西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか
エマニュエル・トッド
文藝春秋
西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか(エマニュエル・トッド)の要約
ウクライナ紛争は国際社会の新たな二極化を加速させています。一方の極には西洋諸国とその同盟国があり、他方の極にはロシアを中心とした反西洋的な国々が集まっています。ただし、冷戦時代のような単純なイデオロギー対立ではなく、経済的、地政学的利害を背景とした対立構造が目立っています。
ロシアがウクライナに勝利する理由
ロシアは、交渉、休戦、紛争の凍結など相手に時間的猶予を与えてはならず、限られた時間でウクライナを屈服させ、NATOに勝利する必要があるのだ。ワシントンは、もはや幻想を抱いている場合ではない。モスクワは勝利のみを望んでいる。(エマニュエル・トッド)
アメリカという軍事超大国が直面する構造的危機は、単なる国内問題ではなく、世界全体の安全保障環境に直接的な影響を及ぼしています。特に2023年6月に報じられたアメリカ国防総省の一連の報告書は、この危機の深刻さを改めて浮き彫りにしました。
ウクライナ戦争を通じて明らかになったのは、アメリカの軍事力の象徴とも言える軍需産業が深刻な問題に直面しているという事実です。 アメリカの経済構造には、一見すると盤石な強みがあるように見えます。
GAFAといったテクノロジー企業や、豊富な天然ガス資源、そしてシリコンバレーやテキサスといった地域の活力は、アメリカ経済の先進性や革新性を象徴しています。しかし、この強みは同時に極端な二極化を反映しており、その間に横たわる「製造業」の脆弱さがアメリカ経済の難点として浮かび上がっています。
例えば、アメリカはNATOの標準兵器である155ミリ砲弾の生産ですら十分に賄えない状況に直面しています。この事態は単なる兵器の不足を意味するものではなく、アメリカが伝統的な意味での工業基盤を喪失しつつあることを示しています。
さらに、種類を問わず、ミサイルの生産能力が低下していることも次第に明らかになっています。これらは、アメリカの軍需産業が長期的に抱えてきた課題が顕在化した結果と言えるでしょう。
特にウクライナ戦争において、アメリカは同盟国であるウクライナに必要な基本的な軍需物資すら安定的に供給できない状況にあります。この現実は、アメリカが軍事大国としての地位を維持する上で欠かせない「生産力」が著しく衰退していることを物語っています。
生産力の低下は単なる産業の問題にとどまらず、国家安全保障の根幹を揺るがす構造的な危機へと発展しているのです。
この現象はまた、アメリカを中心とする西洋諸国の抱える構造的矛盾を象徴しています。経済的にはグローバル化と技術革新を推進し、抽象的なデジタル分野での競争力を高めてきた一方で、基礎的な工業力や製造能力を軽視してきた結果が、軍需産業における脆弱性となって現れています。
ウクライナ戦争が浮き彫りにしたのは、現代の戦争がいかにして「持続可能な工業力」に依存しているかという事実です。いかに高性能な武器やシステムを保有していても、それらを生産し続ける能力がなければ、戦争を長期的に遂行することはできません。
戦争勃発前、ロシアとベラルーシを合わせた国内総生産は、西洋諸国全体のわずか3.3%に過ぎませんでした。しかし、この経済規模の小さい国々が兵器生産能力において西洋諸国を凌駕している事実は、従来の国際秩序と経済理論の根幹を揺るがす問題を提起しています。
第1に、ウクライナ軍への物資供給不足は、西洋諸国の戦略的目標達成を著しく阻害しています。砲弾の供給や兵器生産の遅滞は、ウクライナ軍の戦闘能力を直接的に損ない、戦況全体をロシア優位に傾斜させるリスクを拡大させています。この供給不足は、単なる生産効率の問題ではなく、アメリカおよび西洋諸国の軍事産業が抱える本質的な構造問題の表れとなっています。
