倫理資本主義の時代
マルクス・ガブリエル
早川書房
倫理資本主義の時代(マルクス・ガブリエル)の要約
マルクス・ガブリエルは、本書で資本主義と現代社会の問題点を分析し、「倫理資本主義」と「エコ・ソーシャル・リベラリズム」を解決策として提示しています。経済、倫理、環境の調和を目指す彼の思想は、持続可能な未来への道筋を示し、社会システムの根本的な再考を私たちに促しています。
エコ・ソーシャル・リベラリズムとはなにか?
新しい啓蒙は私たちの頭と心で始まるだけでなく、経済においても実行できるものであると主張していく。この文脈において企業は、長期的かつ持続的な真の経済的成功のカギを握るのは善行であるという発想を、自らのビジネスモデルと行動の土台としなければならない。 (マルクス・ガブリエル)
哲学者のマルクス・ガブリエルの倫理資本主義の時代、単に新しい経済概念を提示するだけでなく、より広範な倫理的・政治的価値観の枠組みを提唱しています。この包括的なアプローチは、現代社会が直面する複雑な課題に対する総合的な解決策を模索する試みとして注目に値します。
ガブリエルが提唱する新たな枠組みは「エコ・ソーシャル・リベラリズム」と名付けられています。この概念は、倫理資本主義を包含しつつ、さらに広範な社会的、環境的視点を取り入れたものです。エコ・ソーシャル・リベラリズムの本質は、社会政治的生活の目的を再定義する点にあります。
従来の社会政治的思想では、人間社会の利益や自由の拡大が主な目的とされてきました。しかし、ガブリエル氏の提案は、この視点を大きく拡張しています。エコ・ソーシャル・リベラリズムでは、人間のみならず、人間が共生・協調する必要のある他の生物や複雑系のためにも、より大きな社会的自由を実現することが目的とされます。
ガブリエルは、人間社会が自然と無関係に存在するのではなく、地球というシステムに深く統合されているという認識を強調しています。私たちの社会は、生態学的なニッチに深く根ざしており、常に地球システム全体に影響を与えています。この認識は、人間の活動が環境に及ぼす影響を考慮に入れた政策立案や意思決定の必要性を示唆しています。
私のいう「エコ・ソーシャル・リベラリズム」とは、人間という主体を社会政治的相互作用という力の場における個別の点に還元しない、自由な主体性という見解(自由主義)を意味する。自由な人間的主体は、自然の既知および未知の部分と深く結びついた自己決定する動物だ。私たちは自己決定する動物として社会的である。社会性は個人性の付け足しではない。
エコ・ソーシャル・リベラリズムの考え方は、現代の環境問題や社会問題に対する新たな視点を提供します。例えば、経済発展と環境保護の両立、生物多様性の維持、気候変動への対応など、グローバルな課題に対するアプローチにも影響を与える可能性があります。
ガブリエルのアプローチは、資本主義を批判するだけでなく、変革の余地があるシステムとして前向きに捉え直す視点を提供しており、そこに倫理的価値観を融合させることを試みています。 著者は、現代社会が「暗黒の時代」に直面していると述べ、これを「世界史上まれに見る途方もないスケールの悪の脅威」として強調しています。
ここで彼が指摘するのは、不当な格差、人種差別、女性差別、家庭内暴力、そして生態学的危機など、多くの深刻な社会問題です。これらの問題の存在は、現代社会の道徳的発展が依然として不十分であることを示しており、さらなる道徳的進歩が必要であることを著者は訴えています。
ガブリエルによれば、新自由主義の根本的な問題は、人間の自由の本質を誤解している点にあります。彼は、人間の自由が本質的に「社会的自由」であることを強調しています。つまり、人間の自由は他者の存在なしには実現し得ないものだという認識です。この視点は、個人主義的な自由観に基づく新自由主義的な考え方とは大きく異なります。
著者は、利己的な利益追求が他者の自由を奪うことで、結果的に自分自身の自由も制限してしまうという逆説的な状況を指摘しています。この認識は、「自由を求めるなら、他者の自由を広げなければならない」という重要な洞察につながります。つまり、真の自由は他者との共生や協調の中でこそ実現されるのです。
彼が特に重視しているのは、現代社会における道徳的進歩の欠如が、これらの問題を解決できない原因であるという考え方です。現代の自由主義的な民主主義社会が比較的平和な状況にあることは認めつつも、倫理的な発展が不十分であるため、これらの問題を克服するためには新たな制度設計と道徳的価値観の改革が必要であると強調しています。
