文化がヒトを進化させた
ジョセフ・ヘンリック
白揚社
文化がヒトを進化させた(ジョセフ・ヘンリック)の要約
ジョセフ・ヘンリックは「文化-遺伝子共進化」理論を提唱し、文化的革新が人類進化の独自の方向性を示すと主張しました。言語発達、道具使用、農耕開始などの文化的要因が、人間の認知能力、身体特徴、社会構造の形成に大きな影響を与え、生物学的進化と相互に作用してきたのです。
文化と進化の重要な関係
私たちが、文化として代々受け継がれてきた大量の情報―その土地での生存と繁殖に有利な情報―にどれほど依存しているかをしっかりと認識する必要がある。それは、一個人が一生かけても考え出すことができないほど優れた知恵に満ちたものなのだ。(ジョセフ・ヘンリック)
人類の進化について、私たちはどれほど理解しているでしょうか。ジョセフ・ヘンリックは、この問いに対する新たな視点を提供しています。従来の進化論に挑戦するこの本は、文化が人間の進化を方向づけるという革新的な考えを展開しており、学術界に大きな波紋を投げかけています。
純粋な認知能力のテストでは、人間は必ずしもサルを上回るわけではありません。これは一見すると不可解に思えるかもしれません。人間がこれほど大きな脳を持ち、地球上で最も成功した種の一つとなった理由が分からなくなってしまいます。
しかし、ヘンリックの理論によれば、人間の真の強みは個人の問題解決能力ではなく、文化を学び、蓄積し、伝達する能力にあります。この能力こそが、人間の大きな脳の進化を促した主な要因だと考えられています。
人間の文化は、単なる知識の集積以上のものです。それは習慣、技術、経験則、道具、動機、価値観、信念など、成長過程で他者から学ぶなどして後天的に獲得されるあらゆるものを含んでいます。これらの文化的要素は、私たちの生存と繁栄に不可欠な役割を果たしています。
文化の形成プロセスは、進化論を用いて説明できることを示そうと思う。ヒトが他者から学ぶという能力は、遺伝子にかかる選択圧によって形成され、磨き上げられてきたものだ。そのことを理解すれば、どうして複雑な文化的適応―道具、武器、食物の加工処理法、社会規範、制度、言語など―が生まれるのかがわかるし、ヒト自身はその効果や仕組みをわかっていなくても、そうしたものが出現してくる理由がわかる。
ヘンリックは、この文化への依存が人類の進化を独特の方向に導いたと主張しています。火の使用、調理法、切断用具、衣類、身振り語、投槍、水容器といった文化的革新が、主要な選択圧として作用し、人間の脳や身体に遺伝的な変化をもたらしました。
この過程を、ヘンリックは「文化-遺伝子共進化」と呼んでいます。 例えば、料理の発明は人類の進化に革命的な影響を与えました。火を使って食べ物を調理することで、私たちの祖先は消化にかかるエネルギーを大幅に減らし、より多くの栄養を摂取できるようになりました。
この文化的革新は、人間の脳の大型化を可能にすると同時に、消化器官を小さくすることにつながりました。現代の人間が他の霊長類に比べて小さな腸や顎を持っているのは、この文化的適応の結果なのです。
さらに、言語の発達も人類の進化に大きな影響を与えました。言語は、複雑な情報を効率的に伝達し、集団で協力する能力を飛躍的に向上させました。この能力は、より大規模で複雑な社会の形成を可能にし、さらなる文化的革新を促進しました。 タブーや儀式といった社会規範も、人類の進化に重要な役割を果たしました。
他者から学ぶことが、進化に重要な理由
最も重要な適応能力の一つは、他者をよく観察してそこから学びとる能力である。他者から学ぶときに欠かせないのが、その相手の目的、選好、動機、意図、信念、戦略など、心の状態を推し量る能力、心を読む能力だ。このような認知能力は、メンタライジング、または心の理論と呼ばれている。
他者から効果的に学ぶためには、相手の目的、選好、動機、意図、信念、戦略など、心の状態を推し量る能力が不可欠です。この能力は、心理学や認知科学の分野では「メンタライジング」または「心の理論」と呼ばれています。
この認知能力は、人間の社会生活において極めて重要な役割を果たしています。 メンタライジング能力の獲得は、個人の発達において非常に重要です。この能力に欠ける者や、獲得が遅れた者は、社会生活において大きなハンディキャップを負うことになります。
