推したちとどう生きるか(三宅香帆)の書評

書籍:推したちとどう生きるか
著者:三宅香帆
出版社:新潮社
ASIN ‏ : ‎ B0H5NV39B6
推したちとどう生きるかの書影

『推したちとどう生きるか』書評:現代の「熱狂」を構造的に捉え、仕事と人生に活かす

現代の日本社会において、「推し」という言葉を見聞きしない日はありません。アイドル、スポーツ選手、アニメキャラクター、あるいはVTuberに至るまで、対象は多岐にわたります。メディアでは連日、その熱狂や経済効果が報じられていますが、私たちはこの「推し活」という現象を、単なる一過性のブームや、一部の熱狂的なファンの個人的な趣味の枠組みだけで片付けてしまってよいのでしょうか。

今回取り上げるのは、三宅香帆氏の著書『推したちとどう生きるか』です。本書は、日本人にとって「推し」とは何か、その本質を単なる要約ではなく、日本の文化史や日常感覚、そして何より現代を生きる私たちの感情のあり方(ハレとケ)という文脈から再構築した意欲作です。

野球、宝塚、日本の歌謡曲の歴史、アイドル、VTuberなどを横断的に分析しながら、推し文化が「現代的なライフスタイル」として定着した理由を立体的に、そして批評的に示唆しています。

なぜ今、ビジネスパーソンや経営者が本書を読むべきなのか。それは、あらゆる業務やロジックがAIやアルゴリズムによって自動化・最適化されていく時代にあって、人間の根源的な感情である「熱狂」や「意味の創出」の価値が相対的に高まっているからです。

顧客の熱狂を生み出すマーケティング、メンバーの意欲を支える組織マネジメント、そして自分の人生の目的を定めるキャリア設計。本書が解き明かす「推し」の構造は、これらの課題を考えるうえで実践的な示唆を与えてくれます。

本書は、単なる「推し活」の流行解説ではありません。過去から現在までの日本の推し文化をたどりながら、人々が何に心を動かされ、どのような対象に意味や希望を託してきたのかを明らかにします。その変遷を読み解くことは、日本人の価値観や人間関係、消費行動の変化を理解することにもつながります。

著者は、知的かつ誠実な筆致で、「推し活=消費や課金」という単純な見方を退け、その背後にある感情や社会の構造を丁寧に分析しています。SNSによる同調圧力や周囲の熱狂に流されず、自分はなぜそれを支持するのかを自分の言葉で捉え直す。本書は、感情に振り回されるのではなく、感情の仕組みを理解し、自らの判断の質を高めるための一冊です。

この記事でわかること

・『推したちとどう生きるか』の核心的な主張と、現代社会における意義 「推し活」が単なる消費ではなく、日本人の「ハレとケ」の構造である理由
・SNS時代の過熱や同調圧力から距離を置き、質の高い意思決定を行うための具体策 年齢を重ねながら、推しとどう付き合うかというキャリア的中長期視点
・AI時代において、なぜ「熱狂(推し)」が経営戦略やマーケティングの鍵になるのか
・著者の批評的な視座を、自分自身の仕事術や知的生産、人生の戦略にどう活かすか

30秒でわかる本書のポイント

【結論】
・「推し」は、単なる熱狂や消費の対象ではありません。変化に乏しい日常に楽しみや刺激をもたらし、気持ちを前向きにしてくれる「ハレ(非日常)」の存在である。推しが特別な時間を与えてくれるからこそ、私たちは普段の「ケ(日常)」にも新たな意味を見いだせる。
・年齢を重ねても推しと健全に付き合い続けるには、周囲の評価やSNSの言葉に流されない姿勢が欠かせない。
・「なぜ自分はこの人を推すのか」を自分の言葉で考え、その関係を主体的に引き受けることが、推しに依存しない自立した関係につながる。
【原因】
・現代社会では伝統的な共同体や祭りが失われ、個人が自ら「ハレ」を見つける必要性が生じている。
・SNSの普及により、推し活が他者との共同性と結びつきやすくなり、時に過熱や誹謗中傷に傾く危うさを抱えている。
【対策】
・推し活を「日常にメリハリを与えるシステム」として構造的に理解し、依存しすぎない仕組みを作る。
・SNS上の集合的な感情や他人の言葉(バズ)に流されず、「なぜ自分はそれを推すのか」を自らの言葉で言語化する。

