地に足をつけて生きろ! 加速文化の重圧に対抗する7つの方法
スヴェン・ブリンクマン
Evolving
地に足をつけて生きろ! 加速文化の重圧に対抗する7つの方法の要約
加速する現代社会において、豊かな人生は自己実現や前向きな姿勢だけでは実現できません。真の幸福と充実を得るには、他者との深い関係性を築き、社会に貢献する姿勢が欠かせません。また、社会との調和を大切にしながらも、必要な時には「ノー」と言える勇気を持つことも、充実した人生への重要な要素となるのです。
地に足をつけて生きるための7つのステップ
人は自分の努力だけで幸せになれるものではありません。私たちは他人に頼るものだし、他人もまた私たちに頼るものです。「人は誰でも自分の運命の設計者である」という言い回しがありますが、私はそうは思いません。しかし人は仲間の人間たちの運命の設計者にならなれるのではないかと思います。そしてそれこそが私たちの人生において最も大切なことなのではないでしょうか。(スヴェン・ブリンクマン)
昨今の社会では、「もっと」という言葉が、私たちをより忙しくしています。もっと成長を、もっと努力を、もっと成果を―というメッセージに私たちは流されています。しかし、その中身が問われることは稀です。自己成長という概念そのものが目的化し、その過程で私たちは自己中心的な視点に陥り、他者との関係を蔑ろにしています。
社会学者ジグムント・バウマンが指摘したように、グローバル化の波の中で私たちは自分の立ち位置を見失いがちです。そしてその不安から、さらに内向的になり、自己中心性を強めていく。この悪循環は、現代社会の大きな課題となっています。
デンマークの心理学者のスヴェン・ブリンクマンは、地に足をつけて生きるための7つのステップを紹介しています。
1、己の内面を見つめたりするな
2、人生のネガティブにフォーカスしろ
3、きっぱりと断れ
4、感情は押し殺せ
5、コーチをクビにしろ
6、小説を読め――自己啓発書や伝記を読むな
7、過去にこだわれ
加速社会を上手に生き抜くために、ストア哲学から学ぶのがよいと著者は言います。ストア派は自制心、心の平静、そして人としての尊厳を重視しました。特に注目すべきは、表面的な成長や変化に惑わされることなく、本質的な充足を追求する姿勢です。
ストア派の教えの核心は自己を律することにあります。日々の些細な誘惑に打ち勝つ練習を重ねることで、人生の重要な局面でも揺るがない心を育てることができます。しかし、これは単なる自己抑制ではありません。むしろ、倫理的な行動を実践することに重きを置いています。
たとえば、気が進まなくても必要な謝罪をする。経済的に余裕がなくても、可能な範囲で慈善活動に参加する。このような行動は、必ずしも心地よいものではありませんが、長期的には精神的な充実をもたらすことがあります。
また、現代社会では過度な楽観主義や強制的なポジティブシンキングが蔓延していますが、ストア哲学は現実を直視することの重要性を説いています。ネガティブな側面を認識し、受け入れることは、むしろ健全な生き方につながると著者は指摘します。
人生には、簡単には解決できない問題が付きまとうものです。人間の脆弱性、病、そして究極的には死―これらは私たちが「解決」できる問題ではありません。しかし、そこにこそ人生の真実があり、また私たちが地に足をつけて生きるための重要な示唆が隠されています。
現代社会では、あらゆることを前向きに捉え、ポジティブに転換することを求められがちです。しかし、それは必ずしも賢明な態度とは言えません。人生には確かに思い通りにならないことがあり、それらすべてをポジティブに言い換えることは不可能です。
むしろ、人間としての尊厳や現実感覚を保つために、私たちはネガティブな面と向き合う勇気を持つ必要があります。確かに、ポジティブな変化を生み出すことは可能かもしれません。しかし、ネガティブな側面は常に存在し続けるものです。それを受け入れつつ、必要に応じて批判や不満を表明する自由も重要です。
