「頭がいい」に騙されるな
池田清彦
宝島社
「頭がいい」に騙されるな (池田清彦)の要約
生物学者で評論家の池田清彦氏は、日本の停滞と衰退の一因を「秀才エリート」に見出しています。彼らは自己利益の追求に終始し、国家や社会全体の発展を顧みないと指摘します。つまり、秀才エリートたちは自身の地位や既得権益の保護を最優先し、国民の生活向上を後回しにしているというのです。
日本を衰退させた秀才エリート
日本人の考える「頭がいい人」の定義が、根本的に間違っているということ。日本式の頭のよさが通用していた時期もあっただろうが、少なくとも現今の世界の状況にはまったく対応できていない。(池田清彦)
日本の国際的地位の低下が止まりません。最新の経済指標によると、日本のGDP値はついにドイツに抜かれ、世界第4位に転落しました。かつて世界第2位の経済大国として君臨した日本の凋落ぶりは、もはや看過できない段階に来ています。この現状に対し、鋭い分析と痛烈な批判を展開しているのが、生物学者で評論家の池田清彦氏です。
池田氏は「頭がいい」に騙されるなで、日本社会の停滞と衰退の根本原因を「秀才エリート」の存在に求めています。彼らは学歴社会のピラミッドの頂点に立ち、政界、官界、財界など社会の各分野で指導的立場にいます。しかし、その実態は自己の利益追求に終始し、国家や社会全体の発展という視点を欠いていると言うのです。
著者の指摘によれば、これらの「秀才エリート」たちは、真の才能ある人々の芽を摘み、結果として国民生活を圧迫しています。彼らの行動様式は、日本社会全体に深刻な悪影響を及ぼしています。
日本の教育は長年、明治以来の旧態依然としたシステムを温存し続けてきました。
平均的な労働者を育てることばかりを優先してきたせいで、アメリカのようにイノベーションを起こすことのできる天才的人材を育てようとしなかったことが、その大きな原因だ。
池田氏は、この教育システムが日本の停滞の根本原因の一つだと指摘します。横並び主義で、平均的な労働者を育てることばかりを優先してきたせいで、アメリカのようにイノベーションを起こすことのできる天才的人材を育てようとしなかったことが、日本の競争力低下の一つの原因になっています。
その一方、優秀な人材の海外流出が増加しています。日本の未来を担う可能性を秘めた天才的な人材が、国内ではなく海外に活路を求める傾向が強まっています。この現象は、日本社会の根深い問題を浮き彫りにすると同時に、国の将来に深刻な影響を及ぼす可能性があります。
「出る杭は打たれる」という古くからの諺が象徴するように、日本社会では独創性や突出した才能が時として抑圧されがちです。この風潮に息苦しさを感じた優秀な若者たちが、より自由な環境を求めて海外に目を向けるケースが増えているのです。
特に顕著なのは、日本の大学よりも海外の大学への進学を選択する学生の増加です。 海外の大学、特に欧米の一流大学は、個性と創造性を重視する教育環境で知られています。これらの大学では、学生の独創的なアイデアが尊重され、イノベーティブな研究や起業への挑戦が積極的に支援されます。
このような環境に魅力を感じる日本の若者が、年々増加しているのです。 彼らの選択は個人としては理解できるものの、国全体の視点から見ると憂慮すべき事態です。なぜなら、この傾向が続けば、日本のイノベーション力が著しく低下する恐れがあるからです。
優秀な人材の流出は、単に頭脳流出にとどまらず、将来的には日本の競争力や経済力の低下にもつながりかねません。
また、教育格差が放置されていることも問題です。この状況が続くと、「格差の再生産」が起こり、学力の格差はますます広がっていくことになります。裕福な家庭の子どもたちは質の高い教育を受けられる一方で、経済的に恵まれない家庭の子どもたちは十分な教育機会を得られないという悪循環が生まれているのです。
しかし、さらに深刻なのは、政府がこの問題の解決に消極的だという点です。著者は。指導層が国民に対して高いレベルの学力を求めていないのではないかと指摘します。「読み書きそろばんができる程度の労働者がたくさんいれば十分だ」という考えが、政策決定者の間で広がっているように感じます。
このような政策は、短期的には産業界にとって都合が良いかもしれません。しかし、長期的に見れば、日本社会全体にとって大きな損失となることは明らかです。イノベーションを生み出し、複雑化する国際社会で競争力を維持するためには、高度な知識と創造性を持つ人材が不可欠だからです。
さらに問題なのは、日本のシステムが「やり直し」を許さないという点です。一度失敗したり、経歴に途切れがあったりすると、その後の人生で挽回するチャンスがほとんどありません。これは、人材の多様性を阻害し、社会の活力を奪う要因となっています。
池田氏の分析の特徴は、その率直さと遠慮のなさにあります。現状の問題点を赤裸々に指摘し、既存の価値観や制度に真っ向から疑問を投げかけます。例えば、政治の世界では、最近噴出した政権与党の裏金問題を取り上げ、政治家たちの腐敗と自己保身の体質を厳しく批判しています。
特権階級の暴走と秀才たちの前例主義が日本を衰退させる?
