なぜ人は締め切りを守れないのか (難波優輝)の書評

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なぜ人は締め切りを守れないのか
難波優輝
堀之内出版

なぜ人は締め切りを守れないのか (難波優輝)の要約

美学者の難波優輝氏は、締め切りが守れない理由を〈締め切りの時間〉と〈生きている時間〉のズレとして捉えます。締め切りは〈わるい時間〉を生みがちですが、死という最終的な締め切りがあるからこそ人生には意味が生まれます。締め切りのない世界は究極の先延ばしを招きます。重要なのは締め切りを排除することではなく、〈いい時間〉を生む締め切りを見極め、主体的に時間と付き合うことです。

締め切りの功罪とは?

なぜ締め切りが大事なのか。破ると大変なことになるからである。では、大事だとわかっているはずの締め切りを、なぜ、人は守れないのか。そんなの分かりきっている、と言う人もいるだろうか。「怠惰だから」「意志が弱いから」。そうかもしれない。間違ってはいない。ただ、正しくもない。私の答えはこうだ。〈締め切りの時間〉と私たちが〈生きている時間〉がずれるから、締め切りが守れなくなる。(難波優輝)

美学者の難波優輝氏は、締め切りが守れなくなる理由として、「締め切りの時間」と私たちが「生きている時間」がずれているからだ、という答えを提示しています。単に怠惰や意志の弱さといった個人の問題に還元するのではなく、締め切りの本性と、私たちが経験している時間そのものを哲学的に分析している点に、本書の独自性があります。(難波優輝氏の関連記事

そもそも、なぜ締め切りは大事なのでしょうか。締め切りを守れないと大変なことになるからです。では、大事だと分かっているはずの締め切りを、なぜ人は守れないのでしょうか。 「そんなの分かりきっている」と言う人もいるかもしれません。

「怠惰だから」「意志が弱いから」。たしかに、それも一理あります。ただし、それは完全に正しい答えではありません。 著者の答えはこうです。 〈締め切りの時間〉と、私たちが〈生きている時間〉がずれているから、締め切りは守れなくなるのだ、と。 私たちにはそれぞれ、〈生きている時間〉があります。

一人ひとりに異なる生活のペースがあり、それぞれに事情があります。たとえば、小さな子どもがいて、朝は保育園へ送らなければならないけれど、子どもがどうしてもこの服は嫌だと主張して、なかなか家を出られないこともあると著者は述べています。

あるいは、持病があって、一日に長時間は働けず、疲れを取るために多くの休息が必要な人もいます。ケアを必要とするパートナーやペットがいて、呼ばれるたびに手を止めなければならない人もいるでしょう。

単純に言えば、嫌な時間は長く感じられ、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。このように、非連続的で、伸び縮みする時間こそが、私たちが実際に生きている時間なのです。

一方で、締め切りによって作り出される〈締め切りの時間〉があります。期日までに間に合わせなければならない時間であり、それは外側から押し付けられた時間でもあります。学生であれ、社会人であれ、私たちは常に何らかの期限付きタスクを抱えて生きています。

レポートの提出期限、仕事の納期、支払い期日。そうした締め切りに、自分の〈生きている時間〉を無理やり合わせていく。しかし、そこにはどうしてもズレが生じます。

なぜなら、締め切りは単なる日付や時刻ではないからです。締め切りとは、私たちを望ましい行動へと導くための「支配する力」として機能します。そして、その支配する力は、しばしば私たちを不幸にします。

職場では、「○月○日までに提出せよ」と業務が指定されます。その期限に間に合わせるために必死で取り組むうちに、創意工夫や裁量の余地は削られ、自分の人生の時間というより、締め切りのための時間を生きている感覚になることもあります。

学校教育でも同じです。試験日程や課題の提出期限、大会のスケジュールは、子どもたちの生活リズムを大きく規定します。とりわけ受験期になると、「いつまでに、ここまで終わらせなければならない」という焦りが、学生にも教員にも広がります。

締め切りは、私たちを特定の時間の流れにぎゅっと押し込みます。〈締め切りの時間〉は、非連続で伸び縮みする〈生きている時間〉とは異なる時間の流れであり、無理をしなければ合わせられない性質を持っています。

「いつまでにやらなければならない」という区切りが生まれた瞬間、私たちは行動の調整を迫られます。そして、その調整は多くの場合、うまくいきません。あなたにもきっと、〈生きている時間〉が歪められた記憶があるはずです。

本書は全6章から構成されており、時間の本質から、死という究極の締め切りに至るまで、幅広い視点から締め切りを考察しています。プロジェクトという概念が、人類史の中ではごく最近になって登場した新参者にすぎないという指摘は、私たちの時間感覚を相対化する試みといえるでしょう。

「死」という締め切りが人生を豊かにする?