心の平穏を保つためには、コントロールできるものとコントロールできないものをしっかりと区別することが肝要です。自分が影響を与えられる領域に焦点を当て、エネルギーを注ぐことで、より充実した日々を送ることができます。一方で、自分の力が及ばない事柄については、あるがままを受け入れる柔軟さを持つことも大切です。このバランス感覚を持つことで、不必要なストレスを減らし、より安定した心の状態を保つことができるのです。
常にポジティブ思考を強要することには、実は大きな危険が潜んでいます。視野を狭め、過度に楽観的な態度を取り続けると、予期せぬ困難に直面したときのショックがより大きくなる可能性があるのです。むしろ、ネガティブな側面にも目を向けることで、将来起こりうる逆境に対する心の準備ができます。
時には愚痴をこぼすことも、実は健全な対処方法の一つかもしれません。「つま先が痛い。でもそれ以外の脚全体は痛くない!」というように、些細な不満を口にすることで、かえって人生の他の部分のポジティブな側面に気づくきっかけになることもあります。
自分がいずれ死ぬという事実を考えること。誰もが老い、病に倒れ、最後は死ぬ。この事実を毎日考えることによって、生きることのありがたみが増すようになる。人生の修羅場においてもそうだ。死は「なんとかできる」ような類のものではないが、多少の練習によって「人生は続く」ということを知るようになるかもしれない。
結局のところ、人生は死ぬまで続いていきます。その過程で直面する様々な問題を、ありのままに受け入れながら生きていく―それこそが、地に足をつけた生き方なのではないでしょうか。状況を変えられないとき、それを静かに見守る姿勢もまた、私たちの人生を豊かにする一つの知恵となりうるのです。
自己啓発書に頼ることは正しいのか?
ストア派の哲学は正反対だ。イエスと言うのが正しいかどうか、我々にはわからない。だから疑念を持つのが望ましい。疑いがあるなら答えはノーになる。だからいつでもノーと言える習慣を持つべきだ。「壊れていなけりゃ直すな」である。自分が何を持っているかはわかっているが、将来何を持つかはわからない。
現代社会で広く普及しているポジティブシンキングは、常に「イエス」を求める傾向にあります。新しい機会や可能性に対して、積極的に手を伸ばすことを奨励します。しかし、ストア派の知恵は、そうした性急な判断を戒めています。 特に重要な決断を迫られたとき、あるいは迷いが生じたときには、十分な時間をかけて熟考することが必要です。
「ノー」と言える習慣を身につけることは、単なる消極性ではなく、むしろ慎重で賢明な判断を可能にする重要な能力なのです。 このように、ストア派の教えは、現代の「イエス」志向の文化に対して、貴重な示唆を与えてくれます。確実なものと不確実なものを見極め、必要に応じて「ノー」という選択をためらわない―それは、より堅実で地に足のついた人生を送るための指針となると著者は述べています。
著者は自己啓発書の持つ本質的な問題点を指摘しています。これらの書籍は往々にして、幸福や富、健康といった魅力的な約束を掲げますが、現実にはそれらを実現することは容易ではありません。読者は理想と現実のギャップに直面し、結果として深い失望を味わうことになりがちです。
特に興味深いのは、読書が私たちの世界観形成に及ぼす影響についての指摘です。伝記や自己啓発書では、自己が物語の中心に置かれ、内なる支点として描かれます。そこでは多くの場合、ポジティブで楽観的なストーリーが展開され、読者はその成功物語の栄光に酔いしれることになります。
一方、小説は私たちに全く異なる世界観を提示してくれます。月に1冊の小説を読む習慣は、単なる娯楽を超えた価値があります。小説世界では、人生の複雑さや多様性が描かれ、より多神教的な視点が提供されます。つまり、一つの正解や単一の価値観ではなく、様々な可能性や解釈が存在することを教えてくれるのです。
小説を通じて、私たちは人生がいかにコントロール不可能なものであるかを実感できます。同時に、個人の人生が社会的、文化的、歴史的なプロセスと密接に結びついていることも理解することができます。これは、より現実的で豊かな人生観の形成に貢献するでしょう。
