人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉(野村総一郎)の書評

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人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉
野村総一郎
文響社

人生に、上下も勝ち負けもありません (野村総一郎)の要約

私たちは今、SNSの「いいね」数や学歴、収入など、絶えず他者との比較にさらされ、自信を失いがちです。精神科医の野村総一郎は、老子の教えに基づく「ジャッジフリー」という考えを通じて、評価や判断から自由になり、ありのままの自分を受け入れることの大切さを伝えています。それは、小さな意識の積み重ねから始まります。

老子の生き方はジャッジフリー!現代人はジャッジフリーを取り入れるべき

「ジャッジすることを、意識的にやめる」というのが「ジャッジフリー」という思考です。(野村総一郎)

紀元前6世紀頃、中国で生まれた老子の教えは、今なお私たちの心に深く響きます。道家思想の源流として知られる老子の言葉を、現代の私たちにも分かりやすく伝えてくれる一冊が人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉です。

本書の著者である野村総一郎氏は、長年にわたって多くの患者さんの心に寄り添ってきた精神科医です。慶應義塾大学医学部で名誉教授を務め、特にうつ病の治療と研究では、日本を代表する第一人者として知られています。著者は、患者さんとの日々の対話を通じて得た現代医学の知見と、老子の教えのような東洋の古い智恵とを結びつけ、現代を生きる私たちの心の健康について、新しい視点を提示してくれています。

ジャッジフリーの考え方は、野村氏の臨床実践においても重要な位置を占めており、患者の状態を価値判断することなく受容する姿勢の重要性を説いています。そのアプローチは、古代中国の智慧と現代医学の知見を融合させた、新しい治療的視座を提供しています。

私たちは日常生活において、絶えず物事を判断しています。良い悪い、正しい、間違っている、美しい醜い―こうした二元論的な判断を繰り返すことで、かえって本質的な真理から遠ざかってしまうのです。老子の説く「無為」の思想は、このような人為的な判断から解放されることの重要性を説いています。

「道徳経」において老子は、人為的な価値判断こそが混乱の源であると説いています。たとえば、「善」という概念が生まれることで初めて「悪」が存在するようになり、「美」という基準が設定されることで「醜」が生まれます。こうした対立的な価値判断は、本来一つであるべき世界を分断してしまうのです。

ジャッジフリーの思想は、この老子の教えを現代的に解釈したものと言えます。それは単に判断を放棄することではなく、より深い次元で物事の本質を理解しようとする姿勢です。自然の摂理に従い、あるがままを受け入れる―それこそが真の智慧なのです。

現代社会において、私たちは常に評価と判断にさらされています。SNSでの「いいね」の数、学歴、収入、外見―あらゆる場面で他者との比較にさらされ、自己評価に悩む人々が増えています。こうした状況下で、ジャッジフリーの考え方は新鮮な視点を提供しています。

他者との比較や社会的な価値基準に縛られることなく、各々が持つ本来の価値を認めること。それは、現代人が失いつつある「本来性」への回帰を促します。老子の説く「無為自然」は、まさにこの本来性への気づきを説いているのです。

ジャッジフリーな生き方は、日々の小さな意識の積み重ねから始まります。他者の言動を即座に評価せず、まずは観察すること。自分自身への過度な要求や批判を手放すこと。そして、あるがままの状態を受け入れる寛容さを育むこと。これは決して容易な道のりではありませんが、老子の教えが示すように、人為的な判断から解放されることで、より深い智慧と平安が得られるのです。 


他者との比較をやめる??鏡の法則とはなにか?

人は往々にして、外側に目を向けがちです。経済力、権力、腕力―こうした目に見える「力」によって人に勝とうとし、それこそが強さだと考えています。

人は、経済力、権力、腕力など外面の力が、強さの証だと考えています。しかし、老子の教えによれば、真の強さとは、自分の内なる弱さに打ち勝つことにあるのです。

老子は、私たちが日常的に使う「上下」「高低」「美醜」といった価値観について語っています。これらはすべて相対的なものです。「負け」があるから「勝ち」が存在し、「勝ち」があるから「負け」が生まれます。では、もしこれらの概念がなかったとしたら?そこにあるのは、ただ物事の自然な姿だけです。 私たちの多くは、日常生活の中で絶えず他者との比較に囚われています。

しかし、そうした比較の意識が、心の平安を乱しているのです。 著者は、この考えを鏡の法則として紹介しています。鏡を手に取り、そこに映る自分の姿をじっくりと見つめてみましょう。そこには他人の姿はありません。映っているのは紛れもない「あなた自身」です。鏡を見ながら、自己との対話の時間を持つことで、自分にフォーカスできるようになります。

本当の戦いは、この鏡に映る自分との間にあるのです。 昨日の自分より今日の自分が少しでも成長できているか。これが大切な問いとなります。ただし、ここでいう「成長」とは、必ずしも「より優れた状態」を意味するわけではありません。それは、ありのままの自分をより深く知り、受け入れていく過程なのです。

些細なことから始めればいいのです。今日できなかったことに、明日はもう一度挑戦する。今まで避けていた課題に、小さな一歩を踏み出してみる。そうした日々の積み重ねが、やがて大きな変化をもたらしていきます。

自分の弱さと向き合うことは、決して容易なことではありません。時には挫折を感じ、立ち止まることもあるでしょう。しかし、そうした経験も、自分を知るための大切な機会となります。

老子の教えは、まさにこの「あるがまま」を大切にしているのです。 重要なのは、焦らないことです。一朝一夕に大きな変化は望めません。しかし、日々の小さな挑戦を積み重ねていけば、確実に変化は訪れます。それは、他者との比較を超えた、新しい気づきとなって、あなたの内側に根付いていくのです。

鏡に映る自分との対話を続けていくことで、私たちは少しずつ「本当の強さ」を理解し始めます。それは、勝ち負けを超えた、より深い自己との出会いをもたらしてくれるはずです。 そして、この自己との対話を続けていく中で、私たちは大切なことに気づきます。本当の強さとは、完璧な自分になることでも、他者に勝つことでもありません。それは、ただありのままの自分を受け入れ、自然な流れの中で生きていく知恵なのです。

老子の上善水の如しを人生に取り入れる!

