いま、ここにある神話 (中沢新一)の書評

書籍:いま、ここにある神話
著者:中沢新一
出版社:講談社
ASIN ‏ : ‎ B0H3KQ5TC8
いま、ここにある神話

中沢新一氏の『いま、ここにある神話』書評

現代は、データと合理的分析が意思決定の中心となり、AIは膨大な情報から瞬時に最適解を導き出します。しかし、データドリブンな思考だけでは、人間や社会の本質を十分に理解することはできません。顧客の選択や社会現象の背後には、価格や機能、効率だけでは説明しきれない「人間の無意識の行動原理」が存在するからです。人は合理性だけで動くのではなく、憧れ、懐かしさ、帰属意識、物語への共感によって意思決定しています。

人類学者・中沢新一氏の『いま、ここにある神話』(講談社選書メチエ)は、デパートの物産展、アニメの聖地巡礼、セカイ系、ポケモンのパレードなど、一見すると無関係に見える現代の社会現象を「神話的構造(ミトロジー)」という視点から読み解いた一冊です。

本書が示すのは、こうした現象は単なる流行や娯楽ではないということです。その背景には、人間が共同体とのつながりを求める気持ちや、日常を超えた世界への憧れ、人生に意味を見いだしたいという無意識の欲求が共通して存在しています。

科学やテクノロジーが発達した現代では、データや合理的な分析によって多くのことを説明できるようになりました。

しかし、人間や社会は数字だけでは理解できません。現実には、合理性と非合理性、伝統と革新、現実と物語といった相反する要素が複雑に絡み合っています。 ミトロジー(神話)は、そのような一見バラバラに見える現象を一つの構造として捉え直し、社会の深層にある共通のパターンを浮かび上がらせます。

だからこそ本書は、現代社会を表面的なデータだけで判断するのではなく、その背後にある人間の無意識や文化の構造を理解するための、新しい思考法を教えてくれるのです。

本書は、「インポッシベーグル」の構造、現代によみがえった「百姓」の思想、そして「パレードの哲学」を通して、合理性だけでは捉えきれない世界の見方を提示します。複雑な現実は、一つの正解や単純な論理だけで整理できるものではありません。矛盾やねじれを抱えながら、多様な価値観や存在が同時に共存しているからです。 AI時代に必要なのは、データを否定し、非合理な世界へ戻ることではありません。

AIによる分析と神話的思考を組み合わせることです。データから「何が起きているのか」を把握し、ミトロジーによって「なぜ人はそこに意味を感じるのか」を読み解く。この二つの視点を持つことで、人間の深層心理や物語の構造を理解し、顧客理解や社会分析、経営の意思決定の質を高めることができるのです。

 この記事でわかること

・論理(ロゴス)では割り切れない、人間の無意識の行動原理(ミトロジー)を構造で考える方法
・AIが台頭する時代において、データ化されない複雑なノウハウと多様な職能を持つ「新しい百姓」となる必要性 ・ポケモンのパレード、アンパンマン、セカイ系作品の深層に潜む「現代の神話」と「死者の論理」

30秒でわかる本書のポイント

【結論】
・神話的思考(ミトロジー)は、古代社会だけのものではありません。現代においても、人間の無意識の深層で作動し、感情や行動を方向づけています。
・AIドリブン、データドリブンが加速する時代だからこそ、数値では捉えきれない「意味」や「物語」、神話的構造を読み解く視点が必要です。
・デパートの物産展、聖地巡礼、セカイ系、ポケモンのパレードといった身近な社会現象やポップカルチャーの背後にも、人間を動かす「無意識の回路」が存在します。
【原因】
・近代化によって、古い宗教や神話の影響は弱まったように見えます。しかし、人間の無意識に根差した「野生の思考」そのものが消えたわけではありません。
・効率化や合理主義が行き過ぎるほど、人はデータ化できない「意味」「物語」「共同体とのつながり」を強く求めるようになります。
・企業型モノカルチャー農業やメタバースに象徴されるように、数値化しにくいノウハウや身体知を排除し、環境や現実を「根こぎ」にしようとする発想が広がっています。
・その結果、地域固有の知恵、文化的文脈、経験に基づくメチエが失われ、人間と世界との関係が薄くなっていきます。
【対策】
・表面的なデータや流行だけを見るのではなく、社会現象や顧客行動の背後にある「神話的構造」を意識的に読み解き、事業やブランドに実装する。
・単一の職能に閉じこもらず、複数のメチエを持つ「新しい百姓」として、多様な知識や経験をリゾーム的につなげていく。
・AIによって効率や分析精度を高める一方、人間は意味を見いだし、物語を編集し、新たな世界観を提示する役割を担う。 
・AIを使いこなす力だけでなく、神話、文化、人類学、民俗学を通じて、人間の無意識の回路を理解する力を育てる