本書の要約

『推したちとどう生きるか』は、現代の「推し活」を単なる消費行動やオタク文化の延長としてではなく、日本の文化史と現代人の精神構造から深く掘り下げた一冊です。

野球、宝塚、アイドル、VTuberなど多様なジャンルを横断しながら、なぜこれほどまでに日本人が「推し」を求めているのかを解き明かします。著者は、推し活が現代のライフスタイルに定着した理由を「ハレ(非日常)とケ(日常)」の構造にあるとし、推しが退屈な日常にメリハリを与える不可欠な存在になっていると論じます。

同時に、SNS時代における過熱や他者への誹謗中傷といった危うさにも警鐘を鳴らし、他人の言葉に依存せず、自分の言葉で「推しとの関係」を築くことの重要性を説いています。推しを持つ人も持たない人も、現代日本の感情のあり方と自己の向き合い方を再考させられる、批評性に富んだ内容です。

こんな人におすすめ

・顧客の熱狂を生み出すメカニズムを知りたいマーケター、経営者
・チームのモチベーション管理やエンゲージメント向上に悩むマネージャー
・「推し活=お金がかかる、疲れる」という思い込みに囚われている人
・SNSの同調圧力や情報過多に疲れ、自分の軸を取り戻したい人
・人生100年時代、長く持続可能なキャリアや趣味との付き合い方を模索している人

本書から得られるメリット

・「推し」という現象を構造的に理解し、ビジネスの戦略立案に転用できる視座
・SNSや他者の意見に流されない「自分の言葉」を紡ぐ知的生産のヒント
・日常(ケ)と非日常(ハレ)を意図的にデザインし、モチベーションを維持するためのノウハウ
・感情のメカニズムを知ることで、自分自身の判断の質を高め、思い込みに騙されなくなる
・AIには代替不可能な「人間の感情」や「共感」の正体を理解し、今後のキャリアの指針にできる 

推し活を「ハレとケ」で構造化する——現代日本の感情のインフラ

私たちも社会人生活が長くなれば転職したり結婚したりするように、推しもまた、年齢を重ねて転職したり結婚したり仕事の仕方を変えたりする。あるいは年齢を重ねなくとも、時代の流れとともに変化するようになっている。(三宅香帆)

本書『推したちとどう生きるか』の最大の功績は、「推し」という極めて現代的でポップな事象を、柳田國男らが提唱した日本文化の古層、すなわち「ハレとケ」の構造で捉え直した点にあります。

ハレとは「非日常な行事」、ケとは「日常的な普段のルーティーン」を指します。かつての日本社会では、村の祭りや年中行事が「ハレ」として機能し、退屈で苦しい「ケ」を乗り切るためのエネルギー充填装置となっていました。しかし、都市化や個人化が進んだ現代において、そうした共同体由来の「ハレ」は希薄になっています。

著者は、現代の推しが日常生活(ケ)にメリハリ(ハレ)を与えるだけでなく、平凡になりがちな「ケ」そのものを支える感情的な基盤になっていると指摘します。

ライブや舞台、試合といった「ハレ」のイベントを楽しみに仕事を頑張る、SNSで情報を追うといった日常的な行為にも推しの存在は浸透しています。現代人にとって推しは、単なる趣味を超え、明日を生きるための「心のインフラ」になっているのです。

本書は推し活の明るい側面だけを称賛しません。その背景にある現代社会の危うさにも冷徹なメスを入れます。著者が指摘する「父性的な抑圧」から「母性的な抑圧」への変化は、私たちが思い込み(バイアス)に騙されないために知っておくべき重要な教養です。

現代の新自由主義では、抑圧の質が変化していると著者は指摘します。 かつての父性的な抑圧は、権威が明確なルールを示し、従わない人を罰する「規律と処罰」の仕組みでした。これに対して、新自由主義的な市場原理が浸透する現代の母性的な抑圧は、「みんなが楽しんでいる」「好きなら応援して当然」といった規範を個人の内面に取り込ませます。

命令や処罰が目に見える形で存在するとは限りません。むしろ、「自分から参加したい」「もっと応援したい」と本人に思わせながら、実は集団が定めた暗黙のルール(共同性の規範意識)に支配され、評価の対象になってしまうのです。

