弱い円の正体 仮面の黒字国・日本 (唐鎌大輔)の書評

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弱い円の正体 仮面の黒字国・日本
唐鎌大輔
日経BP

弱い円の正体 仮面の黒字国・日本 (唐鎌大輔)の要約

みずほ銀行の唐鎌大輔氏が、円安問題の新たな側面を指摘しています。GAFAMなどの米国IT企業のサービス、外資系コンサル、海外での研究開発活動による「新時代の赤字」が円安の一因とされます。さらに、外貨建て資産やアメリカ株への投資増加が円安を加速させているという見方を示しています。

日米金利差だけでは説明がつかなくなった最近の円安

「米国の金利が低下すれば(ドル安になり)大きく円高へ傾く」というのは貿易収支が黒字だった時代の発想でもある。(唐鎌大輔)

日本経済の円安問題が深刻化する中、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミストの唐鎌大輔氏が新たな視点からこの問題の本質に迫っています。従来の円安議論が表面的な数値分析に終始する中、唐鎌氏は円安の背後に潜む複雑な要因を丹念に紐解き、この円安を構造的なものだと指摘し、新たな論争を巻き起こしています。

唐鎌氏の分析によれば、日本の円安問題は単なる一時的な現象ではありません。長年の経済停滞と2012年頃から顕著になった企業行動の変化が複雑に絡み合って生まれた構造的な問題だと指摘しています。

大胆な金融緩和政策は一時的な景気浮揚効果をもたらしたものの、同時に円安を誘発し、日本経済の構造的な脆弱性を露呈させています。 この構造的な脆弱性は、日本経済が「途上国体質」へ回帰しているのではないかという懸念を唐鎌氏に抱かせています。高度な技術力と生産性を誇った日本経済が、円安に依存した輸出主導型の経済構造に逆戻りしつつある可能性を指摘しているのです。

歴史的に、円相場と関連して取り上げられる需給関連の統計といえば、貿易収支が筆頭でした。現在もその重要性は変わりませんが、唐鎌氏は新たな視点を提示しています。

2022年に記録した約20兆円という史上最大の貿易収支赤字が、対ドルで30%以上という円相場の暴落を主導した疑いは強いものの、資源価格や為替動向に左右されやすい貿易収支とは異なる「新時代の赤字」が存在すると唐鎌氏は指摘しています。 一方で、「日本は経常収支黒字国である。円安はいずれ収束する」といった論調もまだ根強く残っています。しかし、唐鎌氏はこの考えに疑問を投げかけています。

2022年3月に大幅な円安相場が始まって以降、唐鎌氏は日本固有の構造的な要因にも目を向けるべきだと主張してきました。 確かに、日本の経常収支は2022年に11兆4486億円の黒字を記録し、2023年には21兆3810億円と極めて大きな黒字を実現しました。

しかし、実際の円の対ドル相場は2022年に最大で約35%、2023年に最大で約20%下落しています。つまり、現実に起きたことは「経常収支黒字にもかかわらず円急落」だったのです。 唐鎌氏は、この事実を真摯に受け止め、「統計上の(経常収支の)黒字」が実際に円買い・外貨売りという為替取引、すなわちキャッシュフロー(CF)を伴っていない可能性に目を向けるべきだと指摘しています。

経常収支黒字国や対外純資産国というステータスは、一見して円の強さを担保する「仮面」のようなものであり、「素顔」としてはCFが流出していたり、黒字にもかかわらず外貨のまま戻ってこなくなったりしている可能性があるというのです。

著者は、日本を「仮面の黒字国」ないし「仮面の債権国」と表現し、統計上の数字を見るだけでは見えてこない「素顔」に迫る努力が必要だと主張しています。特に、その他サービス収支の赤字に注目すべきだと指摘しています。この項目は、明らかに無視できない変化と規模を備えているにもかかわらず、これまであまり注目されてこなかったからです。

唐鎌氏は「米国の金利が低下すれば(ドル安になり)大きく円高へ傾く」という考えが、貿易収支が黒字だった時代の発想であると指摘しています。現在の日本経済の構造的な問題を考慮すると、このような単純な因果関係は成り立たない可能性があるのです。

最近の弱い円の原因はなにか?

GAFAM(Google、Amazon、Facebook(現Meta)、Apple、Microsoft)に象徴される米国の巨大IT企業が提供するプラットフォームサービスや日本で事業展開する外資系コンサルティング企業、海外に拠点を構える国内外企業の研究開発拠点など、これまで為替の世界ではあまり注目されてこなかった費目について外貨の支払いが増えている現状がある。

唐鎌氏の新たな円安分析が、日本経済の構造的課題に新しい光を当てています。従来の円安議論では見過ごされがちだったデジタル赤字などの要因に焦点を当てることで、日本経済の現状をより深く理解できます。著者が特に問題しているのは、これまで為替の文脈であまり注目されてこなかったサービス分野からの外貨流出の増加です。

