誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義 (筒井康隆)の書評

書籍:誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義
著者:筒井康隆
出版社:河出書房新社
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誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義の書影

『誰にもわかるハイデガー』書評:死の自覚と「本来的な生」がAI時代の意思決定の質を上げる

情報が濁流のように押し寄せ、生成AIが瞬時に「もっともらしい答え」を提示してくれる現代。私たちは効率化という強烈な恩恵を享受する一方で、自らの頭で深く考え、本質を見極め、決断する機会を無意識のうちに手放してはいないでしょうか。

ビジネスの最前線では、これまでの常識や過去の成功体験が通用しない、不確実な状況が常態化しています。このような環境下において、小手先のテクニックや短期的なトレンドを追うだけのノウハウは、あっという間に陳腐化してしまいます。真に求められているのは、事象の表層に惑わされず、物事の本質を捉えるための強靭な思考の基盤です。

今回ご紹介するのは、筒井康隆氏の『誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義』(河出文庫)です。 本書は、20世紀を代表する哲学者マルティン・ハイデガーの主著『存在と時間』を、講義形式で読み解く哲学入門書です。難解な概念を、筒井氏ならではの軽妙な話し言葉とユーモアでかみ砕いて解説しており、ハイデガー哲学に初めて触れる人にも理解しやすい一冊となっています。

哲学と聞くと「ビジネスには直結しない教養」と見なす固定観念を持つ方もいるかもしれませんが、本書はそのような思い込みを見事に打ち砕いてくれます。

ハイデガーが探求した「人間の在り方」や「世界との関わり方」は、そのまま現代の経営、組織論、そしてキャリア戦略を深く見つめ直すための強力なレンズとなるのです。

なぜ、今この本を読むべきなのでしょうか。それは、テクノロジーが急速に進化し、社会構造そのものが根本から揺さぶられているからです。人間がこれまで担ってきた知的作業の多くがAIに代替されつつある中、「人間とは何か」「自分自身の存在意義はどこにあるのか」という根源的な問いから逃れることはできません。

思い込みに騙されない冷静な視座を持ち、判断の質を上げるためには、ハイデガーの提示する「構造で考える」アプローチが極めて有効です。

本書の魅力は、難解な哲学用語を、私たちが日々直面する「日常」の生々しい延長線上で理解させてくれる点にあります。

この記事でわかること

・難解なハイデガー哲学の核となる概念(現存在、被投、企投、世界内存在など)の実践的な理解
・人間の在り方を示す「実存」と、未来の可能性を自ら選び取るキャリア戦略の考え方
・「本来的な生き方」と「非本来的な生き方」の違いと、それが意思決定に与える影響
・ツールや環境を「道具的存在者」として意味づけ、主体的に活用する視座
・AI時代において、人間にしかできない「目的設定」と「本来的な生」を取り戻すアプローチ

30秒でわかる本書のポイント

【結論】
・人間は「世界内存在」として、周囲の道具や環境と交渉し、常に意味を解釈しながら生きている
・自らが必ず「死ぬ存在」であることを自覚し、苦悩を引き受けることで初めて短期的な目標に囚われない「本来的な生き方」が可能になる
・本書が扱うテーマはAI時代にこそ重要であり、自ら問いを立て、事象に意味づけを行う力が最大の武器となる
【原因】
・私たちは「平均的日常性」の中に埋没し、自分が死ぬ存在であることを忘れ、世間の常識や他人の価値観で生きてしまいがちである
・日々の忙しさや表層的なデータ処理に追われると、我を忘れて仕事に夢中になるという「非本来的な逃避(気晴らし)」に陥る
・既存の枠組みや思い込みに囚われると、自らが投げ込まれた状況(被投)を嘆くばかりで、未来に向けた行動(企投)を起こせなくなる
【対策】
・限りある時間(死)をリアルに自覚し、今日何をすべきかという日々のタスクや習慣を、人生の終わりから逆算して根本から見直すこと
・過去の常識を疑い、目の前の事象やテクノロジーを、自らの目的に沿った「道具的存在者」として主体的に再定義すること 移
・動や読書など、意図的な非日常の体験を通じて既存の解釈フレームを揺さぶり、自らの可能性を「構造で考える」習慣を身につけること

