「科学的に正しい」の罠 (千葉聡)の書評

書籍:「科学的に正しい」の罠
著者:千葉聡
出版社:SBクリエイティブ
ASIN ‏ : ‎ B0FLHZDRKR
「科学的に正しい」の罠の書影

なぜ今読むべきか?『「科学的に正しい」の罠』で思い込みに騙されず意思決定の質を上げる 

現代のビジネス環境において、私たちは「エビデンス(科学的根拠)」や「データドリブン」という言葉を日常的に耳にします。マーケティングの施策から組織マネジメント、さらには最先端のAI開発に至るまで、「科学的に正しい」「データが証明している」とラベリングされた情報は圧倒的な説得力を持ち、私たちの意思決定を大きく左右します。

しかし、私たちはその「正しさ」の裏側にある構造や、そこに潜む価値観を、本当に理解しているでしょうか。 とりわけ、AIやビッグデータがビジネスの根幹を担うようになった昨今、もっともらしいデータやアルゴリズムが提示する「正解」に対して、私たちは無批判に同調してしまう傾向があります。

「最新のAIが導き出した結論だから」「シリコンバレーのトップ企業が提唱する手法だから」という理由は、一見すると極めて合理的で反論の余地がないように思えます。しかし、そこにこそ現代社会特有の恐ろしい罠が潜んでいます。

本書『「科学的に正しい」の罠』(千葉聡 著/SB新書)は、私たちが無意識に受け入れてしまいがちな「科学的な正しさ」や「技術的進歩」に鋭いメスを入れ、その危うさと、真に科学的で倫理的な思考法とは何かを解き明かす一冊です。

著者は、科学技術の発展が必ずしも社会的な「善」とは限らず、いかにして「事実」と「価値判断」が混同されてしまうかを、歴史的背景や現代のテック業界の事例を交えて丁寧に紐解いていきます。

特に注目すべきは、客観性を装うことの危うさへの指摘です。自然科学では自己の価値観の表明が客観性を損ねると見なされがちですが、自らの価値観の可視化と分析は自然科学においても有意義であると著者は主張します。社会に影響を与える意思決定において、自らの価値観を隠蔽して客観性を装うことの方が、倫理的にも不適切だからです。

この本がいまの時代に極めて重要である理由は、現代が「不確実性と情報過多の時代」であり、同時に「テクノロジーが人間の倫理を追い越そうとしている時代」だからに他なりません。データやAIが提示する情報を鵜呑みにせず、そこに潜むバイアスや無意識の価値判断を見抜く力は、経営者やビジネスリーダーにとって必須の教養です。

本記事では、いかにして「もっともらしい科学」に騙されず自らの判断の質を上げるべきか、本書の知見を実務やAI活用という文脈に接続しながら深く考察していきます。読者の皆様が、構造で考える力を養い、変化の激しい時代において自らを「自己修正」できる柔軟な知性を手に入れるためのヒントとなれば幸いです。

この記事でわかること

・「科学的に正しい」という言葉の裏に潜む、事実と価値判断の混同リスク
・意思決定において、自らの価値観を隠蔽せず「可視化」することの重要性
・KPIなどの数値指標が目的化し、組織の方向性を歪めてしまう構造的要因
・AI時代において「思い込みに騙されない」ために必須となる知的自己修正力

30秒でわかる本書のポイント

【結論】
・「科学的に正しい」という言葉には、絶対的な客観的事実だけでなく、特定の価値観や社会的背景が深く入り込んでいる。
・科学的事実の中立性を守るなら、事実とは別にあえてそれに付属した価値も語るべきである。
・不確実性の高い時代においては、自分自身のバイアスに自覚的になり、常に問いを立てて知的自己修正を行う姿勢が求められる。
【原因】
・自分の主張は科学的に正しいという思い込みが、事実と価値観の混同を招き、論理の飛躍を生んでいるため。
・客観性を装うために、自らの価値判断や前提を隠すことが、結果として科学的な信頼性を損なう要因になっているため。
・複雑な現実に対し、メディアや大衆は、わかりやすく断定的な「心地よい物語」を求めがちであり、その隙間に疑似科学が入り込むから。
【対策】
・事実と価値判断の混同を防ぐために、自らに絡みつく価値観が何かを語り、明確にすることを意識する。
・「技術の進歩=無条件の善」という思い込みを捨て、技術の社会実装に伴うリスクや価値観を常に可視化し、評価する仕組みを作る。
・ビジネスリーダー自身が、自らの仮説や戦略に潜むバイアスに自覚的になり、アンラーニング(学習棄却)を実践する。