ガブリエルが提唱する「倫理資本主義」は、まさにこの道徳的進歩を経済活動と結びつける考え方です。彼は倫理資本主義を、「道徳的進歩を経済の推進力にも変えていこうとする考え方」として定義しており、単なる理想論ではなく、現実的な社会変革の手段として提示しています。
これは、経済活動と倫理を対立させるのではなく、むしろ両者を積極的に統合し、経済の力を倫理的な進歩に利用するという発想です。 この概念の中心にあるのは、個々の人々がそれぞれの立場で倫理的進歩を実現するための行動を起こすことです。
ガブリエルは、個人が自らの属するガバナンスモデルの中で倫理的な選択を行い、社会全体の進歩を推進するべきだと述べています。彼の提案は、制度の改革や新しいガバナンスモデルの創出を求めるものであり、これが「倫理資本主義」の根幹を成しています。
CPO(最高哲学責任者)が企業を変える!
倫理部門を率いるのは最高哲学責任者(CPO)だ。ここで「倫理」ではなく「哲学」という言葉を使っているのは、哲学の研究領域のなかに倫理部門で重要な役割を果たすものがあるからだ。たとえば哲学の研究領域は技術、知識、社会、人間の精神、ジェンダーなどの本質であり、しかも学問分野や部門を超えた議論をとりまとめられるような包括的次元で研究を行う。
著者の興味深い提案の一つに、企業におけるCPO(Chief Philosophy Officer=最高哲学責任者)の導入があります。この経営への倫理的アプローチは、現代のビジネス界に新たな視点をもたらす可能性を秘めています。 ガブリエルは、あらゆる企業がCPOを採用し、倫理部門を設置すべきだと主張しています。
この提案の背景には、企業活動における倫理的判断の重要性がますます高まっているという認識があります。従来の企業運営では、経済的利益が最優先される傾向がありましたが、ガブリエルはこの考え方に一石を投じています。
ガブリエルによれば、倫理部門の重要な役割の一つは、会社の領域内における社会経済取引の道徳に関係する側面と無関係の側面を区別することです。ここでいう「会社の領域」には、生産という内的プロセスだけでなく、顧客との外的関係も含まれます。企業のあらゆる社会経済取引では様々な種類の価値判断がなされ、それらの価値の総和が会社の全体的収益となります。
経済的成功を測定しようとする際、私たちが測ろうとするのはこの総和です。しかし、そこに寄与する要素があまりに複雑であるため、正確な価値を測ることは不可能です。それでも、おおよその把握ができるだけでも進歩といえるでしょう。この総和には倫理的要素と非倫理的要素が一体となっているため、倫理部門の役割はこれらを区別することにあります。
倫理部門が経営から独立した立場から、適切な道徳的事実と価値判断を明確にすることで、企業は真の利益を最大化するためにどこを改善すべきか、何に投資すべきかを把握することができます。これは、従来の企業経営における利益追求の概念を大きく拡張するものです。
ガブリエルは、倫理部門の機能を単なるPRやコンプライアンスの下位部門としてではなく、会社の収益を高めるための戦略的な役割を担うものとして位置づけています。倫理部門の目的は、政治家や行政機関、消費者の目に会社がよく映るようにすることではありません。むしろ、会社の領域内に存在する道徳的問題を特定することで収益を高めることがその戦略的役割だと主張しています。
この考え方の背景には、道徳にかかわる問題はあらゆる人にかかわるものであり、それゆえに会社の経済的領域を個人的な選好にかかわるものから人間的選好にかかわるものへと広げる可能性があるという認識があります。そのため、ガブリエルは倫理部門に他の勢力からの完全な独立性を保証することの重要性を強調しています。
著者の提案で興味深いのは、子どもたちを有権者に含めることを提案している点です。子どもたちの創造力の可能性を解き放ち、道徳的進歩を実現するために子どもたちに投票させ、その結果を新たな政策(規制)と進歩的なビジネスモデル(自己規制)に反映させるべきだと主張しています。
ガブリエルは、これらの取り組みが社会的自由の増大につながり、ひいては現行の表層的な経済指標を超えた経済発展に寄与すると考えています。現在の経済指標では、道徳的進歩の人間の幸福への貢献を測ることができていませんが、倫理資本主義の実践を通じて、より包括的で持続可能な経済発展の道筋が見えてくるのではないでしょうか。
AIは脅威ではない?
