教育の超・人類史~サピエンス登場から未来のシナリオまで(ジャック・アタリ)の書評

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教育の超・人類史~サピエンス登場から未来のシナリオまで
ジャック・アタリ
大和書房

教育の超・人類史(ジャック・アタリ)の要約

ジャック・アタリは、人類が知識を伝える動機を個人的利益と使命感に見出しています。彼は、知識の蓄積によりホモ・ハイパーサピエンスへと進化することで、多くの現在の課題を解決できると言います。この進化した人類は、非暴力で自由、共感的で文化的、そして創造力豊かな存在になる必要があるのです。

ジャック・アタリが明らかにした日本の教育の問題点

世代間で知識を伝承すること、つまり、過去から未来を築くことが教育の役割だが、教育を通して未来を占うことは難しくなった。(ジャック・アタリ)

ジャック・アタリ教育の超・人類史~サピエンス登場から未来のシナリオまでは、人類の進化と文明の発展における教育の役割を深く探り、現代社会が直面する教育の課題と可能性を鋭く分析しています。アタリは本書で、教育が過去から未来への知識の伝承を通じてどのように人類社会を形作ってきたかを描いています。

本書の特筆すべき点は、世界の教育史を非常にわかりやすくまとめていることです。第1章から第6章にかけて、世界の教育の歴史が詳細に説明されており、この1冊で教育史の概要を把握できるようになっています。

アタリは、未来の予測は困難を極めると指摘します。これは、かつては職業が安定していたのに対し、現代ではテクノロジーの進化が早く、将来どのような職業が存在するのかが見えないためです。

さらに、不確実性が高まり、将来の世代にどのような脅威や課題が待ち受けているのかも非常に不透明になっています。そのため、教育も時代の流れに応じて柔軟でなければならず、社会のあらゆる階層の子供や大人、男女問わず、教育に関心を持つ必要があります。

今日の世界、特に日本では、急速なテクノロジーの進歩が大きな課題となっています。若者たちは読み書きから遠ざかり、SNSやビデオゲームに時間を費やすことが増えています。これらの新しいテクノロジーは一方で未来を切り開く可能性を秘めていますが、すべてが教育に資するわけではありません。国民の生活水準を守るためには、教育にしっかりと投資し、教育水準を維持し続ける必要があります。

日本の未来の教育は、地政学、文化、教育学、テクノロジーなどを考慮して発展させる必要があります。 特にAIとブレインテックは、教育に多大な影響を及ぼすことが予想されます。これらの新しい分野の教育では、教師と保護者に対するこれまでにない研修や、斬新な教育法の開発が求められます。

今日、世界で最も優れた教育制度として知られているのはフィンランドとシンガポールのものです。これらの国々の教育システムは、最新の教育学の知見を取り入れつつ、自国の文化的ニーズや特性を考慮に入れた独自のアプローチを展開しています。

両国の成功の鍵は、教育への潤沢な公的支出にあります。この投資により、教育機関の整備や、教師の待遇改善が可能となったと言います。2つの国では教師の社会的地位が高く、尊敬されています。その地位にふさわしい給与や福利厚生が保証されているため、優秀な人材が教職に就くことを希望し、長く続けることができます。

このような教師への高い評価と待遇は、日本の現状とは大きく異なります。日本では、教師の仕事の重要性は認識されているものの、必ずしもそれに見合った社会的地位や経済的待遇が保証されているとは言えません。

さらに、これらの国々では生涯教育の概念が深く根付いています。家族全体、さらには国民全体に対して、生涯を通じて学び続ける機会が提供されています。この包括的なアプローチにより、社会全体の知的レベルの向上と、急速に変化する世界への適応力の強化が図られています。

インターネットやビデオゲームへの過度の依存は、世界中の教育者たちが懸念を抱いている問題です。これに対し、読書や手書きの奨励など、伝統的な学習方法の価値を再評価する動きが見られます。これらの活動は、深い思考力や創造性の育成に寄与すると考えられています。

また、過度の競争激化を緩和し、個人のテスト結果にあまり重きを置かないようにすべきです。代わりに、将来社会で必要とされる資質の育成に焦点が当てられています。具体的には、創造力、独創性、意欲、努力、粘り強さ、危機感、へこたれない精神、情熱、親切心、共感力、チームワークの精神、長期的な視野などが重視していくべきです。

