ずっと幸せなら本なんて読まなかった 人生の悩み・苦しみに効く名作33
三宅香帆
幻冬舎
ずっと幸せなら本なんて読まなかった (三宅香帆)の要約
「人生に絶望したり、自分の不幸に直面したとき、本は助けとなる」と三宅香帆氏は述べています。従来の文学鑑賞とは異なり、著者は書籍を日常の問題や感情に対処するツールとして捉え直しています。読書は私たちに様々な課題解決のヒントをもたらし、幸せへと導いてくれるのです。
悩みを解決するための読書とは?
私にとってはずっと、ずっと究極の相談相手が存在していた。それが、本だった。人生で悩みや葛藤を抱えるたび、解決しようのない苦しみを感じるたび、しんどいなと思うたび、私は本をひらいてきた。(三宅香帆)
三宅香帆氏のずっと幸せなら本なんて読まなかった 人生の悩み・苦しみに効く名作33は、書籍の力を日常生活の問題解決に活用するという新しい視点で書かれています。従来の文学作品は教養や娯楽として楽しむことが一般的でしたが、三宅氏はその枠を超え、読書を私たちの現実的な困難や感情的な悩みに対応するためのツールとして捉え直しています。(三宅香帆氏の関連記事)
本書では、人生において誰しもが経験する挫折や孤独、不安、そして自己嫌悪などの感情に対し、書籍がどのようにして救いの手を差し伸べてくれるかを具体的に示しています。三宅氏は、物語や登場人物の言葉、さらには作家の視点を通じて、自分自身の置かれている状況を客観的に見つめ直し、新たな気づきや前向きな変化を得ることができると述べています。
たとえば、絶望に打ちひしがれたとき、あるいは自分の不幸に直面したとき、他者の言葉が慰めや励ましとなり、心に光を灯すことがあります。三宅氏の視点は、文学が単なるフィクションではなく、現実の問題に向き合い、それに寄り添う力を持っていることを強調しています。
「人生で悩みや葛藤を抱えるたび、解決しようのない苦しみを感じるたび、しんどいなと思うたび、私は本をひらいてきた」という著者の言葉は、書籍が持つ力と可能性を示しています。
紹介されている33の作品は、著者独自の視点で選ばれており、古典から現代の作品まで幅広くカバーしています。小説、漫画、エッセイなど、多様なジャンルの作品が含まれているため、読者の好みや読書スタイルに合わせて選択することができます。
人生に絶望したとき、自分の不幸に直面したとき。本はあなたを助けてくれる。悩んでいるのはあなただけではない。悩んでいる人たちが、本をひらけば、たくさんいる。みんな悩んでいるから、本を書き、本を読むのだ。
人生の困難に直面したとき、本は私たちに寄り添い、力強い味方となってくれます。本を開けば、そこには私たちと同じように悩み、苦しみ、そして成長していく人々の姿が描かれています。この発見は、私たちに大きな慰めと希望をもたらします。
本書の特筆すべき点は、読者の心理状態や生活状況に合わせて作品を推薦している点です。この独自のアプローチにより、読者は自分の現在の状況に最も適した作品を効率的に見つけ出すことができます。そして、その作品から得られる思考法や解決のヒントを直接的に自分の人生に活かすことができるのです。
本を読むことは、単なる知識の獲得や娯楽以上の意味を持ちます。それは、自己理解を深め、人生の課題に対する新たな視点を得る貴重な機会となります。著者が提案するように、私たちの日常的な悩みや苦しみに対して、文学作品が持つ力を活用することで、より豊かで充実した人生を送ることができるのです。
私自身も、多くの本から人生を豊かにするヒントを得てきました。この経験から、著者の考え方に強い共感を覚えます。インターネットで検索するよりも、じっくりと本を読むことで、より深い思考や解決策を見出せることがあります。そのため、私は日々の生活の中で読書の時間を大切にしてきました。
従来の文学鑑賞や教養のための読書とは異なり、日常生活の具体的な問題や感情に対処するツールとして著者は文学を捉え直しています。 読書によって、私たちは様々な課題を解決できるようになり、幸せに近づけます。
悔しい時に本を読むことでモチベーションが高まる!
