移動と階級
伊藤将人
講談社
移動と階級 (伊藤将人)の要約
社会学者・伊藤将人氏は、移動の格差が個人の人生や社会参加の機会を左右し、新たな社会階層を形成していると指摘します。著書『移動と階級』では、移動資本という概念を通じて、移動の自由が経済・教育・文化的な格差と密接に関わることを明らかにしました。移動資本は単なる手段ではなく、経験や意欲、アクセスの蓄積により形成され、社会的不平等の再生産に深く関与しています。公正な移動環境の整備が今、強く求められています。
移動とは社会的で、政治的で、経済的なもの
移動とは社会的で、政治的で、経済的なものである。(伊藤将人)
「移動とは社会的で、政治的で、経済的なものである」 社会学者・伊藤将人氏のこの言葉は、日常的な行為として見過ごされがちな「移動」に、いかに深い社会的意味が宿っているかを鋭く示しています。
移動の機会や可能性は、人々に等しく与えられているわけではありません。そしてその不均等は、就業や教育、文化的活動といった社会参加の機会を左右し、さらには生活の質や社会的地位の形成にも大きく関わっています。 つまり、「どこへ行けるか」「どこに住めるか」といった空間的選択の自由は、「どのように生きられるか」「どんな人生を歩めるか」という問いと深く結びついているのです。
こうした移動をめぐる格差や不平等は、社会構造の中に静かに、しかし確実に組み込まれ、人々の可能性を見えにくいかたちで制限しています。そして現代において移動は、単なる利便性の問題にとどまらず、新たな階級・階層間の分断や緊張を生み出す要因にもなりつつあります。
このような「移動」と「格差」の関係に本格的に切り込んだのが、伊藤氏による著書移動と階級です。都市社会学やモビリティ研究を専門とする著者は、空間的な移動の可能性が社会階層に与える影響を、実証的なデータをもとに丁寧に分析しています。
本書では、従来の経済資本や文化資本では捉えきれなかった現代社会の階層構造を、「移動資本」という概念を用いて鮮やかに可視化しています。 現代の日本では、「自由に移動できること」が成功や豊かさの前提条件として語られることが増えています。グローバル化やデジタル化が進むなか、モビリティの高さは個人の評価やキャリア形成に直結する指標として扱われるようになりました。
しかし、伊藤氏の調査によると、日本人の約半数が自らを「自由に移動できない」と思っており、さらに5人に1人はその自由に満足していないという現実があります。加えて、「移動の自由をめぐる差は存在する」と回答した人は66.8%に上り、「わからない」とした16.0%を除けば、「差は存在しない」と考える人はわずか17.2%にとどまっています。
こうした結果は、多くの人がすでに、移動をめぐる明確な格差が現実に存在していると認識していることを示しています。 移動の自由は、単なる選択の問題ではなく、個人の可能性や社会的達成に直結する構造的条件なのだという視点を、私たちは今こそ真剣に捉え直す必要があるのではないでしょうか?