本書の要約

本書は、人類学者・中沢新一氏が『週刊現代』に連載したコラムをまとめたエッセイ集です。中心となるテーマは、「神話的思考は、現代社会の深層でも動き続けている」というものです。

中沢氏は、ポケモンのパレード、デパートの物産展、アンパンマン、トランプ大統領、アニメの聖地巡礼、セカイ系といった身近な題材を取り上げます。そして、それぞれの現象の背後にある神話的構造(ミトロジー)を読み解いていきます。

一見すると無関係に見える出来事にも、人間の欲望や不安、共同体への憧れ、異界への関心といった共通のパターンが潜んでいるのです。 本書の大きな特徴は、論理と神話の違いをトポロジー(位相幾何学)の考え方を使って説明している点です。

その鍵となるのが、MITのチームが考案した「インポッシベーグル」という、現実には作れない2.5次元の不可能物体です。 論理は、全体に矛盾がないことを重視します。一方、神話は、全体としては矛盾やねじれを含んでいても、部分ごとのつながりが成立していれば、一つの世界をつくることができます。中沢氏は、この構造こそ、私たちが「現実」と信じている共同幻想にも通じると指摘します。

さらに本書は、テクノロジーが人間を現実や土地、身体的な経験から切り離す「根こぎ」の危険性にも触れています。また、企業型農業に見られるモノカルチャー的な発想を批判し、多様な仕事や技を持つ、語源どおりの「百姓」という生き方に注目します。

本書が問いかけるのは、合理性やテクノロジーだけで、人間や社会を本当に理解できるのかという問題です。ポップカルチャーを単なる娯楽や消費物として見るのではなく、「現代の神話」として読み解くことで、私たちは日常の風景を別の角度から捉えられるようになります。

本書は、身近な出来事の背後にある人間の無意識や社会の構造を読み解く視点を与えてくれます。教養を深め、思い込みに流されず、判断の質を高めるための重要な一冊です。

こんな人におすすめ

・データや論理だけでは組織や顧客が動かないと限界を感じている経営層・マネージャー
・テクノロジー(AIやメタバース)の進化に対して、教養に基づいた批判的な視座を持ちたいビジネスパーソン
・複業や地方移住など、単一の職能に縛られない生き方を模索している方
・熱狂的なファンを生み出すブランドやプロダクトを創りたいマーケター
・合理主義的な働き方に息苦しさを感じ、物事の背後にある構造を深く学び直したい方

本書から得られるメリット

・表面的な現象の奥にある、人間の「無意識のパターン(ミトロジー)」を読み解く力が身につく
・矛盾や非合理を単に排除するのではなく、それらを統合して判断の質を上げる思考法がわかる
・新技術(メタバース等)がもたらす本質的なリスクと、人間の存在基盤について高い視座が得られる
・単一の職能に依存しない「多様な技(メチエ)」を持つことの重要性を理解できる
・AIには代替できない「意味付け」や「物語」の創出を、ビジネスや人生に実装するヒントが得られる

神話的思考が現代の意思決定を変える──合理性だけでは見えない人間の本質

神話は死んでなどいない。それどころか、混迷する世界の中で、政治ばかりか経済の動きにまで、いよいよ大きな影響を及ぼしている。(中沢新一)

ビジネスの現場では、人間は経済合理性に基づいて行動するという前提のもとで、戦略や制度が設計されがちです。しかし現実には、論理だけで人が動くわけではありません。感情、記憶、帰属意識、説明できない不安や期待が、意思決定を大きく左右しています。