本書の要約

本書『「科学的に正しい」の罠』は、「科学的に正しい」という言葉に潜む危うさを、歴史的事例と科学哲学の視点から読み解く知的探求の書です。

著者は、科学者が一般に「正しい」と断定することを避ける理由を明らかにします。科学的な結論は絶対的な真理ではなく、現時点の証拠によって最もよく支持されている説明にすぎません。新たなデータや研究が示されれば、従来の仮説も修正されます。

科学とは、誰もが研究方法やデータを検証でき、批判と反証を通じて自らを更新していく知的営みなのです。 一方で、科学と疑似科学の境界は、必ずしも明確ではありません。私たちが日常的に使う「正しい」という言葉には、事実との整合性だけでなく、善悪や倫理、社会的な望ましさといった価値判断も含まれています。

この二つを混同すると、科学的な事実を根拠に、特定の政策や行動まで唯一の正解であるかのように正当化する危険が生まれます。著者は、こうした構造が疑似科学や大衆扇動につながると警告します。

本書では、その危うさを具体的な事例から明らかにしています。「左利きの人は短命である」という説は、世代による左利き矯正の影響を考慮しなかったために生まれた、データ解釈の誤りでした。

また、「カンブリア爆発」や「6度目の大量絶滅」といった印象的な言葉は、複雑な科学的現象を単純化し、前提や定義を見えなくすることで、事実とは異なる物語を社会に浸透させていきます。

データや言葉が独り歩きすると、その成立過程や背景はブラックボックス化されます。そして、単純化された説明が事実以上の現実感を持つ「超現実」が生み出されるのです。 本書が示す真の科学とは、権威ある結論を無条件に信じることではありません。証拠を検証し、自分の考えに反する情報にも向き合い、必要に応じて判断を修正し続けるプロセスです。

科学と社会の境界が曖昧になり、事実だけでは答えを出せない「ポストノーマル科学」の時代には、自分に都合のよい情報を選ぶ「動機づけられた推論」や、無意識に働く「暗黙のバイアス」への自覚が欠かせません。

本書は、数字や専門用語の権威に惑わされず、その背後にある前提と構造を読み解くための、確かな科学リテラシーを授けてくれます。

こんな人におすすめ

・AIやデータに基づいた新規事業開発、経営戦略の意思決定を行うビジネスリーダー
・組織の評価制度やKPI設定において、数値指標の形骸化に悩んでいるマネージャー
・「エビデンス」という言葉の裏にある構造を見抜くクリティカル・シンキングを磨きたい方
・変化の激しい時代に、自らの思考プロセスをアンラーニング(学習棄却)したいすべての人

本書から得られるメリット

・データの解釈において「事実」と「価値観の飛躍」を見分けるメタ認知能力が身につく。
・KPIや目標数値が目的化してしまう「指標の罠」を構造的に理解し、本質的な組織マネジメントに活かせる。
・自分の知識や成功体験に固執せず、常に問いを立てて知的自己修正を行う習慣が身につく。
・AIの出力を単なる「正解」として扱うのではなく、その前提条件を疑い、正しくビジネスの武器として活用できる。 

「科学的に正しい」という言葉が生む思考停止

もしあなたが「この考えは科学的に正しい」とか、「こう判断するのが科学的に正しい」というフレーズを聞いたなら、「罠かもしれない」と黄色信号を点灯させたほうがよい。(千葉聡)

ビジネスの現場では、「客観的な事実」や「データに基づく判断」が重視されています。とりわけデータドリブン経営が広がる現在、数字やエビデンスを伴う主張は、強い説得力を持ちます。

しかし、『「科学的に正しい」の罠』が問い直すのは、まさにこの「事実」や「正しさ」への過信です。 東北大学東北アジア研究センター教授の千葉聡氏は、科学の信頼性を否定するのではなく、むしろ科学を適切に活用するために本書を書いています。