第2に、GDPに依拠した西洋の政治経済学の限界が明確になっています。GDPは長年、経済力や国家の影響力を示す主要指標として重視されてきました。しかし今回の事例は、その数値が実際の国力を正確に反映していないことを証明しています。経済規模で圧倒的優位にある西洋諸国が、戦争遂行能力において劣位に立たされている現実は、GDPという概念の時代的限界を如実に示しています。
フランスの知識人エマニュエル・トッドは、この状況を詳細に分析しています。彼の視点によれば、ロシアの抵抗は単なる地政学的な対立を超え、西洋の支配的価値観や構造そのものへの根本的な挑戦として位置づけられています。特に注目すべきは、ロシアが「国民国家」としての特性を維持しながら、物資供給や兵器生産において確固たる地位を保持している点です。
トッドは、ロシアの核戦力、とりわけ超音速ミサイルの存在を重視しています。この技術的優位性は、アメリカやNATO諸国に対して決定的な戦略的アドバンテージをもたらしています。さらに、ロシアの軍事ドクトリンにおける戦術核使用の可能性は、その抑止力を一層高めています。
経済面においても、トッドは興味深い分析を展開しています。西側諸国がウクライナに武器を供与しながら、自国の人員投入を回避する現状を、グローバル化の論理の戦争への波及として捉えています。この構図は、低賃金国への生産依存という経済構造と本質的に通底しています。
さらに注目すべきは、ロシアへの制裁が意図せざる結果を生んでいる点です。制裁は国際的孤立をもたらすどころか、非西側諸国のロシアへの共感を促進しています。中国、インド、イラン、サウジアラビアといった国々が、ロシアの掲げる「国民国家の主権」という価値観に理解を示していることは、その証左となっています。
ロシアの歴史的な変遷において、とりわけ注目に値するのは、共産主義崩壊以降に見せた驚くべき回復力と適応能力です。この過程は3つの大きな転換点によって特徴づけられています。第1に、ソビエト連邦の突然の崩壊という激震です。
第2に、その後の驚くべき速さでの経済的立て直しです。そして第3に、最も注目すべき点として、2014年のクリミア戦争を契機とする経済制裁への対応力です。 特筆すべきは、西側諸国による度重なる制裁が、意図せざる結果としてロシアの産業構造の再編を促進した点です。
各制裁の枠組みは、ロシアに産業の再転換の機会を提供し、西側市場への依存からの脱却を可能にしました。この過程で、ロシアは独自の産業基盤を強化し、経済的な自立性を高めることに成功しています。 この文脈において特に重要なのは、いわゆる「プーチン・システム」の本質的な安定性です。
この安定性の源泉は、単なる一個人の指導力にあるのではなく、ロシアの歴史的な発展過程から必然的に生まれた社会システムにあります。ワシントンが固執するプーチンへの反乱という期待は、現実的な基盤を持たない幻想に過ぎません。このような思考は、プーチン政権下でロシアの生活水準が実質的に向上したという客観的事実を直視せず、ロシアの政治文化が持つ固有の特質を認めようとしない西洋的な現実否認の表れとなっています。
この認識の齟齬は、西洋諸国の対ロシア政策の有効性を著しく損なっています。制裁によってロシアの国内体制が崩壊するという想定は、ロシア社会の強靭性と適応力を過小評価した結果といえます。むしろ外圧は、ロシアの国家としての一体性をさらに強化し、独自の発展経路を加速させる触媒として機能しているのです。
ゾンビ化するアメリカ
私たちがアメリカを愛しているということだ。アメリカはナチズムを打ち破った国の1つで、私たちに繁栄と逸楽への道を示してくれた。したがって、今日、アメリカが貧困と社会のアトム化につながる道を辿っているという見方を完全に受け入れるには、ニヒリズムの概念が不可欠になってくるのである。
20世紀に入り、信仰そのものは希薄化したものの、道徳や文化としての宗教の残滓が社会に残る「ゾンビ・プロテスタンティズム」が主流となりました。しかし、エマニュエル・トッドは、この「ゾンビ状態」を世俗化の最終段階とは考えていません。
彼は、宗教から継承された慣習や価値観はやがて衰退し、最終的には完全に消滅する運命にあると予測しています。 その先に見えてくるのは、いかなる集団的な信仰も持たない個人が社会を構成する「宗教の絶対的虚無状態」、すなわち「宗教のゼロ状態」です。
