文体のひみつ なぜあの人の文章はつい読んでしまうのか?
三宅香帆
サンクチュアリ出版

文体のひみつ なぜあの人の文章はつい読んでしまうのか? (三宅香帆)の要約
『文体のひみつ』(三宅香帆)は、作品の魅力を「内容」ではなく「文体」から読み解く、これまでにない切り口の読書案内です。村上春樹をはじめとする作家たちの文章を、リズム・語感・表記・構造といった観点から分析し、52の文体スタイルとして紹介。印象に残る文章とは何かを深く考えさせてくれます。読む楽しさだけでなく、自らの文章を見直すヒントも得られ、読み手にも書き手にも学びの多い一冊です。
村上春樹の魅力は文章のリズムにあり
読み飛ばされたくない、目に留まってほしい、相手の心をつかむような文章は、やっぱり「人間が自分の手で書くしかない!」と私は強く思うのです。なぜなら、なんとなく目に留まってしまう素敵な文章、感じの良さが伝わるようないい文章、読後に余韻が残る文章──そんな言葉を生み出すには、どうしても「文体」というものが必要だからです。(三宅香帆)
文体を意識するようになったのは、今から45年以上前のことです。高校生の頃に読んだ村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が、そのきっかけでした。文章のリズムや語り口が独特で、「小説とはこういうものなのか」と深い印象を受けたのを今でもよく覚えています。
それ以来、彼が翻訳を手がけたり、推奨する作品を追いかけるようになりました。おかげで、カート・ヴォネガット、レイモンド・チャンドラー、レイモンド・カーヴァーといった海外作家とも自然に出会い、読書体験が広がっていきました。
私にとって村上春樹は、一つの読書の入り口であり、文体に対する感受性を開いてくれた存在でもあります。 そんな村上春樹の文章の特徴について、改めて考える機会を与えてくれたのが、三宅香帆氏の文体のひみつ なぜあの人の文章はつい読んでしまうのか?でした。
作品を単に内容で語るのではなく、「なぜその文章は読みやすいのか」「なぜ人を惹きつけるのか」といった、文体そのものの構造に焦点を当てた分析が非常に興味深く感じられました。 たとえば、本書の中で紹介されている村上春樹の言葉に、次のような一節があります。
「もしその文章にリズムがあれば、人はそれを読み続けるでしょう。でも、もしリズムがなければ、そうはいかないでしょう。二、三ページ読んだところで飽きてしまいますよ。リズムというのはすごく大切なのです。」
この発言は、村上春樹自身が語った言葉であり、彼の文体において「リズム」がいかに重要な要素であるかを端的に示しています。
実際、村上氏の文章を音読してみると、そのリズム感の強さがよく伝わってきます。三宅氏も本書の中で、この点に注目しながら、村上氏の文体を丁寧に分析しています。
たとえば、『ダンス・ダンス・ダンス』に登場するセリフ──「踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。」──は、「五音」「九音」といった音のパターンが繰り返されており、一定のテンポと心地よさを持って読者に響いてきます。三宅氏によれば、これは偶然ではなく、意識的に設計されたリズム構造であると言います。
さらに、このような「文体上のリズム」は、言語学的にも明確に定義されています。『言語学大事典』(亀井孝ほか編著)では次のように述べられています。 「ある発話において、音の強弱・高低・長短などに関する一定のパターンが繰り返され、個々のパターンに要する時間がほぼ等しいとき、そこにはリズムがみられる」
村上春樹の文章は、この定義にきわめてよく適合しており、読者が無意識のうちにリズムを感じ取り、安心感や没入感を得ていることがわかります。 では、このようなリズムのある文章は、誰にでも書けるものなのでしょうか。
三宅氏は、村上氏のような生得的なリズム感を持たない書き手でも、工夫次第で心地よいリズムを生み出せると提案しています。その具体的な方法の一つが、「一文を短くすること」です。
文章が長くなると構造が複雑になり、読者の集中力が途切れやすくなります。一方、短い文を連ね、語尾をそろえることで、自然とテンポが生まれ、読みやすく印象に残る文章になります。
たとえば、「踊るんだ。踊り続けるんだ。意味なんてことは考えちゃいけない。」というフレーズは、短い文の反復と語調の統一により、強いリズムと印象を生み出している好例です。
つまり、村上氏は「リズムの重要性」を体験的・直感的に語り、三宅氏はそれを理論的に分析し、実践可能な方法にまで落とし込んでいるのです。この両者の視点が重なることで、「文体のリズム」が持つ意味がより立体的に浮かび上がってきます。
あえてひらがなを使い、読み手のテンポをずらす!
