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Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章
Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章
ルトガー・ブレグマン
文藝春秋
本書の要約
著者は人間の本質は善であると言います。他者に悪意を感じるのではなく、思いやりの心を持って接することができれば、人生をよりよくできそうです。大半の人が親切で寛大だと考え、対策を練ることで現代のさまざまな難問を解決できるのです。
人間は本来利己的なのか?
人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。オランダ生まれの生物学者フランス・ドゥ・ヴァールはこの神話を「ベニヤ説」と呼んで批判している。「人間の道徳性は、薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で容易に破れる」という考え方だ。真実は、逆である。災難が降りかかった時、つまり爆弾が落ちてきたり、船が沈みそうになったりした時こそ、人は最高の自分になるのだ。(ルトガー・ブレグマン)
私たちは性善説と性悪説のどちらが正しいかを長い間、議論してきました。オランダの歴史家のルトガー・ブレグマンは、本書でその戦いに終止符を打つことを目指します。著者はホッブスやルソーの哲学、第二次世界大戦の空襲やナチスの残虐性の歴史、スタンフォード監獄実験やミルグラムの電気ショック実験などさまざまな研究結果を紐解きながら、性悪説のストーリーを性善説の観点から見直していきます。
著者は人間は本来人に対して優しいものだという立場から、性善説が正しいことを証明していきます。本書を読み進めるうちに、フランス・ドゥ・ヴァールのベニヤ説が正しくないことが理解でき、人間への信頼を取り戻せます。
ニューオーリンズのハリケーンカトリーナの災害は人間がどのように反応するかについて、科学が発見していたことを裏づけました。デラウェア大学の災害研究センターは1963以降、700件近くのフィールドワークを行い、映画でよく描かれるのとは逆に、災害時に大規模な混乱は起きないことを明らかにしました。人は災害が起こっても、自分勝手な行動は起きないものです。
アメリカのメディアが当初報じたように、カトリーナの際に殺人や強盗やレイプなどの犯罪は起こらなかったのです。人は災害時にショック状態に陥ることなく、落ち着いて、正しい行動を選択していました。災害研究センターによると、物やサービスをただで大量に配ったり、分かち合ったりという、広範な利他的行動に比べると略奪は微々たるものだったことがわかっています。しかし、メディアが性悪説をとることで、ニューオリンズの住民は悪者にされてしまったのです。
偽薬を飲むと一部の人は健康を取り戻すことが、プラセボ効果です。一方、薬には重大な副作用があると患者に警告するノセボ効果によって、人は病気になってしまうことがあります。
人間についての厳しい見方も、ノセボの産物なのだ。ほとんどの人間は信用できない、とあなたが思うのであれば、互いに対してそのような態度を取り、誰もに不利益をもたらすだろう。他者をどう見るかは、何よりも強力にこの世界を形作っていく。なぜなら、結局、人は予想した通りの結果を得るからだ。
人は考えた通りの結果を手に入れますが、メディアがノセボ効果を悪用しています。多くの研究によると、ニュースはメンタルヘルスに危険を及ぼすことがわかっています。ジョージ・ガーブナーは「ミーン・ワールド・シンドローム」という言葉によって、メディアの害を指摘します。マスメディアの暴力的なコンテンツに繰り返し接触することで、多くの人は世界を実際より危険だと信じ込んでいるのです。
結果、ニュースを追う人は、「ほとんどの人は自分のことしか考えない」といった意見に同意しやすくなるといいます。また、個人としての人間は無力で、世界をより良くすることはできない、と考えるようになります。さらに、ストレスを強く感じ、落ち込むことも多くなるのです。
数年前、30か国の人に「全体的に見て、世界は良くなっているか、悪くなっているか、良くも悪くもなっていないか?」という質問をしました。ロシアからカナダ、メキシコ、ハンガリーに至るまで、どの国でも圧倒的多数が、世界は悪くなっていると答えました。
