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幸せのメカニズム 実践・幸福学入門
著者:前野隆司
講談社現代新書
本書の要約
年収7万5千ドル以下の人は年収が上がると主観的幸福もアップする確率が高く、年収がそれを超える人は年収が上がっても主観的幸福は特にアップしないことがわかっています。年収も重要な要素ですが、収入だけを追いかけても、「快楽のランニングマシン」を走り続けるだけで、幸せにはなれません。
フォーカシング・イリュージョンとは何か?
プリンストン大学のダニエル・カーネマンは、フォーカシング・イリュージョンという言葉を生み出しました。フォーカシング・イリュージョンとは、間違ったところに焦点を当ててしまうという意味です。人は所得などの特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向があるのです。カーネマンらは、「感情的幸福」は年収7万5千ドルまでは収入に比例して増大するのに対し、7万5千ドルを超えると比例しなくなる、という研究結果を得ています。
年収がある値になったら、それ以上増えても感情的幸福が上がらなくなることがわかっています。では、人は、なんのためにさらなる高収入を目指してしまうのでしょうか?年収が増える方が、楽しい、あるいは幸せになれると考えてしまうのです。収入が上がると幸福になれるというフォーカシング・イリュージョンによって、人は忙しく働いてしまうのです。
なぜ、ある年収までは年収と感情的幸福が比例し、それ以上になると相関しないのでしょうか?著者は以下の4つの要素が複合的に影響していると述べています。
1、収入が低いときには、最低限の住居を確保する、食事を確保する、身の安全を確保する、などといった欲求が危険にさらされている可能性があります。心理学者マズローが提唱した欲求の5段階説によると、人間は低い欲求がほぼ満たされてはじめて上位の欲求を満たしたいと思うようになります。
欲求の階層は、下から、生理的欲求、安全欲求、愛情・所属欲求、尊厳欲求、自己実現欲求です。収入が低い時には、住居、食事、身の安全など下位の欲求(生理的欲求、安全欲求)が危険にさらされているわけです。一人当たりGDPと主観的幸福の関係の国家比較においても、一人当たりGDPが増加するにつれ、全体として幸福度が上昇する傾向にあります。
2、年収が7万5千ドルを超えると、もう十分にリッチなので幸福感は上限まで高まっているのです
3、感情的幸福は年収7万5千ドルを超えると年収に比例しませんが、生活満足度は比例することがわかっています。生活満足度で幸福を測るべきなのであって、うれしい、悲しいといった刹那的な感情で幸福を測ろうとすることが間違っているのではないか、とも考えられます。感情と生活満足度のバランスが保てないと幸せだと思えないのかもしれません。
4、年収は青天井ですが、幸せのアンケートには上限があります。「とても楽しい」という回答が天井で、それよりも上はありません。年収と感情的幸福が比例するためには、年収が1千万円の人と1億円の人とでは感情的幸福が10倍違わないといけないことになってしまいますが、もともと5段階や7段階で答えてもらっているので、幸福度の方は決して10倍も差がつきません。そもそも、アンケートの尺度に問題がある、と考えることもできます。
また、人間の感覚は対数で感じられているという特徴があります(ウェーバー・フェヒナーの法則)。たとえば、人が2倍、3倍の音の大きさを感じるとき、物理的な音量は、10倍、100倍になっています。年収が10倍、100倍になった時に、人間は感覚としては2倍、3倍のように感じてしまっていると考えるとよいのかもしれません。
年収7万5千ドル以下の人は年収が上がると主観的幸福もアップする確率が高く、年収がそれを超える人は年収が上がっても主観的幸福は特にアップしないのです。
快楽のランニングマシンに注意しよう!
「快楽のランニングマシン」とう言葉をご存知でしょうか。収入が増えるとその瞬間はうれしいのですが、すぐにもっと多く欲しくなります。人はよりよい収入を求めて常にランニングマシンの上を走り続けてしまいますが、実はどこまで走ってもゴールにはたどり着きません。まさに、フォーカシング・イリュージョンです。
このように人はついつい、幸福の持続性の低い地位財を目指してしまいます。人間は、自然淘汰に勝ち残って進化してきました。子孫を残すために重要なことは、競争に打ち勝つことで、それを人は目指します。人間は、競争に勝つとうれしいのですから、他人との比較優位に立てる、地位財の獲得を目指してしまうのです。
一方、非地位財は、個人の安心・安全な生活のために重要です。進化や生存競争のためではない。もちろん、安心・安全な生活をしている方が異性にもてて、子孫獲得につながることもあるでしょう。しかし、のんびりと安心・安全に生きている人よりも、今の敵と戦って伴侶獲得競争に打ち勝つ力強い異性の方が好まれます。つまり、地位財を得るというのは、目の前にぶら下がった具体的な餌に飛びつくことです。
一方、非地位財は、もっと長期的で形にならない抽象的なものです。今すぐ具体的に何かが得られるものではないあために、人はついつい具体的な目の前の餌を優先してしまうのです。
著者は地位財と非地位財のバランスをとるとよいと言います。
人間は、本来、短期的な幸福をもたらす地位財と、長期的な幸福をもたらす非地位財を、どちらもバランスよく求めるようにできているのではないでしょうか。両者は、車の両輪のようなものだと思うのです。両者は、「変化」と「安定」といってもいいし、「革新」と「保守」といってもいい。「爽快感」と「安心感」といってもいい。心理学者の下條信輔先生の言葉を借りると「新規性」と「親近性」です。
もともと私たちは「競争」と「協調」のバランスを取ることで、幸せを得ていました。競争が子孫獲得に有利に働くこともありますが、皆で協力して安心・安全な社会を作り、ともに子孫を育てる方が、子孫獲得のために有利な場合もあります。近代から現代にかけて形成されてきた西洋的な進歩主義が、競争と快楽の追求を強調しすぎる社会を作ってきました。そのためフォーカシング・イリュージョンが起きてしまったのです。
幸せは複数の要素で成り立ちます。自分が何で幸せを感じるかをチェックし、新しい目標にチャレンジし、プロセスを楽しみましょう。自分のことだけを考えるのではなく、周りとの関係を意識し、利他的に振舞うことで、感謝される存在になります。人とのつながりを強化し、楽観的に生きることで、幸せな時間を増やせます。年収も重要な要素ですが、収入だけを追いかけても、「快楽のランニングマシン」を走り続けるだけで、幸せにはなれません。
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