移動の自由が制限されている人々は、就業機会、教育機会、文化的・社会的ネットワークへのアクセスが制限され、結果として生活の質や社会的な可能性に大きな影響を受けてしまいます。 伊藤氏の提示する「移動資本」は、このような社会的不平等を読み解くための理論的な枠組みです。
これは「アクセス」「スキル」「価値観、認識、習慣など」の3つの構成要素から成り立っており、移動の手段にアクセスできるかどうか、移動を実行する知識や経験があるか、そして移動に対して前向きな意欲を持てるかという観点から、個人のモビリティを評価します。
移動資本は「ある」もしくは「ない」、「持っている」もしくは「持っていない」、と二項対立的に捉えられるものでもない。移動資本は”グラデーション”であり、中長期的にみれば、ある個人の中で増える可能性も、減る可能性もある。
移動資本は、単なる有無ではなく、連続的・累積的に変化する資本です。たとえば、海外渡航の経験は、初回は多くの不安や手間を伴いますが、回数を重ねるごとに手続きや現地対応のスキルが蓄積され、次第に移動が容易になっていきます。こうした経験の蓄積が心理的ハードルを下げ、より多様な移動の可能性を開いていくのです。
このように、移動は一度限りの行為ではなく、次の移動を促す「資本」として機能します。運転の習得、鉄道利用の慣れ、引っ越し経験なども同様に、今後の移動を支える無形の力として作用します。
さらに伊藤氏は、将来の移動可能性における格差にも注目しています。移動の必要性や意欲が生じたときに、それを実行できるかどうかは、すでに社会的に不平等なかたちで分布しているのです。そして重要なのは、「移動しないという選択肢」もまた移動資本の一部であるという視点です。
人々は必ずしも絶えず移動し続けることを望んでいるわけではなく、安定した定住を選好するケースも多く見られます。 たとえば、日本では技術の進歩によって居住地選択の自由度はかつてないほど高まっているにもかかわらず、戸建て住宅への定住を選ぶ人が依然として多数派であるという事実があります。
これは、移動可能性の拡大が実際の移動行動の増加に直結しているわけではなく、選択の自由そのものにこそ移動資本の本質があることを示しています。
移動資本は「ネットワーク資本」としても機能します。移動を通じて築かれる現実の、あるいは潜在的な社会関係が、モビリティの社会的意義をかたちづくっているのです。移動が生むのは単なる距離の移動ではなく、人との接触、情報のやりとり、文化の交換といった、社会的な接続の可能性なのです。
こうした人的ネットワークを戦略的に構築できるのは、移動能力の高い個人や集団です。多様な地域や層とつながりを持つことで、彼らは豊富な人的資源へのアクセスを確保し、それがさらなる機会や成功への道筋となっていきます。このような構造は、新たな社会階層の形成において決定的な意味を持っています。
そして何より深刻なのは、こうした移動資本の格差が、相互に作用し合いながら累積的な不平等を生み出しているという事実です。移動できる人はますます多くの移動機会を獲得し、それに応じて経験や人脈をさらに増やしていきます。一方で、移動資本を欠いた人は機会に恵まれず、差は時間とともに拡大していくのです。
移動格差は、もはや快適性や利便性の次元にとどまりません。それは、社会的な成功や生活の質を左右し、ときに社会的排除のメカニズムを通じて、新たな階級分断を生み出す構造的な問題なのです。
成功は移動距離に比例するのか?
古くから、「成功は移動距離に比例する」「成功者は移動量が多い」といった類いの格言がある。これが本当ならば、好きなときに、好きな場所に、好きな方法で行ける、移動資本が高い人(移動強者)は「成功者」であると言えるかもしれない。
「成功は移動距離に比例する」――そんな言葉が長らく語り継がれてきました。実際、移動できる人は新たな機会に出会いやすく、結果として成功につながる可能性が高い。一方で、移動が困難な人々は、社会的・経済的に不利な立場に置かれがちです。このような仮説は、ビジネスや社会学、都市論など多くの領域で繰り返し論じられてきました。
たとえば、長倉顕太氏や入山章栄氏といった影響力ある論者は、「移動がイノベーションを生む」「移動によって自己変革が促される」といった主張を積極的に展開しています。彼らの見解は、自身の実体験や観察に根ざしており、多くの読者にとっても直感的に納得しやすいものです。本書を読むまで、私もこの考えには共感を覚えていました。