具体的には、GAFAMに代表される米国の巨大IT企業が提供するプラットフォームサービス、日本で事業を展開する外資系コンサルティング企業、そして海外に拠点を置く国内外企業の研究開発活動などが挙げられます。これらの分野の赤字を著者は「新時代の赤字」と呼んでいます。

デジタル関連分野における外貨流出、いわゆるデジタル赤字の増加の伸びがこの数年で顕著になっています。日本企業のデジタル化が進む中、クラウドサービスやソフトウェアライセンスの利用に伴う支払いが急増しています。多くの企業がAWSやMicrosoft Azureなどの海外クラウドサービスを利用しており、これらのサービスへの支払いが継続的な外貨流出につながっているのです。

コンサルティング分野でも同様の傾向が見られます。グローバル戦略の策定や業務改革に対する需要の高まりを背景に、外資系コンサルティング企業への支払いが増加しています。日本企業が国際競争力を維持・向上させるために、世界的な知見を持つコンサルティング企業のサービスを活用する機会が増えており、これも恒常的な外貨流出の一因となっています。

この状況は、日本が長年直面してきた原油輸入の問題と類似点があります。原油と同様に、これらのデジタルサービスは日本経済にとって不可欠なリソースとなっています。企業の競争力維持や生産性向上にはこれらのサービスの活用が欠かせません。

原油を筆頭とする鉱物性燃料価格の上昇が為替需給を歪め、円売りを促してきたという歴史を踏まえると、「新時代の赤字」がそれに次ぐ、いやそれに勝る円売り材料として幅を利かせてくる未来は警戒すべきストーリーではないかと思う。

現代の経済活動において、海外由来のデジタルサービスは不可欠なインフラとなっています。その性質は天然資源の輸入に類似しており、日本企業や消費者は価格決定に関与できないまま、「言い値」を受け入れざるを得ない状況に直面しています。

この状況を象徴する例として、アマゾンジャパンによる「プライム」会員の会費引き上げが挙げられます。多くの消費者が値上げにもかかわらずサービスを継続している事実は、デジタルサービスが生活に深く根付いていることを如実に示しています。

グローバルIT企業が提供するサービスの価格は、主に海外市場の動向や企業戦略によって決定されます。日本企業や政府がこの価格決定プロセスに影響を与えることは極めて困難であり、為替レートの変動や海外IT企業の戦略次第で、日本企業のコスト負担が大きく変動する可能性があります。 世界的な賃金上昇傾向の中、このようなプラットフォームサービスの値上げは今後も続くと予想されます。

研究開発分野においても、国際的な共同研究プロジェクトや海外の研究機関への委託が増加傾向にあります。日本企業が最先端の技術開発を行うために、海外の研究機関や大学との連携を強化する傾向が強まっており、これらの活動に伴う支出も外貨流出を加速させている要因の一つです。

これに対し、日本企業や政策立案者には、デジタルサービスへの依存度管理と国内デジタル産業の育成、国際競争力強化が求められています。同時に、これらのサービスが国際収支に与える影響を注視し、適切な経済政策を実施することも重要です。

唐鎌氏は、これらの構造変化が円相場に及ぼす影響を軽視すべきではないと警鐘を鳴らしています。従来の貿易収支や金融政策だけでなく、これらの新たな要因を含めた総合的な分析が、今後の円相場の動向を正確に予測する上で不可欠だと主張しています。

この分析は、政策立案者や企業経営者に対して、より広範な視点からの経済戦略の必要性を示唆しています。単なる為替政策の調整だけでなく、デジタル人材の育成、国内のコンサルティング産業の強化、そして研究開発能力の向上など、多角的なアプローチが求められているのです。

さらに、唐鎌氏の指摘は日本の産業構造の転換の必要性も浮き彫りにしています。製造業中心の経済構造から、知識集約型・サービス主導型の経済への移行を加速させることで、新たな競争力を獲得し、外貨流出の構造を変えていく必要があります。

この新たな視点は、円安問題を単なる為替レートの問題としてではなく、日本経済の構造的な変革の必要性を訴える重要なメッセージとなっています。今後の経済政策や企業戦略の立案において、こうした新たな視点を取り入れることが、日本経済の持続的な成長と国際競争力の向上につながる可能性を示しています。

経済のグローバル化とデジタル化が加速する中、唐鎌氏の分析は日本経済が直面する課題の本質を鋭く捉えています。この新たな視点が、今後の経済政策議論や企業の戦略立案に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。日本経済の未来を考える上で、こうした構造変化を踏まえた総合的なアプローチが不可欠となっているのです。

最近の円安は日本人の資産防衛も理由のひとつ?