中沢新一氏が指摘する「ミトロジー」とは、単なる昔話ではなく、人間の心と自然界の交流のなかに現れるパターンを捉える思考様式です。通常の論理的思考が、生と死、善と悪、利益と損失を明確に切り分けるのに対し、神話的思考は、それらの境界を曖昧にし、矛盾したものを同時に抱え込みます。

著者は、論理的思考を内側と外側が明確なトーラス、神話的思考を表と裏がねじれながらつながるメビウスの帯になぞらえます。現実と幻想、善と悪、成功と失敗は、完全に分離されているのではなく、互いに行き来しながら一つの世界を形づくっているという考え方です。

東日本大震災やコロナ禍を経て、私たちは効率性や綺麗な論理だけでは割り切れない現実の複雑さを痛感しました。想定外の出来事が起きれば、既存の制度やロジックは簡単に機能不全に陥ります。

経営や事業開発においても、ロジックツリーの内側だけでなく、その外側にある矛盾、例外、違和感に目を向ける必要があります。 合理主義やデータ分析に依存しすぎると、顧客の感情や組織の本質的な課題を見失う危険があります。

新しいテクノロジーも、価値を生み出す一方で、既存産業を破壊し、雇用や共同体を揺さぶります。生成AIも、生産性を高める可能性と、判断力の外部化や思考の画一化を進める危険を同時に抱えています。 物事を一面的に評価するのではなく、相反する要素が共存する構造を理解することが、リーダーの意思決定には欠かせません。

顧客を惹きつけるマーケティングの本質も、データでは捉えきれない人間の「無意識の回路」にアクセスすることにあります。

本書の核心となる概念が、「インポッシベーグル」、すなわち2.5次元ベーグルです。これは、部分ごとには整合しているように見えながら、全体としては現実に存在できない構造を表しています。

神話はインポッシベーグルと同じような2・5次元の世界を生み出す能力を持ったナラティブである。

通常の論理は、矛盾を排除し、完全な一貫性を目指します。これに対してインポッシベーグルは、全体の一貫性を緩め、局所的な整合性をつなぎ合わせることで、不可能な全体像を成立させます。エッシャーのだまし絵のように、部分だけを見れば自然でも、全体として捉えると矛盾が現れるのです。

この構造は、現実の組織や市場にも当てはまります。ある部門にとって合理的な判断が、別の部門には不合理になることがあります。顧客も、価格の安さを求めながら、高級感や希少性に惹かれます。人間は矛盾を抱えたまま行動し、その矛盾が商品や物語の魅力になることさえあります。

AIは、情報処理、比較、論理整理、効率化には優れています。しかし、現実と幻想、善と悪、生と死といった矛盾を抱えたまま、人を動かす物語として表現する役割は、なお人間に残されています。 そのために必要なのが、著者の言う「メチエ」です。

メチエとは、マニュアル化された知識ではなく、状況の変化を読み、手持ちの資源を組み替え、現実的な解決策を導く実践的な技です。農業、職人仕事、商売、交渉、組織運営の現場では、こうした知恵が長年にわたって蓄積されてきました。

教養も、単に知識を増やすことではありません。異なる時代や文化の物語を手がかりに、目の前の現象を別の構造から捉え直す力です。AIやデータが示す答えをそのまま受け入れず、現実とのずれを発見するには、論理と物語、分析と直感、抽象と具体を往復する能力が必要になります。

本書は、メタバースや企業型農業にも同じ問題を見いだします。メタバースは新しい創造性や経済圏を生む一方で、人間を土地、身体、地域、共同体から引き離し、あらゆるものを交換可能なデータへ変える危険を持っています。 企業型農業も、土地を工場用地、植物を加工品、栽培技術をプログラムとして扱います。

しかし実際の農業は、土壌、水、気候、微生物、生態系など、数値化しきれない条件の上に成り立っています。農家は、その年ごとの変化を読みながら、経験に基づく細かな調整を重ねています。 標準化や自動化は生産性を高めますが、同時に、地域の知恵、従業員の技能、顧客との関係、企業固有の文化を失わせる可能性があります。