我々は読書によって影響を受ける。伝記や自己啓発書を読めば、自己が人生の真ん中にいる内なる支点として提示される。肯定的で楽観的にストーリーが展開し、その栄光を満喫することになる。一方、小説を読めば、もっと複雑で多神教的な世界観が提示される。
しかしながら、ここで注意すべきは、自己啓発書や伝記を完全に否定する必要はないということです。確かに著者の指摘する通り、読書を通じた学びは個人的な成長だけを目的とすべきではありません。その真の価値は、逆境に立ち向かう力を養い、他者とのつながりを深め、社会に貢献する力を育むことにあります。 むしろ重要なのは、読書の多様性を保つことではないでしょうか。
自己啓発書や伝記からも、確かに学ぶべき要素はあります。ただし、それらに偏ることなく、様々なジャンルの本をバランスよく読むことで、より豊かな人生観を築くことができるのです。 特に現代社会では、自己中心的な成功物語に囚われがちです。しかし、真に人生をより良くするためには、多様なインプットが必要です。
小説が提示する複雑で多面的な世界観と、自己啓発書が示す明確な目標設定や行動指針。これらを適切にバランスを取りながら取り入れることで、より深い洞察と実践的な知恵を得ることができるようになります。
読書とは私たちの視野を広げ、思考を深める手段です。その効果を最大限に活かすためには、特定のジャンルに固執することなく、広く多様な本に触れる姿勢が重要だと私は考えます。それこそが、より豊かで実りある人生への道筋となるのです。
永遠に動き回り、ポジティブで未来志向で、人生のすべての中心に自分自身を置くと言うのは愚かなことだ。ただ愚かなだけでなく、対人関係にも悪影響を及ぼす。他の人たちを単に自分の成功を追うために使う道具に貶めてしまい、道義的な責任を持つ存在として尊重しなくなるからである。
絶え間ない自己成長の追求、ポジティブシンキングの強要、そして未来への過度な志向性。これらは現代社会で称賛される価値観となっていますが、実はより本質的な問題を引き起こしています。 特に深刻なのは、このような生き方が人間関係に及ぼす悪影響です。
自己を人生の中心に置き、常に前進することばかりを考えていると、周囲の人々を単なる自己実現のための道具として見なしてしまう危険性があります。他者を、自分の成功を達成するための手段として扱い、その人格や尊厳を軽視してしまうのです。
このような態度は、人間関係の本質を歪めてしまいます。他者を道義的な責任を持つ独立した存在として尊重する視点が失われ、関係性が表面的で功利的なものになってしまうのです。結果として、真の意味での深い人間関係を築くことが困難になります。
さらに、このような生き方は個人にとっても持続可能ではありません。常に動き続け、ポジティブであることを強要され、未来ばかりを見つめる生活は、精神的な疲弊を引き起こす可能性が高くなります。
自己成長は確かに重要ですが、それは他者との関係性や社会的な責任と調和するものでなければなりません。現在という時間を大切にし、時には立ち止まって考える余裕を持つこと。そして何より、周囲の人々を一個の人格として尊重し、真摯な関係性を築いていくこと。
このように考えると、現代社会で推奨される「常に前向きで自己中心的な生き方」は、実は私たちの幸福や充実した人生の実現にとって、むしろ障害となっているのかもしれません。より豊かで意味のある人生を送るためには、加速社会の価値観を見直し、より人間的で調和のとれた生き方を追求する必要がああります。
私たちは常に前を向いて生きることを求められがちですが、時には立ち止まって地に足をつけ、過去を振り返ることも大切です。未来への展望を描くことと同じように、自分の歩んできた道のりと静かに向き合い、対話する時間を持つことで、より深い自己理解が生まれ、確かな一歩を踏み出すことができるのです。それは決して後ろ向きな行為ではなく、むしろ、より豊かな未来への道筋を照らす光となるのかもしれません。
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