超訳 老子の言葉 「穏やかに」「したたかに」生きる極意
田口佳史
三笠書房
本書の要約
老子は宇宙に貫徹している原理原則であるタオ(TAO=道)について語ります。タオを学び、タオに沿って生きることで、より豊かな人生を送れるのです。本当に強い人とは、「道」を実感・体得している人なのです。言葉で「理解」することより、体験を通して「実感」することを大事にしましょう。
老子のタオとは何か?
老子は、社会の外から社会を見ています。つまり、宇宙からこの地上を眺めているような視点で語られているのです。ひどく客観的に、全体的にわれわれ人間や この人間社会を見ているので、それだけ本質をついていると言っていいでしょう。したがって、何かを変えたいときや転換をしたいときに、客観的、全体的な視点からアドバイスしてくれるのです。(田口佳史)
先日来、論語の再読をしていましたが、今日は孔子と並び称される老子の言葉を紹介しようと思います。東洋思想家の田口佳史氏は、変化が激しい時代こそ「老子」が役立つと述べています。
老子は、中国春秋時代における哲学者で、諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎としています。老子は宇宙に貫徹している原理原則であるタオ(TAO=道)について語ります。タオを学び、タオに沿って生きることで、より豊かな人生を送れるのです。
道の道とす可きは常道に非ず。(体道第一)
老子は 「何事も、言葉だけで理解したと思うな。何よりも重要なのは、目で見て、耳で聞き、鼻でにおいを嗅ぎ、舌で味わい、手で触れて実感することなんだ」と言います。「道」は見えない・聞こえない・つかめないものですから、頭で理解するのではなく、体験を通じて感じ取るべきです。
本当に強い人とは、「道」を実感・体得している人なのです。言葉で「理解」することより、体験を通して「実感」することを大事にする。それが「実力」をつけることにつながります。
物有り混成し、天地に先だって生ず。寂たり寥たり、独立して改まらず、周行して殆らず、以て天下の母と為す可し。之に字して道と日い、強いて之が名を為して大と日う。大なれば日ち逝き、逝けば日ち遠ざかり、遠ざかれば日ち反る。
私たち人間を含めて生きとし生けるものはみんな「道」から生まれ、「道」に帰っていきます。つまり、「道」は万物の根源なのです。
老荘思想は、この「見えない、聞こえない、つかめない、でもたしかにあると感じることのできる万物の根源」を「道」と名づけているのです。
相対評価をやめ、自分の個性を磨こう!
大象を執りて天下に往けば、往くとして害せられず、安平太なり。
『「道」を信じて生きる者には、何も問題が起きず、すべてが安らかで平穏である』と老子は言い、ふつうのありがたさを指摘します。人は困難に遭遇した時にふつうが一番だと感じます。しかし、現代人は忙しく、日々ストレスを感じており、ふつうでいることが難しくなっています。
そんな時、著者の田口氏は「市中の山居」という言葉を思い出すとよいと言います。ビジネスやプライベートで、大変な問題が起きた時に、心を山奥の庵に”瞬間移動”させて、その風情に浸りながら、心をさらに宇宙に向けて広げていけば、問題を問題だと感じなくなります。トラブルが起きた時にこの「市中の山居」を行うことで、平静を保てます。
私も年齢を重ねるうちにトラブルの対処法を身につけてきましたが、毎朝、近所の神社にお参りし、清々しい空気の中で深呼吸をし、感謝の言葉を述べることで、気持ちを落ち着けています。神聖な神社という空間で自分との対話を続けるうちに気持ちが落ち着き、トラブルの解決策が見つかります。「道」を信じて生きていけば、困難を乗り越えられるようになります。
天下皆美の美たるを知る、斯れ悪のみ。皆善の善たるを知る、斯れ不善のみ。有無相生じ、難易相成し、長短相形し、高下相傾け、音声相和し、前後相随う。
自分を他人と比べて落ち込んだり、得意になることには意味がありません。自分の天性は何なのかを考え、個性を大事にし、それを生かすことを考えるべきです。
若い頃は私も人との比較で悩み、無為な時間を過ごしていました。他者と比較するのではなく、過去の自分と比較すればよいと気付いてから、時間の使い方が変わりました。読書や勉強会への参加、経営者や士業、コンサルタントの時間を増やしながら、自分の個性を磨きました。
絶対的な個性を身につけ、自分の提供価値を明らかにし、経営者に貢献することを徹底しました。経営者の課題を解決することを日々意識し、そのためのインプットを最大化し、経営者やプロフェッショナルとの時間を増やすことで、結果を出せるようになりました。
今では経営者の課題を解決することに生きがいを感じ、日々充実した人生を送れるようになりました。無用なこだわりを捨て、自分のやるべき道を見つけることで、人生をより豊かにできます。
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