本来は自由で個人的なはずの「好き」という感情が、知らないうちに管理され、評価される対象になってしまう。競争化される危うさです。

SNSはこの傾向をさらに強めます。愛情が投稿数、情報の速さ、イベントへの参加回数、グッズ購入額など、目に見える数字として可視化され、比較されるからです。

その結果、「どれだけお金を使ったか」が熱意を測る基準になり、応援が競争へと変わることがあります。ファン同士のつながりは喜びをもたらす一方で、「同じ言葉を使い、同じ態度を示さなければならない」という同調圧力(共同性の規範意識)も生み出します。

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ポストフォーディズム社会の労働——理想化された未来への希望

ポストフォーディズム時代においては、自らの能力を磨くことを、自らやろうとする姿勢が求められることだ。そのとき、仕事そのものが自分のアイデンティティ、つまり自己表現であることが理想とされる一、「これをやれ」「休むな」と軍隊型の規律に抑圧されて働いているわけではない、むしろ「この仕事をしたい」と思っているがゆえに、自発的に仕事をする。仕事を通して、こんな自分を体現したいと願う。ポストフォーディズム社会では、そのような理想が垂要視される。

現代の推し活を理解することは、私たちの感情、キャリア、消費行動の変化を理解することにつながります。 実は、私自身には、特定の「推し」はいません。しかし、大学で若い世代と接していると、推しの存在が彼らの感情や行動を動かす大きなエネルギーになっていることを実感します。

本書を読み、その熱量は単なる趣味や消費ではなく、現代の社会構造と深く結びついていることが分かりました。 著者は、推し活が過熱する背景を、ポストフォーディズム、新自由主義、メリットクラシーという視点から読み解きます。

ポストフォーディズムとは、安定雇用を前提に同じ製品を大量生産するモデルから、市場の変化に合わせて商品、サービス、人材、生産体制を柔軟に組み替えるモデルへ移行した社会を指します。企業は市場の反応を継続的に把握し、変化する需要に素早く対応するようになりました。

それに伴い、仕事の意味も変わりました。労働は生活費を得る手段であるだけでなく、個性、能力、情熱を表現し、自己実現を果たす場として理想化されるようになったのです。

「好きなことを仕事にしよう」「やりたいことを見つけよう」という考え方は、個人の選択肢を広げました。 一方で、その価値観が強くなりすぎると、「好きなことが見つからない」「明確な夢がない」という状態まで、本人の主体性や努力の不足として評価されかねません。

入試や採用でも、学力や職務能力だけでなく、意欲、協調性、コミュニケーション能力、過去の活動、将来の夢までが問われるようになりました。評価の対象が能力から人格全体へと広がっているのです。

社会学者の本田由紀氏は、この状況を「ハイパー・メリットクラシー」と表現しています。従来の能力主義が学力や職務能力を中心に評価していたのに対し、現代では意欲、感情、創造性、個性といった、数値化しにくい人格的要素まで選別の対象になります。

一見すると、個性と自由を尊重する社会だと言えますが、実際には、人間の全人格が絶えず評価されています。仕事がつらくても前向きに振る舞い、失敗しても自分で気持ちを切り替え、主体的に成長し続けることを求められます。本来は組織や社会の仕組みに原因がある問題まで、「本人の意欲が足りない」「感情をうまく管理できていない」と処理されることがあります。

自由や自己実現を重視する社会が、逆説的に「自分らしく、前向きで、意欲的でなければならない」という新たな抑圧を生み出しているのです。 この構造は、一般の労働者だけでなく、アイドルや芸能人、スポーツ選手、VTuberなど、推される側にも当てはまります。

テレビが中心だった時代のアイドルは、主に事務所やプロデューサーが設計したイメージに沿って活動していました。しかし、SNSや動画配信が普及した現在では、本人が継続的に自分の言葉で情報を発信することを求められます。 そこで評価されるのは、歌や演技、競技成績といった本業の能力だけではありません。

発言、服装、趣味、仕事への姿勢、私生活、ファンへの対応まで、あらゆる側面がコンテンツになります。仕事と私生活の境界が曖昧になり、人格そのものが商品として消費されるようになったのです。 この視点に立つと、現代の推し活は、単なる課金や記号消費では説明できません。

