競争しない競争戦略 改訂版 環境激変下で生き残る3つの選択
山田英夫
日経BP
競争しない競争戦略 (山田英夫)の要約
日本企業は一貫して売上高営業利益率の低下に悩んでいますが、利益なくして企業は存続できません。「競争しない競争戦略」は、競合を回避し独自の価値を築く手法です。「ニッチ戦略」は特定市場に特化し、「不協和戦略」は業界の常識を覆すアプローチでジレンマを生み、「協調戦略」はリーダー企業と協力しWin-Win関係を構築します。
競争しないための3つの競争戦略
日本企業は一貫して売上高営業利益率の低下に悩んでいるが、利益なくして企業は存続できない。そのため、「できるだけ競争しない状態が企業に収益をもたらす」という前提から、その状態をどのように作っていけばよいのかを、これから明らかにしていこう。(山田英夫)
日本の企業社会では長年、「競争こそが進歩の原動力」という考え方が支配的でした。しかし、過度な価格競争による収益性の低下や、企業体力の消耗は、多くの日本企業が直面する深刻な課題となっています。この背景には、他社との横並び志向や、新規市場への一斉参入による「満員バス現象」があります。
近年、こうした従来型の競争から距離を置き、むしろ「競争しない」ことで持続的な成長を実現する企業が注目を集めています。
「競争しない競争戦略」の実践において、最も重要な要素の一つが「ニッチ戦略」です。これは、大手企業が主導する主要市場との直接的な競合を避け、特定の市場セグメントに経営資源を集中させる手法です。この戦略の本質は、「小さくても深い」市場での圧倒的な存在感の確立にあります。
例えば、参天製薬は眼科領域への特化により、プロネクサスはディスクロージャーのプロセス支援により、それぞれが特定分野での高い専門性を武器に、大手企業との直接的な競争を回避しながら、安定した収益基盤を築いています。
2つめの戦略は「不協和戦略」です。これは、業界の支配的なビジネスモデルに対して、まったく異なるアプローチを提示することで、既存企業に戦略的なジレンマを突きつける手法です。この戦略の特徴は、業界の常識を覆す新しい価値提案にあります。
リーダー企業の「強み」としてあきらめていたことを一転「弱み」にすることを考え、逆に「弱み」としてあきらめていた自社の資源を「強み」に転化させていく逆転の発想が求めめられる。
ライフネット生命は営業職員を持たないオンライン保険という形で日本生命の営業組織を弱みに変えました。また、ドゥクラッセはシニア層に特化したファッション通販という形で、独自のポジションを確立しています。
3つ目の戦略は「協調戦略」です。これは、業界のリーダー企業と敵対するのではなく、むしろ協力関係を築くことで、Win-Winの関係を構築する手法です。この戦略のポイントは、相互補完的な価値の創造にあります。
セブン銀行は他行との提携によるATMネットワークの構築で、イオンライフは葬儀社との協業で、それぞれが強者との協調関係を通じて、市場での安定的な地位と収益基盤を確保しています。
これらの戦略は、マイケル・ポーターが提唱した競争戦略の理論とも深く関連しています。ポーターの5フォース分析によれば、既存企業間の競争、新規参入の脅威、代替品の脅威、買い手と売り手の交渉力といった要因を理解し、それらを回避または制御することで、高い収益性を実現できます。
また、競争のない市場空間(ブルー・オーシャン)の創造は、競争しない戦略の究極の形と言えます。既存市場での消耗戦(レッド・オーシャン)を避け、新しい価値曲線を描くことで、持続的な競争優位を確立することができます。
山下達郎の競争戦略とは?