トッドによれば、国民国家の解体とグローバル化の完全な勝利は、この段階で初めて実現するのです。この分析は、現代社会が直面する精神的・文化的危機の本質を鋭く突いています。西洋諸国における宗教の衰退と個人主義の極限化は、単なる文化的な現象にとどまらず、国際秩序そのものの根本的な変容を示唆する重要な指標と捉えられます。
この視点は、軍事的・経済的な危機とも密接に関連しており、西洋社会が抱える構造的な脆弱性を多面的に説明するものとなっています。
アメリカにおけるプロテスタンティズムの「ゾンビ局面」は一時的に非常にポジティブな影響をもたらしました。大雑把に言えば、ルーズベルト大統領からアイゼンハワー大統領までの時代は、福祉国家の建設や質の高い教育を提供する大学の普及、そして世界中を魅了する楽観的な文化が花開いた時代でした。
この時期のアメリカは、プロテスタンティズムのポジティブな価値観である高い教育水準や白人間の平等主義を復権させ、ネガティブな価値観である人種差別や厳格主義を排除しようと試みていました。
しかし、現代のアメリカが直面している危機は、「宗教のゼロ状態」への到達を意味しています。この現実こそが、トランプ現象やバイデン大統領の外交政策、さらには国内での泥沼化や外部への誇大妄想的な行動、そして自国民および他国民に対するアメリカシステムの暴力などの現象を理解する鍵となるのです。
さらに、アメリカの40代、50代の白人の死亡率が増加しているという傾向も、こうした社会の変化と密接に関係しています。特に近年のアメリカにおける平均余命の低下は、1980年以降の新自由主義時代における経済成長の鈍化と歩調を合わせたものです。
そしてコロナ禍以降、他の先進国に見られたような素早い回復はアメリカでは見られず、むしろコロナは国内の人種・民族間の格差をさらに広げ、以前から悪化傾向にあった状況を一層加速させてしまったようです。
トッドの分析は、現代社会が抱える精神的・文化的危機を理解するうえで重要な示唆を与えています。宗教がその影響力を失い、集団的な価値観が崩壊していく中で、個々の人々がどのようにして生きる意味を見出し、社会を支えていくのかが問われています。国際秩序や経済の変動に加え、人々の内面の変化が今後どのように進むのか、その行方を見定める必要があります。
西洋とロシアの相互認識の問題は、現代の国際関係における根本的な課題を提示しています。西洋諸国が自らの価値観や社会システムを普遍的なものとして押し付けようとする姿勢は、むしろ国際社会における分断を深める結果となっています。
2極化する世界。衰退する西洋諸国
ネオコンたちの夢の中で、もし利益があるとすれば、それはロシアを人口面で疲弊させることにある。しかし、いかなる結末を迎えようとも、それはウクライナの国民国家を強固にすることにはつながらない。むしろ破壊することになる。
ウクライナ紛争を巡る国際社会の反応は、これまでの西洋的価値観や国際秩序の枠組みが揺らいでいることを明確に示しています。この紛争がもたらす影響は、単に軍事的な勝敗だけでなく、国際的な地政学の構図や国家間の関係性にまで及ぶものです。
ロシアの行動に対して、西洋諸国の一部では「ロシアを弱体化させることが長期的に利益をもたらす」と考える声もあります。しかし、この視点がウクライナを強固な国民国家へと導くかどうかは疑問が残ります。むしろ、戦争の激化や長期化によって、ウクライナの国家基盤そのものが破壊されるリスクが高まっています。
ロシアの「主権」という理念の強調は、従来の国際協調主義とは異なるアプローチであり、北朝鮮との連携などを通じてその独自性を強調する動きにつながっています。 ウクライナへの支持は、西洋諸国とその同盟国、あるいは保護国に限定される状況です。北アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、日本、韓国のほか、中南米の一部の国々がこれに加わる程度にとどまっています。