しかし、現実は正反対なのです。過去数十年の問に、極度の貧困、戦争の犠牲者、小児死亡率、 犯罪、飢饒、児童労働、自然災害による死、飛行機墜落事故はすべて、急激に減少しています。実は、私たちはかつてないほど豊かで、安全で、健全な時代に生きているのです。
人間はニュースが伝える破滅や憂鬱さに影響され、私たちが暮らしう世界を実態以上に悪いものにしています。
1、ネガティビティ・バイアス
私たち人間は、良いことよりも悪いことのほうに敏感です。人は、怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずだと死ぬ可能性が高くなるため、ネガティブなニュースに反応します。
2、アベイラビリティ・バイアス
人は手に入りやすい(アベイラブル)情報だけをもとに意思決定しがちです。何らかの情報を思い出しやすいと、それはよく起きることだと私たちは思い込みます。
航空機事故、子どもの誘拐、斬首といった、記憶に残りやすい恐ろしい話をニュース番組から、日々浴びせられていると、世界観が完全に歪んでしまうのです。
「ニュースを見るには、わたしたちは理性が足りない」とナシム・ニコラス・タレブは指摘しますが、人は日々悪いニュースに接することで、悪影響を受けているのです。
人間はスーパーブレインを自慢するが、彼らの脳はさしずめギガ巨大ブレインだ。人間の脳がマックブックエアーだとしたら、ネアンデルタール人の脳はマックブックプロだ。ネアンデルタール人について新たな発見が続くにつれて、彼らは驚くほど知的だったというコンセンサスが高まってきた。彼らは火をおこし、調理をした。衣類や楽器や装身具を作り、洞窟に壁画を描いた。ある種の石器の作り方など、わたしたちがネアンデルタール人の真似をしたことを示唆する証拠もある。
二度の氷期を生き延びたネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスが現れると間もなく、消滅したのにも人の優しさで説明できます。
2014年、アメリカ人のチームが過去20万年の問に、人間の頭骨がどのように変化したかを調べて、一つのパターンを突き止めました。その長い年月の問に、人間の顔と体は、より柔和で、より若々しく、より女性的になったというのです。
結局のところ人間は超社会的な学習機械であり、学び、結びつき、遊ぶように生まれついています。ホモサピエンスはより社会的になるように進化するにつれて、コミュニュケーション力を鍛え、さまざまな技術を生み出してきました。ホモサピエンスは進化し、やがて孤立しがちなネアンデルタール人を滅ぼしていったのです。
人類学者のジョセフ・ヘンリックの計算によると、天才族では5人に1人しか釣りのやり方を覚えないことがわかっています。その半分は自分で考え出し、残り半分は他の誰かから教わります。対照的に、模倣族で釣り竿を思いつくのは千人に1人、つまりたった0.1パーセントでしたが、最終的に他の99.9パーセントの人も釣りができるようになります。なぜなら他の模倣族から学ぶからです。
ネアンデルタール人はこの天才族に少し似ていました。一人ひとりの脳は大きかったのですが、全体として賢い行動が取れませんでした。ホモサピエンスはコミュニケーション力で、脳の大きかったネアンデルタール人を追いやることに成功したのです。
それでも人間の本質は善である
人間が一か所に定住し、私有財産を蓄えるようになった時から、集団本能は無害ではなくなった。 資源が限られていることと階層性とが結びついて、 それは急に毒を帯び始めた。そして、 ひとたびリーダーが軍隊を育てて思い通りに動かすようになると、 権力の腐敗は歯止めがきかなくなった。農民と戦士、 都市と国家からなるこの新しい世界で、 わたしたちは他者への共感と外国人恐怖症との板挟みになり、 多くは自らの集団への帰属意識を優先して、 アウトサイダーを排斥した。 この世界でリーダーの命令に背くのは難しかった。 たとえその命令がわたしたちに歴史上の間違った道を歩ませること になるとしても。
農耕によって住民が一か所に定住し、権力者が登場することで性悪説が力を持つようになります。リーダーである権力者は集団への帰属意識を優先し、アウトサイダーを排斥したのです。また、権力者には人々への共感が低いという特徴があり、自分の間違いを正すことができず、これが戦争を加速させたのです。