なぜなら、早い段階で他者から規範や技能、知識を学び取っている者に対して、圧倒的に不利な立場に置かれるからです。 このことから、他者から学ぶのに不可欠なこの心の機能は、発達段階のかなり早い時期に芽生える必要があることがわかります。
実際、赤ちゃんでさえ、誰から何を学ぶべきかを慎重に選んでいるという研究結果があります。何を食べ、どのようにコミュニケーションをとり、誰を避け、どのように振る舞い、どんなスキルを身につけるべきかなど、あらゆることを学ぶときに用いられるのが、この相手の心を推し量る能力なのです。
この選択的な学習能力は、成長とともにさらに洗練されていきます。大人になっても、私たちは無意識のうちに、名声、実績、力量、性別、民族性などを手がかりに、学ぶべき相手を選んでいます。経営大学院の学生でさえ、このプロセスから逃れることはできません。 この選択的な注意と学習のメカニズムは、文化の進化を促進します。
個々人が記憶し、次世代に伝える内容が方向づけられることで、文化は目に見えないところで進化を遂げていくのです。同時に、この文化的情報の蓄積は遺伝子の進化と相互作用し、人間の身体構造、生理、心理を形成していきます。これは現在も進行中のプロセスなのです。 社会規範もまた、人間の行動を強力に規制してきました。
食のタブーを無視したり、儀式をないがしろにしたり、親族に狩猟の分け前を与えなかったりするなどの規範違反は、厳しい社会的制裁を招きました。評判を落とし、陰口を叩かれ、結婚の機会や仲間を失うことになったのです。極端な場合、村八分や処刑さえありえました。
このような文化進化によって生まれた「自己家畜化」のプロセスは、人間の遺伝的な変化を促しました。その結果、私たちは向社会的で、従順で、規範を遵守する動物になっていったのです。共同体に監視されながら社会規範に従って生きることを、当然のこととして受け入れるようになりました。
この自己家畜化のプロセスは、人類の多くの特徴を説明する鍵となります。 人類の成功の秘密は、個々人の頭脳の力ではなく、共同体の持つ「集団脳」、すなわち集団的知性にあります。この集団脳は、人間の文化性と社会性が合わさって生まれます。私たちは進んで他者から学ぼうとする性質(文化性)を持っており、同時に適切な規範によって社会的つながりが保たれた大規模な集団で生きることができます(社会性)。
これらの特性が組み合わさることで、集団脳が生まれるのです。 人類の特徴とも言える高度なテクノロジー、例えば狩猟採集民のカヤックや複合弓から、現代の抗生物質や航空機に至るまで、これらは一人の天才から生まれたわけではありません。
互いにつながりを保った多数の頭脳が、何世代にもわたって、優れたアイデアや方法、幸運な間違い、偶然のひらめきを伝え合い、新たな組み合わせを試みる中から生まれたものなのです。 私たちがこうした道具、概念、技能、ヒューリスティクスを持っているのは、人間が生まれながらに賢い動物だからではありません。
むしろ、文化によって生み出された膨大な道具、概念、技能、ヒューリスティクスのおかげで賢くなっているのです。つまり、人間を賢くしているのは文化なのです。 文化の影響は、遺伝的進化を駆動し、「自己プログラミング」を可能にするだけにとどまりません。
文化は、遺伝的変化とは別のやり方で人間の生理や心理に深く入り込んでいます。長い歳月をかけて、制度、価値観、世評、技術といったものを取捨選択することによって、人間の脳の発達や、ホルモン応答、免疫反応に影響を及ぼしてきました。
また、文化的に構築された社会に適応しやすいよう、人間の注意の向け方、知覚、動機、推論法に調整を加えてきたのです。 このような文化と生物学の密接な関係は、現代社会における教育のあり方にも重要な示唆を与えています。
もし人間の主な適応的利点が文化を学び、伝達する能力にあるのだとすれば、これらの能力を育成することがより重要になります。批判的思考力や創造性を育む教育方法、多様な文化的経験を提供する教育プログラムなどが、今後ますます重要になるでしょう。
さらに、ヘンリックの理論は社会規範の重要性も強調しています。人間の共同体を形成しているのは、文化進化によって生まれた社会規範だと考えられています。これは、人間社会の複雑性や協力の傾向を説明する上で、新たな視点を提供しています。
集団の脳と文化が人類を進化させてきた!
