キーエンス流 性弱説経営
高杉康成
日経BP
キーエンス流 性弱説経営 (高杉康成)の要約
キーエンスの経営は、「人は弱い存在である」とする性弱説を前提に成り立っています。人に過度な理想を求めるのではなく、弱さを仕組みで支えることで、誰もが成果を出せる組織を実現しています。この考え方は、キーエンスの高収益を支える基盤であり、持続的な成長を目指す企業にとって学ぶ価値のある視点です。
性弱説という新たな経営観——キーエンスの哲学に学ぶ
キーエンスは性弱説の考え方で動いている。(高杉康成)
売上高営業利益率が50%を超える高収益企業として知られるキーエンスでは、「役立ち度が高ければ、高く販売できる」という考え方を核に、常に顧客にとって本質的に役立つ用途を探し続けています。用途に応じて商品を開発し、価値のあるものとして適正に評価されることで、高利益率の商品でも受け入れられる仕組みを築いています。 この経営の根底にあるのが、「人は弱い存在である」という性弱説の思想です。
元キーエンスの高杉康成氏のキーエンス流 性弱説経営では、この思想を軸に、キーエンスの仕組みと実践が紹介されています。本書では、抽象的な理論にとどまらず、実際の制度や運用についても豊富に示されており、理論と現場をつなぐ内容となっています。
「性善説」や「性悪説」という考え方は、古代中国の儒家である孟子と荀子の説に由来しますが、著者はこれを再解釈し、「性弱説」という新たな視点を提示しています。 性弱説とは、人間の意欲や善悪とは無関係に、「誰しも思いどおりに行動できるわけではない」という前提に立ち、その弱さを仕組みで支えるという考え方です。
つまり、「性弱説」とは「相手を信頼しているかどうか」にかかわらず、仕事の目的を達成する確率を高めるにはどうすべきかを最優先に考え、適切なアプローチをとるという考え方なのです。 キーエンスが継続的に高収益を上げ続けている背景には、この性弱説の思想が組織全体に根付いていることが、大きな要因として挙げられます。
キーエンスでは、この現実的な人間観に基づき、期待よりも仕組みを優先する経営スタイルを貫いています。 たとえば、上司と部下の関係においてもこの思想が徹底されています。
一般的な企業では、「部下ならこれくらいはできるだろう」という前提で判断が任され、結果的に失敗後に叱責されるケースが少なくありません。一方でキーエンスでは、人間の判断や理解にばらつきがあることを前提に、あらかじめ再現性のある行動や成果を生む仕組みを整えています。
このように、個人の能力や努力に頼るのではなく、誰が実行しても一定の成果が出せる業務プロセスをつくり込むことで、人的エラーや属人的判断を最小限に抑えています。これが、組織全体の成果と成長を安定して支えている大きな要因です。
従来のマネジメントでは、性善説が「社員の自主性に期待し任せる」、性悪説が「不正を防ぐために管理と統制を強める」といったアプローチをとってきました。
それに対し、性弱説は「人は弱いからこそ失敗する」という前提で仕組みを先回りして設計する点に特徴があります。 こうした性弱説に基づく考え方は、現場での実行力と持続的な成果を両立させる、極めて現実的かつ再現性の高い経営アプローチであり、現代の企業が学ぶべき要素を多く含んでいるといえます。
■どうすれば人が動くのか ■どうすれば質の高い情報が得られるのか ■現状はどうなっているのか というメカニズムの解明を常に考えて言語化し、仕組みに落とし込むことが大切です。
キーエンスでは、全社的に「メカニズム思考」と呼ばれる共通の思考法が根付いています。これは、物事を論理的に捉えるという点でロジカルシンキングに近いものですが、個人レベルの考え方にとどまらず、企業全体が論理に基づいて動いている点が特徴です。
成果は優秀な営業パーソンの勘や経験に依存するのではなく、緻密に検証された営業プロセスによって生み出されています。 また、情報の可視化と共有も性弱説を体現する仕組みの一つです。キーエンスでは「人は見えないものを管理できない」という前提から、社内システムを通じて誰が何をしているのか、どのような成果を上げているのかがリアルタイムで共有されています。
特に日報や週報、月報といった報告ツールは、単なる情報伝達の手段にとどまらず、次に取るべき行動を示すナビゲーションとして機能しています。上長が部下から報告・連絡・相談を受ける際、日報に活動内容が1分単位で正確に記載されていない場合、注意や指導を行います。
この精度の高い記録が徹底されるよう、監査部門も日報の記載状況を定期的にチェックしています。もし記載漏れや記録の不備が多く見られる場合には、上長に対して指導が行われる仕組みとなっています。これにより、社員が「何をすればいいかわからない」という状態に陥ることなく、常に最適な判断を下すことが可能になります。
一般的な企業とキーエンスの労働生産性を比較してみると、その差は非常に大きいことがわかります。たとえば、一般的な企業では、1日の勤務時間が8時間あったとしても、実際に集中して価値を生み出している時間は50%、つまり4時間程度だと仮定します。