私たちの文章は、正確なだけでは困ります。読み手が目を留めて、内容を咀噛してほしい。そこで漢字で書けるところを、あえて「ひらがな」にする。そうすることで、その部分を少し遅いテンポで読んでもらえます。
さらに、文章の印象に大きな影響を与える要素として、「ひらがな」と「漢字」の使い分けにも注目が必要です。三宅氏は向田邦子の文章を例にあげ、「ひらがなには読む速度をゆるめる効果がある」と指摘しています。
たとえば「大人」よりも「おとな」、「色々」よりも「いろいろ」と表記した方が、読み手の意識がその語に自然と向かいます。これは読みやすさという視点だけでなく、リズムや印象の操作という点でも非常に有効な技法です。
また、漢字が続く文章は、視覚的にも読みにくくなりがちです。「念の為保険証を持って病院へ行こう」という表現は、一見正確ですが、視覚的にはやや硬くなってしまいます。
それを「念のため保険証をもって病院へ行こう」と柔らかく表記するだけで、文全体の読みやすさが向上します。さらには、「薔薇」ではなく「バラ」と表記することで、文章全体の親しみやすさや、読み手との距離感も調整できるのです。
本書ではそのほかにも、俵万智氏による「カンチューハイ」といったカタカナ表記の妙、又吉直樹氏が太宰治の命日と自身のファーストキスという“違和感のある要素”を組み合わせるユニークな手法、さらにユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』や『ブルー・オーシャン戦略』におけるメタファーの構造分析など、文体や表現に関する多様な事例が紹介されています。
たとえば「レッド」と「ブルー」という色の対比は、直感的に感情へ訴えかける力を持ちます。赤には「レッドカード」や「レッドゾーン」といった“やりすぎ”や“危険”といった印象があり、一方のブルーには冷静さや安定感、広がりといったポジティブなイメージが重ねられます。
こうした言葉がもつ感覚的な力を、文章表現に戦略的に取り入れるという視点も、ブルー・オーシャン戦略の大きな魅力の一つであると著者は述べています。
文章は単に情報を伝える手段ではありません。そこには「どのように書くか」というスタイルが存在し、文体や語彙、リズム、視覚的な構造までもが、読み手の印象や理解に影響を及ぼしています。
文体という観点から作品を紹介するというアプローチにより、これまで手に取る機会のなかった書籍に触れることができました。
三宅氏の文章を読み進めるうちに、思わず何冊も書籍を購入してしまったのは、 著者の語り口に説得力と親しみやすさがあり、自然と共感できたからです。
本書では、作品の内容そのものよりも、文体の構造やリズム、語感、配置といった表現のあり方に焦点を当てて紹介されており、それが従来の読書案内とは一線を画しています。
文体が作品の印象や読後感にどれだけ大きな影響を与えているかを、豊富な実例とともに読み解いていく構成は、読み手としての視点をよりアップデートしてくれました。
紹介されている「文体のひみつ」は全部で52のスタイルに分類されており、文体という切り口からさまざまな作品との出会いを巧みにデザインしています。どの分析も明快で、読みながら自分の文章を見直すきっかけにもなりました。文体は単なるスタイルや装飾ではなく、表現の中核をなすものなのだと、あらためて気づかされる一冊でした。
書評ブロガーとしても、読み手としても、今後は文体という視点をより意識的に取り入れながら、言葉に対する感度を高めながら、良書を紹介していきたいと思います。

















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