「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論(デヴォン・プライス)の書評

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「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論
デヴォン・プライス
ディスカヴァー・トゥエンティワン

「怠惰」なんて存在しない (デヴォン・プライス)の要約

世の中は「怠惰のウソ」が規範になっているため、決めた目標を達成できずに見切りをつけるのをつらく感じるかもしれません。それでも、自分自身の行動や感情をしっかり観察し、自分を責めずにそこから学ぶようにすれば、より自分らしい生活を送り、人生を満喫できるはずです。

デヴォン・プライスが主張する「怠惰のウソ」とは何か?

「怠惰」であることに罪悪感を味わう必要はない。 なぜなら「怠惰=悪」は植え付けられた “信念” に過ぎず、しかも誤っているからだ。 (デヴォン・プライス)

デヴォン・プライス「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論(Laziness Does Not Exist)は、「怠惰」という考え方が個人的な欠点であるという深く根付いた社会的信念に挑戦する本です。

社会心理学者であるプライスは、しばしば怠惰と呼ばれるものが、実際には社会によって課された制度的な問題や非現実的な期待の結果であると主張しています。

本書は、生産性、メンタルヘルス、自己価値に関する対話を再構築することを目的としています。 主要テーマ 怠惰の神話: プライスは、怠惰の概念は神話であると断言しています。彼らは、人々を怠惰とラベル付けすることが、精神的健康問題、燃え尽き症候群、資源不足など、個々の問題の複雑な理由を無視するものであると主張しています。

こういう、私のようなタイプの人は、「価値ある人間として認めてほしいなら、やるべきだ」と社会に教え込まれたことを全部やろうとする。責任感をもって仕事を頑張り、社会問題に熱心に取り組み、友人を思いやり、絶えず学び続ける。将来が不安なのだ。だから、先手を打って準備しておく。自力でコントロールできることは全部制御して、不安を軽減しようとする。そうして自分を追い込んで、頑張りすぎるのだ。

著者は、この社会全体に蔓延した流行病を「怠惰のウソ」と呼んでいます。「怠惰はいつだって悪いものだから避けるべきだ」という考え方が、私たちを追い込みます。

生産性を高めるための努力がエネルギー不足をもたらし、逆に生産性を低めてしまうのです。怠惰を悪とする文化的信念が、私たちを常に働かせ、自己価値を生産性に結びつけるように仕向けているのです。これにより、多くの人々が罪悪感や不安を感じながら生活しています。

プライスは、「怠惰のウソ」には3つの基本的な原則があると説明しています。
①人の価値は生産性で測られる
この信念は、私たちの価値がどれだけの成果を上げるか、どれだけの仕事をこなすかで決まるというものです。この考え方は、私たちに絶えずもっと働くようにプレッシャーをかけ、休むことに罪悪感を感じさせます。

②自分の限界を疑え
私たちは自分の疲労や限界を無視し、もっと頑張れるはずだと自分に言い聞かせます。この信念は、自己の限界を認めることを弱さとみなし、無理をしてでも成果を上げることを奨励します。

③もっとできることはあるはずだ
どれだけ頑張っても、常にもっとできるはずだと感じることです。目標地点は永遠に動かされ、決して達成感や満足感を得ることができません。

「頑張れば頑張るほど、より善い人間になれる」と「怠惰のウソ」は説きますが、どこまで頑張ればいいのかの合格ラインは決して示されません。目標地点を永遠に動かし続けて、人の弱さや欲求を許容することはありません。どこかの時点で必ず失敗するよう、あらかじめ設計されているのです。

「怠惰のウソ」が資本主義の弊害であり、奴隷制に起因していると著者は指摘します。この考え方は、歴史的に見ても人々を過剰な労働に追い込むための手段として利用されてきました。資本主義社会では、人々が生産性を最大限に引き出すために常に努力し続けることが期待されており、その結果として、「怠惰=悪」という信念が広まっていったのです。