AIシステム自体が社会を変えることはない。そうすることに何の関心もないのだ。とりわけ世界を乗っ取ることに一切関心がなく、ターミネーターなどの未来的なロボットを生み出そうとしているわけではない。意識を持つ、あるいは全般的な知性を身につけることもない。
ガブリエルによれば、AIシステム自体が社会を変えることはないと言います。彼はAIが意識を持ったり、全般的な知性を身につけることもないと主張しています。
著者は、AIを適切に理解し活用するためには、その「ソシオテクノロジー」としての性質を理解することが不可欠だと強調しています。AIは単なる自律的システムではなく、人間が重要な位置を占める、より大きな社会的総和の一部として機能しているのです。 この視点は、AIが人間社会や経済を制圧したり、再編したり、破壊するといった考えを現実離れしたフィクションとして退けています。
代わりに、ガブリエルはAIを経済を加速させる「真に未来志向の技術」として位置づけています。 AIの本質的な機能は、価値判断を測定する新しい方法を提供することにあります。これにより、AIは剰余価値を生産する新たな手段となり得るのです。
著者は、AIを持続可能な未来創造のエンジンとして活用するためには、「加速化知能」としてのAIについて現実的かつ未来志向の概念化を早急に行う必要があると主張しています。 さらに、ガブリエル氏は私たちの日常的な活動やデータにも価値判断が遍在していることを指摘しています。そのため、次世代のAI倫理を産業界に導入することで、AIから真の利益を得ることが可能になると考えています。
しかし、デジタル社会の創造と維持には、レアアース資源、電力、そして社会経済的および倫理的問題をはらむ労働力が必要であることも忘れてはいけません。著者は、これらの問題に対処するために、倫理資本主義の想定する経済的手段と、エコ・ソーシャル・リベラリズムのガバナンス条件の両方が必要だと言います。
ガブリエルの核心的な主張は、「倫理と資本主義は融合できる」というものです。彼は、資本主義のインフラを活用して道徳的に正しい行動から経済的利益を生み出し、それによって社会を大きく改善することが可能であり、またそうすべきだと主張しています。
この考え方は、著者が提唱する「エコ・ソーシャル・リベラリズム」の基盤となっています。エコ・ソーシャル・リベラリズムは、世界をより良くするための包括的なアプローチであり、経済、環境、社会の調和を目指すものです。 ガブリエル氏の提案は、現代社会が直面する複雑な課題に対する革新的な解決策を提示しています。
AIの適切な理解と活用、倫理と経済の融合、そして持続可能な社会システムの構築を通じて、より公正で繁栄した未来を実現することができるというのが彼の主張です。
私たちは道徳的進歩のための制度設計という目標を、それぞれが身を置くガバナンスモデル(統治を実施するための枠組み)のなかで達成する必要があると私は考える。その前提となるのが、自分たちの欠点をただ批判するのをやめ、既存の制度や社会的慣行の修正や改革という希望に満ちた積極的姿勢に変わることだ。
本書は、現代の経済システムに対する新たな問いを提案し、読者に深い思索を促す哲学的な経済書です。それは、私たちが直面している経済的・社会的課題に対する新たなアプローチを示唆するとともに、より公正で持続可能な社会を実現するための道筋を探る新たな方向性を私たちに示しています。
極端な悲観論や楽観論に陥るのではなく、著者の深い考察に基づいた提案は私たちに希望を与えてくれています。今までの資本主義の常識を私たちはそろそろ捨てたほうがよさそうです。
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