山下達郎(ワーナーミュージック・ジャパン所属)は日本のシンガー・ソングライターだが、やらないことを公言している。①テレビに出ない、②日本武道館(アリーナ)ライブはやらない、③本を書かない、の3つである。
「競争しない競争戦略」は、ビジネスだけでなく文化やエンターテインメントの分野にも見られます。その一例が、歌手・山下達郎の「限定量ニッチ」戦略です。山下達郎は、圧倒的な音楽の才能と高い評価を受けながら、メディアへの露出を極端に控えています。
テレビ出演や派手なプロモーションを避け、自身の音楽を聴きたいと願うファンに限定的に提供することで、他のアーティストとの差別化を図っています。限定されたライブや自分のFM番組などに活動に絞ることで、逆に希少価値が高まり、彼の音楽は「本物」を求めるコアなファン層に深く浸透しています。
大量露出を避けることで、安易な消費を招かず、長期的に安定した人気を保つことに成功しているのです。 山下達郎のこの戦略は、ビジネスにおける「ニッチ戦略」に相当します。リーダー企業や主流の戦略に対抗するのではなく、限られた市場に特化し、そこに深く根を張ることで独自の価値を築いているのです。広く大衆に迎合することなく、自らのブランド価値を守り続ける姿勢は、多くの企業が学ぶべき戦略と言えるでしょう。
本来クレジットカードは規模の経済性がきく事業であり、会員が少ないとコスト高になる性質を持っている。だが、アメックスはサービスに関する数々の神話を作り出し、保有者を限定することで、高い会費を払ってでも保有したくなる仕組みを作っている。
アメリカン・エキスプレス(アメックス)は、クレジットカード業界において「限定的ニッチ戦略」を採用し、銀行系カードとの差別化を図っています。一般的に、クレジットカード事業は規模の経済が働く分野です。
つまり、会員数が多ければ多いほど取引コストや運営コストを低減でき、収益性が向上します。逆に、会員数が少ないとコストが高くなり、ビジネスモデルが成り立ちにくいとされています。
しかし、アメックスはあえて「限定性」に焦点を当て、独自のブランド価値を築き上げました。一般的なクレジットカードが広く大衆に普及することを目指すのに対し、アメックスは保有者を選別し、サービスを高付加価値化することで、他社との差別化を図っています。
その結果、「アメックスカードを持つこと」が一種のステータスとなり、特別感を求める顧客層を強く惹きつけています。 アメックスは、会員数を追求する代わりに、会員一人ひとりに対して充実したサービスを提供することに力を入れています。
例えば、世界中の空港ラウンジを利用できる「プライオリティ・パス」、高級ホテルでの特典、コンシェルジュサービスなど、特別感のあるサービスを数多く提供しています。こうしたサービスは、「カードを使う」以上の価値を生み出し、アメックス会員としての満足度や誇りを高めています。
また、アメックスは「神話」と呼ばれるほどの逸話やエピソードで、ブランドの特別感を強化してきました。例えば、海外旅行中にトラブルに遭遇した会員をアメックスが迅速にサポートした事例や、紛失したカードを現地で即座に再発行した事例など、会員サービスに対する信頼と期待を高める物語が多く語られています。
これらの逸話は、アメックスのブランド価値をさらに高め、「高い年会費を支払ってでも持ち続けたい」と思わせる仕組みを作り上げています。 さらに、アメックスはカードデザインやマーケティング戦略にもこだわりを持っています。例えば、プラチナカードやセンチュリオンカードなど、特定の顧客層向けに限定的に発行されるカードは、その存在自体がステータスシンボルとなっています。
これにより、一般的なクレジットカードが提供しない「特別な顧客体験」をアメックスは提供し続けています。 このように、アメックスは規模の経済という業界の常識に逆らい、保有者を限定することで高い会費を正当化し、独自の市場ポジションを確立しました。
大量の会員数を求める銀行系カードとは一線を画し、サービスとブランド力で選ばれる戦略を貫いています。これが「限定的ニッチ戦略」の典型例であり、競争の激しいクレジットカード業界において、アメックスが揺るぎないブランド価値を維持し続ける理由なのです。