私たちは、自分の判断にはバイアスがなく、事実だけを客観的に見ていると思いがちです。ところが、何を事実として取り上げ、どのデータを重視し、どのような結論を導くかという過程には、必ず人間の関心や目的、価値観が入り込みます。 事実の分析と社会的な価値判断は、完全に切り離せるものではありません。だからこそ、「科学的に正しい」という一言で議論を終わらせることは危険なのです。

意外に思われるかもしれませんが、科学者は一般に「正しい」と断定する表現を慎重に扱うと著者は指摘します。数学の証明など一部の領域を除けば、科学的な結論は常に暫定的だからです。

科学の世界では、ある仮説について「正しい」と言い切るのではなく、 「現時点の証拠によって支持されている」「 観測データや予測と整合している」 「現段階では棄却できない 」といった表現が用いられます。 新しい証拠や、より精度の高い研究が登場すれば、それまで有力だった説明が修正される可能性があります。科学とは、絶対的な答えを確定する仕組みではなく、検証と批判を通じて説明を更新し続ける営みなのです。

さらに注意すべきなのは、「正しい」という言葉が複数の意味を持つ点です。 例えば、「この感染症対策は正しい」という表現には、少なくとも3つの意味が含まれる可能性があります。

第1は、感染を減らす効果がデータによって確認されているという、事実としての妥当性です。第2は、対象者や実施時期、手続きが適切だったという判断です。第3は、命を守るという倫理的・道徳的な望ましさです。 これらは同じ「正しい」という言葉で表現されますが、本来は別の問題です。

科学的な事実が確認されたからといって、その政策や行動が社会的、倫理的にも正当化されるとは限りません。 事実と価値判断を混同すると、「データが示しているのだから従うべきだ」という論理の飛躍が生まれます。

著者が警告するのは、科学そのものではなく、科学の権威を使って価値判断まで客観的な事実のように見せることです。 

本書のテーマは、生成AIが急速に普及する現在にこそ重要です。 生成AIは、膨大な文章やデータを学習し、整った論理と自然な言葉で回答を提示します。その文章がもっともらしいほど、私たちはAIの出力を「客観的な事実」や「科学的な結論」と受け取りやすくなります。

しかし、AIが提示するのは、過去の学習データを基に生成された統計的な予測です。学習データに偏りや誤情報が含まれていれば、その影響は出力にも表れます。また、データの収集方法や分類基準、モデルの設計には、開発者や社会の価値観が反映されています。

AIの内部処理が見えにくいことも問題です。どの情報を根拠に、どのような過程で結論に至ったのかが分からないまま、洗練された回答だけが提示されます。その結果、過去の社会構造に由来する偏見や、メディアによって作られた物語が、客観的な結論のように再生産される可能性があります。

経営戦略や採用、融資、マーケティングなど、社会的な影響が大きい意思決定にAIを使う場合、このリスクは無視できません。 必要なのは、AIの利用を否定することではありません。

次のような問いを、人間が持ち続けることです。
・どのようなデータを学習しているのか どの条件や前提から回答が導かれたのか
・誰の価値観や利益が反映されているのか
・別のデータや視点を加えると結論は変わらないか

AIが高精度になるほど、それを検証し、必要に応じて修正する人間の役割は重要になります。AI時代のリーダーに求められるのは、答えを早く得る能力だけではなく、提示された答えの前提と限界を見抜く力です。 ビジネスで広く使われているKPIも、「数字を客観的な事実だと思い込む罠」の典型です。

KPIは一見すると、中立で公平な指標に見えます。しかし、無数に存在するデータの中から、何を測り、どの数字を重視するかを決める段階で、経営者やマネージャーの判断が入っています。 売上を優先するのか、利益率を見るのか。顧客満足度を重視するのか、従業員の定着率や長期的な信頼を評価するのか。どの指標を選ぶかによって、組織の行動は大きく変わります。

つまり、KPIは単なる測定ツールではありません。「会社が何を重要と考えているか」を示す経営判断そのものです。 ところが、一度KPIが設定されると、その背後にあった目的や価値判断は見えにくくなります。数字だけが独り歩きし、達成すること自体が目的化してしまうのです。