特に現代は、デジタル技術の進展によって物理的な移動の必要性が減少しているからこそ、あえて「身体的な移動」の持つ意義や、そこから生まれる偶然の出会い、創発的なネットワークの価値に注目が集まっています。
こうした移動礼賛の流れに対し、伊藤氏は近年の研究動向をふまえながら、「移動がすべての人にとって成功をもたらすわけではない」と冷静に指摘します。むしろ、「移動は高度な専門性やスキルを有する人材において、その能力をさらに増幅する触媒として機能する」との見方のほうが実態に即しているというのです。
言い換えれば、すでに専門性を備えている人が移動を通じて築くネットワーク資本が、さらなる飛躍を可能にしているという構図です。この視点からすれば、「移動すれば誰でも成功できる」という主張には修正が必要だと言うのです。
重要なのは、「移動そのものが成功をもたらす」のではなく、「移動の過程で形成されるネットワーク資本こそが、成功の条件を整える」という点です。実際、ネットワーク資本が豊富な人ほど地理的移動の頻度も高くなる傾向があります。そして興味深いことに、彼らは自らの価値観を他者にも適用しようとする傾向があるのです。
成功者は「移動しない人=成長しない人」といったロジックを、意識的あるいは無意識的に周囲に伝えています。こうした価値観の背景には、インターネットの普及と、オンラインとオフラインを組み合わせたハイブリッドな移動スタイルの定着があります。これを活用して成果を上げてきた人々は、「移動こそが成功の鍵だ」と確信をもって語るのです。
しかし、ここにこそ見逃してはならない問題が潜んでいると著者は指摘します。それは、ネットワーク資本がしばしば社会的不平等を再生産するという点です。資源に恵まれ、移動の自由を持つ人々は、自らのネットワークを最大限に活用してさらなる成功を手に入れます。
一方、資源が乏しく移動の自由を持たない人々は、その輪にすら加われず、ますます不利な状況に追い込まれるのです。
象徴的なのは、世界で最も裕福かつ移動性の高い300人が、最も貧しく移動性の低い30億人と同等の所得を得ているという統計です。これは、グローバル資本主義における移動格差の構造を如実に示しています。
移動と成功の関係は、決して単純な因果関係ではありません。むしろ、移動の恩恵を受けられるのは、すでに社会的に優位に立つ一部の人々であり、その移動資本とネットワーク資本が格差をさらに拡大させていくという現実があります。重要なのは、このメカニズムを感覚的な語り口ではなく、構造的に理解することです。
成功者の中には、「成功は自分の努力と能力による当然の帰結」と信じ、移動しない人々に対して否定的なまなざしを向ける人も少なくありません。「行動すればいいのに」「海外で挑戦すべきだ」という声に代表されるように、移動ができない人の背景を顧みない言説が広がっています。 しかし、そうした主張の背景には、能力主義と生存者バイアスが強く作用していると考えられます。
つまり、成功者が自身の成功体験のみを基準に世界を語り、そこから外れた人々の困難を「自己責任」として片づけてしまうという現象です。 このような偏りから脱却するためには、「移動が困難な人がこの世界には確かに存在する」という現実への想像力を持つことが必要です。
こうした理論的枠組みを踏まえたうえで、私自身の体験を振り返ってみたいと思います。私も「移動距離と成功は比例する」という考えに強く影響を受け、仕事でも学びでも積極的に移動してきました。異なる土地に身を置くことで得られる風景や人との出会いは、私の思考を広げる大きな刺激となってきました。
特に、慣れ親しんだ日常から一歩離れたとき、自分の思考パターンに気づき、それを乗り越える新たな視点が生まれる瞬間があります。移動による「セレンディピティ効果」は、まさに私の実感と一致します。偶然の出会いや予想外の出来事から得られる気づきは、思考の幅を広げ、創造的なひらめきをもたらしてくれます。 また、多様な文化や価値観に触れることで、異なる知の体系を結びつけることで、創造力が養われていく実感もあります。
著者が指摘するように、移動によって何かを得られるかどうかは、その人の準備や背景に大きく依存します。だからこそ、移動の価値を語るときには、「移動すれば成功する」といった単純な肯定ではなく、その背後にある構造的な条件や格差を合わせて考える必要があります。
