遅かれ早かれ、ビジネス界の基本的なものは変わる。(アンディ・グローブ)
インテルの元CEOのアンディ・グローブが先日死去しました。
1968年にロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏が創業したインテルに
3番目の社員としてアンディは入社しました。
彼は攻撃的な性格で、大胆な変化を好み
インテルのビジネスモデルを徹底的に変えていき
インテルを成長させた人物として有名です。
ハンガリーのユダユ人として、第二次世界大戦時には悲惨な体験をし
1956年のハンガリー動乱の際にアメリカに単身亡命し、自分の人生を自ら変えていくのです。
彼は変化を厭わず、チャレンジすることで、自分とインテルを成長させていったのです。
インテルは1985年にDRAM事業からの撤退を決め、新たなチャレンジをスタートします。
DRAMの市場環境は、日本企業との闘いでレッドオーシャン化していたため
パソコンに搭載されるマイクロプロセッサー(CPU)のマーケットを選択します。
これが功を奏します。
IBMが、インテルのマイクロプロセッサーを
OSにマイクロソフトのMS-DOSを採用することを決めたことで
強力なWintel連合が形成されるのです。
この結果、インテルとマイクロソフトはパソコン分野で
圧倒的な競合優位を確立していくのです。
有名なインテルインサイドがこのときのアンディの選択からスタートするのです。
グローブは、変化に対して敏感でした。
不可能を可能にしてきたと現CEOのブライアン・クルザニッチは言っています。
以下、日本経済新聞より引用します。
アンディは幾度となく不可能を可能にし、何世代もの技術者や起業家、ビジネスリーダーに影響を与えた。(ブライアン・クルザニッチ)
また、攻撃的な性格が嫌われることも多かったようですが
部下や若い経営者の指導には定評があったようです。
彼の部下を自ら指導する「ハイ・アウトプット・マネジメント」 は有名で
HARD THINGSを書いたベン・ホロウィッツも彼を理想的な経営者だと評しています。
「部下を叱り飛ばし、命令を死守させる」というアンディの姿勢が
インテルを何度も危機から救い、巨大な企業に成長させたのです。
インテルが競争の激しいアメリカのIT業界でいつも輝いていた理由は
アンディ・グローブの「ハイ・アウトプット・マネジメント」があったからなのです。
アウトプットが出ないマネジメント、目的がないマネジメントはありえない。(アンディ・グローブ)
激しい叱責の裏には、アンディの論理的経営という基盤と明確な目的があったのです。
変化しなければ、生き残れない時代の今だから、余計にアンディ・グローブの言葉が響きます。
今回の訃報がきっかけになりましたが、アンディ・グローブについて再度学びたくなりました。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
(今回のブログは、GQの記事を参考にしました。)
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