例えば、営業部門で訪問件数をKPIに設定すると、顧客の課題を深く理解することよりも、訪問回数を増やす行動が優先される可能性があります。指標として測りやすい「量」が、本来重視すべき商談の質や顧客への提供価値を押しのけてしまうのです。

これは、「指標が目標になると、その指標は良い指標ではなくなる」というグッドハートの法則が示す問題でもあります。 リーダーに求められるのは、数字を絶対視することではありません。

「この指標は、何を実現するために設定したのか」 「数字が改善した結果、顧客や組織に本当に良い変化が起きているのか」 「測定しやすいものだけを重視し、重要だが測りにくい価値を無視していないか」 こうした問いを繰り返し、指標そのものを見直す必要があります。

本書が教えるのは、科学やデータを疑って拒絶する姿勢ではありません。事実、解釈、価値判断を切り分け、自分の結論も修正され得るものとして扱う態度です。 AIやデータが意思決定に深く入り込む時代だからこそ、私たちは「誰が、何を目的に、どのような条件で導いた結論なのか」を問い続けなければなりません。

数字や専門用語の権威に思考を委ねず、その背後にある構造を読み解くこと。それが、思い込みに騙されず、判断の質を高めるための基本姿勢なのです。

「科学的に正しい」の罠の書影

左利き短命説の誤解から学ぶ、データ解釈の極意

左利き生存不利説の枠組みが出現したのは1988年、心理学者スタンレー・コレンとダイアン・ハルパーンがメジャーリーグ野球選手のデータをもとに、左利き選手の方が右利きの選手より短命であるとする短い論文をネイチャー誌に発表したのが契機だった。

本書が紹介する「左利き短命説」は、データ解釈の危うさを象徴する事例です。 かつて心理学者のスタンリー・コレンらは、左利きの人は右利きの人より平均寿命が約9年短いという研究結果を発表しました。数字の衝撃度もあり、この説は「科学的なエビデンス」として広く社会に受け入れられます。

しかし、その後の研究によって、左利きと右利きの寿命に統計的に有意な差はないことが示されました。問題は、最初の研究で用いられたデータそのものではなく、その背景にある社会構造を考慮しなかった点にありました。 かつては、左利きの子どもを右利きに矯正することが一般的でした。

そのため、古い世代ほど左利きとして生活している人の割合が低くなります。コレンらの研究は、この世代差を十分に考慮せず、亡くなった人の年齢と利き手を単純に比較していました。 その結果、「高齢者には左利きが少ない」という事実を、「左利きの人は長生きできない」と解釈してしまったのです。

実際には、長寿の世代ほど左利きを矯正された人が多かった可能性があります。生まれた年代という変数を加えて再分析すると、寿命差は確認されませんでした。 ここから得られる教訓は明確です。データは現象を映し出しますが、その意味を説明してくれるわけではありません。

何が背景にあり、どの変数が結果に影響しているのかを考えるのは人間です。 ビジネスでも同じ問題が起こります。過去の顧客データだけを基に将来を予測すれば、市場環境や生活様式、社会的価値観の変化を見落とす可能性があります。

売上が伸びた施策と売上増加に因果関係があるとは限らず、景気や競合の撤退、季節要因など、別の変数が影響しているかもしれません。

重要なのは、数字を集めることではなく、数字が生まれた構造を読み解くことです。自分に都合のよいデータを選ぶ「動機づけられた推論」や、無意識のバイアスを自覚し、相関関係と因果関係を混同しない姿勢が求められます。

本書が紹介するもう一つの興味深い事例が、「カンブリア爆発」という言葉です。 カンブリア紀には、多様な動物群が化石記録に現れたとされています。この現象は「爆発」という印象的な表現によって広く知られ、生命がある時点で突然、一斉に出現したかのような物語として社会に浸透しました。

しかし、「爆発」という言葉が本来示していたのは、必ずしも一瞬の急激な変化ではありません。適応放散、すなわち生物が多様な環境に適応しながら分化していく現象を表す言葉として使われた面があります。

ところが、「爆発」という強烈なイメージだけが独り歩きし、その意味や前提は次第に見えなくなりました。結果として、長い時間をかけて段階的に進んだ可能性のある生物の多様化が、ある瞬間に突然起きた出来事のように理解されるようになったのです。