経営者は、新しいテクノロジーを導入する際、何が便利になるかだけでなく、何が切り捨てられるのかを問わなければなりません。 こうした「根こぎ」やモノカルチャー的な思考に対抗する存在として、著者は「新しい百姓」を提示します。本来の百姓とは、単なる農民ではなく、多様な役割や職能を持つ人を意味します。

新しい百姓たちは、面倒な自然とのつながりの上になりたっている農業へ向かうことで、なにかを回復しようとしている。地下茎で複雑につながりあっている世界を、二十世紀の哲学者は「リゾーム」と呼んだが、新しい百姓たちはこのリゾーム的・ネットワーク的な生き方を、実践しようとしている。

現代の新しい百姓は、農業だけでなく、IT、デザイン、観光、教育、地域づくりなどを組み合わせて働きます。一つの専門性や肩書に閉じこもるのではなく、複数の場所、仕事、人間関係を横断しながら、自分なりの価値を生み出していきます。

その生き方は、地下茎が複雑につながる「リゾーム」に似ています。一本の太い幹を上へ伸ばす従来型のキャリアではなく、複数の領域に根を張り、環境の変化に応じてつながりを広げていくキャリアです。

AIによって知識や技能の陳腐化が加速する時代には、単一の専門性だけに依存することがリスクになります。異なる職能や経験を組み合わせることで、他者には模倣しにくい独自性が生まれます。

重要なのは、仕事を無秩序に増やすことではありません。自分の価値観を軸に、複数の技能、場所、共同体を有機的につなぐことです。AIに論理整理や効率化を任せるほど、人間には、身体知、現場の経験、人間関係、物語を統合する力が求められます。

神話的思考は、論理を否定するものではありません。論理だけでは捉えられない現実の複雑さを補い、矛盾を抱えながら全体を理解するための知恵です。データに表れない違和感を捉え、多様な技を組み合わせ、現実と接続した物語を構想すること。それが、AI時代における人間の重要な役割なのです。

いま、ここにある神話

ポケモンのパレードとセカイ系――日常を読み解くメチエ

人生は時間の中で死に向かって進んでいく、陽気なパレードなのだ。そのことを忘れているから、私たちはしょっちゅう苦しくなる。

中沢氏の真骨頂は、ポケモンやアンパンマン、祭り、アニメ、セカイ系といった身近なポップカルチャーを題材に、現代社会の神話的構造を読み解く点にあります。

著者は日本社会の日常に潜む現代のミトロジーを浮かび上がらせます。 たとえば、ポケモンのパレードは、なぜ多くの人を惹きつけるのでしょうか。人気キャラクターが街を歩くから、という説明だけでは十分ではありません。

著者は、実用的な目的や明確なメッセージから解放されたパレードに、人間ならではの純粋な喜びが宿ると考えます。権力の誇示や政治的主張を目的とする軍事パレードやデモとは異なり、祭りやピカチュウのパレードでは、踊り、歩き、群れること自体が楽しさとなり、参加者は日常の秩序から一時的に解放されるのです。

日本の祭りの多くは夏に行われます。夏は祖先の霊が現世へ戻ってくる季節でもあり、祭りの時間には日常世界と異界の境界が一時的に開かれると考えられてきました。

生者の横を死者や精霊が列をなして進む。そこに、祭りの原型があります。 ポケモンのパレードも、同じ神話的構造を持っています。アニメやゲームという異界から現れたピカチュウたちが現実の街を歩き、観客の横を群れながら進んでいく。観客も歓声を上げ、写真を撮り、一緒に踊ることで祝祭空間に参加します。

ピカチュウは、異界から来た存在でありながら、恐怖ではなく愛嬌を振りまきます。カーニバルの仮面や人形と同じように、死者や精霊の代理人でありながら、人々に喜びを与える存在として現れるのです。

生者と死者、現実と幻想、人間と人間ではないものが、同じ空間を進んでいく。この構造が、パレードに日常とは異なる解放感を与えます。観客は現実の秩序から一時的に離れ、異界に接続する感覚を味わいます。