グローバルの教育がダメになっている理由

ビデオゲームに興じる若者は、無駄な競争にエネルギーを浪費し、過激な暴力に翻弄され、常に刺激されていないと注意力を保てない。このようにして、学習に必要なすべての資質が破壊されてしまう。

現代の教育界は、新たなテクノロジーと人口動態の変化という2つのペインに直面しています。この状況下で、世界の教育システムは深刻な課題があるとアタリは指摘します。

まず、TikTokやビデオゲームの普及が若者の学習能力に与える影響が懸念されています。スマホやゲームに没頭する若者は、無意味なことに時間やエネルギーを費やし、過激な暴力表現に影響され、常に刺激がなければ集中力を保てなくなる傾向があります。これらの要因により、学習に不可欠な資質が損なわれる可能性があります。

さらに、世界中で教師の社会的地位の低下が問題となっています。教師の給与が比較的高いドイツでさえ、教職の魅力が薄れています。高学歴の若者たちは、給与に見合わない社会的責任の重さや、反復的な業務を敬遠し、教職に就くことを躊躇しています。この問題は日本でも起こっており、先生の質が下がっていると言われています。

こうした状況を背景に、世界各地で私立の教育機関が急増しています。現代の親たちは、子供の教育のためなら高額な授業料も厭わない傾向にあります。その結果、民間の教育サービスは急成長し、最も収益性の高い経済分野の一つとなっています。

しかし、この傾向は教育の格差を拡大させる要因ともなっています。最高水準の教育を受けるのは依然として富裕層や権力者の子弟であり、カリキュラムの決定権も彼らが握っています。

グローバル化が進む現代社会において、エリート層の形成と影響力は依然として顕著です。世界各国の名門大学で学び、国際的な高級住宅地に居住するグローバル・エリートたちは、国境を越えてネットワークを形成し、世界規模で権力と富を追求しています。 彼らの多くは、同じような教育背景と価値観を共有し、国際的な企業や機関で要職に就いています。

このようなグローバル・エリートたちは、世界経済や政治の舵取りに大きな影響力を持っており、時には国家の利益よりも自身のネットワークや利益を優先する傾向も見られます。

一方で、このようなエリート層の台頭は、社会の分断をさらに深刻化させる要因となっています。日本においても、近年、貧富の差が拡大しつつあります。かつては「一億総中流」と言われた日本社会ですが、今や格差社会へと変容しつつあります。

特に問題なのは、教育の機会の格差です。経済的に余裕のある家庭の子どもたちは、幼少期から質の高い教育や海外経験を得る機会に恵まれています。一方で、経済的に厳しい家庭の子どもたちは、そのような機会を得ることが難しく、結果として将来の選択肢が限られてしまう可能性があります。

さらに、この格差は世代を超えて固定化される傾向にあります。親の経済力や学歴が、子どもの教育機会や将来の職業選択に大きな影響を与えているのです。これは社会の流動性を低下させ、機会の平等という民主主義の理念を脅かす可能性があります。 このような状況に対し、教育の機会均等を保障するための施策が求められています。

この状況は、社会の分断をさらに深める可能性があります。 教育界は、テクノロジーの急速な進歩と人口構造の変化という2つの大きな変革の波に翻弄されています。これらの変化は、教育の不平等をさらに拡大させる恐れがあります。教育関係者たちは、誰に何をどのように教えるべきかという根本的な問いに直面し、拡大する格差にどう対処すべきか苦慮しています。

ジャック・アタリが指摘するこれらの課題は、グローバル社会における教育の未来に重要な示唆を与えています。テクノロジーの進歩と社会の変化に適応しつつ、教育の質と公平性をいかに確保するかが、今後の教育政策の重要なテーマとなっています。

ジャック・アタリの教育における3つの未来予測

歴史を紐解くと、知識の伝達は人類社会の根幹を支える重要な営みでした。学校という制度が確立される以前から、人々は様々な方法で次世代に知恵を伝えてきました。19世紀中頃まで、教育の大部分は家庭や職場で行われていました。しかし、この時代の教育には大きな課題がありました。特に女性は学ぶ機会をほとんど持てず、多くの学びの場では虐待が横行していたのです。

教育の歴史において、技術の進歩が果たした役割は極めて大きいものでした。中国での紙の発明は、知識を記録し伝達する方法に革命をもたらしました。また、ヨーロッパでの宗教改革と印刷技術の発達は、より多くの人々が書物にアクセスできるようになり、教育の民主化に大きく貢献しました。