これは、科学的な言葉が単に現実を説明するだけでなく、私たちの現実認識そのものを形づくることを示しています。キャッチーな名称は情報を広める力を持つ一方で、複雑な現象を単純化し、科学的事実とは異なる物語を生み出す危険もあります。 ビジネスの世界にも、同じ構造があります。

「DX」「アジャイル」「人的資本経営」「データドリブン」といった言葉は、本来、複雑な考え方や実践方法を含んでいます。

しかし、言葉だけが流通すると、その定義や目的、前提条件が検討されないまま、導入すること自体が目的化します。 「当社もDXを推進する」「アジャイル型組織に変える」と宣言しても、解決すべき顧客課題や業務上の問題が明確でなければ、単なる掛け声に終わります。

バズワードの内部がブラックボックス化し、誰もその意味を説明できないまま、組織内で既成事実になってしまうのです。 リーダーに必要なのは、流行語を否定することではありません。その言葉が何を意味し、どのような前提に立ち、誰の課題を解決するために使われているのかを問い直すことです。

データの背後にある社会構造を読む。言葉の背後にある前提や定義を確かめる。そして、もっともらしい物語によって隠されたブラックボックスを開く。本書は、科学やデータを正しく使うためには、数字や専門用語を信じるだけでなく、その成立過程を検証する知的な謙虚さが必要だと教えてくれます。

「科学的に正しい」の罠の書影

テック業界の「迅速に動き、破壊せよ」に潜む

「速い=善」という自明でない価値が絡んでいるため、「速くつくれる」という事実から、「だから速くつくるべき」という価値判断への飛躍──自然主義的誤謬(ヒュームの法則)が起きている。さらに「壊すこと」が努力目標になるため、障害物である既存の制度=悪、と暗黙のうちに位置づけられる。

現代のスタートアップやIT企業において、金科玉条のように掲げられてきたスローガンに「迅速に動き、破壊せよ」があります。これは、圧倒的なスピードで技術革新を進めることの重要性を説くものですが、ここにも「暗黙の価値観」の危うさが潜んでいます。

「速いことは善である」「既存のシステムを壊すことは努力目標である」という価値判断への飛躍は、事実から「どうあるべきか」を不当に導き出す自然主義的誤謬です。もしこのスピード至上主義によって、社会の安全網や倫理的なルールが破壊されれば、長期的には社会全体が不幸に陥る可能性があります。

技術を中立とみなして不可視化するのではなく、どのような価値観(例えば善=技術開発の速さ)が前提となっているかを可視化することが必須です。

私たちが新しいテクノロジーやAIをビジネスに導入する際にも、スピードだけを追い求めるのではなく、それが顧客や社会にどのような影響を与えるのかという倫理的配慮を忘れてはなりません。

では、私たちはどうすれば「科学的な正しさ」の罠を回避できるのでしょうか。著者は、非常に示唆に富む結論を提示しています。 自然科学では自己の価値観の表明が客観性を損ねると見なされがちですが、自らの価値観の可視化と分析は自然科学においても有意義であると著者は指摘します。

特に、研究で得た成果や知見が社会実装される場合、自らの価値観を隠蔽して客観性を装うことの方が、倫理的にも科学的な信頼性の点からも不適切です。 科学的な正しさへの脅威となるものの根源――つまり、事実と価値判断の混同を防ぐために最も必要なのは、自らに絡みつく価値観が何かを語り、明確にすることなのです。

科学を使う者は、立場に関わりなく自分が支持する事実の主張に絡みついた価値観を意識しなければなりません。科学的事実の中立性を守るなら、事実とは別にあえてそれに付属した価値も語るべきです。 なぜなら、価値を語らない科学は、結局どこかで価値を疑われるからです。

これはビジネスのプレゼンテーションや戦略立案においても全く同じです。「データがこう示しているから客観的に正しい」と主張するのではなく、「私たちはこういう価値観(ビジョン)を重んじている。だからこのデータをこのように解釈し、この戦略を選択する」と語る方が、圧倒的に知的誠実であり、ステークホルダーからの真の信頼を得ることができます。