さらにその中で、難易度が高く成果に直結する仕事に取り組めているのは一部に限られます。性善説の前提で個人に任せた結果、期待どおりに成果が出ないケースも少なくありません。その場合、実際に成果として残るのは2時間分程度にとどまる可能性があります。
一方で、キーエンスでは社員が日常的に仕事の密度を意識しているため、同じ8時間でも約90%の密度で業務が行われていると想定されています。すると、実質的な業務時間は7.2時間に相当します。加えて、難度の高い仕事や高い成果が求められる業務に対しても、性弱説を前提とした仕組みがあることで、個人任せにせず、組織として成果を出しやすくなる環境が整っています。そのため、仮にすべてが完璧に進まなかったとしても、1人あたり6時間分の成果を出すことが可能になります。
この比較からわかるように、一般企業では1日あたり2時間分の成果にとどまるのに対し、キーエンスでは3倍となる6時間分の成果が見込まれます。これが社員一人ひとりに積み重なり、それが年間を通じて継続されることで、パフォーマンスの差はさらに大きくなっていきます。
こうした積み上げが、最終的には労働生産性の違いとなって現れ、営業利益率の高さにも確実に反映されていくのです。 これこそが、キーエンスが高収益を生み出し続けている背景にある、極めて論理的かつ実践的な経営の仕組みと言えるのではないでしょうか。
性弱説を前提にした顧客との向き合い方とKPIの作り方
キーエンスが高い価値の商品を高く販売できるのは、 大きな困りごとを解決する商品を作る + それをしっかりと顧客へ伝え共有するというように、開発と販売の合わせ技で実現しているのです。
キーエンスの商品開発では、明確なステップに沿って価値を創出しています。まず、顧客にとって困りごとが大きいモノやコトを丁寧に見つけ出すことから始まります。そのうえで、それを解決できる商品として具現化し、商品化へとつなげていきます。
さらに、顧客自身がその困りごとの存在や大きさに気付いていないケースも多いため、課題を「見える化」し、共有することで、改めてその重要性を認識してもらうプロセスが重視されています。 このように、課題の発見から共感の形成までを一貫して丁寧に行うことで、顧客は「高い価値がある」と納得したうえで、その商品に高い価格を支払う選択ができるようになります。単に価格を上げるのではなく、「価格に見合った価値」をどう構築し、どう伝えるかが重視されているのです。
顧客にとって本質的に重要な課題を解決できる商品を開発し、その価値を適切に伝え、共有していくことは、いまや不可欠な取り組みと言えます。この二つの要素が揃ったとき、製品の真の価値が正しく評価され、結果として高い対価にもつながっていく可能性が高まります。
企画担当としては、単に「売れるかどうか」だけに注目するのではなく、プロダクトそのものの価値をいかに高めるか、そしてその価値をいかに多くの顧客に届けていくかという視点を常に持ち続ける必要があります。商品が顧客にとってどのような意味を持ち、どのような困りごとを解決できるのか。その核心を見極めたうえで、価値の創出と伝達に取り組んでいく姿勢が求められます。
顧客の課題を的確に把握するには、いくつかの前提条件を満たす必要があります。たとえば、顧客の業界や商材、業務プロセスに関する十分な理解があること。さらに、自社製品が顧客企業の中でどのように機能し、どのような価値を提供しているかを具体的に把握していること。そして、限られた時間の中で必要な情報を収集し、要点を整理するスキルが求められます。これらの条件を満たすことによって、ヒアリングの質が大きく高まり、より実践的で信頼性のある提案につなげることができます。
特に、自社製品が顧客にとってどう役立つかを深く理解する姿勢は、確実に成果に直結すると言えます。 また、業務の密度や成果の質を測る指標として、「付加価値生産性(売上総利益 ÷ 総稼働時間)」を取り入れることは有効です。
これは時間当たりにどれだけの価値を生み出せているかを明らかにするもので、個人やチームの生産性を把握し、改善していくための起点になります。キーエンスの付加価値生産性は時間あたり3万円で、年間7000万円の粗利を稼いでいます。
この指標を活用することで、日々の業務の見直しやリソース配分に関する判断を、より的確に行うことが可能になります。 目標の達成状況を評価する際には、まずその目標自体が適切に設定されていたかを検証する姿勢が欠かせません。日報で1分の重要性を認識させることもこれが理由なのです。
たとえば、目標を下げた結果として評価が上がるような仕組みがあると、周囲に不公平感を与える可能性があります。組織として健全な評価を維持するには、目標設定の基準やプロセスを明確にし、納得感のある運用を徹底することが不可欠です。
「KPIパラメーター」は、業務において成果を出すために必要な要素を洗い出し、測定し、可視化した数値を指します。ゲームの登場人物が「攻撃力」「防御力」「体力」などの指標で能力が可視化されているのと同じです。人物ごとに得意不得意があり、また、レベルアップ(成長)すれば数値が高くなります。
KPIから逆算して数値目標を設定する際には、納得感のある設計が重要です。上から一方的に与えられた目標では、当事者意識が育ちにくく、行動の継続性にも悪影響を及ぼします。だからこそ、目標設定の段階で自らの意見や考えを反映させ、主体的に取り組める状態を整えることが大切です。