「死者の代理人としてのピカチュウ」という見方は、キャラクター産業を単なる消費ビジネスとして捉える視点を超えています。人間の無意識には、日常を越えた世界に触れたいという「異界への渇望」があります。人気キャラクターは、その欲望を安全で親しみやすい形で満たす神話装置だと考えられます。

この視点は、マーケティングにも重要な示唆を与えます。顧客は、商品の機能や価格だけで購買を決めているわけではありません。その商品がどのような世界への入口になるのか、どのような物語に参加させてくれるのか、誰とつながる感覚を与えるのかによっても動かされます。

購買履歴や行動データを分析すれば、何を買ったかは把握できます。しかし、なぜ人が熱狂するのかを理解するには、数字の背後にある無意識の欲望や神話的構造まで掘り下げなければなりません。

神話も民話も、言うところの「セカイ系」なのである。

著者はさらに、「セカイ系」と呼ばれる作品群も、神話的思考の現代的な形として分析します。セカイ系では、「ぼく」と「きみ」の個人的な関係が、そのまま世界の危機や人類の運命につながります。その間にある国家、政治、組織といった中間領域は、ほとんど描かれません。 こうした作品は、若者の社会的関心の欠如や現実逃避として批判されてきました。

しかし著者は、そこに別の意味を見いだします。現代社会は、私たちに強い圧力をかけながら、その主体を見えにくくしています。 働き方、評価、競争、世間の空気から圧力を感じても、誰が自分を抑圧しているのかは明確ではありません。社会は存在しているはずなのに、具体的な姿を持たず、リアリティが希薄になっています。

セカイ系の主人公たちは制度を変革するのではなく、個人的な感情や関係性を通じて世界そのものと向き合います。 そこでは、個人と世界が直接つながる円環的な構造が生まれます。その関係から抜け出せないことが苦しみを生む一方、同時に強い快楽も与えます。だからこそ、多くの人がセカイ系の物語に惹かれ続けるのでしょう。

アニメの聖地巡礼にも、同様の神話構造を見ることができます。作品の舞台となった場所を訪れる行為は、単なる観光ではありません。アニメの世界が現実空間に重なり、普段は見過ごしていた街や風景を特別な場所へと変えます。

これは、古くから続く宗教的巡礼とよく似ています。巡礼者は物理的な場所を移動するだけでなく、そこに重ねられた物語や記憶の世界へ入っていきます。現実の空間と目に見えない物語が重なることで、場所の意味が新たに立ち上がるのです。

AIが大量の答えを生成し、合理性が極限まで高まる時代だからこそ、人間は教養というメチエを磨き、日常の出来事を批評的に眺める必要があります。 教養とは、知識量の多さではありません。

ポケモンのパレードやアニメの聖地巡礼を、祭り、死者、異界、巡礼といった長い歴史の構造に置き直し、その背後にある意味を読み解く能力です。 そうすることで、表面的な流行の奥にある、人間の普遍的な欲望が見えてきます。データ化できない感情や記憶、共同体への帰属意識を統合し、物事を構造として捉えることが可能になります。

AIドリブン経営やデータドリブン経営には大きな可能性があります。しかし、数字だけでは、人間の矛盾した感情、無意識の欲望、物語への渇望を十分に理解できません。

重要なのは、AIを否定することではなく、AIと人間の役割を分けることです。分析、計算、比較、効率化はAIに委ねる。一方、人間は、矛盾を受け止め、異なる世界を結びつけ、現実に意味を与える物語を構想する必要があります。 神話的思考は、論理を否定するものではありません。論理だけでは捉えられない現実の複雑さを補い、合理性と非合理性を一つの全体として理解するための知恵です。

無意識の回路であるミトロジーを理解し、実践的な知恵であるメチエを磨く。それによって、私たちは表面的なデータに惑わされず、顧客や社会、組織の深層にある構造を読み取れるようになります。