竹中&小泉による構造改革とは煎じ詰めて言えば、国民は貧乏になっても構わないから立法府の人間と一部の大企業だけが生き残るためにはどうしたらいいかという改革である。
戦後日本の繁栄を支えてきた政治経済システムが、1990年代以降大きく歪み始めました。竹中平蔵氏や小泉純一郎元首相らによる構造改革は、表面上は国家全体の利益を謳いながら、実質的には政治家や一部大企業の存続を最優先したものでした。
この改革を契機に、本来国民全体の繁栄を目指すべき政治経済が、一部の指導者層の利益追求の道具へと変質していったのです。特に最近の裏金問題を見れば明らかですが、本来チェック機能を果たすべき検察やメディアの役割が十分に発揮されず、政治家の暴走に加担しているのが今の実態です。
1990年代半ばから2024年現在に至るまで、日本の政治家たちの多くは、政策の長期的影響を顧みない傾向が顕著です。国家百年の計を立てるどころか、目先の利益にとらわれ、アメリカ追随路線を無批判に踏襲するのみです。国力向上という選択肢すら視野に入らず、ただ自身や支持基盤の短期的利益のみを追求する政治へと堕落してしまいました。
この傾向は財政政策にも如実に表れています。プライマリーバランス改善のため、財務省は安易に消費税増税を繰り返してきました。しかし、増税が経済に与える負の影響についての真摯な検討は、ほとんどなされていません。財務省にとっては単純な収支バランスのみが関心事であり、景気対策は「管轄外」とされているのです。
消費税減税という選択肢が検討されないのも、この思考の延長線上にあります。前例のない政策を実行し、万が一失敗した場合の責任を恐れるあまり、新たな発想や挑戦が生まれにくい風土が根付いてしまったのです。これは日本の官僚システムの最大の弱点であり、変革を阻む大きな要因となっています。
現代日本のエリート層の多くは、受験戦争を勝ち抜き、有名大学を卒業後、官僚や大企業幹部となった人々です。彼らは幼少期から自己の利益追求を最優先する価値観の中で育ち、それが社会に出てからも続いていると著者は指摘します。
官僚全般に言えることだが、自分たちのやった政策がうまくいかなかったとしても、誰も責任は取らない。
秀才型の官僚たちは、前例踏襲型の業務には長けていますが、未知の事態に直面すると途端に機能不全に陥ります。新たな発想や柔軟な対応力を持つ人材が求められる局面で、そういった才能が育つ土壌が失われてしまっているのです。これは1990年代以降の世界経済戦争で日本が敗北を喫した最大の要因の一つと言えるでしょう。
対照的に、この経済戦争で勝利を収めたアメリカでは、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのような型破りな人材が活躍しました。彼らは従来の教育システムや社会規範からはみ出す存在でしたが、イノベーティブなアイデアを生み出し、世界を変える企業を築き上げていったのです。
現在の日本の教育システムでは、このような異才は早い段階で淘汰されてしまう可能性が高いため、なかなか日本ではイノベーションが起こりません。
この状況を打開するには、政治、行政、メディア、大企業といった社会の中核を担う組織における意識改革が不可欠です。従来の「秀才エリート」とされる層による固定的な支配構造を見直し、多様な背景と能力を持つ人材を積極的に登用していくことが重要です。
新しい才能や斬新な発想を受け入れ、それらを活かす環境を整えることで、社会全体の活力を取り戻すことができます。これは単なる人材の入れ替えではなく、組織の在り方や意思決定プロセスの根本的な変革を意味します。 このような変革は容易ではありませんが、避けて通ることはできません。
最終的に、この変革を実現するかどうかは国民の選択にかかっています。政治や経済の仕組みを変えていくためには、有権者一人ひとりが現状を理解し、変革の必要性を認識することが重要です。選挙や様々な社会参加の機会を通じて、国民が主体的に変化を求めていくことが、日本の未来を左右する鍵となるでしょう。
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