棺桶まで歩こう (萬田緑平)の書評

silhouette of man at golden hour

棺桶まで歩こう
萬田緑平
幻冬舎

棺桶まで歩こう (萬田緑平)の要約

緩和ケア医・萬田緑平氏は、歩く力は気力と直結しており、寿命を左右する重要な指標だと説きます。がんや老化に屈するのではなく、自分の足で歩き、自宅で穏やかに旅立つことこそが、尊厳ある最期のかたち。死を遠ざけるのではなく、日常に引き寄せてこそ、生きる意味と時間の使い方が見えてくる──それが、本書の力強いメッセージです。

がんになっても歩くことで寿命を伸ばせる?

スタスタと歩ける人は、おおむね10年以上生きられるでしょう。イスから腕の力を使わずに立ち上がれる方なら、余命1年以上。立ち上がれない方は余命半年以内。ちょこちょことしか歩けない人は、余命数カ月、歩けない人は余命1カ月以内、というところです。人間というものは、歩いている限りは死にません。(萬田緑平)

病院のベッドの上で、意識もままならないまま最期を迎える──そんな未来を、本当に自分の望む「終わり方」と言えるでしょうか。 平均寿命は延び続けていますが、健康寿命との間には埋めがたい溝があります。だからこそ、自分の足で立ち、自宅で静かに人生を終えることができたなら、それは何よりも幸せな最期なのかもしれません。

緩和ケア医・萬田緑平氏の棺桶まで歩こうは、単なる医療エッセイではありません。これは、命の終わりを見つめながらも、今日という一日をどう生きるかを問い直す「人生後半の生き方の戦略書」です。

萬田氏は言います。「歩けるうちは、人は死なない」と。歩くことができるかどうかは、余命の大きな指標になります。スタスタ歩ける人は、おおむね10年以上。椅子から腕を使わずに立ち上がれる人は1年以上。ちょこちょことしか歩けないなら数ヶ月以内。歩けない人は1ヶ月以内──これは脅しではなく、萬田氏が2000人以上の患者を看取る中で培った、現場の実感に基づいたリアルな指標です。

歩行に必要なのは筋力だけではありません。「根性」と「気力」こそが、最後まで人間を動かす原動力なのです。気力があるということは、脳が若く、生きる力が宿っているということ。

歩けるうちは、人は死にません。ですから、人間は気力によって、弱っていくのを遅らせることができる、余命を延ばせるのです。

「歩けるうちは人は死なない」──萬田氏のこの言葉には、私たちの中にまだ消えていない命の火が、確かに存在していることを教えてくれる力があります。ただ身体が動くということではなく、自分の意思で立ち上がり、足を前に出せるということ。それは、まだ“生きよう”とする力が私たちの内側に宿っている証なのです。

たとえ「がん」と診断されても、実際に命を奪うのはがんそのものではなく、老化による身体機能の低下です。体がやせ細り、エネルギーを節約しようとする「省エネモード」に入ることで、少しずつ動けなくなっていく。そして、その衰えは想像以上に加速度的に進行します。動けない時間が増えれば増えるほど、命の灯は小さくなっていくのです。

しかし、がんがどれほど進行していても、自分の足で立ち、歩くことができているうちは、生きる力は失われていません。だからこそ萬田氏は、はっきりとこう語ります。「生きたいなら歩こう」と。歩くことは、ただの移動手段ではなく、「まだ生きている」「まだ自分の人生を歩んでいる」という、強い意思の表れなのです。

生まれたときは《おめでとう》、死ぬときには《ありがとう》

痛みは身体を弱らせる大きな要因です。むしろ、できるだけ早い段階から医療用麻薬で痛みをコントロールすることが、寿命いっぱいまで生きるために大切な知恵なのです。がんは老化なのですから、がんと闘う必要はありません。ただ「がんばって歩く」「医療用麻薬をじょうずに使う」気力と知恵があれば、屈服しなくてもよいのです。

また、医療用麻薬についての誤解も多く語られます。多くの患者、そして医療従事者でさえ、それを「最後の手段」だと考えています。

しかし、痛みは身体をむしばみ、気力を奪います。むしろ早い段階で痛みを抑えることこそが、寿命いっぱいまで生ききるための戦略だと萬田氏は断言します。がんと闘う必要はありません。ただ「がんばって歩くこと」、そして「痛みを恐れずコントロールすること」。それだけで、私たちは自分の尊厳を守りながら、生き抜くことができるのです。 

萬田診療所=萬田道場では「棺桶に入るまで歩こう」が合言葉です。自力でトイレに行けること、椅子から自分の足で立ち上がれること。それが、生きている証であり、最期まで人間らしくあるための小さな誇りなのです。誰かの介助を受けずに、自分の尊厳を保って最期を迎える。その姿勢こそが、究極のセルフマネジメントなのです。

また、萬田氏は「孤独死」ではなく「孤高死」という言葉を使います。ひとりで死ぬことが不幸なのではなく、最期まで自分らしく自由に生きた人生は、むしろ誇らしいものだという新たな視点です。

死を恐れるのではなく、死を日常に引き寄せる。そうすることで、私たちは本当に大切なことに気づき、無駄に時間を使わなくなります。 延命ではなく満足を、治療よりも尊厳を。

患者の多くは、亡くなる直前まで食べ、笑い、酒を飲み、タバコを楽しみ、趣味に没頭していました。医療にすべてを委ねるのではなく、自分がどうありたいか、どう生ききりたいかという「意志」が問われる時代に、私たちは生きています。

人生には終わりがあります。だからこそ、命の時間には価値があるのです。死を見つめることは、今をより濃密に生きるためのきっかけになります。理想の最期をイメージすることは、今この瞬間の選択を変えてくれるのです。「あと何年生きられるか」ではなく、「今日をどう生きるか」に意識が変わったとき、あなたの人生は静かに、生まれ変わっているはずです。

「生まれたときは《おめでとう》、死ぬときには《ありがとう》」と、著者は語っています。命の始まりは祝福に包まれ、終わりには感謝があふれる──そんな人生を目指すことが、私たちにできる最も人間らしい生き方ではないでしょうか。

この言葉を胸に、自分自身の人生の後半戦をどう歩んでいくのか、改めて考えたくなりました。著者が提唱する「歩くことが寿命を延ばす」「自分の足で棺桶に入る」というコンセプトには、強く共感を覚えます。どんな最期を迎えるかを意識することが、今日という一日を、より丁寧に生きる原動力になるのです。

最強Appleフレームワーク

この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
株式会社INFRECT取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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