個性、感情、私生活までが経済的な価値へと変換される、ポストフォーディズム社会を象徴する現象でもあるのです。 著者は推しを、「理想化された未来を夢見させてくれる対象」と定義します。

私は、この定義が本書の核心だと考えています。 経済停滞、格差の拡大、物価上昇、実質所得の低下などによって、自分の未来を楽観的に描くことは難しくなりました。努力を続ければ、将来は現在より豊かになるという共通認識も揺らいでいます。

そのような時代だからこそ、人々は自分だけでは描きにくくなった希望を、推しの成長や成功に重ねます。推しが努力し、目標に近づいていく姿を応援することで、自分も理想の未来に参加しているという感覚を得られるからです。

推しは、ライブやイベントといった「ハレ」をもたらすだけではありません。「次のライブまで仕事を頑張ろう」「推しの活躍を楽しみに今日を乗り切ろう」と思わせることで、「ケ」である日常も支えています。推し活が一時的なブームではなく、現代人のライフスタイルとして定着した理由はここにあります。

ただし、自分の希望を推しに預けすぎることにはリスクがあります。推しが活動を休止したり、方向性を変えたりしたとき、自分の生活や精神状態まで不安定になる可能性があるからです。 推しを通じて未来を夢見ることと、自分の人生を推しに明け渡すことは違います。推しからエネルギーを受け取りながらも、自分自身の人生を主体的に生きる。その距離感が重要です。

推しもファンも、時間とともに変化します。推しが活動方針や人生の優先順位を変えることもあれば、ファンの側も仕事、家族、健康、経済状況によって、応援に使える時間やお金が変わります。 以前と同じ熱量、課金額、イベント参加回数を維持することが、ファンとしての誠実さではありません。

人生の変化に合わせて距離を調整し、自分に無理のない応援方法へと更新することが、推しと長く付き合う条件になります。

これは、仕事やキャリアとの関係にも通じます。若い頃に情熱を注いだ仕事や会社と、永遠に同じ距離で関わる必要はありません。年齢、役割、価値観、生活環境が変われば、仕事との適切な距離も変わります。情熱を失わず、同時に自分を消耗させない関わり方へ更新することは、逃避ではなく、持続的に成果を出すための意思決定です。

経営者やマネジャーも、「仕事を好きであるべきだ」「常に高い意欲を示すべきだ」とメンバーに求めすぎてはいけません。情熱を強制すれば、本人の感情まで会社が管理することになります。必要なのは、メンバーがそれぞれの事情に合わせて、無理なく能力を発揮できる環境を整えることです。

メディアは推し活を、「盲目的な熱狂」「高額課金」「ファン同士の競争」といった分かりやすい物語で伝えがちです。しかし、それは推し活の一部にすぎません。多くのファンは、自分の生活を守りながら、穏やかに推しとの関係を続けています。 重要なのは、「本当のファンならこうするべきだ」というSNS上の空気に流されず、自分がなぜその人を推すのかを、自分の言葉で説明することです。

推したちとどう生きるかの書影

推しを一人で語る勇気を持つべき理由

推しをたったひとりで語る勇気を持つことが、推しと長く一緒にいるために大切になる。そんな時代に入っている、と私は思う。

ひとりで推しを語ることは、共同体から離れることではなく、自分の判断軸を守るための自立です。 推し活は、共同体と結びつきやすい営みです。

ライブや観劇のあとにファン同士で感想を語り合い、SNSでほかの人の反応を探す時間には、ひとりでは得られない楽しさがあります。同じ対象を応援する人々との交流は、推し活の大きな魅力です。

一方で、ファンの集団には独自の規範が生まれることがあります。「本当のファンなら、これくらい課金すべきだ」「この意見に賛同するのが当然だ」といった暗黙のルールです。共同体の言葉に自分の感情を預けすぎると、推し活は喜びから義務へと変わってしまいます。

だからこそ、ときには集団から距離を取り、自分自身の言葉で推しを語る必要があります。
・自分は推しの何に惹かれているのか。
・推しから何を受け取っているのか。
・どの程度の時間とお金なら無理なく使えるのか。
・そして、推しとの関係を自分の人生にどう位置づけるのか。