不確実性が高く、変化のスピードがかつてなく速い現代(ポストノーマル科学の時代)において、最初から「絶対に正しい正解」を見つけることは不可能です。

だからこそ、私たちには「知的自己修正力」が強く求められます。 人間は、データや証拠に基づいて仮説を受け入れるとき、「誤りが起きたときのリスクをどこまで許容できるか」という価値判断を無意識に行っています。

重大な意思決定であるほど、特定の権威や過去の成功体験を過信せず、常に自分の仮説を疑い、新しいデータが入れば躊躇なく考えを改める「自己修正のプロセス」が不可欠です。

アンラーニング(学習棄却)とは、単に過去の知識を忘れることではありません。自分が依存していた「事実」の背後にある価値観やバイアスを解きほぐし、新たな前提のもとで思考を再構築することです。

組織の中に、「私たちは無意識のうちに自分たちに都合の良い物語(価値観)を作り上げていないか」と健全に問いを立てられる文化を作ること。そして、経営者自身が自らの価値観を可視化し、必要であれば「私の仮説は間違っていた」と自己修正する姿を見せること。

これこそが、AIが弾き出す「もっともらしい正解」に翻弄されず、自らの頭で考え抜く強靱な組織を作るための戦略なのです。

コンサルタント 徳本昌大のView

コンサルタントとして多くの企業の経営戦略や組織改革に伴走する中で、私は「客観的なデータ」や「科学的な手法」に対する過剰な期待と、それに伴う思考停止にしばしば遭遇します。「AIがこう予測しているから」「客観的なKPIに基づく評価だから」と、外部の「正しさ」に意思決定を丸投げしてしまう経営者は少なくありません。

しかし、本書『「科学的に正しい」の罠』が痛烈に指摘するように、私たちが寄りかかっている事実やデータには、必ずそれを切り取った人間の価値観が絡みついています。客観性を装うために価値観を隠蔽することは、かえって信頼を損なう行為です。

私は、AI時代においてリーダーに最も求められるのは「答えを出す力」ではなく、「自らのバイアスを自覚し、問いを立て、自己修正する力」だと考えています。本書が示唆する「探究に絡む価値判断を可視化する」というアプローチは、まさに現代の経営戦略そのものです。

自らの成功体験や心地よい物語に固執せず、常に現実のフィードバックを受け入れて組織の前提をアンラーニングできるかどうかが、企業の存続を左右します。

不確実性から逃げるために「科学的な正しさ」というラベルを利用するのではなく、不確実であることを受け入れた上で、現時点での最善の仮説を立て、自らの価値観を明確に語り、間違っていればすぐに修正する勇気を持つこと。データ至上主義に陥りがちな現代において、人間としての判断の質を上げ、構造で考える力を養うために、すべてのビジネスパーソンに読んでいただきたい至高の一冊です。

FAQ

Q1. エビデンスを重視するデータドリブン経営は間違っているのでしょうか?

決して間違っていません。問題なのは、エビデンスを「価値フリーな絶対的真理」として無批判に受け入れることです。データには、何を測定するかを決めた時点での価値判断が含まれています。エビデンスを重視しつつも、その前提条件や背景にある価値観を疑い、状況の変化に合わせて仮説をアップデートし続ける「知的自己修正」の姿勢が重要です。

Q2. 自分のビジネスの主張において、価値観を語ると説得力が落ちませんか?

むしろ逆です。著者が指摘するように、価値を語らない科学(主張)は、結局どこかで価値を疑われます。客観性を装って隠蔽するよりも、「私たちはこういう理念(価値観)を持っているから、この事実を重く受け止める」と明確に語る方が、知的誠実さが伝わり、ステークホルダーからの深い共感と信頼を得ることができます。

Q3. AIが出力するもっともらしい情報を、ビジネスでどう扱えばよいでしょうか?

AIの出力結果を「100%客観的な事実」として鵜呑みにせず、「どのような前提データと価値観に基づいているのか」を自問するクリティカル・シンキングが不可欠です。AIを意思決定の優秀な壁打ち相手として使いつつ、その裏にあるバイアスを警戒し、最終的な価値判断と自己修正は人間の倫理観と論理的思考で行う必要があります。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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