自分自身でKPIを選定し、上司と共有することで、結果に対するコミットメントが高まります。 ソリューション提案の成功のカギは、顧客の本質的なニーズを的確に把握できるかどうかにかかっています。キーエンスでは、最初の段階である「ニーズ把握」において、顧客の真のニーズをできるだけ簡単に掴めるよう、ツールや仕組みを整備しています。守秘義務に抵触しない範囲で、他社での成功事例を顧客にわかりやすく説明できるツールも構築されています。
さらに営業担当者は、顧客の前で商品のデモンストレーションが行えるよう、必要な機材を常に携帯しています。それらを活用したロールプレイ型の研修も日常的に実施しており、こうした取り組みにより、個々の営業担当者の成長を促しながら、特定の個人スキルに依存しない「仕組みによる簡単化」が実現されています。
潜在ニーズを探る際には、社会環境の変化とどのように関係しているかを見極めることが重要です。個社固有のニーズなのか、それとも市場全体に通じるニーズなのかを判断するには、社会的な背景を踏まえた視点が必要になります。そのためには、定期的に社会の動きを把握し、そこから仮説を立てて顧客の課題にアプローチしていくことが効果的です。
仕組みで営業とマーケティングを強化——持続可能な高収益の舞台裏
情報には「営業情報」「仕様情報」「開発情報」の3種類があります。
営業情報は、購入時期・数量・金額など、取引に必要な基本情報です。仕様情報は、商品のサイズや構成、特長など、製品そのものの詳細を示します。
そして最も重要とされるのが開発情報で、「どう使えるのか」「現状の方法はどうか」「なぜ現状では不十分なのか」といった、使い方や課題、メリットに関する情報です。
開発情報が重要なのは、これを把握することで顧客の本質的な困りごとが見え、より役立ち度の高い提案や新しい商品開発につながるからです。
たとえば、ホワイトペーパーで仕様情報だけを提供しても、顧客にとっては「面白そうだが、どこで使えばいいか分からない」と感じられることがあります。つまり、製品の特徴は理解できても、自社の現場でどう役立つかまでは伝わらないのです。だからこそ、仕様だけでなく、開発情報をあわせて伝えることが求められます。
ホワイトペーパーの質向上は「開発情報」が決め手となる。
キーエンスの担当者は、顧客の業界知識を深く学び、顧客の業務内容にも非常に精通しています。さらに、顧客の相談に深く入り込み、工程に関する知識などにも詳しくなっていきます。 優秀な現場からは、質の高い開発情報が日々フィードバックされており、それが質の高いホワイトペーパーの制作へとつながっていきます。
また、本社の販売支援部門のメンバーはトップセールスマンの集まりになっています。当然、集まってくる情報の質も非常に高く、それを的確に見極め、ツールへと落とし込む担当者のレベルも非常に高いのが特徴です。
①現場に入り込んでいる営業担当者から、質の高い開発情報がフィードバックされる
②その情報を分析・判別し、コンテンツやツールを制作する。担当者が優秀なため、アウトプットも魅力的
③完成したツールをホワイトペーパーとしてホームページに掲載
④顧客が興味を持ってホワイトペーパーをダウンロードする
⑤ダウンロードの履歴を基に、営業担当者が迅速にフォローする
このように、マーケティングと営業活動の各ステップが連携した一連の仕組みがキーエンスでは実現されているため、短期間で大量のホットリードを獲得できる体制が整っているのです。
「最小の資本と人で、最大の付加価値を上げる」経営理念に書かれているこの目標に向かって、様々な戦略が緻密に練り上げられ、日々密度の高い状態で実践されています。「性弱説の視点で今より少しだけ緻密に考えてみる」。これこそ、企業やそこで働く一人一人に求められている姿勢ではないでしょうか。
著者は、性弱説という視点こそがキーエンスの戦略の緻密さを支える基盤であり、一つひとつの取り組みに細やかな配慮が行き届いている点を重視しています。まさに、細部に戦略思想が宿る企業であると指摘しています。
「性弱説の視点で、今より少しだけ緻密に考えてみる」。この一言には、組織としてのあり方だけでなく、そこで働く一人ひとりに求められる姿勢が端的に表現されているといえます。人を性善と見なして楽観的に期待するのでもなく、性悪と見なして厳しく断じるのでもなく、「人は弱い存在である」という前提に立ち、その弱さを補う仕組みを丁寧に整えていく必要があります。
こうした経営哲学には、個人的にも非常に共感を覚えます。この考え方は、心理的安全性や働きがいといった現代的な価値観とも高い親和性を持ち、理想論に偏らない現実的なマネジメントとして、確かな説得力を備えていると捉えています。
本書は、優秀な人材や個人の能力に過度に依存するのではなく、「人間は本来、弱い存在である」という性弱説の視点に立ち、組織や制度を設計・運営するという考え方を基本としています。 このような経営手法によって、急速な変化と複雑さが増す現代社会においても、キーエンスは他に類を見ない成果を上げているのです。
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