本書の要約

本書は、作家・筒井康隆氏が、自身の小説『文学部唯野教授』の主人公を講師役として行った、ハイデガー哲学の講義録です。哲学史のなかでも特に難解とされる『存在と時間』の基本概念を、筒井氏ならではのユーモアと軽妙な語り口によって、驚くほどわかりやすく解きほぐしています。

ハイデガーは、人間を単なる生物や思考する主体としてではなく、「ここに・ある」存在、すなわち「現存在」と捉えました。私たちは、自分の意思で生まれる時代や場所、家族や環境を選んだわけではありません。気づいたときには、すでに特定の世界のなかに存在しています。これが、世界へと投げ込まれている「被投」という状態です。

しかし、人間は与えられた条件に受動的に従うだけの存在ではありません。過去や現在の状況を引き受けながら、「これからどのような自分になりたいか」という可能性を未来へ投げかけることができます。ハイデガーは、この未来に向かって自らの可能性を描き出す働きを「企投」と呼びました。つまり人間とは、「すでに投げ込まれている存在」であると同時に、「未来へ向かって自分を投げ出す存在」でもあるのです。

本書では、こうした抽象的な考え方が、日常生活の具体的な感覚と結びつけて説明されています。たとえば、ハイデガーが説く「世界内存在」とは、人間と世界を別々のものとして捉えるのではなく、私たちは最初から世界のなかで他者や道具と関わりながら生きている、という考え方です。

普段、私たちはハンマーを単なる物体として観察しているわけではありません。何かを打つための道具として使い、その背後にある釘や木材、仕事の目的まで含めた関係のネットワークのなかで理解しています。ところが、ハンマーが壊れた瞬間、それまで意識していなかった道具そのものの存在が前面に現れます。この身近な例を通じて、世界とは孤立した物の集合ではなく、「何かをするための意味のつながり」で構成されていることが見えてきます。

さらに本書の核心となるのが、「本来的な生き方」と「非本来的な生き方」の違いです。人間は、自らがいつか必ず死ぬ存在であることを知っています。しかし、その事実を正面から考え続けることは苦しいため、多くの場合、仕事や娯楽、世間話、気晴らしのなかへと逃げ込みます。周囲と同じように考え、「世間ではそう言われているから」と行動する状態が、ハイデガーのいう非本来的な生き方です。

一方で、自分の死を誰にも代わってもらえない究極の可能性として引き受けるとき、人は初めて限られた時間を自覚します。そして、世間の価値観に流されるのではなく、自分自身の可能性を選び取ろうとします。これが「死への先駆」によって開かれる、本来的な生き方です。

もちろん、非本来的に生きることが、単純に悪いというわけではありません。私たちは社会のなかで暮らす以上、仕事や役割、他者との関係から完全に離れることはできません。重要なのは、自分が世間の常識や日常の忙しさに埋没していないかを、ときどき立ち止まって問い直すことです。

本書の価値は、難解な哲学用語をわかりやすく説明しているだけではありません。「自分はなぜここにいるのか」「限られた人生をどのように生きるのか」「社会の期待と自分自身の可能性をどう両立させるのか」という切実な問いを、読者自身の問題として考えさせる点にあります。

筒井康隆氏の知的なユーモアによって、ハイデガー哲学は遠い抽象的な学問から、仕事や人生の選択を見直すための生きた知恵へと変わります。哲学に苦手意識を持つ人にも、『存在と時間』の核心に触れてみたい人にも最適な、極めて実践的な入門書です。