アタリは、3つの未来の教育シナリオを描いています。彼の分析は、サピエンスの誕生から現代、そして未来までを一貫して見通す超歴史的な視点を特徴としており、この長期的な視点は教育の本質的な役割とその進化を理解する上で非常に有益です。

まず、1つ目は「無知な蛮行」というシナリオです。

多くの文明は最盛期に達したときに知識の伝達様式が衰退して崩壊したことがわかる。私が呼ぶところの「無知による蛮行」の勝利こそ文明の崩壊だ。

現代社会でも、特に成人後に学習や思考に費やす時間と意欲が減少している傾向が見られ、この問題を軽視すべきではないと警鐘を鳴らしています。さらにテクノロジーの進化によって学校の信用が失われると言います。

このシナリオでは、2050年には多くの貧困国の子供が学校に通えなくなるか、過密状態の学校でしか学べなくなります。これらの学校では、教師が過剰労働を強いられ、時代遅れの知識を非効率に教えるため、教師はさらに不人気な職業になります。その結果、人類の少なくとも3分の1は読み書きや計算ができなくなると言います。

進学校や有名大学に通うのは富裕国の富裕層と貧困国の超富裕層の子供だけになります。富裕国の貧困層の子供はまだ学校に通えますが、学ぶのは最低限の知識だけです。彼らにはやりがいのある学問や意義の高い仕事に就く機会が訪れません。

貧困国の中流階級と中進国の貧困層は、子供を授業料の高い私立学校に通わせるために多大な犠牲を払います。残りの子供たちは、懲罰が横行する託児所に押し込められ、その後、単純作業を強いられる辛い仕事に就かざるを得ません。アタリは、このシナリオが現実になると文明が崩壊すると述べています。

次に、「人工物による蛮行」というシナリオでは、テクノロジーの発展に伴う教育の変化を論じています。遠隔ツールによる学習の普及により、人間関係を学ぶ場が減少するリスクを指摘する一方で、学習者が自分のペースで選択した内容を学べるという利点も挙げています。

このシナリオは、デジタル化が進む現代の教育の課題と可能性を如実に表しており、テクノロジーの利点を活かしつつ、人間的なつながりの重要性をいかに維持するかという問いを投げかけています。社会が学校のない世界を選ぶことで、学びは孤独な活動になります。

もし社会がこのような進化を受け入れるならば、人間の精神には壊滅的な悪影響が及びます。読む、書く、数学、物理、歴史、地理、文学、音楽、デッサンを学ぶ際に活性化される脳の部位が刺激されなくなります。

また、基礎知識が不足するため、自分で思考するための基盤がなくなり、問題を設定したり疑問を探求したりする能力が失われてしまいます。将来の若者は機械を通してしか会話できなくなり、他者の表情や身振りに込められたニュアンスをくみ取ることができなくなります。結果、知識の発展に必要な基本的なスキルが失われてしまうのです。

アタリの未来予測は、さらに進んだテクノロジーの影響も考慮に入れています。やがては、脳神経科学や遺伝子操作などの先端技術によって、人間の知的能力を直接的に向上させることが可能になります。この「人工物の蛮行」とも言えるサービスは、社会に大きな影響を与える可能性があります。

このイノベーションがもたらす結果として、アタリは社会の階層化がさらに進む可能性を指摘しています。最先端の能力増強サービスは、まず経済的・社会的エリート層に提供されるでしょう。彼らは最新の科学技術を駆使して自らの知的能力を飛躍的に向上させ、さらなる優位性を獲得することになります。

一方、中間層は、エリート層ほど高度ではないものの、ある程度の代替的な能力増強サービスを手に入れることができるかもしれません。これにより、彼らは現状を維持するか、あるいはわずかに地位を向上させる機会を得るでしょう。しかし、エリート層との格差は依然として大きく、追いつくことは困難を極めると予想されます。

最も懸念されるのは、社会の底辺に位置する大衆の運命です。著者の予測によれば、彼らはこれらの先端技術から完全に取り残され、従来以上に抑圧された状態に置かれる可能性があります。知的能力の格差が拡大することで、社会的・経済的機会の不平等もさらに顕著になります。