じゃあ、自分で意味はつくってゆくしかないんだな、と私たちはどこかで決意する。私たちは、生きることのモチベーションを自分でつくるしかない。これまた「まじかよ」とおののいてしまう人生の現実である。生きる意味も理由も、他人は与えてなんてくれないのだ……。
人生において、私たちは時として自分自身の存在意義や生きる目的を見失うことがあります。そんな中で、著者の三宅氏は、村上春樹氏の走ることについて語るときに僕の語ることを「悔しい時に読む本」として紹介しています。
村上春樹氏のこの作品は、単なるランニングについてのエッセイではありません。それは、人生そのものに対する姿勢、自己との向き合い方、そして内なる動機付けの重要性を探求した哲学的な書物です。村上氏は、長距離走という孤独な営みを通じて、「生きることのモチベーションを自分でつくる」ことの重要性を読者に伝えています。
私も「走ること」を発売時に読み、村上市のストイックな姿勢に感銘を受けましたが、 三宅氏も村上氏の姿に「静かな憧れ」を覚えると述べています。
「他人に依ることのないモチベーションを自分のなかにたしかに持つ」という姿勢は、真の自立と内なる強さを象徴しています。これは、外部からの評価や承認に依存せず、自分自身の価値観と目標に基づいて生きることの重要性を示しています。
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。(村上春樹)
村上氏のストイックな姿勢は、単に走ることだけでなく、人生全般に適用できる哲学です。日々の困難や挫折、そして時には社会からの圧力に直面しても、自分の内なる声に耳を傾け、自らの道を歩み続ける勇気と決意を示しています。
適切なタイミングで適切な本と出会うことで、私たちは自己の内面と向き合い、人生の難局を乗り越えるための知恵と勇気を得ることができるのです。村上春樹氏の作品を通じて、三宅氏が伝えようとしているのは、まさにこの読書の力であり、それは私たち一人一人の人生を豊かにし、より強く、より自立した個人となる道筋を示してくれるのです。
日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。
村上氏が「走ること」を自身の生命線として捉え、どれだけ忙しくてもその習慣を手放さないという言葉に、私も共感を覚えます。彼が走ることを日々のルーティンにしているように、私にとってもこの書評ブログを書くこともまた、同じくらい大切なルーティンであり、生命線のような存在です。
毎朝、ブログを更新することは、ただ単に文章を発信するだけではありません。自分の内側にある思いや考えを言葉にし、それを形にするプロセスこそが、私にとって心を整理し、日常を見つめ直すための大切な時間です。
どれだけ多忙であろうと、書くことをやめてしまうと、私自身の存在そのものが曖昧になってしまうような感覚さえ抱きます。書くことは私にとって、自分自身を見失わないための手段であり、心のバランスを保つためのルーティンです。
書籍を通じて自己理解を深め、人生の困難に立ち向かうという三宅氏の視点は、多くの人々にとって強い支えとなります。私たちが直面する苦難や絶望は、時に孤独で耐え難いものに感じられます。しかし、書物はそうした状況において、静かでありながら確かな助けとなってくれる存在です。
面白くない映画を見た後に読みたい本が、レイ・ブラッドベリの華氏451°だったり、早起きしたい時に読みたい本が、アレクサンドル・デュマのモンテクリストフ伯だったり、著者のセレクトがとにかく面白いので、ぜひ本書をご一読下さい。
著者のユニークな本の選び方は、私たちに読書の新たな可能性を示してくれています。それは、本が持つ力を最大限に活用し、日常生活をより豊かで意味のあるものにする方法を提案しているのです。
本を読むという行為は、決して逃避ではありません。それは、過去や他人の経験から学び、自分自身を見つめ直すための大切な時間です。本は私たちに、目の前の困難に対する新たな視点を提供し、孤独感を和らげ、心の強さを育む手助けをしてくれるのです。
人生の岐路に立たされたとき、大きな悩みを抱えたとき、失敗したときなど、本を開くことで、自分の中にある力を再発見することができるのです。
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