こんな人におすすめ

・日々の業務や短期的なKPIに追われ、中長期的なキャリアや人生の「働く意味」を見失いかけている中堅〜シニア層のビジネスパーソン
・新規事業やベンチャー企業の立ち上げなど、正解のない不確実な環境で、ブレない意思決定を迫られている経営者・リーダー
・他人の評価や世間の常識に振り回されず、自分だけの強み(実存)を見つけ出したいと考えている人
・AIやテクノロジーの進化に対して、人間が提供できる本質的な価値は何かを模索し、自分の頭で考え抜きたい人 ・表面的なビジネス書に限界を感じ、普遍的な教養(リベラルアーツ)から思考の構造を学び直し、知的生産性を極めたい人

本書から得られるメリット

・「死」という究極のタイムリミットを意識することで、時間の使い方や習慣化の質が劇的に向上し、本来の目的に集中できる
・複雑な状況を「被投」と「企投」という構造で捉え直し、感情に流されず冷静にリスクを取り、判断を下すメンタルモデルが手に入る
・人は世界を常に解釈しながら生きているという前提に立つことで、組織内での意味づけや顧客理解(マーケティング)の解像度が上がる
・生成AIをはじめとする身の回りの環境やツールを「道具的存在者」として最適に配置・活用する、主体的なメタ視点が身につく
・哲学的な思考の枠組みをインストールすることで、既存の思い込みに騙されず、目先のトラブルに動じない強靭な知性が構築される

「現存在」と「被投・企投」:不確実な環境下で思い込みに騙されず構造で考える

いつやってくるかわからない死を了解しようとして、人間は苦しんでいるんです。ですから、そういった死ぬという自分の存在を自分で引き受けて生きていく、その実存という存在のしかたですね。それが現存在です。(筒井康隆)

ビジネスで課題に直面したとき、最初に必要なのは、自分たちが置かれている状況を正確に把握することです。 ハイデガーは、人間を「現存在(ダーザイン)」と呼びました。「ダーザイン」は、「ここに、そこに、現に」を意味する「da」と、「ある」を意味する「sein」を組み合わせた言葉です。

この言葉が示すのは、人間は周囲から切り離されて存在しているのではなく、特定の時代、場所、人間関係、社会環境の中で生きているということです。しかも、私たちは、生まれる時代や場所、家庭、能力などの条件を自分で選んだわけではありません。最初から与えられた状況の中で、判断し、行動しているのです。

入社した会社の文化、突然の市場の変化、あるいはパンデミックのような予期せぬ環境変化など、自分の意志とは無関係に特定の状況に「投げ込まれて」います。ハイデガーはこれを「被投」と呼びました。

しかし、人間はただ投げ込まれて無力に漂うだけの存在ではありません。投げ込まれたその場所から、自らの未来に向けて目的を持ち、世界を理解し、行動を起こすことができます。自ら可能性を「投げかける」こと、これを「企投(きとう)」と言います。

著者は、わけがわからないながらもハイデガーを読み始めること自体が、すでにして一つの「企投」であると述べています。 この「被投」と「企投」の構造で考えることは、不確実性の高いベンチャー経営や、先行きが見えない中でのキャリア構築において極めて実践的です。

優れた経営者やリーダーは、コントロール不可能なマクロ環境の変化(被投)を嘆くことに時間を使いません。それを所与の条件として冷静に受け入れた上で、「では、自分たちはいま何ができ、次にどこへリソースを投じるのか(企投)」という一点に強烈にフォーカスします。

過去の成功体験という思い込みに騙されず、常に「被投」の現実を直視し、「企投」の質を高めていくことこそが、意思決定の質を上げる最大の要因となります。

人間は孤立して存在しているわけではありません。ハイデガーによれば、人間のまわりには常に道具があり、私たちはそれらの道具と関わりながら生きています。この道具が取り囲む場が「世界」であり、人間は常に「世界内存在」です。

ここで重要なのは、私たちを取り囲むモノや環境は、ただ漫然とそこにある「事物的存在者」ではなく、私たちが目的を持って関わることで初めて「道具的存在者」としての意味を持つということです。