一方で、アジアや中東、アフリカ、ラテンアメリカの多くの国々は、ウクライナへの直接的な支持や西洋主導の制裁に対して慎重な姿勢を取るか、中立を維持しています。こうした状況は、これまで西洋が主導してきた価値観や国際秩序が普遍的ではないことを示しており、国際社会の分断をより明確にしています。
ロシアを支持する国々は、ベネズエラやシリア、北朝鮮、エリトリア、ミャンマーなどが中心です。これらの国々は、西洋的な民主主義の基準では評価されないことが多いものの、それぞれが独自の動機や利益を基にロシアとの関係を深めています。
ロシアを孤立させるはずだったウクライナ戦争は、国際社会の意図とは裏腹に、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の影響力を拡大する結果を招きました。特に、2023年8月に南アフリカのヨハネスブルグで開催されたBRICS首脳会議は、このグループが地政学的な存在感を強める象徴的な場となりました。
この会議で、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、イラン、エジプト、エチオピア、アルゼンチンの6カ国が新たに加盟を決定し、BRICSはその規模と多様性を大幅に拡大しました。 本来、ウクライナ紛争を通じてロシアを国際社会から孤立させ、西洋主導の秩序を強化するという狙いがありました。
しかし、BRICSの拡大はむしろ、非西洋諸国の連帯を強化し、世界の多極化を加速する結果を生んでいます。特に、エネルギー資源を豊富に持つサウジアラビアやUAE、地政学的な要衝に位置するイランとエジプトが加わったことは、BRICSの地政学的および経済的な重要性を一層高めています。
この構図は、レイモン・アロンの「私たちは敵を選ぶが、同盟国は選ばない」という現実主義的な外交観を思い起こさせます。ロシアの「主権」という理念は、こうした国々との連携を正当化しやすくしており、北朝鮮との蜜月関係もその一環と言えるでしょう。
このように、ウクライナ紛争は国際社会の新たな二極化を加速させています。一方の極には西洋諸国とその同盟国があり、他方の極にはロシアを中心とした反西洋的な国々が集まっています。ただし、冷戦時代のような単純なイデオロギー対立ではなく、経済的、地政学的利害を背景とした対立構造が目立っています。
この対立がどのように展開していくのかは未知数ですが、少なくとも現在の国際社会における秩序の変容を示唆しています。 ウクライナ紛争は単なる地域的な衝突ではなく、国際社会全体の価値観や力関係を揺るがす要素を含んでいます。
ウクライナ戦争は真の戦争であり、ウクライナの人々が犠牲となっている。それでも根本的な対立は、ロシア対ウクライナではなく、ロシア対アメリカおよび同盟国(あるいは属国)にある。この対立は何よりもまず経済的なものだ。
西洋諸国がどれほどウクライナを支援しようとも、それがウクライナという国家の存立を長期的に保証する結果につながるかどうかは、依然として不透明です。一方で、ロシアが掲げる「主権」という価値観は、既存の国際秩序に挑戦し、新たな秩序の形成を促進する動きを見せています。
このような状況は、単なる地政学的な対立にとどまらず、世界の力学を根底から揺さぶる要因となっています。 アメリカを中心とする西洋社会が直面している危機は、軍事や経済といった領域を超えて、さらに深い文化的・精神的な次元にまで及んでいます。この危機の背景には、急速に変化する現代社会の中で、異なる価値観や時間軸が複雑に絡み合う構造があります。
こうした中、国際情勢をより深く理解するためには、これらの多様な視点を統合的に捉える新たな思考が求められています。 国家、宗教、経済といった多様な要素を再評価し、統合的に考察することで、私たちは多極化する世界の中で形成されつつある新たな秩序を見出すことができます。
この秩序は、従来の国際関係の枠組みを超え、より複雑で多層的な現実を反映したものとなるでしょう。そしてその過程において、各国が自らの立場をどのように再構築するかが、今後の国際社会における安定と繁栄を左右する重要な鍵となるのです。
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