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歴史を活かす力 人生に役立つ80のQ&A
著者:出口治明
出版社:文藝春秋
本書の要約
明治の変革期には、日本にも数多くのイノベーターが存在し、日本の発展に尽力しました。梅屋庄吉や渋沢栄一の人生を振り返ることで、私たちは行動する勇気を学べます。歴史を学び、それを活かすことで、未来に役立つ知恵や学びが得られます。正しい選択をするために、歴史を学びましょう!
明治時代はイノベーターの時代
未来が誰にも予測できない以上、私たちの唯一の教材は過去の出来事、即ち歴史しかないのです。(出口治明)
立命館アジア太平洋大学・学長の出口治明氏は物事を判断するときには、「タテヨコ算数」で考えることが大切だと言います。
タテ→歴史的な視点で、昔の人はどう考えたのかと思いをめぐらせること。
ヨコ→つまりグローバルに見る視点
算数→具体的な数字、ファクト、ロジックで把握する
今日は歴史を活かす力を使って、明治時代のイノベーターを振り返ってみます。明治時代の日本は、現代のシリコンバレーのようで、イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグのような起業家がたくさんいました。 社会の大きな変革期には、とてつもない起業家や実業家が登場すると出口氏は指摘します。彼らの活躍を知ることで、私たちは日本人の誇りを取り戻せると同時に、自分たちの可能性に気付けます。
出口氏は本書で、2人の起業家を紹介しています。1人は映画ビジネスで成功した梅屋庄吉。もう1人が、今年の大河ドラマの主人公である渋沢栄一です。
映画ビジネスで成功した梅屋庄吉は、日活の前身となるM・パテー商会を創業しました。長崎生まれで冒険好きだった彼は、14歳で上海に渡り、その後もアジアを転々とします。 シンガポールで写真技術を学び、26歳で香港に写真館を開業し、その後、シンガポールで映画ビジネスを成功させました。
大金を持って大量のフィルムとともに帰国すると、映画の興行を始めました。映画という最先端技術に着目し、グローバルに活躍した点は、現代のITベンチャーの創業者のようです。
君は兵を挙げたまえ、我は財をあげて支援す。(梅屋庄吉)
梅屋庄吉は、27歳のときに香港で孫文に出会い、この有名な言葉を残します。梅屋は孫文の革命運動を生涯にわたって支援し続けたのです。映画で稼いだお金のほとんどを孫文に提供し、中国をよりよい国にしようとサポートしました。梅屋には中国を助けようという桁外れのロマンがあったのです。梅屋のような起業家が、100年以上前の日本に存在したことを学ぶことで、誇りを持てるようになります。
渋沢栄一や梅屋庄吉の行動から学べ!
夢なき者は理想なし
理想なき者は信念なし
信念なき者は計画なし
計画なき者は実行なし
実行なき者は成果なし
成果なき者は幸福なし
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず(渋沢栄一)
論語と算盤で有名な渋沢栄一も波乱万乗な人生を送ります。20代では尊皇擁夷の思想にハマり、横浜の外国人居留地を焼き討ちするような過激な男の渋沢が、知人の推薦で徳川慶喜に仕えることで、改革派に生まれ変わります。15代将軍の慶喜弟である徳川昭武に随行して、パリ万博に出かけ、ヨーロッパを視察する幸運を手に入れます。
海外渡航が困難だった時代にヨーロッパの経済や文化を体感したことが、その後の渋沢の人生を変えていきます。渋沢は維新後、大隈重信に請われて大蔵省に入り、33歳まで勤めます。
退官後は第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取となり、実業家としての人生をスタートします。日本実業界の父と言われた渋沢は、「道徳経済合一説」を説き、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳があることを忘れてはならないというのが、彼の経営思想でした。彼の教えは『論語と算盤』にまとめられ、今も多くの経営者に影響を与えています。
2024年度に新しい1万円札の絵柄に採用される渋沢や梅屋の人生を知ることで、私たちは行動する勇気をもらえます。アメリカのシリコンバレーの創業者のような人物が明治時代にはたくさんいたのです。飛行機もない時代に、世界中を旅した彼らの行動を見習えば、現代人にもイノベーションは起こせるはずです。
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