正解のない雑談 言葉にできないモヤモヤとの付き合い方
大平一枝
KADOKAWA
正解のない雑談 言葉にできないモヤモヤとの付き合い方 (大平一枝)の要約
『正解のない雑談』は、言葉にできないモヤモヤや曖昧な感情を、無理に整理せずそのまま受け入れる姿勢の大切さを語る一冊です。異なる価値観を持つ人々との対話を通じて、読書や会話が自己理解を深める手段であることを教えてくれます。積ん読や偶然の読書体験にも意味があり、本は時に人生の転機となる存在です。読書とは、他者の視点を借りて、自分を静かに見つめ直す営みなのです。
新たな本との出会い方
同時期に別々の人から同じ本を薦められたら、それがミステリーであれ実用書であれ、理解できないものでもなんでも買おう。それから、サシ飲みしたら、相手に「人生でいちばん影響を受けた本って何?」って聞いて、それを買おうって。(大平一枝)
現代の情報社会に生きる私たちは、常に「正解」を求める空気の中で日々を過ごしています。SNSを開くと、成功体験や効率的なライフスタイルが数多くシェアされています。そうした情報に触れるうちに、他人と自分を比べてしまい、「自分も同じように生きるべきではないか」と無意識に感じるようになることがあります。
しかし、私たちの人生には、すぐに言葉にできない感情や、明確には説明しきれない迷いやモヤモヤが、たしかに存在しています。そうした整理しきれない気持ちに、あえて意味づけをせず、そのまま受けとめてみてもよいのではないでしょうか。 むしろ、その曖昧さの中にこそ、自分自身と向き合うための手がかりが潜んでいることもあります。答えを急がず、揺れ動く心の声に耳を傾けることが、私たちにとって大切な時間なのかもしれません。
作家・エッセイストの大平一枝氏の正解のない雑談 言葉にできないモヤモヤとの付き合い方は、そのようなメッセージをありのままのよさを私たちに届けてくれます。
この本は、大平氏がさまざまな背景や価値観を持つ人々と語り合う対談形式で構成されています。結論を急がず、正解を押しつけることもなく、それぞれの「揺らぎ」や「迷い」に寄り添うかたちで会話が進んでいきます。 人生に迷いはつきものです。立ち止まり、振り返り、また歩き出す——その繰り返しの中で、私たちは自分なりの人生を少しずつ形づくっていきます。
そして、変わらなければいけないと焦るのではなく、「今の自分」を受け入れることで、もっと自分に優しくなれるのだと気づかされます。
本書では、各界で活躍する人々が、若い頃には悩みや自己肯定感の低さに苦しんでいたことが率直に語られています。そんな彼らが50代を迎え、他人と比較することをやめ、自らの意思で行動するようになることで、心のモヤモヤが少しずつ晴れていく——その変化のプロセスは、とても示唆に富んでいます。
私自身も62歳となり、自分の内面に大きな変化を感じていたこともあり、本書に綴られた言葉の数々が深く心に響きました。
対談の中で特に印象に残ったのは、「読書」にまつわるエピソードでした。読書という行為は、単に知識を得るための手段ではありません。それはむしろ、自らの感情や価値観を言語化し、他者の視点と交差させることで、新たな自己理解へとつながるプロセスです。書かれた言葉が、読者の内面に静かに火を灯し、思索へと導いてくれるのです。 私自身、何度となく「偶然の読書体験」によって人生が変わる瞬間を経験してきました。
たとえば、著者の大平氏が述べているように、同時期に異なる仲間たちから偶然同じ本を薦められたことがあります。これは新たな書籍と出会うチャンスなのです。 自然な興味に導かれて読んでみたその一冊が、思いがけず思考の幅を広げ、私の価値観を大きく揺さぶってくれました。最近では、SNSで知った著者に偶然出会い、時間術に関する良書を手にする機会にも恵まれました。
書店でのふとした出会い、読書中に紹介される他の本、新聞や雑誌の書評、Amazonのレコメンド――そうしたあらゆる偶発的な接点の中に、自分をアップデートきっかけとなる「一冊」が潜んでいます。その偶然を信じ、柔軟に受け入れる感性こそが、読書を豊かにする鍵なのだと思います。
いま、私はX(旧Twitter)で若い世代の読書アカウントをよく眺めています。彼らが紹介する本には、私にはない視点や感性があり、まさに「感性の越境」を体験する読書の入り口になっています。これまでビジネス書や歴史書古い小説ばかりを読んできた私が、若い著書のエッセイや哲学書に手を伸ばすようになったのは、まさに彼らの影響です。
最初は戸惑いもありましたが、やがて気づいたのです。読書とは知識を得るためだけではなく、「他者のまなざしを借りて、自分の世界を拡張する行為」であるのだと。 本のセレクトには、その人の人生観が宿ります。だからこそ、自分とは異なる感受性を持つ人の本棚を覗くことは、自分を静かにアップデートするための豊かな行為なのです。
いまの私の読書は、年齢や職業ではなく、感性を軸に広がっています。読書が再び、私を未知へと導いてくれる旅になったのです。
積ん読にも意味がある!
