心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」の書評を続けます。
断捨離に関するブログを先日も書きましたが
心の安寧を保つためには捨てるという選択肢が欠かせないようです。
心配事の9割は起こらないには、執着が心を曇らせると以下のように書かれています。
禅の教えにを勉強することで、悩みから解放されそうです。
禅に「喜捨」という言葉があります。「惜しむことなく喜んで捨てる」ということですが、お寺や神社でお實銭を投げることを、こう表現するのです。大切なお金を、なぜ、喜んで捨てられるのか?それは、「ひとつ捨てることは、執着からひとつ離れること」だからです。執着は心を曇らせる最たるものですから、捨てることは喜ぶべき行為なのです。
また、お金やモノへの執着だけでなく、人間関係も多くの悩みをもたらします。
いえ、もしかすると、人間関係、コミュニケーションこそが
我々、現代人にとって、最大の悩みの素かもしれません。
ソーシャルメディアを使うことで、日々、私たちは仲間の行動を
リアルタイムに可視化できるようになりました。
以前に比べ、はるかに人との関係が多様になり、複雑になっています。
そして、彼らの投稿から妄想がふくらみ、変な猜疑心が生まれることもあります。
リアルだけでなく、四六時中、ソーシャルメディアでつながることで
人との関係を意識するようになってから、私たちの悩みは増えているのです。
人との関係を意識するようになってから、私たちの悩みは増えているのです。
ソーシャルメディアの投稿のみで、人を判断してしまうと
迷いが生まれ、相手を疑ってしまうこともあります。
これではパートナーやチャンスを失うことにもなりかねません。
絶えず、ソーシャルメディアで出会えるようになって
友人の数は確実に増えていますが、ネットワークが拡大しても
一方で悩みが増えるだけでは、余計に疲れ、意味がありません。
一方で悩みが増えるだけでは、余計に疲れ、意味がありません。
人をしっかりと見る目を鍛え、良好な人間関係を持ていないと
無駄な時間ばかりが過ぎていくのです。
ソーシャルメディアの投稿があまり上手でなくても
人間性が優れた方は多くいるはずですし
逆に、ソーシャルメディアの投稿が素晴らしくても
リアルのコミュニケーションが?マークの方もいるはずです。
書籍心配事の9割は起こらないで、枡野俊明氏は
人を判断する際に色眼鏡をかけないことが大事だと書いています。
色眼鏡をかけずに、よい仲間との良質なコミュニケーションを心がければ
人を見誤ることも減るはずですから、悩みではなく、果実を手に入れられるはずです。
以下、書籍から枡野氏の言葉を引用します。
禅では「色眼鏡をかけない」という言い方をします。先入観のみで人を判断することを強く戒めています。「情報」だけで、あるいは、相手の一面だけを見て抱いた嫌な感情、否定的な思いをもって、全人間性を決めつけてしまったら、その人を見誤ることは必定です。まず、自分から色眼鏡を外すことです。
ソーシャルメディア時代に生きる私たちは、今まで以上に
相手へのまなざしに気をつけねばなりません。
表面的なソーシャルの友人の甘い言葉よりも
よい心を持って、厳しいことを言ってくれる仲間を見極めないと
うわべだけの付き合いだらけになり、人間の成長を止めてしまうのです。
相手へのまなざしに気をつけねばなりません。
表面的なソーシャルの友人の甘い言葉よりも
よい心を持って、厳しいことを言ってくれる仲間を見極めないと
うわべだけの付き合いだらけになり、人間の成長を止めてしまうのです。
色眼鏡を外した透徹したまなざしなら、ふとした瞬間に相手が垣間見せる仏性(真の姿)を見逃すことはありません。相手の違った面が発見できたら、ソリが合わない上司は厳しいけれど自分に眼をかけてくれる上司に、信用できない友人はおおらかで愛すべきおっちょこちょいな友人に、自分を遠ざけている隣の奥さんは人見知りだけれど控えめで心やさしい隣の奥さんに、「よき変貌」を遂げることになったりします。人に対する好ましくない感情やネガティブな評価の背景には、実は色眼鏡をかけた自分がいるのだということを知ってください。それを外したら、見え方はガラリと変わったものになるでしょう。
人に対しての、ネガティブな感情を捨てることで
よい人間関係を構築できれば、間違いなく悩みは減らせそうです。
ソーシャリアルで色眼鏡をかけないよう、自分の判断基準を明確にしたいものです。
よい人間関係を構築できれば、間違いなく悩みは減らせそうです。
ソーシャリアルで色眼鏡をかけないよう、自分の判断基準を明確にしたいものです。
新刊ソーシャルメディアを武器にするための10カ条もよろしくお願いします。
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