著者は、「怠惰はいつだって悪いものだから避けるべきだ」という考え方が、私たちを追い込んでいると言います。彼らは、私たちが「怠惰」と感じるとき、それは実際には休息が必要であるというサインであると主張します。著者自身も無理を重ねた結果、体を壊すことで初めて自分に必要なのは休息であることに気づいたのです。このような経験から、怠惰が悪いものだという考えを再考する重要性を説いています。

怠惰のウソから脱却する方法

集中できない、疲れた、やる気が出ない、など怠惰な気分が起こるのは、実は私たちの身体や脳が休息を切実に必要としているからだ。燃え尽きる寸前には、集中力がなくなり生産性が落ちると実証されている。

いくらプレッシャーやストレスに強いとしても、やる気や集中力が魔法のように湧くわけではありません。こうした場合の対処法は、しばらく生産性への期待値をぐっと引き下げることです。

頑張りすぎて疲れた人は、睡眠をしっかり取り、ストレスだらけの頭を休め、思考と感情のエネルギーを充電する必要があります。そのための余裕を生活の中に確保すべきです。 怠惰になるのを恐れなければ、内省や充電の時間を取れるようになります。人間関係をつなぎ直したり、好きだった趣味を再開したりもできます。意識して、より穏やかなペースで人生を歩めるようになります。

「時間の無駄使い」は人間の基本的欲求です。この事実を受け入れて、健やかで楽しく、バランスの取れた人生を始めましょう。自分の「怠惰」な本性など恐れなくてよいのです。「怠惰」だと非難されがちな一見「悪い」行動は、実は警告信号であり、生活のどこかを変える必要を強く訴えているのです。

先延ばしタイプは怠け者のレッテルを貼られがちですが、彼らにやる気がないわけではありません。むしろ、やらなければと真剣に思い詰めています。タスクが自分にとって重要な状況ほど先延ばしが発生することが実証されています。自分に自信がなく、どうやって始めたらよいかわからないため、生産的な方向に進めないのです。

このように、怠惰や先延ばしは必ずしも悪いことではありません。それらは私たちの身体や心が休息やリフレッシュを求めているサインです。そのサインを無視せず、必要な休息を取り、バランスの取れた生活を送ることが大切です。自分のペースで、無理なく進んでいくことが、長期的な成功と健康に繋がります。

先延ばしを避けたいなら、「サラミスライス法」を活用しましょう。たとえば、1冊の本を書くという課題には足がすくむかもしれませんが、「1日1500文字を書く」という目標なら始められるはずです。私はこの方法を使うことで、最初の本を書き上げることができました。結果、達成感を得られ、自分の能力に自信を持てるようになったのです。 (サラミスライス法の関連記事

「何もしたくない」という怠惰な気分は、日常生活の中で生理的欲求や心身のニーズにうまく対応できていないときに、そのサインとして現れることが多いのです。不足しているものを得ようと身体が働きかける、よくできた機能なのです。怠惰になるということは、一生懸命に働いた証拠であり、ひと息つくべきという信号なのです。 

人が携わるほとんどの仕事には、振り返りや計画、クリエイティブなアイデアの発案などのための時間が必要です。私たちはロボットやコンピューターではありません。食べたり寝たりするのと同様に、だらだらする無為な時間も必要なのです。「怠惰」になることを恐れるあまり、この充電への欲求を無視していると、深刻な事態を招きかねません。

「怠惰」な行動は、数世紀にわたって悪者扱いされてきましたが、実際は何も悪くないし、有害でもありません。サボりは人間の標準仕様であり、頭をスッキリさせて健やかにいるためには働かない時間が必要なのです。怠惰な気分は私たちの内からの強い警告で、「もっと休養を」「手助けが必要だ」「タスクを減らすべきだ」と心身が訴えているのです。この怠惰の信号にきちんと耳を傾ければ、自分の欲求を理解して、本当に価値のある人生を送れるようになります。