こうしたアメックスの戦略は、他の業界における差別化のヒントにもなります。大衆路線を追求するだけでなく、あえて顧客を絞り込み、高付加価値を提供することで、競争を避けながら安定した利益を生み出すことができるのです。競争しない競争戦略を考える際、アメックスの成功事例は非常に示唆に富んでいます。
ソニーはαマウントシステムを武器に、同社のカメラ事業の中心をミラーレスに絞り、2010年にミラーレスカメラの発売に至った。ミラーレスは構造上、小型軽量化が容易であり、それがお家芸のソニーにとっては、もってこいの製品でもあった。
ソニーは「不協和戦略」の好例として挙げられます。かつてソニーのウォークマンは音楽プレーヤー市場を席巻していましたが、アップルのiPodの登場により市場を奪われ、大きな敗北を経験しました。しかし、この挫折を契機に、ソニーは競争の仕方を根本的に変え、競争力を高めています。
一眼レフカメラ市場ではキャノンやニコンがリーダーとして君臨し、技術と信頼性で圧倒的なシェアを誇っていました。そこでソニーは、性能面で劣るとされていたミラーレスカメラで新たな戦いを挑んだのです。 当時、ミラーレスカメラは軽量でコンパクトというメリットがある一方で、一眼レフに比べてオートフォーカスの速度やバッテリー性能が劣るとされていました。
しかし、ソニーはミラーレス技術を進化させ、画質やオートフォーカス性能を飛躍的に向上させることで、プロのカメラマンやハイアマチュア層に新たな価値を提供しました。キャノンやニコンは伝統的な一眼レフ市場を守るために、ミラーレス市場へのシフトに慎重だったため、ソニーはこのジレンマを突き、リーダー企業が容易に追随できないポジションを築くことに成功しました。
このソニーの戦略は、リーダー企業にとって「従来のビジネスモデルを守るか、新たな市場に進出するか」という選択を迫るジレンマを生み出しました。ソニーはあえて主流の競争を避け、競争の舞台を変えることで、リーダー企業が苦手とする領域で優位性を確立しました。この不協和戦略は、競争を真正面から受け止めるのではなく、リーダー企業の強みを逆手に取る柔軟な発想が求められます。
テクノロジーの進化は、業界の境界を曖昧にし、予期せぬ競争相手の出現を促進しています。このような環境下では、競争しない戦略も、常に進化し続ける必要があります。デジタルトランスフォーメーションへの対応、異業種からの参入に対する備え、顧客ニーズの変化への迅速な適応が求められています。
競争しない戦略の本質は、単なる競争回避ではなく、独自の価値創造にあります。専門性の深化と進化、顧客との強固な関係構築、イノベーションによる新しい価値の創造に注力することで、持続可能な成長を実現できます。
激しい競争が当たり前とされる現代のビジネス環境において、「競争しない」という選択は、逆説的ながらも極めて戦略的な意思決定となり得ます。重要なのは、競争を避けることそのものではなく、独自の価値を創造し、維持できる市場ポジションを確立することです。
「競争しない競争戦略」は、日本企業が直面する構造的な課題に対し、解決策となる可能性を秘めています。従来の競争至上主義から脱却し、新たな成長モデルを構築することは、日本企業が未来を切り拓くために欠かせない重要な転換点となるでしょう。
この戦略は、単に競争を避けるという消極的な姿勢ではなく、競争を戦略的にコントロールし、企業の持続的な成長を実現するための指針です。リーダー企業であれ、挑戦者であれ、競争に縛られず独自の立ち位置を築くことで、不確実な時代を生き抜く力を得ることができます。
本書では、「ニッチ戦略」「不協和戦略」「協調戦略」という3つの戦略に基づき、85社以上のケーススタディが紹介されています。参天製薬やライフネット生命、ソニーやアメックスなど、各社が競争を避けながら独自のポジションを築いた実例が豊富に収録されています。これらの事例から、競争に消耗せず成長し続けるための具体的なヒントや成功の秘訣を見出すことができるはずです。
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