これらを言語化できれば、同調圧力や課金競争に流されにくくなります。 ひとりで推しを語ることは、孤立することではありません。共同体の楽しさを享受しながらも、自分の判断軸を失わないことです。集団とは異なる言葉を持つことで、推しとの関係を他人の評価から切り離し、自分にとって無理のない形で続けられるようになります。

自分の言葉を持つことは、熱狂を否定したり、感情を冷却したりすることでもありません。自分のなかに生まれた感情を理解し、その意味を主体的に引き受けることです。思い込みに流されず、感情の背後にある構造を捉え、自分の言葉で意味を与える。

この習慣は、推し活だけでなく、仕事やキャリアにおける意思決定の質も高めてくれます。 推し活の構造は、企業のマーケティングにも重要な示唆を与えます。AIやテクノロジーの進化によって、製品やサービスの機能は短期間で模倣されるようになりました。機能や価格だけで、長期的な差別化を維持することは難しくなっています。

推し活から企業が学ぶべきなのは、人を一時的に熱狂させるマーケティング技術ではありません。顧客が企業のビジョンや価値観に納得し、自らの意思で参加しながら、無理なく応援を続けられる関係のつくり方です。

限定商品や過剰なキャンペーンによって購買意欲を刺激するだけでは、短期的な売上は伸びても、長期的な信頼は育ちません。企業が独自の価値を自分たちの言葉で伝え、顧客との約束を誠実に守り続けることが、持続的な顧客ロイヤルティにつながります。

組織マネジメントにも、同じ考え方を応用できます。経営者やマネジャーは、自社が社員にとって「長く推せる組織」になっているかを問い直す必要があります。社員に主体性や情熱を求めながら、経営情報を十分に開示せず、失敗や異論を認めず、成長の機会も提供しない組織に、持続的なエンゲージメントは生まれません。

社員の献身や共感を当然のものとして求めれば、「仕事を通じた自己実現」という理想は、やがて企業に都合のよい搾取の論理へと変わってしまいます。 長く推せる組織に必要なのは、日常を安定させる「ケ」と、成長や達成を実感できる「ハレ」の両立です。

安心して意見を述べられる心理的安全性を確保しながら、挑戦や学び直しの機会を提供する。さらに、社員が会社の価値観とは異なる意見や判断軸を持つことも認めなければなりません。健全な組織は、社員を会社に依存させるのではなく、自立した個人が自らの意思で参加し続けられる関係を築きます。

AI時代には、「自分の言葉を持つこと」の価値がさらに高まります。AIは大量の情報を整理し、合理的な選択肢や説得力のある文章を提示できます。

しかし、人間が何を愛し、どのような未来を望み、そのために何を選ぶのかまでは決められません。AIがつくった正解らしい言葉を受け取るだけでなく、自分の経験や価値観を通して意味を与える力が必要です。

本書は推し活を、一時的な流行や消費行動としてではなく、能力主義、労働、自己実現、共同性、未来への希望という複数の視点から捉え直しています。共同体の楽しさを享受しながらも、その規範には支配されないことが大切です。

推しに理想の未来を見いだしながらも、自分の人生まで明け渡してはいけません。他人の言葉に依存せず、人生の変化に応じて、推しとの関係や距離を柔軟に更新していく必要があります。

自分の感情がなぜ生まれ、SNSや共同体によってどのように増幅されているのかを、構造的に理解することが重要です。そのうえで、自分の言葉と判断軸を持つ必要があります。この姿勢こそが、推し活だけでなく、キャリア形成、知的生産、マーケティング、組織マネジメントにおける意思決定の質を高めるのです。

コンサルタント 徳本昌大のView 本書

私自身には、「推し」と呼べる存在がいません。だからこそ、教えている大学生と接するたびに感じる推し活の大きなエネルギーを、これまで十分に理解できずにいました。なぜ彼らは、特定のアイドルやアーティスト、キャラクターにこれほど夢中になり、時間やお金を使うのか。

『推したちとどう生きるか』は、その熱量が生まれる背景と意味を考える手がかりを与えてくれました。 本書の優れた点は、「推し」という個人的で捉えにくい感情を、日本文化に根づく「ハレとケ」の構造から分かりやすく言語化したことです。推しは、単なる娯楽や消費の対象ではありません。変化に乏しい日常に楽しみや目標をもたらし、生活にメリハリをつくる存在です。大学生たちから感じていた推し活のエネルギーも、この枠組みによって理解できるようになりました。