歴史的に日本の家計部門の金融資産構成は円の現預金が主体だった。

近年、日本経済は大きな転換点を迎えています。インバウンド需要の拡大を筆頭に、「安い日本」を象徴する出来事が数多く見られるようになりました。この社会情勢の変化は、多くの日本人に自国通貨の脆弱性を認識させる契機となっています。

その結果、外貨建て資産に関心を持つ層が今後増加する可能性が高いと考えられます。 政府・与党が「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、制度的な支援を行っていることも、この傾向に拍車をかけています。実際、高金利を謳う外貨預金に金融資産を移動させる人々の話を耳にする機会が増えています。これは各金融機関が積極的にキャンペーンを展開している結果でもあるでしょう。

このような家計部門の資産移動は、少なくとも筆者のキャリアにおいて前例のないものです。新NISAを契機とした国際分散投資の進展や、資産運用立国という方向性自体には異論はありません。しかし、政策を進める上では、その効果と同時に副作用についても十分に認識し、議論する必要があります。

特に、国民一人一人に関係する重要な問題であるだけに、慎重な検討が求められます。 現在の経済状況が続けば、合理的な経済人であれば「弱い円」ではなく「強い外貨」で資産を保有しようとする意欲が強まるのは自然な流れです。日々「円安(外貨高)」という情報に晒される中で、自国通貨の脆弱性に失望する人々が増えていくことは想像に難くありません。

例えば、円の対ドル相場を見ると、2020年12月から2023年12月までの3年間で35%以上も下落しています。2024年4月末と比較すれば、実に50%以上の下落となります。これまで「最も安全」と考えられてきた自国通貨建ての現預金でさえ、これほどの目減りを経験した以上、何らかの対策を検討するのは当然のことと言えるでしょう。

もちろん、2022年の円安が一過性のものであれば、このような懸念も軽減されたかもしれません。しかし、円安傾向は2023年も続き、2024年に入ってからも持続しています。一時160円をつけた歴史的円安は日米金利差の縮小で、最近では140円前半で推移していますが、今後も円安に動く可能性は高いと著者は指摘します。

このような状況下で、「円から外貨へ」という投資意欲を持つ層が増加するのは自然な流れと言えるでしょう。 ただし、ここで注意すべき点があります。こうした動きは一見「貯蓄から投資へ」というスローガンに合致するように見えますが、その本質は若干異なる可能性があります。

「貯蓄から投資へ」が本来意図するのは、資産運用を通じて保有資産を積極的に増やしていこうという「攻め」の姿勢転換です。 一方、自国通貨への諦観に起因する「弱い円」から「強い外貨」への移行は、むしろ資産防衛の性格が強いと考えられます。つまり、保有資産を減らさないようにしようという「守り」の姿勢転換と言えるでしょう。

この違いは、今後の日本経済や金融政策を考える上で非常に重要です。なぜなら、資産防衛を目的とした資金移動は、従来の金融政策では想定されていなかった事態を引き起こす可能性があるからです。 例えば、大規模な外貨建て資産へのシフトは、為替市場に大きな影響を与える可能性があります。

また、国内の金融機関は預金流出や運用難に直面し、新たなビジネスモデルの構築を迫られるかもしれません。さらに、国内投資の減少は、日本経済全体の成長力にも影響を及ぼす可能性があります。 一方で、この変化は日本経済にとってチャンスでもあります。

国際分散投資の進展は、日本の家計部門のリスク耐性を高め、長期的には経済の安定性向上につながる可能性があります。また、グローバルな視点を持つ投資家の増加は、日本企業のガバナンス改善や競争力強化にもつながるかもしれません。

しかし、これらの変化には慎重な対応が必要です。急激な資金移動は金融市場の不安定化を招く恐れがありますし、為替リスクの増大は家計の資産価値に大きな影響を与える可能性があります。また、外貨建て資産への過度の偏重は、日本経済全体のバランスを崩す恐れもあります。

したがって、政策立案者や金融機関は、この新たな潮流を正確に把握し、適切な対応を取る必要があります。同時に、個人投資家に対しては、為替リスクを含む投資リスクについての十分な教育と情報提供が不可欠です。 また、この動きが日本の金融システム全体に与える影響についても、慎重に考慮する必要があります。

日本人の資産運用の変化は、チャンスとリスクの両面を持ち合わせています。今後は、この変化を適切に管理し、日本経済の持続的な成長につなげていくことが、政策立案者や金融機関、そして個々の投資家にとっての重要な課題となるでしょう。

そのためには、単に「貯蓄から投資へ」という掛け声だけでなく、日本経済の構造的な課題に向き合い、円の信認回復や国内投資環境の改善にも取り組む必要があります。同時に、個人投資家に対しては、グローバル化する金融市場の中でいかにリスクを管理し、長期的な資産形成を実現していくかについての教育も重要になってきます。

この新たな経済環境下で、日本がどのように適応し、成長の機会を見出していくのか。それは政策立案者だけでなく、企業や個人投資家を含む日本社会全体が取り組むべき課題となっています。「弱い円」から「強い外貨」への移行は、単なる資産防衛策を超えて、日本経済の未来を左右する重要な転換点となる可能性があるのです。

高度経済成長以降、日本人は円高に悩んだことはあっても、円安に悩まされることはほとんどありませんでした。だからこそ、今後起こりうる事態は、これまでの日本人の経験則では予測困難な未知の展開となる可能性があると著者は指摘します。

最強Appleフレームワーク


この記事を書いた人
徳本

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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