日常を別の角度から眺め、矛盾を排除せずに新たな意味を構想する力。それこそが、AI時代における人間の役割であり、意思決定の質を高める重要な教養なのです。

いま、ここにある神話

右傾化する世界をミトロジーから読み解く

今日のアメリカ政治は、冷徹な政治思考ではなく、予測のつかないミトロジー思考によって動かされている。

MAGAを掲げるドナルド・トランプ氏を、再びアメリカ合衆国大統領の座へ押し上げた背景には、白人福音派を中心とする保守的なキリスト教勢力の強い支持がありました。

2024年の大統領選挙前の調査では、白人福音派プロテスタントの有権者の82%がトランプ氏を支持、あるいは支持する傾向を示していました。現在も白人福音派は、トランプ氏の有力な支持基盤となっています。

しかし、今日のアメリカ政治を動かしているのは、政策の費用対効果を冷静に比較する合理的な政治思考だけではありません。「失われた偉大なアメリカを取り戻す」というMAGAの物語には、過去の黄金時代、選ばれた国民、腐敗した支配層との闘争、国家の再生といった神話的な構造が組み込まれています。

支持者は個別政策の妥当性だけでなく、自分たちが何者であり、何を奪われ、どのような世界を取り戻すべきかを示す物語に動かされているのです。

この現象を読み解く補助線となるのが、かつて「カーゴカルト」と呼ばれた運動です。ただし、この言葉自体が植民地主義的な視線から生まれ、現地の人々を「非合理的」と見下すために使われてきたことには注意が必要です。

太平洋地域の人々だけが特別に非合理だったのではありません。理解しがたい経済や権力の仕組みに直面した人間が、儀礼や物語を通じて世界を説明し、失われた秩序や豊かさの回復を願うことは、近代社会にも広く見られます。

新自由主義や金融資本主義、グローバル化によって、地域産業や雇用、共同体への帰属意識が揺らぐなか、多くの人々は「なぜ自分たちの生活が苦しくなったのか」を十分に説明できない状況に置かれました。

その複雑な現実に対し、MAGAは「偉大な過去を奪った敵を退ければ、繁栄は戻ってくる」という、明快で感情に訴える物語を提示しました。ここで重要なのは、トランプ支持者を単に非合理的な人々として切り捨てないことです。

合理的な制度や専門知が生活者の不安に十分応えられなくなったとき、その空白を神話的な物語が埋めるという構造を理解する必要があります。

現代人もまた、複雑で見通しのきかない現実に直面すると、事実や政策を比較するだけでは不安を処理できません。そこで、善と悪、喪失と回復、敵と味方を鮮明に分けるミトロジーへと引き寄せられます。

複雑な世界を理解可能な物語へと変換してくれるからです。 この視点に立てば、今日の世界的な右傾化にも一定の構造的な理由があることが見えてきます。ただし、それを正当化する必要はありません。

重要なのは、右傾化を単なる無知や反動として片づけるのではなく、既存の制度や価値観が人々の喪失感、疎外感、将来不安に答えられなくなった結果として捉えることです。 従来の左派的な批判理論は、格差、権力、資本、制度の問題を明らかにするうえで大きな力を持ってきました。

しかし、それだけでは、人々がなぜ特定の指導者や運動に情熱を注ぎ、そこに救済や再生の物語を見いだすのかを十分に説明できません。感情、象徴、宗教性、共同体への帰属意識まで含めた、ミトロジーの論理を組み込む必要があります。

現代社会では、政治、経済、宗教、テクノロジー、メディアが複雑なネットワークによって結びつき、互いに影響し合っています。経済合理性だけで動いているように見える市場でさえ、実際には期待、不安、信頼、恐怖、希望といった物語的な力に左右されます。数字や制度だけでは、人間の行動を十分に説明できないのです。

今日のアメリカ政治は、合理性を失ったというより、合理的な政策論争の上に強力な神話的物語が重なり、その物語が人々の感情や帰属意識を動員していると捉えるべきでしょう。

政治を理解するためには、世論調査や経済指標だけを見るのでは不十分です。人々が何を失ったと感じ、誰を敵と見なし、どのような救済や再生を望んでいるのか。その背後にある物語まで読み解くことで、初めて現代政治の深層構造が見えてくるのです。

コンサルタント 徳本昌大のView

日々、IPOコンサルティングやベンチャー支援に携わるなかで、私は一つの現実を痛感しています。どれほど優れた技術やビジネスモデルを持ち、精緻な事業計画を描いていても、「自分たちは何を目指し、どのような未来をつくるのか」という物語、すなわちビジョンを持たない企業は、成長の過程で必ず組織の壁にぶつかります。