2014年に、3人のアメリカの神経科学者が「頭蓋刺激装置(TMS)」を使って、権力を持つ人と持たない人の認知機能を調べました。その結果、権力の感覚が、共感において重要な役割を果たす精神プロセス「ミラーリング」(他者の行動や態度を無意識に模倣すること)を混乱させることがわかりました。権力者はミラーリング能力が低いために、自分の意見に固執し、暴走してしまうのです。
もし権力者が、他者とのつながりを普通の人より感じにくいのであれば、彼らがより「冷笑的」なのは不思議なことではない。数多くの研究が示すのは、権力の影響の一つは、他者を否定的に見るようになることだ。
大半の人はなまけ者で信頼できないと権力者は考えることで、人を監督、監視、管理、検閲しようとします。権力者は国民をコントロールすることで、優越感を感じます。
心理学の研究が示すところによると、自分には権力がないと感じる人は、自信を持てません。彼らは意見を述べることをためらいます。集団においては、自分をより小さく見せ、自らの知性を過小評価してしまうのです。こうした自信のなさは、権力者にとっては好都合です。なぜなら、自分を信じられない人々は、権力に刃向かおうとしないからです。
人々を愚か者のように扱えば、国民は自分は愚かだと感じるようになり、一方、権力者は、大衆は愚かで考えることができないと捉え、支配欲を増していきます。
トップに立つと、他者の視点に立とうとする気持ちが薄れる。権力者は、理性に欠ける人やいらだたしく思える人を見つけても、無視するか、処罰、監禁、あるいはもっとひどい扱いをすればすむので、その人に共感する必要はない。また、権力者は自らの行動を正当化する必要がないので、自ずと視野は狭くなる。
羞恥心のない権力者は、もともと権力に溺れているか、あるいは、ごく少数の先天的な社会病質者(ソシオパス)かのどちらかだと著者は指摘します。
そうした人間は、採集生活者の時代には、集団から追放され、置き去りにされて息絶えるしかありませんでした。しかし現代の複雑な社会組織においては、社会病質者は逆に出世の階段を早くのぼることがわかっています。調査によると診断可能な社会病質者は、一般の人々では1パーセントしかいませんが、CEOでは4~8パーセントもいるそうです。
現代の民主主義社会において、恥を知らないことは権力者にとってプラスに働きます。羞恥心に邪魔されない政治家は、他人があえてしようとしないことを、堂々と行うことができるのです。
無恥な人々は無欲ではありません。しかも、無恥な政治家の図々しい振る舞いは、例外的で不合理なものにスポットライトを当てる現代のメディアにとって、格好のネタになります。このタイプの世界でトップに立つのは、友好的で共感力のあるリーダーではなく、正反対の人間、すなわち、恥を知らないせいで生き残った人間だというのです。
視野が狭くなった為政者は国民ではなく、自分のやりたいことにフォーカスします。コロナ禍の中、日本でGo To トラベルなど間違った政策が取られたのもここに理由があります。日本の政治家たちが恥知らずな政策を取れるのも、ミラーリングができないからだったのです。
一部の恥知らずの政治家が権力を握り、一定数の抵抗できない人をコントロールすることで、日本という国家が破滅に向かっているように思えます。著者の多くの主張には共感を覚えましたが、無恥な権力者が跋扈する現代の日本には希望が持てずにいます。
しかし、南米から新たな動きが出ていることに勇気をもらえました。本書で紹介されているベネズエラのトレスやブラジルのポルト・アレグレで行われている市民参加型の政治がそれです。日本人がこの素晴らしい民主主義の新たなシステムに気付き、行動を起こすために、メディアは市民参加型の政治をしっかりと伝えるべきです。
古来、それは真実だ。人生において大切なすべてのものと同じく、信頼と友情、そして平和は、与えれば与えるほど、 より多くを得られるのである。
信頼と交流によって、人は利他的な振る舞いを行えるようになります。南アフリカのネルソン・マンデラと白人のフィリューン兄弟との交流が南アフリカに独立という希望を与えました。「憎しみを友情に変え、仇敵と握手することは可能」であることを南アフリカのケーススタディから学べました。
著者は人間の本質は善であると言います。他者に悪意を感じるのではなく、思いやりの心を持って接することができれば、人生をよりよくできそうです。大半の人が親切で寛大だと考え、対策を練ることで現代のさまざまな難問を解決できるのです。
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