探検は終わりにはすまい。探検の終わりはいつも始まりにつくこと。そして、その場所を。初めてよく知ること。(T・S・エリオット)
日常の中にも、新たな視点を加えることで気づきを得られます。
ほんの小さな旅からでも、その気になれば
素晴らしい景色をのぞける窓をつくれます。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ(トリスタン・グーリー著)は
そんなシンプルなルールを思い出させてくれる良書です。
探検とは未開の地に赴き、新たな発見をすることではなく
今の時代にフィットした身近な旅でもよいと考えてみるのです。
私たちは誰でも探検家になれ、その喜びを世界中の人たちと共有できるのです。
新しい探検の時代が輝きを放つには、探検はーその規模によらずー発見し、それを社会に伝えて分かち合うことを目的とするという初心に立ち返る必要があるだろう。わたしたちの知識は以前の黄金時代より飛躍的に拡大しているからこそ、かつてさまざまな地へと赴いた好奇心旺盛な先人たちからヒントを得て、さらなる深みへと到達することもできるだろう。旺盛な知識欲が、かつてないほどに深く、広く、周囲の世界とつながれるいまという時代と結びつけば、そこには多くの喜びが生まれてくるはずだ。(トリスタン ・グーリー)
日常を探検に変えるーーナチュラル・エクスプローラーのすすめ [ トリスタン・グーリー ] |
知り得た知識や体験を地道に伝える探検家がいる方が
それらを独占しようとする探検家よりも価値があります。
アレクサンダー・フォン・フンボルトは5年の歳月を費やした中南米での探検を
自然の諸相に克明に記録することで、多くの人々に希望を与えました。
あのチャールズ・ダーウィンにも影響を与えたのです。
探検家を探検家たらしめ(単なる旅行者とは一線を画す)るのは、発見をし、その成果を世界に伝えるところにある。伝えるという部分に関して、次世代の探検家たちにはすばらしい可能性が開けている。
私たちはインターネットやソーシャルメディアという武器を手にしたのです。
フンボルトなど過去の探検家は記録し、出版することはできましたが
世界中の人々に瞬時に発信する術をもってはいませんでした。
今や誰もがフンボルトが憧れた「人間の知識の法典」に
自分の体験を書き加えることができるのです。
私たちは誰もがナチュラル・エクスプローラーとして生きていけのです。
過去の探検家のマインドを今の時代によみがえらせて
自分の日常の中での記録を発信することで、誰かの役に立てるのです。
創造の力を駆使して、発見の喜びを他者と分かち合える機会は誰もがもっている。それは人間らしさの現われでもあるのだ。わけても、創造し、発信する技術が格段に成長した時代に生きているわたしたちはとりわけ幸運だ。
私たちの思想や体験談を分かち合うことは価値あることなのです。
東京の下町でのワクワクな体験がフィリピン人の旅行者の役に立ち
京都の神社の写真がドイツの研究家の論文のアイデアのきっかけになるかもしれません。
自分の目で確かに見た喜びを伝えることで、他者を揺らがすことができれば
私たちは誰もが探検家だと言えるのです。
視覚・味覚・嗅覚や触感を使えば
私たちはどんな場所からでも刺激を受けることができ
その体験を記録できるのです。
五感によって発見したものが、あなたの発信によって価値となるのです。
自分が見つけた発見をアウトプットしてみましょう。
その情報が世界中の誰かの行動の後押しにつながれば、幸せな気分を味わえます。
この知と体験の共有がこの世界をよりよくすると考えると
ブログを書いていても、ワクワクできるようになります。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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ソーシャルメディアを武器にするための10カ条 [ 徳本昌大 ] |
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