数字や論理は、事業の妥当性を説明するために欠かせません。しかし、それだけで社員、投資家、顧客、取引先といったステークホルダーを巻き込み、熱量を生み出すことはできません。人を動かすのは、合理的な説明だけではなく、その企業が掲げる意味や物語なのです。

本書が提示する「新しい百姓」の思想は、私自身の働き方や人生観にも深く重なります。ここでいう百姓とは、農業に従事する人という意味に限りません。複数の技や職能を持ち、環境に応じて役割を変えながら生きる人間の姿を表しています。一つの肩書や専門領域に閉じこもらず、異なる経験や知識を組み合わせることが、変化の激しい時代を生き抜く力になるのです。

私は月の半分を、全国各地への移動に費やしています。オンライン会議やAIによって、場所を問わず仕事ができる時代になりました。しかし、あらゆる情報がデジタル空間で抽象化される今だからこそ、現場に足を運ぶ価値は高まっています。

地域や企業には、数字や資料だけでは捉えられない空気があります。そこで働く人々の表情、会話、習慣、歴史、地域特有の価値観に触れることで、その場に根づいた「神話」やリアリティが見えてきます。こうした身体感覚を伴う情報が、事業の本質を捉え、新たな仮説を立てるうえで決定的に重要なのです。

私が続けている1日1冊の書評ブログも、「新しい百姓」として複数のメチエを育てるための習慣です。経営、心理学、人類学、歴史、テクノロジーなど、異なる分野の知識を横断的に取り入れることで、一つの専門知識だけでは見えない構造を発見できるようになります。

AIを使って情報を整理し、論理の基盤を素早く固めることも重要です。ただし、その目的は、人間の思考をAIに委ねることではありません。定型的な分析をAIに任せることで、人間にしか扱いにくい直感や感情、矛盾に向き合うための「余白」を生み出すことにあります。

現実は、常に論理的で整合的とは限りません。優れた企業や事業の物語も、ときに矛盾やねじれを含んでいます。だからこそ、「インポッシベーグル」のように、矛盾する要素を局所的につなぎ合わせながら、新しい全体像を構想する力が求められます。

思い込みに流されず、表面的な数字の背後にある人間の欲望や社会の構造を読み解く。本書は、教養を単なる知識ではなく、現実を多面的に捉え、より良い意思決定を行うための「技(メチエ)」として活用する視点を与えてくれます。

FAQ

Q1: 神話や人類学の専門知識がなくても、ビジネスに活かせますか?

A1:はい、大いに活かせます。本書はポケモンや物産展、アンパンマンといった非常に身近な題材を入り口にしているため、学術的な知識がなくても人間の無意識の行動原理(ミトロジー)を「構造」として理解できます。マーケティングの顧客インサイトや、組織の共通言語づくりに直結する視点が得られます。

Q2: 「百姓的思考術」や「多様な技(メチエ)」は、AI時代のキャリア形成にどう役立ちますか?

AIが得意とするのは、単一の職能におけるデータ処理と最適化です。対して、人間が複数の異なる専門性や経験(百の姓)を掛け合わせることで生まれる「複雑なノウハウ」や「自然との接続」は、AIには模倣が難しく、独自の価値を生み出します。企業型モノカルチャー的な思考から脱却し、多様性に基づいたリゾーム的な生き方を実践することは、AI時代に人間の判断の質を根本から高める鍵となります。

Q3: ポケモンのパレードがなぜ意思決定の質向上につながるのですか?

A3:ポケモンのパレードを「死者の論理」という神話的構造から読み解くと、データ分析だけでは捉えられない、人間の無意識に潜む「異界への憧れ」や「祭礼への参加欲求」が見えてきます。顧客は機能や価格だけで商品を選ぶのではなく、無意識のうちに物語や象徴、共同体への帰属感に惹かれています。こうした普遍的な神話構造(ミトロジー)を理解することは、表面的なインサイトを超えた真の顧客理解につながります。

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いま、ここにある神話

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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