テクノロジーにせよ、非物質的なノウハウにせよ、それを維持し続けられるかどうかは、生態学的な条件、環境の変動、病気の蔓延、社会的な慣行などの絡み合いによって決まってくるのだ。集団として、いったん失ってしまったノウハウを二度と取り戻せないこともある。
ヘンリックは、集団の脳の重要性を示す興味深い例としてタスマニアの先住民の事例を挙げています。約12,000年前、海面上昇によってタスマニアがオーストラリア本土から切り離されました。この地理的な孤立は、タスマニアの人々を文化的にも孤立させる結果となりました。考古学的証拠によると、この孤立期間中に彼らは多くの技術を失っていったと言います。
骨製の道具や釣り針の製作技術が失われ、最終的には魚を食べることさえしなくなったのです。さらに驚くべきことに、火を起こす能力さえ失った可能性があるとヘンリックは指摘しています。
この例は、文化的な孤立が技術の喪失につながり、それが生存戦略にまで影響を及ぼすことを示しています。集団の脳が十分に機能しなくなると、人々は重要な知識や技術を失う危険性があるのです。これは、テクノロジーであれ非物質的なノウハウであれ、それを維持し続けられるかどうかは、生態学的な条件、環境の変動、病気の蔓延、社会的な慣行などの複雑な要因の絡み合いによって決まってくることを示しています。
集団の脳とは、個々人の知性の単なる集合ではありません。それは、人々が互いに学び合い、知識や技術を蓄積し、世代を超えて伝達する能力を指します。この能力によって、人類は他の動物には見られない高度な文化を発展させ、多様な環境に適応することができたのです。
集団脳は、遺伝的進化がまったく起こらなかったとしても、個々人をより賢くしてくれる。どういうことか。規模が大きく、成員同士の結びつきの強い集団からは、より多くの道具、より豊かな知識、より高度な技術が生まれてくる。こうした多くの文化的レパートリーを身につけた個人は、それがなければ解けないような問題まで(独力で)解決できるようになる。
集団の脳とは、個々人の知性の単なる集合ではありません。それは、人々が互いに学び合い、知識や技術を蓄積し、世代を超えて伝達する能力を指します。
集団の脳の影響はこれだけにとどまりません。ヘンリックは、集団の脳が個々人をより賢くする効果があると主張しています。これは、遺伝的進化がまったく起こらなかったとしても成り立つのです。規模が大きく、成員同士の結びつきの強い集団からは、より多くの道具、より豊かな知識、より高度な技術が生まれてきます。
こうした多様な文化的レパートリーを身につけた個人は、それがなければ解決できないような問題まで独力で解決できるようになるのです。 さらに長期的な視点で見ると、さまざまな概念、道具、技術、手順、そして経験知に満ちあふれた文化的に構築された世界では、より高度な認知能力をもたらす遺伝子が有利になって集団内に広まりやすくなります。
私たちの世界は常に変化し、役に立たないものは淘汰され、優れたものが残ることで新たな道が切り開かれていきます。これは生物学的な進化の基本原理ですが、人間社会の発展にも当てはまります。しかし、人間の複雑で多面的な営みを真に理解するには、従来の進化論だけでは不十分です。
人類の進化は、生物学的な過程だけでなく、文化や社会の進化と密接に絡み合っています。言語の発達、道具の使用、農耕の開始といった要因が、私たちの認知能力、身体的特徴、社会構造の形成に影響を与えてきました。これらの相互作用を理解することで、人類の発展の全体像がより鮮明に浮かび上がってきます。
新しい進化学の探求は、未知への挑戦であり、同時に自分自身を見つめ直す機会でもあります。この視点は、より効果的な教育方法の開発や社会問題への革新的なアプローチなど、様々な課題に対して新たな解決策を提示する可能性を秘めています。
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