お金を必要以上に愛したり憎んだりするのではなく、非神聖化するのが賢明だ。お金は敵にまわすまでは友でいてくれる。それを敵にするのは我々自身の落ち度だ。身の程にあった貧困と腐敗した豊富さとのひどい選択に追い込まれないようにしよう。美徳と繁栄は十分に共存できる。(パスカル・ブルュックネール)
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お金は粗野であり、高貴である!
かんき出版さんからのお金の叡智(パスカル・ブルュックネール著)を献本いただきました。フランスの有名な哲学者のパスカルの作品で、山形浩生氏が翻訳を担当している本がつまらないわけがありません。パスカルのお金に対する問いかけに対して、真摯に考える時間を持つことで、いくつもの新しい発見を得られました。
パスカルはお金は明快に見えて、不可解なものだと本書で述べています。お金について何かを言おうとすると必ずその反対の事象も伴います。その二面性をいくつか紹介します。これらの二面性を理解し。バランスを取ることでお金とよりよい関係を築けます。
■お金は粗野であり、高貴である。
■虚構でもあり、現実でもある。
■人を引き離すこともあれば、結びつけもする。
■たくさんあれば、恐ろしくなるが、足りないのも恐ろしい。
■悪を行う善であり、善を行う悪である。
お金持ちはお金がなくなることに絶えず恐怖感を感じ、人に騙されないかと不安になり、新たな出会いを楽しめなくなるという話を聞いたことがあります。突然、宝くじに当選することで、悲しい末路を体験すると言う話も有名です。お金の特性をしっかりと理解しておかないと、人はお金に振り回され、人生をエンジョイできなくなるのです。お金を魔物にしないためにも私たちは賢明にならなければなりません。
お金を持つのは賢明であり、それに対する批判的思索も賢明だということだ。お金は常に我々に自分の欲望、財産、負債と折り合いをつけるよう強いる。誰であろうとすべての人を哲学者にしてしまう。賢く考えることは、自分自身と他人のために賢く遣うことでもある。
著者は「お金はすべての人を哲学者にする」と述べています。お金についての知識を身につけ、賢く考える習慣を持つことで、私たちは自分自身と他人のためにお金を賢く遣うことができるようになるのです。人前でお金について語ることは、はしたないことだと多くの日本人は考えています。しかし、お金の知識を持ち、お金との立ち位置をある程度明らかにしておかないと人生を楽しめません。ある程度のお金がなければ、自分への投資もできず、価値を高めることができないと言う現実もあります。お金を過度に否定するのではなく、自分に必要なものだとポジティブに捉えるようにしましょう。
著者は年を重ねるうちに、お金の真実に気づきます。以下のパスカルのメッセージを読むことで、真の豊かさとは何か?を考えるきっかけをもらえました。
老いとは、計算の秩序、
勘定残高の秩序に取り込まれることを意味する。 我々のすべてが限定されるのだ。残された日々は減りゆく。 時間はもはや豊富ではなく、戒告となる。 しかし今でも私にとって究極の贅沢とは、 素晴らしい車や広い部屋、別荘を持つことではなく、 高齢になっても学究生活を続けていけることだ。 学究生活とは即興の日常の一つであり、街を歩き回る趣味、 カフェで長い時間過ごすこと、堂々たる孤独、 名声や報酬への無関心、 そして人々が過ぎ去る年月をやりすごすための些末なことの象徴で ある。つまりそれは毎朝新しい生活が始まるという、 ばかげてはいるが、欠かすことのできない錯覚だ。 もしも私がそのような生き方を特権と感じているとすれば、 それは私がそのような特権を自ら生み出したからだ。 富や資産の相続人ではなかった私は、 お金を忘れるくらい金持ちでもなかったし、 無視するくらい貧乏でもなかった。
私も55歳になって、時間の重要性に気づけました。日常の何気ない時間が私たちに幸せを運んできてくれます。この事実を知ることで、お金に心を支配されなくなります。ある程度のお金を稼いで、新しい生活や人とのご縁を大切にすることが私たちにとってもっとも重要なことなのかもしれません。本当に自分がやりたいことに貴重な時間を費やせることが真の幸せなのかもしれません。金持ちでも貧乏でもなかったから、パスカルはその特権を手に入れられたのです。
お金の叡智 [ パスカル・ブリュックネール ] |
お金は恩寵であると同時に罰である
お金については分裂した思考を容認しよう。
お金があることで私たちは自由を得られます。お金を必要以上に否定するのは馬鹿げた選択です。私たちの生活にはお金が必要で稼がなければならないのです。少なくともお金で悩まない程度に稼ぎ、それを賢く使うことを考えなければなりません。 しかし、一方でお金を持ちすぎると悩みが多くなり、幸せが遠ざかると言うパラドックスもあります。多くの金持ちが嫉妬や孤独に苦しんでいる現実を忘れてはいけません。「お金は恩寵であると同時に罰である」と言う二面性を私たちは忘れてはいけません。またお金にはじっとしていないと言う問題もあります。お金には分裂症と言う特徴があり、居心地の悪さを人に感じさせてしまいます。お金を愛しすぎず、憎みすぎず、適度にバランスを取ることが賢明な選択なのです。
長くなりますが、本書の結論部分に書かれているパスカルのメッセージを紹介します。ここから私たちはお金の究極の叡智を得られるはずです。
本質的なことは、サイコロが常に新し投げられるということだ。
今日の勝者はやがて昨日の敗者に取って代わられる。 富の循環の中で、循環しているのは社会そのものであり、 その成員たちの移動性を保障し、 金融的な流動性によりそれが宣言する平等性の価値を実証してみせ る。社会的強者、エリート、指導者たちは、台頭しては消え、 地殻プレートのように移動し、固定化を拒絶しなくてはならない。万物流転、それこそお金の教えてくれる教訓だ。 お金は我々の上に降り注ぎ、そして逃げだし、 一部の人に有利に働くと思ったら、後に彼らを見捨て、 破滅と再生を交互にもたらす。 ストア派の教えを取り入れつつ使徒マタイが、 心を貧しいままにしておけ(マタイによる福音書5章3節) と推奨したのはそういう意味だ。生命の贈り物は、 与えられたときと同じくらい突然に我々を離れる。 博打のテーブルでのように、サイコロは転がり、 時には我々に有利な目が出るし、時には不利な目が出る。財産は実に美しくも脆い生命のメタファーでしかない。我々に与えられたものは、 すべて奪われるかもしれないことは受け入れねばならない。 そしてそれにもかかわらず、 そこから莫大な感謝の念を引き出さねばならない。それこそが、 究極の叡智なのだ。
万物は流転し、お金もそのルールから逃れられません。お金や財産について過度の期待を持つのではなく、自分の好きなことに時間とお金を費やせる環境を整えることが大事なのかもしれません。
まとめ
お金を極端に批判するのではなく、お金の素晴らしさや価値を私たちはもっと認めた方がよさそです。お金を蔑視するのではなく、適度に稼ぐことをよしとすることが私たちに自由を与えてくれます。あまりに貧乏を尊ぶと時間とチャンスを失いかねません。逆にお金を盲信するのもよくありません。過去の歴史を振り返るとお金は突然人から離れていく特性があります。お金が巻き起こす様々な事象を認識し、お金へのバランス感覚を養うことが幸せになる秘訣なのかもしれません。
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