上善水の如し(老子)

「上善」とは、単なる「善」を超えた、最も崇高な理想の姿を指します。老子はあらゆる存在の中で、特に「水」という存在に最高の徳を見出したのです。 「善」というのは、一般的に正しい行いや徳の高い生き方を指します。しかし、「上善」はそれをさらに超越した境地です。老子は、この最高の理想を水に見出したのです。

なぜ、あらゆる自然の中から、特に水を選んで理想としたのでしょうか。 老子は水の性質を通して、理想的な生き方を説きました。水は常に低きに流れ、人々が避けようとする場所に留まります。この謙虚な性質こそ、水の最も尊い特徴だと老子は説いています。

権力や名声を追い求めるのではなく、むしろ謙虚に生きることの価値を、水は私たちに教えているのです。 また老子は、水の柔軟性にも深い意味を見出しました。水は形を持たず、どのような容器にも順応します。

しかし、その柔軟さの中に計り知れない力が秘められています。絶え間ない流れは、やがて堅固な岩をも砕き、深い渓谷を刻むことができるのです。これは、柔よく剛を制するという道家思想の根幹を表しています。 さらに老子は、水が争わない性質を称えました。

水は決して他者と競争せず、ただ自然の理に従って流れていくだけです。老子はその謙虚な態度こそが、最終的な勝利をもたらすと説いています。強引に事を進めるのではなく、自然の流れに従うことの重要性を、水は体現しているのです。

「道」を体現する水の性質は、私たちの人生にも深い示唆を与えます。必ずしも社会的な高みを目指す必要はありません。むしろ、水のように謙虚で柔軟な生き方を選択することで、より充実した人生を送ることができるのです。

老子が水を「上善」として称えた理由は、水が持つこれらの特質が、人間が目指すべき最高の境地を完璧に体現しているからです。それは単なる善行や正しい行いを超えた、宇宙の真理に通じる深い洞察だったのです。水のように、争わず、柔軟で、謙虚に生きること。それは弱さではなく、むしろ最も崇高な生き方なのです。 現代社会では、ともすれば競争や成功が重視されがちです。

しかし、老子の説く「上善」の教えは、そのような価値観を根本から問い直すものといえるでしょう。水の性質に学び、謙虚に、そして自然体で生きること。その中にこそ、真の強さと智慧が宿っているのです。老子は、この水の性質こそが、人間が目指すべき最高の理想であると説いたのです。 

老子の言葉をビジネスに活かす!

善く戦う者は怒らず、善く敵に勝つ者は与わず。

優れたリーダーは、感情的になって相手と争うことはありません。冷静さを保ち、常に大局的な視点から状況を見極めます。これは、単なる自制心の問題ではありません。感情に流されない姿勢こそが、結果として最大の成果をもたらすという深い理解があるのです。

ビジネスの現場では、しばしば激しい競争が繰り広げられます。しかし、老子の教えに従えば、そこで必要とされるのは、相手を打ち負かそうとする攻撃的な姿勢ではありません。むしろ、冷静に状況を分析し、最適な戦略を練ることこそが重要なのです。 感情的になることは、却って判断力を鈍らせ、誤った決断へと導く可能性があります。怒りや焦りは、時として取り返しのつかない失敗を招くことがあるのです。

真のリーダーは、このことを深く理解しています。 また、「与わず」という言葉には深い意味が込められています。相手と同じ土俵で争うのではなく、独自の立ち位置を確保することの重要性を説いているのです。市場でのシェア争いや価格競争に安易に巻き込まれることなく、自社の強みを活かした独自の戦略を展開することが、結果として成功への近道となるのです。

このような姿勢は、社内のマネジメントにおいても重要です。部下との関係において、感情的な叱責や対立は避けるべきです。冷静なコミュニケーションと適切な指導こそが、組織の成長と成功をもたらすのです。 老子の教えは、短期的な勝利ではなく、持続的な成功を重視します。

一時的な感情に流されず、長期的な視点で物事を判断することの重要性を説いているのです。これは、現代のビジネスリーダーにとっても、極めて重要な示唆となります。 結局のところ、ビジネスにおける真の勝者とは、感情的になることなく、冷静に状況を判断し、適切な戦略を実行できる人なのです。

相手と争うのではなく、自らの道を進む。それこそが、老子の説く理想的なリーダーの姿なのです。 この古代中国の智慧は、競争が激化する現代のビジネス環境においても、なお色褪せることのない真理を示しています。感情に流されず、冷静に、そして戦略的に物事を進めていく。それが、ビジネスパーソンに成功をもたらすのです。

最強Appleフレームワーク


この記事を書いた人
徳本

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

■インバウンド、海外進出のEwilジャパン取締役COO
みらいチャレンジ ファウンダー
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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