木切れや鉄の塊(事物的存在者)も、人間が「釘を打つ」という目的(気遣い)を持った瞬間に、ハンマー(道具的存在者)へと変貌します。逆に、金槌がないときにそのへんの石ころで釘を打てば、その石ころは立派な「道具的存在者」になるのです。事物の意味や価値は固定されておらず、人間の関わり方や解釈によってダイナミックに変化します。

この「人は世界を常に解釈し、意味づけしながら生きている」という前提は、現代の組織論にも通じるものがあります。不確実で曖昧なビジネス環境において、リーダーに求められるのは、単に精緻な計画を立てることではありません。

目の前で起きている混沌とした事象や一見役に立たないデータ(事物的存在者)に対して、「これは我々にとってどのような意味を持つのか」「この危機をどう自社の成長の道具にするのか」というストーリーを紡ぎ出し、組織のメンバーに納得させる「意味づけのマネジメント」です。

ビジネスの現場には、一見すると何の役にも立たない「石ころ」が溢れています。優れたマーケターは、こうした無数の石ころの中から、自社の課題解決に使えるものを瞬時に見つけ出し、「道具的存在者」へと変換します。

自らが「世界内存在」であると自覚することは、独りよがりな思い込みを排し、市場や顧客の文脈の中で自社のプロダクトがどのような「道具的存在者」として機能し得るかを構造的に問う実践に他なりません。

誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義の書影

「死への存在」と本来的な生:我を忘れて仕事に逃げ込む「非本来性」への警鐘

世界の中にいる人間のあり方として、二つのあり方があります。まず、平均的日常性というあり方がですね、ハイデガーに言わせますと、これは非本来的だというんですね。だから当然、もう一方に本来的な生き方というのがあるわけです。

ハイデガーは、世界の中にいる人間のあり方として、「本来的」な生き方と「非本来的」な生き方の二つを提示しました。 「本来性」とは、自分がいつか必ず死ななければならない存在であることを見つめ、その苦しみや悲哀から逃げずに引き受けていく生き方です。

対して「非本来性」とは、できるだけ死から目をそむけ、「自分だけはまだまだ死なない」と思い込み、それを忘れるために気晴らしをする生き方です。世間の人と調子を合わせて面白おかしくやること、そして驚くべきことに、「我を忘れて仕事に夢中になる」ことすらも、非本来的な生き方(死からの逃避)であると指摘されています。

現代のビジネスパーソンは、日々のタスク、未読メールの処理、次々と設定されるKPIに追われ、まさに「我を忘れて仕事に夢中になって」います。一見すると勤勉で素晴らしいことのように思えますが、ハイデガーのレンズを通せば、それは「自分が本当に成し遂げるべき人生の目的(死への自覚)」から目を背けるための壮大な「気晴らし(平均的日常性)」にすぎません。

キャリアの中盤から後半に差し掛かる中堅〜シニアのビジネスパーソンにとって、この「死への存在」という視点は極めて重要です。残されたキャリアの時間が有限であると心底納得したとき、「本当にこの仕事を続けるべきか」「自分の人生を使って何を成し遂げたいのか」という問いが切実さを増します。

人間の存在している意味というのは時間性である。

「時間は無限にある」と錯覚している状態では、人は重要な決断を先送りし、些末なタスクに時間を溶かしてしまいます。しかし、人生の終わりから逆算する思考を持てば、行動基準は劇的に変化します。

限られた時間の中で最大の価値を生み出すためには、不要なものを削ぎ落とし、本当に重要なことだけにリソースを集中投下する「習慣化の鬼」にならざるを得ません。死の自覚は、決して虚無主義ではなく、今日一日を圧倒的な密度で生きるための最強の原動力となります。

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AI全盛の時代になぜハイデガーか:客観的データに溺れず「気遣い」を取り戻す