移動には確かに自分の可能性を広げる力があります。しかし、その可能性を誰が、どのように手にしているのか。――この視点を忘れないことが、私たちが「移動と成功」の関係を真に理解するために欠かせない態度だと著者のメッセージから気づけました。
公正で持続可能なモビリティに向けた5つの視点
著者は、公正で持続可能なモビリティに向けた5つのポイントを明らかにしています。
1. 企業や行政による移動機会の格差解消支援
移動をめぐる格差や不平等は、世代を超えて再生産される傾向があります。JALの取り組みに見られるように、移動資本の乏しい人々へのアクセシビリティを広げる支援は、モビリティ関連企業だからこそ担える重要な役割です。
こうした取り組みは、行政と企業が連携することで地域単位へと拡充可能であり、移動機会の不均衡是正に向けた具体的な第一歩となるでしょう。
2. 共助による移動課題の解決
「自己責任」が過剰に強調される現在において、移動できる/できないという問題が個人の責任とされがちです。しかし、だからこそ「共助」の視点が必要です。
たとえば、兵庫県養父市では、地元タクシー事業者がNPO法人を立ち上げ、有償運送サービス「やぶくる」を運行しています。市民が「市民ドライバー」となり、高齢者などの送迎を担い、事業者は運行管理に専念する体制です。このように、「私(市民)」と「公(事業者)」の連携による共助は、地域における移動格差の解消に向けた実効性の高いアプローチといえます。
3. モビリティ・ジャスティスの実装
移動を「正義」や「公正」の観点から捉える「モビリティ・ジャスティス」の考え方は、移動に関わる格差や不平等の根本的な理解と解消に資する重要な概念です。 この考え方を政策に実装するには、制度・政策・計画といった実践領域における「分配的公正」と、それらを支える価値観や倫理をめぐる「熟慮的公正」の両立が不可欠です。
利害関係者が移動をめぐる不平等に対して共通の視座を持つためのプリズムとして、モビリティ・ジャスティスは今後ますます重要性を増すでしょう。
4. 調査とデータ蓄積の強化
移動をめぐる実態把握には、より緻密かつ多層的なデータの蓄積が求められます。現行の調査では公共交通の利用実態が中心ですが、地方では家族や近隣住民による送迎が大きな役割を果たしているにもかかわらず、こうした「見えにくい移動」が政策から取り残されがちです。
家族送迎は、本来公共交通が担うべき役割を無償で肩代わりしているとも言えます。その負担が特定の性別(特に女性)に偏っている実態も見逃せません。これらの実情を把握せずに支援策を講じても、制度の形骸化を招く可能性があります。現在は、技術革新により個人の移動データが収集しやすくなっており、今こそ調査体制やデータ活用の仕組みづくりが急務です。
5. 「ジェンダー主流化」の促進
移動におけるジェンダー格差は、長らく見過ごされてきた課題です。女性やマイノリティは移動から排除されがちで、こうした不平等は政策・サービス設計におけるバイアスとして再生産されています。
「ジェンダー主流化」は、あらゆる政策や事業のプロセス——計画・予算・調査・設計・実施・評価——にジェンダー視点を制度的に統合するアプローチです。この視点を取り入れることが、移動に関する多様なニーズを可視化し、真に公正な移動社会を構築するための出発点となります。
移動は単なる手段ではなく、社会構造の根幹を成すものです。移動に関する制度・サービスの設計や運用は、人々の生き方そのものに直結します。だからこそ、移動の公正さや持続可能性は、理念として語られるだけでなく、具体的な政策と行動に落とし込まれる必要があります。今回挙げた5つの視点は、そのための羅針盤となるはずです。
移動の自由が制限されることで生じる社会的排除は、就労や教育、医療、文化参加など、生活の質を左右する重要な領域全般に波及します。 伊藤氏は、この複雑なメカニズムを解明し、移動資本の公平な分配や移動機会の拡充を実現するための政策提言も行っています。現代社会において、移動格差がもたらす新しい不平等の構造を理解し、是正することは、持続可能な社会を実現する上で極めて重要な課題となっています。
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