さらに本書は、野球や宝塚、昭和の芸能人、アイドルからアニメ、VTuberまで、時代ごとの「推される存在」を幅広く取り上げ、日本の文化史と大衆心理の変化を描いています。

推し活を一部の若者や熱狂的なファンに限られた行動として片づけず、現代日本の感情や人間関係を映し出す社会現象として捉え直している点に、本書の教養的な価値があります。

ビジネスの視点から読めば、マーケティングにおける顧客の熱狂や、組織マネジメントにおけるメンバーのモチベーションを考えるヒントも得られます。人は、合理的な便益だけで商品や企業を選ぶわけではありません。そこに意味を見いだし、物語に共感し、「応援したい」と思ったとき、企業やブランドとの継続的な関係が生まれます。

現代は、論理的に正しい経営戦略や機能的に優れた商品であっても、すぐに模倣される時代です。差異を生み出すのは、「どうしてもそれが好きだ」「この企業を応援したい」と思わせる偏愛や熱狂の力です。AIが合理的な分析や最適解の提示を担うようになるほど、人間の非合理な感情は、むしろ重要な価値になります。

この点に、本書の強い時代性を感じます。 ただし、熱狂は常に望ましい結果を生むわけではありません。企業がファン心理を利用して過剰な消費や同調を促せば、顧客との信頼関係は損なわれます。SNSによって感情が増幅されれば、ファン同士の対立や誹謗中傷が起こり、自分の判断を他人の言葉に委ねてしまう危険もあります。

だからこそ、著者が説く「推しとの関係を自分の言葉で引き受ける」という姿勢が重要になります。周囲の評価やSNSの空気に流されるのではなく、自分はなぜその人を推すのか、その関係から何を得ているのかを自分の言葉で考える。その作業が、熱狂に飲み込まれず、主体性を保つことにつながります。

本書を読み、推しがいない私も、推し活を単なる趣味や消費として見るべきではないと気づきました。大学生たちが発するエネルギーの背後には、日常に意味を与え、他者とつながり、自分自身を前向きに動かす力があります。

熱狂に身を委ねるだけでも、外側から冷ややかに分析するだけでも不十分です。自分の感情を大切にしながら、その熱狂が生まれる構造を客観的に観察する。このバランスこそが、思い込みに騙されず、判断の質を高めるために必要な姿勢です。

『推したちとどう生きるか』は、推しを持つ人だけのための本ではありません。私のように推しがいない人にとっても、現代社会を動かす感情の正体を理解し、人とブランド、組織との関係を捉え直すための示唆に富んだ一冊です。

FAQ

Q1: 「推し」がいない人でも、この本からビジネスに役立つ学びは得られますか?

A1: はい、間違いなく得られます。本書は「推し活」を題材にしていますが、その本質は「現代人が何に価値を感じ、どうやってモチベーションを維持しているか」という人間心理の解剖です。顧客理解、組織マネジメント、あるいは未来予測など、他者の心を動かす実務に直結する知見が満載です。むしろ、推しがいない冷静な視点だからこそ、感情の構造を客観的に捉えることができるかもしれません。

Q2: AI時代において、なぜ「推し(熱狂)」が戦略の鍵になるのでしょうか?

A2: AIはデータに基づく論理的な「正解」や「効率化」には優れていますが、ゼロから「意味」や「情熱」を生み出すことはできません。機能的価値がAIによって横並びになる今後、人間が魅力を感じるのは「物語」や「共感」「成長の過程」といった情緒的価値です。顧客を推し(ファン)に変える力が、ビジネスの差別化要因となるためです。

Q3: SNSでの同調圧力から抜け出し、「自分の言葉」を持つためにはどうすればいいですか?

A3: まずは情報から意図的に距離を置く「ケ(日常)」の時間を作ることです。そして、他人の「いいね」やタイムラインの意見をそのまま借りるのではなく、「なぜ自分はそう感じたのか」をノートに手書きするなど、アナログな知的生産の習慣を持つことで判断の質が上がります。本書を読み、他人の言葉に依存する危うさを認識することも、その第一歩となるでしょう。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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