現存在が道具的存在者に対して配慮的気遣いをしたように、現存在は、主人公は、共現存在に対してやっぱり気を遣うんですけれども、気を遣うといってもこれは顧慮的気遣いと言うんですね。自分を顧みての顧慮的気遣いですね。これは共現存在を気遣うことによってやっぱり自分を気遣っているということです。

私たちは一人で生きているわけではありません。世界の中で、無数の他者に取り囲まれて生きています。ハイデガーは自分以外の他者を「共存在」や「共現存在」と呼び、周囲の道具に対して配慮的気遣いをするように、他者に対しても「顧慮的気遣い」をしながら生きていると説きます。

興味深いのは、結婚祝いをあげるような善意だけでなく、「ぶん殴ってやろう」という敵意や、道ですれ違っても「無視したり知らん顔して通り過ぎる」態度もまた、立派な顧慮的気遣いであるという指摘です。

「目と目が合ってぶん殴られるとつまらん」という、我が身を守るための気遣いであり、私たちは他者と一番「非本来的」な(当たり障りのない)付き合い方をしているのが通常です。

この構造は、現代の組織マネジメントを考える上で極めて有用です。組織において「心理的安全性」が叫ばれますが、多くの職場の実態は、衝突を恐れて互いに知らん顔をする「非本来的な付き合い方」に終始しています。表面的な調和(気晴らし)を保つために、本質的な議論を避けている状態です。

優れたリーダーは、この「顧慮的気遣い」の構造を理解した上で、あえて波風を立て、メンバー同士の本気(本来的)の対話を促します。顧客理解においても同様です。

顧客の表面的な「いいね(非本来的な同調)」に騙されず、彼らが心の奥底で何を恐れ、何から目を背けようとしているのか(実存の苦悩)を構造で捉えること。この深い人間理解に基づくアプローチこそが、真に価値あるプロダクトや組織を生み出すのです。

本書が扱うテーマはAI時代にこそ重要である、と私は強く確信しています。生成AIの登場により、情報収集、データの要約、さらには論理的な文章の構成までもが、機械によって瞬時に行われるようになりました。知的な作業の多くが自動化されていく中で、「では、人間が時間をかけて考える意味はどこにあるのか?」という根源的な問いが突きつけられています。

AIは世界中の膨大なデータを学習した途方もないシステムですが、私たちが明確な目的を持たず、ただ漫然と眺めているだけでは、巨大な「事物的存在者」にすぎません。AIが真価を発揮するのは、人間が「この難解な市場課題を解決したい」という具体的な意志(企投)を持ち、AIを自らの知的生産を拡張するための「道具的存在者」として機能させた瞬間です。

さらに決定的な違いがあります。AIは死にません。有限の命を持たないAIには、心の底からの焦りも、自分自身の未来や組織に対する切実な「気遣い」も存在しません。

だからこそ、AIは過去のデータに基づく平均的で無難な正解(非本来的な世間の常識)を出すことには長けていますが、身を削るような決断や、未来に向けた新しい意味をゼロから創り出すことはできないのです。

私たちがAIに過度に依存し、AIが出した答えをそのまま自らの意思決定として採用してしまうとき、私たちは完全に「非本来的な生き方」へと転落しています。自ら実存を選び取る苦悩を放棄し、機械という「世間」に人生を明け渡している状態です。

AIの出力結果を鵜呑みにせず、「本当にそうか?」と根源から問い直す批判的思考力を鍛えるために、ハイデガーの哲学はこれ以上ない対話のパートナーとなるでしょう。

コンサルタント 徳本昌大のView

高校二年の頃、図書館で初めてハイデガーの著作を手に取りました。しかし、当時の私にはほとんど理解できず、途中で読むことを諦めてしまいました。それ以来、何度か読み直してきましたが、「本当に理解できているのか」と問われると、正直なところ自信はありませんでした。難解な翻訳語や哲学特有の言い回しに阻まれ、言葉を追うことに精一杯で、ハイデガーが本当に伝えようとした核心を掴み損ねていたように思います。

