今回の新型コロナウイルスは、私たちの仕事のあり方に大きな問いを投げかけました。医療従事者や物流業者といった、生活を支える「エッセンシャルワーカー」に光が当たる一方、ホワイトカラーは在宅勤務などの新しい働き方で混乱を経験しました。稟議書にハンコをもらうために意味のない出社をすることは、まさにブルシットジョブで、こういう無意味な仕事がコロナ禍の中で、次々と明らかになりました。
私たちはあらゆる労働が数値によって評価される時代を生きています。その指標が本当にその労働を正しく評価しているのかどうかは、分からない。ひとまず数値化しやすいものが数値化され、それを最大化するために働く、という逆転現象が起きています。そうすることによって、「客観的」にみえる指標にもとづいて生産性を判断し、管理することができるようになるからです。
「管理すること」を目的としてつくられた人たちが、現場とは異なる価値観で無要な介入を行うことで、現場に混乱をもたらしています。不幸なことに、管理部門で働いている人たちのなかにも、自分の仕事を無意味だと感じるような人がいることです。特定の目的に向けて他者をコントロールすることが、多くの会社でブルシットジョブとして起こっています。
伊藤氏は他者をコントロールすることが、利他の最大の敵になっていると指摘します。
利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になります。
利他とは、相手をコントロールすることではなく、他者の潜在的な可能性に耳を傾けることであると考えましょう。著者は利他の本質を「他者をケアすること」だと指摘します。
利他とは、「聞くこと」を通じて、相手の隠れた可能性を引き出すことであると同時に、自分を変えることなのです。そのためには、こちらから善意を押しつけるのではなく、むしろうつわのように「余白」を持つことが必要になります。自分を押し付けつのではなく、相手の話を傾聴し、ケアすることから利他は始まるのです。
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