「マイナスや退歩などもってのほか、前向きの進歩あるのみ。企業は常に進歩と拡大だ」と。あるいはその逆に、マイナスを主義とし、まじめに働くことを軽視し嘲笑して、ヒッピー的になる。これらはどれもが二への分裂である。悲しいかなこれは人間の通弊であって、人間は必ずと言ってよいくらいにどちらかへ偏るものである。しかしそういうのを、禅では「二見に堕す」といって厳しく戒めている。(森政弘)
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二見に堕すを意識し、正しい解決策を見つけよう!
森政弘氏の退歩を学べ――ロボット博士の仏教的省察の中に、「二見に堕す」という禅語が紹介されていました。資本主義の世の中では進歩こそが正しいと考えられていましたが、この考え方を改めた方がよいというのが著者の主張です。日本人は「進歩」一辺倒で「退歩」を顧みてこなかったために、社会も個人も多くの問題を抱えています。今こそ「退歩してこそ進歩する」という仏教の教えを取り入れて、「陽」と「陰」を協調させることで多くの課題を解決すべきです。
しかし、私たちは物事を二極に分けて考えがちです。右と左のどちらかを選ばないと思いこみ、視点を狭くしています。単純に物事を二つに分けて納得するのをやめて、大きく物事を捉えるようにしましょう。ポジティブな要因とネガティブな要因の両方が思考する際には必要で、それを上手に協調させるようにするのです。車を停止するときにアクセルとブレーキを使い分けるように、進歩と退歩、プラスとマイナスを意識し、課題を解決するようにするのです。
退歩を学べ ロボット博士の仏教的省察 |
動いたら休む、進歩と退歩から日常を捉えよう!
対立概念を超えたところに真の解決がある。
プラス思考、ポジティブ思考だけでは二見に堕してしまいます。ゆえに陰である退歩が求められるのです。氷が溶けたら水になるという当たり前の答えを出すのではなく、氷が溶けたら春になると答える余裕が欲しいものです。仏教では氷が溶けると仏になると答えるのが上等とされています。凡人の心はカチカチに氷ついて、身動きが取れずに苦しんでいます。一方、仏の心は水のように自由自在なので、良い回答を見つけられるのです。働きすぎで凍りついた心を溶かすために、私たちは退歩を取り入れるべきです。アイデア作りでも退屈な時間が必要ですから、ボーッとする時間を持つようにしましょう。
苦しいときにも心に余裕を持つこと、自分が主体になり内側発想することで人生を楽しめるようになります。良い行いのためには自分の心が大事になります。一切の先入観を捨てて、瞑想することで自分の内面との対話ができるようになります。心が乱れていると人は悪い選択をしますが、心を落ち着かせることで良い選択ができるようになります。善悪は心が作り出すのですから、心を整える時間を持つべきです。瞑想という退歩を人生に取り入れることで私たちは幸せになれるのです。心が落ち着くことで物事を善転できるようになるという仏教の教えを本書のおかげで自分ごと化できました。森政弘氏の三性の理の説明はとてもわかりやすかったので、こちらもどこかでご紹介したいと思います。
まとめ
物事を二つに分けて、どちらかを選んでいると良い答えが見つかりません。アクセルとブレーキがあるから車を上手に運転できますし、新幹線も早く走れるのです。これを日常に当てはめると人生をよりよくできます。インプットばかりではなく、アウトプットを意識したり、知識を詰め込んだら、脳を休ませるようにすべきです。働きすぎたと感じたら、休息や瞑想によって自分を休ませないと心と体が壊れてしまいます。効率一辺倒の考え方をやめて、自分を思いやり、正しい選択ができるようにしましょう。
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