ところが、筒井康隆氏の『誰にもわかるハイデガー』を通じて、その印象は大きく変わりました。ハイデガーが語った「世界との関わり方」や「死の自覚」が、抽象的な哲学用語ではなく、自分自身の仕事や生き方に直結する、極めて身体的な感覚として腑に落ちたのです。

私が数多くのベンチャー企業を支援し、経営者の意思決定に伴走するなかで感じるのは、成長し続ける優れたリーダーほど、無意識のうちにハイデガーのいう「本来的な生き方」を実践しているということです。 彼らは、自分に与えられた時間が有限であることに敏感です。

だからこそ、意味のない会議、惰性で続く事業、誰も責任を取らない意思決定に対して、冷静かつ迅速に見切りをつけることができます。限られた時間を何に使い、何を捨てるのか。その判断の背後には、「自分は何のために生き、何を成し遂げたいのか」という根源的な問いがあります。

私自身も、日々積極的に移動し、新しい人や場所、思想に触れることを選んでいます。それは単に行動量を増やすためではありません。自分を「平均的日常性」という名の思考停止から意識的に引き離し、既存の常識や思い込みを壊すためです。

異なる現場に身を置くことで、世界を捉え直す新しい解釈のフレーム、すなわち新たな「道具」を獲得し続けたいと考えています。 日常に埋没すると、私たちはいつの間にか、周囲の期待や世間の常識に従って生きるようになります。

忙しさに追われるうちに、「なぜこの仕事をしているのか」「この事業を続ける意味は何か」「自分は本当はどう生きたいのか」といった問いを忘れてしまうのです。

『誰にもわかるハイデガー』は、そうした思考停止に揺さぶりをかけてくれます。本書は難解な哲学を解説するだけではなく、私たちが日々の仕事や生活のなかで見失いがちな、「そもそも、なぜそれをやるのか」という原点を呼び覚ます一冊です。

時間の有限性を自覚し、自分の選択に責任を持ち、他人の価値観ではなく自らの意思で生きる。その姿勢は、人生だけでなく、経営や組織における判断の質も根本から引き上げます。本書は、ハイデガー哲学への入門書であると同時に、自分の仕事と人生を再設計するための、強力な思考の道具だと言えるでしょう。

FAQ

Q1: 「死を見つめる(本来的な生き方)」と考えると、悲観的になって仕事のモチベーションが下がりませんか?

A1: 逆です。無限に時間があると思うからこそ人は重要な決断を先送りにし、他人の価値観(非本来性)で生きてしまいます。「いつか終わる」という明確なタイムリミットを直視することで、無駄な人間関係や惰性の業務を切り捨てる決断力がつきます。人生の終わりから逆算することで、今日一日で本当にやるべきことへの圧倒的な集中力が生まれ、モチベーションはむしろ最大化されます。

Q2: 職場の人間関係が希薄だと感じていますが、「顧慮的気遣い」の視点からどう解決できますか?

A2: ハイデガーによれば、職場で互いに干渉しない(知らん顔をする)状態も、摩擦を避けて自分を守るための「気遣い」の一種です。まずはこの「互いに非本来的な付き合い方をしている」という構造を客観的に認識することが重要です。その上で、表面的な調和(気晴らし)を破り、チームの共通の目的(未来の可能性)に向けて、本音でぶつかり合う「本来的」な対話の場を意図的に設計することがリーダーの役割となります。

Q3: キャリアにおいて、「時間軸」をどのように捉え直せばよいでしょうか?

A3: ハイデガーの「死への存在」は、時間軸を「いつか確実に終わる有限なもの」としてリアルに捉えることを要求します。私たちはつい「明日がある」という非本来的な錯覚に陥りがちです。終わり(自身の寿命、あるいはプロジェクトや退任の期限)から現在を逆算し、「残された時間でどの可能性を実存として選び取るか」を問うことで、今日一日の意思決定の質が劇的に高まります。時間軸を有限化することが、戦略の純度を上げるのです。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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