最後に、アタリが最も理想的と考える「ホモ・ハイパーサピエンスと超集合知」のシナリオを提示しています「ホモ・バルバリクス(蛮人)」は技術に支配された野蛮な人類を、「ホモ・ハイパーサピエンス」は技術を賢明に活用する超知的な人類を表しています。これらのシナリオは、教育の重要性と私たちの選択の結果を鮮明に示しています。 アタリは、現代が「一人ひとりが知識を育てる時代」になったと指摘しています。

無数のホモ・サピエンスが蓄積してきた知識により、人類はいつの日かホモ・ハイパーサピエンスになることができると考えてい るからに違いない。ホモ・ハイパーサピエンスは、ホモ・サピエンスが自分たちでは手に負えないために自問しようとしない難問に対する回答を見出すはずだ。なぜ人類は次世代に知識を伝達するのか。それは人類が叡智を尊ぶ道筋を歩めば、次世紀において人類存亡の機を脱し、宇宙の遥か彼方まで旅をすることができると信じているからだ。

アタリは、人類が知識を次世代に伝えるのは、個人的な理由だけではなく、より大きな使命感からだと言います。人類は知識の蓄積によって将来的にホモ・ハイパーサピエンスへと進化し、現在の人類では解決できない問題に答えを見出せると考えています。

この進化した人類は、非暴力で自由、共感的で文化的、そして創造力豊かな存在になると期待されています。知識の伝達を続ける理由は、人類が叡智を尊ぶ道を歩めば、存亡の危機を脱せるはずだという信念に基づいています。ホモ・ハイパーサピエンスが「集合知」を生み出すプロジェクトに取り組むことで、現在のAIよりもはるかに強力で、知識を急速に深めていけるはずです。

人類は常に変容し続けるため、絶えず自分たちに知識を伝達し続けるでしょう。同時に、人工物をコントロールし、善の立場を保ち、自滅的な行為を避けるために闘い続ける必要があります。このプロセスを通じて、知識の集合体がさらに進化し、「超意識」を生み出す可能性があります。

著者は、この超意識が悪に染まることはないと信じており、人類が過去の過ちから学び、意識を変革することを望んでいます。 このビジョンは、人類の知識伝達の深い意義と未来への希望的な展望を示しています。それは単なる生存のためだけでなく、人類全体の進化と宇宙規模の探求を見据えた壮大な構想になっています。

アタリの分析の特徴は、人類の歴史を壮大なスケールで捉える点にあります。サピエンスが誕生した太古の時代から現代を経て、さらに未来へと続く長い時間軸で人類の発展を見通しています。この超長期的な視点は、教育が果たしてきた根本的な役割と、それが人類の進化に伴ってどのように変容してきたかを理解する上で、大変貴重な洞察を提供しています。

人類の知識伝達は、単なる個人的な利益や生存のためだけではなく、より高次の存在へと進化し、現在の限界を超えるための手段とされています。この過程で、非暴力で共感的な社会が形成されることが期待されており、文化的で創造力豊かな未来が描かれています。知識の継承は、人類が常に自らを改善し続け、過去の過ちを乗り越えるための重要な要素であり、最終的には「超意識」によるさらなる進化を目指す壮大なプロジェクトとなっています。

本書の巻末に記された20の提言は、読者に深い印象を与えるものです。これらの提言を通じて、私たちは読書と学びの重要性を改めて認識できます。知識を得ることは、単に個人の成長のためだけでなく、社会全体の発展にとっても不可欠なのです。

特に注目すべきは、非暴力の姿勢を維持するための方法です。アタリは、常に疑問を持ち続けること、そして心を落ち着かせるための瞑想の実践を推奨しています。これらの習慣は、私たちが平和的で思慮深い存在であり続けるための重要な手段となります。

さらに、著者は学びの喜びを次世代に伝えることの重要性を強調しています。知識を獲得し、それを他者と分かち合う喜びは、人類の進歩に不可欠な要素です。この喜びを若い世代に伝えていくことで、私たちは人類の知的・精神的な発展の連鎖を維持し、強化することができるのです。

本書は、私たちに教育と学びの本質的な価値を再認識させ、それを未来に向けて継承していく重要性を教えてくれます。それは個人の成長だけでなく、人類全体の発展と進化にとって欠かせない要素なのです。

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この記事を書いた人
徳本

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
IoT、システム開発のビズライトテクノロジー 取締役
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数 

■著書
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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