締め切りという〈時計〉に新たな光を当てると、締め切りと私たち人類の関係性を見直すことができる。締め切りを哲学的に考えることで、たんに仕事の生産性を上げるだけでなく、生き方そのものを見直すきっかけになると私は信じている。

現代においては、真の優先順位は事実上無効化されています。私たちは価値あることに時間を使えているのではなく、期限の決まっている活動にしか時間を使えなくなっているのです。私たちはいつも「忙しい」時間を過ごしています。人生規模でやりたいことに向き合えない理由を、「最近忙しいから」と説明した経験は、多くの人に思い当たるはずです。

しかしそれは、大事なことに取り組んでいるから忙しいのではありません。むしろ逆で、細かな締め切りに引っかかり続けているからこそ、忙しくなっているのです。 そこには、締め切りによる優先順位の無効化、公私のマルチタスク化、自由時間の断片化があります。

本当は、大切な誰かとゆっくり時間を過ごすべきなのに、それができない。著者は、こうした状況を個人の問題としてではなく、社会や制度、暮らしぶり全体の問題として捉え直します。社会全体が、誰かに締め切り爆弾を押し付け、その爆発を前提に回っている。その構造に目を向けることで、締め切りは個人の失敗ではなく、社会的な問題として立ち上がってきます。

現代人は、「価値あること」ではなく、「期限のある活動」にしか時間を使えなくなっています。愛する人と過ごす時間や、趣味に没頭する時間といった、計算しづらい「いい時間」は後回しにされがちです。

一方で、残業代や成果物のように、時間を対価として換算できるものにばかり意識が向いてしまう。その結果、本当に大事なことほど締め切りが存在しないため、先延ばしにされてしまいます。

本書ではさらに、時間のあり方を「遊び」の形態として捉え直す試みがなされています。ゲーム、ギャンブル、パズル、おもちゃ。この4つの時間性が探られ、それぞれが私たちの人生の中にも、さまざまなかたちで現れていることが示されます。人生は物語だけでは捉えきれませんが、かといって物語性を完全に排除してしまうと、生きづらくなる場面もあります。

重要なのは、これら複数の時間が常に並存していることを思い出すことです。 仕事や学業では、ルールと目標が明確なゲーム的時間が求められることが多いでしょう。一方で、プライベートでは、ゴールのない現在に没入する、おもちゃ遊びのような時間が、〈いい時間〉を生み出すこともあります。

挑戦やリスクが必要な局面では、ギャンブル的なスリルが背中を押すこともあるでしょうし、問題解決には、すでにある解答へ向かうパズル的思考が有効なときもあります。 これらはすべて、まずは娯楽として楽しむことができます。

同時に、これらの遊び方を「生きてみる」こともできます。それぞれの遊び方が生み出す時間感覚に意識を向けることで、〈生きている時間〉は多元化していきます。過去と未来を同時に見つめる時間、一瞬で断絶を経験する時間、正解へ向かう時間、ゴールなき現在に没入する時間。

それらを行き来しながら、人生の時間を味わっていくことが可能になるのです。 締め切りによって一つの時間に押し込められがちな私たちにとって、物語以外の遊びへと目を向けることは、〈いい時間〉を取り戻すための重要な手がかりになります。

最大の締め切りとして死を捉えたとき、この締め切りは悪いものと言い切れない。私たちの人生に意義深さをもたらす、人生の意味の冷酷だが滋味深い源泉でありうるのだ。死があるからこそ人生に意味が生まれる。死という締め切りは、私たちの〈いい時間〉を生み出すために、おそらく必須の不幸な要素なのだ。

そして本書では、人生における最大にして最後の締め切りである「死」について考えることの重要性も示されています。死という絶対的な期限があるからこそ、今この瞬間に価値が生まれるはずなのに、その事実はしばしば意識の外へと追いやられてしまいます。

締め切りは悪いものかもしれません。しかし、私のように先延ばしを選択しがちな人間にとっては、行動を後押ししてくれる存在でもあります。いつかは終わると分かっているものごとがあるからこそ、私たちは限られた選択肢の中で、意味のある決断をすることができます。

締め切りは悪い。けれども、締め切りのない状態は、なおのこと悪いのです。 原稿や仕事の締め切りだけではありません。芸術作品が完成すること、音楽が終わること、おいしいごはんを食べ終わること。あらゆる出来事には終わりがあります。

そして、その終わりがあるからこそ、そこに価値が生まれます。終わらないものは、味わうことすら難しくなってしまいます。

著者は、締め切りがプロジェクト的な〈時計〉と結びつくことで、私たちの〈生きている時間〉を侵食し、〈わるい時間〉を作り出していると指摘します。 しかし同時に、締め切りが存在しない世界で生きる人々は、死のない世界で生きる人々と、多くの点で重なってしまいます。

締め切りが存在しないなら、物事を遅らせても不利益は生じません。たとえ自分の判断では未完成だと感じていたとしても、ともかく終わらせようとする強い動機づけは失われてしまいます。

哲学者のアーロン・スマッツは、不死の人々であれば、どんな追求も遅らせることでリスクを負うことはないと指摘しています。死という絶対的な締め切りがないのなら、「今すぐやらなくてもいい」「いつかやればいい」と考えるようになるかもしれません。不死を生きる存在は、究極の先延ばし存在なのです。

そして、それは永遠に何もしない存在である可能性すら含んでいます。同様に、締め切りのない状況では、「いつかやろう」と思い続けたまま、結局は何も終わらせないまま時間だけが過ぎていくことになりかねません。だからこそ重要なのは、締め切りを単純に排除することではありません。

どの締め切りが〈わるい時間〉を生み、どの締め切りが〈いい時間〉を立ち上げるのかを見極めることです。自分の時間の使い方を〈いい時間〉へと変えていくためには、良い時間と悪い時間を意識的に区別し、それぞれの時間とどのように付き合うのかを、主体的に選び取っていく必要があります。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
株式会社INFRECT取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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