同じ本でも、響く部分はそのときによって変わりますし、わかったなってそのとき思っても、あとから、いやわかってなかったとか。たぶん、本当にわかるって一生ない。でもその時々の気づきを支えに、生きていけると思う。(辻山良雄)
「同じ本でも、響く部分はその時々で変わる」――カフェ・ギャラリー併設の書店『Title』のオーナー・辻山良雄氏のこの言葉は、読書の本質を見事に表現しています。あるとき心に残った一節が、別の時期には何の印象も与えなかったり、逆に以前は気にも留めなかった言葉が深く刺さることもあります。
だからこそ、私たちは一冊の本を繰り返し手に取るのかもしれません。 読書を通じて得られる気づきや感覚は、完全な理解でなくても、その時々の自分にとって大切な「足場」となります。たとえ断片的であっても、言葉のかけらは静かに日々の生活に寄り添い、支えとなるのです。
辻山氏は「読まれずに置かれている本」にも注目します。本は所有された瞬間からすでに持ち主との対話を始めている、と彼は語ります。選ばれなかった99%ではなく、手に取った1%の本にこそ、自分との接点がある。本を買うという行為そのものが、無意識のうちに何かを感じ取っている証であり、本棚にあるだけでも、それは存在感を放ち続けるのです。
私はこの辻山氏の考え方に深く共感します。というのも、読書には「今はまだ読まない」けれど、いつかふと開いた瞬間に意味を持つという柔らかさと深さがあると感じているからです。積ん読にも価値がある――そう信じているからこそ、この視点にはとても励まされました。
Kindleの書棚に並ぶ、まだ読まれていない本たちの表紙を目にするたびに、私は「読むタイミングが来た」と感じ、どこか喜びにも似た気持ちを覚えます。再びその本と出会える瞬間を楽しみにできること自体が、読書の豊かさなのだと思います。
読書には、「今はまだ読まない」けれど、いつかふと開いた瞬間に意味を持つという柔らかさと深さがあります。一行だけが心に残ることもあれば、何年後かに再会したページが人生の転機となることもある。このように読書とは、常に現在の自分との出会い直しでもあるのです。(積ん読の関連記事)
さらに印象深かったのは、ニットデザイナー・三國万里子氏の言葉です。「なんてこの世界は広いんだろう!ひとりぼっちが山ほどいる!」――書棚の前で本を手にする大人たちを見て、彼女はそう感じたといいます。
この視点は、人間の本質的な孤独に光を当てます。誰かと一緒にいても、思考や感情の深い部分はひとりであり、それは例外ではなく普遍的なものです。 読書とは、その孤独の中で他者の言葉を通じて自分と向き合う営みです。他人の思考を借りることで、普段は気づかない自分の内面を照らし出す。まさに読書とは「他者の脳を借り、自分を知る行為」といえるでしょう。
本との出会いは偶然でも、その一冊が与える影響は偶然ではありません。理解や答えを求めるのではなく、読書は整理されていない感情や思考を優しく受け止め、自分と向き合う時間を提供してくれます。
最近、私はオーディオブックを活用して、過去に読んだ本を「耳で再読」するようになりました。目で文字を追う読書とは異なり、音声で言葉を受け取ることで、まるで著者と静かに対話しているかのような感覚が得られるのです。不思議なことに、以前とはまったく違う印象を受けることも多く、そのたびに新たな発見があります。 視覚と聴覚では脳の情報処理の仕方が異なり、それが気づきや感情の変化を引き起こしてくれます。
年齢や経験によって変わった「今の自分」と本が再び出会う手段として、オーディオブックは非常に有効だと感じています。読書は読むたびに姿を変える――その事実を、いま改めて実感しているのです。
これからも、ページを開くたびに新しい自分と出会える読書という営みを、大切にしていきたいと思います。本はただの情報の集合ではなく、自分自身を映し出す鏡であり、時に人生の道しるべにもなります。どんな形であれ、本との再会がもたらす気づきは、私たちの中に静かに、そして確かに積み重なっていくのです。
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