休んで怠惰に過ごせる時間は、自分自身について新発見をしたり、仕事中には思いつかなかった妙案が湧いたりするチャンスです。創造性について、心理学の研究者は、今まで気づけなかったことが「あっ!」と瞬時にひらめく「アハ体験」に関心を持ち、どうすれば体験できるのかを熱心に研究してきました。その結果、怠惰に過ごすのは非常に効果的なステップだと判明しました。 

何もしない時間を意識的に作って、自然に湧き出る怠惰な感情を無視せず大切に受け止めるようにすれば、自分にとって何が重要で、何を断るべきかがわかってくるはずです。リフレッシュした頭とリラックスした心で、既存の問題に斬新な解決策を見つけることができます。これまで隠れていた自分の強みや能力にも気づけるはずです。 「

世の中は「怠惰のウソ」が規範になっているため、決めた目標を達成できずに見切りをつけるのをつらく感じるかもしれません。それでも、自分自身の行動や感情をしっかり観察し、自分を責めずにそこから学ぶようにすれば、より自分らしい生活を送り、人生を満喫できるはずです。 

何もしない、「怠惰」で非生産的な時間を大切にすると、人生の質が劇的に変わります。タスクをいくつ処理できたか、その数で自分の価値を測っている限り、自分にとって本当に大切なことには気づけません。社会からの「やるべき」というプレッシャーではなく、本当の気持ちに従って優先順位を決めれば、より自分らしく生きられます。

もっと自由な時間を味わい、よりスローに、のんびりと「怠惰」に、自分の心地よいペースで行動できるようになれば、長年の過労で受けたダメージの回復も始まるはずです。 

研究によると、日課に追われてストレスを感じている場合には、時間の流れが速く感じられるそうです。義務と不安感にとらわれて、数週間、数カ月、あるいは数年という月日の感覚もおぼろげになり、後に振り返って噛みしめたいような特別な思い出はほとんど残らないのです。

楽しくもないタスクを次々とこなして生きていては、人生をエンジョイできません。それどころか、何をしていたのか思い出すことさえできないのです。こうした成果ばかり気にして頑張りすぎる生き方を脱却する方法は、幸いにも存在します。 

生産性や他人からの称賛よりも、人生にはもっと大事なことがあるはずです。執拗に目標を追いかけ、どこまでも社会的承認を得ようとしたところで、決して満足感は得られません。それどころか、人生の喜びを満喫するエネルギーが磨耗してしまいます。むしろ、一歩引いて自分の価値観を再考し、何を成し遂げたかにかかわらず、自分の人生にはそれ自体で価値があると考えたほうがいいのです。 

人生を味わう達人は、良い経験を追想する方法を熟知しています。その上、今後も喜ばしい経験がたくさんあると期待しているため、彼らの人生は幸福感と期待と希望に満ちています。 

私たちは情報過多の時代に生きています。解決するには、より多くを知ろうとするよりも、一歩下がって、今より少ない情報量をより意味のある方法で摂取することが大切です。 

世界は広く、どこを見ても理不尽な出来事は起きています。そのすべてに関わるのは不可能ですし、関わろうと努力しない自分を「怠惰」だと責める必要はありません。現状でも十分頑張っていると、自分自身を褒めるべきなのです。 

自分より生産性が高そうな人と自分を比べて、落ち込む必要はありません。こうした罪悪感がなくなれば、自分が「怠惰」に思えることもなくなるはずです。自分を信じて自分なりの目標を決め、自分に合ったペースでそれをやり遂げればいいのです。

「生産性=善」と考えるのをやめましょう。誰もみんな、愛や安らぎを得る価値があるし、その価値は生産性とは関係ありません。この考え方を常に覚えていられるわけではありませんが、意識的に時間を取ってこう考えてみると、心が満たされ穏やかになれます。大量の仕事や頼まれごとで苦しんだり、自分を痛めつけるように働きすぎなくても大丈夫だと思えるのです。

自分を怠惰だと責めるのをやめ、自分に優しくなりましょう。自分自身を大切にすることで、健やかで豊かな人生を送れるようになります。


 

この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
IoT、システム開発のビズライトテクノロジー 取締役
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数 

■著書
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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