
書籍:「夫婦」不在社会
著者:三宅香帆
出版社:講談社
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『「夫婦」不在社会』三宅香帆:AI時代の経営と人生を分ける「ヨコの関係」構築戦略
世の中には親子の物語がこれほどたくさん溢れているのに、パートナーに関する葛藤の物語はなんだか語りづらいと感じることはありませんか。現代において、パートナーがいること自体がどこか贅沢なことに感じられる時代になったのかもしれません。
もし話題に上がったとしても、それは単純な愚痴やノロケ話として消費されるばかりで、お互いが抱えている本質的な悩みや深い葛藤について真剣に語り合うことは、ひどく難しいと感じている人は少なくないはずです。
この「パートナーとの関係(ヨコの関係)の語りづらさ」を個人的な問題として放置していると、実はプライベートな生活だけでなく、ビジネスやキャリアにおいても深刻な問題を引き起こします。
「言わなくてもわかるだろう」「自分の役割(稼ぐこと・ケアすること)さえ果たしていれば文句はないだろう」という思い込みや甘えは、組織内での決定的なディスコミュニケーションを生み出します。それはやがてイノベーションの芽を摘み取り、最終的には取り返しのつかない関係性の破綻を招くからです。
私は日々の経営コンサルティングやベンチャー企業支援の現場で、数多くの経営者やリーダーたちと対話を重ねています。その中で痛感するのは、組織の停滞や意思決定の致命的なミスが、「スキルやリソースの不足」から生じているケースは案外少なく、むしろ「フラットに意見をぶつけ合い、時に傷つきながらも葛藤を乗り越えるヨコの関係性の欠如」に起因していることが非常に多いという事実です。
上司と部下という「タテの関係」には過剰に適応できても、対等な立場で困難を乗り越える「ヨコの関係」を築くのが、私たち日本人は驚くほど苦手なのです。
そんなモヤモヤとした現代社会の空気を、見事なまでに構造化して言語化したのが、三宅香帆氏の『「夫婦」不在社会』です。
本書は、親子や個人の物語が豊かに語られる一方で、対等な他者として向き合うパートナー同士の関係――すなわち「夫婦」が、物語からも現実からも見えにくくなったことを問う、極めて鋭利な文芸・社会評論です。
村上春樹の初期から中期の作品群を太い背骨として精緻に読み解き、「なぜ私たちは夫/妻としてではなく、父/母・息子/娘として生きてしまうのか」を見事に解き明かしてくれます。
さらに本書は、現代の映像作品にも射程を広げ、「恋愛と生活の両立の困難さ」に切り込みます。特筆すべきは、臨床心理士・東畑開人氏の「シェアとナイショ」という概念を引き合いに出し、真の親密な関係(ヨコの関係)においては「傷つくこと」が避けられず、その傷つきを通してのみ関係は「更新」されるのだと喝破している点です。
終盤では、戦後日本社会の「父の不在」やポストフォーディズムへの移行が引き起こした社会の変化から、労働の論理に「私」の時間が植民地化されている構造を暴き出し、国家や市場の搾取から個人を守る砦としてのパートナーシップの重要性を説いています。
現在、生成AIが論理的思考やタスク処理を瞬時に代替する時代において、人間にしか構築できない「複雑で葛藤を伴うヨコの関係性」の価値が爆発的に高まっています。
「傷つけ合わないぬるま湯の組織」から脱却し、真の共創を生み出したいと願う経営者やビジネスリーダーにとって、本書は極めて強力な思考のレンズを提供してくれます。タテの権威や「稼ぐという正しさ」に依存せず、質の高い意思決定を行いたい方にお勧めしたい一冊です。
この記事でわかること
・現代のヒット作品から「夫婦」が消え、タテの「親子関係」ばかりが描かれる構造的理由
・村上春樹作品にみられる「黙る夫」と、痛みを自覚しないことの致命的な代償
・短編『眠り』が暴く、「傾向的な消費」を拒絶し自立を求めた女性の悲鳴
・『ファーストキス』が示す、「大黒柱として稼ぐ」役割から解放されなければ妻を優先できない男性の悲哀
・東畑開人が語る「シェアとナイショ」の違いと、「傷つきによる関係の更新」の重要性
・タルコット・パーソンズの「家族と職業の分離」がもたらす、社会で働く人々にとっての「傷の受容」の難しさ ・労働と生活が未分化になる現代において、なぜ「時間をかけて」葛藤を伴うヨコの関係を築くことが最強の戦略になるのか
30秒でわかる本書のポイント
【結論】
・日本の社会や物語において、「夫婦(水平な契約関係)」の描写が決定的に不足している。 代わりに「親子(垂直な権威・依存関係)」によって、社会の自己認識が成り立っている。
・対等な他者である「パートナー」ではなく、「絶対的な愛情(母なるもの・親)」を社会全体に求めてしまっている。
【原因】
・1940年代生まれの巨匠クリエイターたちの中に、「夫」としての自意識が欠落していることが作品に露呈している。
・「妻と子を養う父になるべく仕事で稼ぐ」という家父長制的な「正しさ」や、職場と家庭の価値観の分離が、対等な関係構築を破壊してしまうため。
・労働と生活の脱境界化が進み、「私」の時間が「公(労働)」の論理に植民地化されたため。
【対策】
・自分の中にある「タテの関係(親子・主従)」への過剰な依存や、「稼ぐこと=正しさ」という思い込みを自覚し、社会や組織を「構造で考える」。
・「傷つけ合わない関係(シェア)」にとどまらず、互いの深部を打ち明けて葛藤し、関係を「更新」していく「真の親密性(ナイショ)」の構築から逃げない。
・閉塞した二者関係のディスコミュニケーションを打破するために、あえて「時間をかけて」対話するプロセスを戦略の中核に据える。
本書の要約
三宅香帆氏による『「夫婦」不在社会』は、現代の小説、映画、ドラマを深く読み解きながら、なぜ今「夫婦」という水平な関係性が語られなくなったのかを考察する鋭利な評論です。
著者は、宮崎駿や村上春樹といった1940年代生まれの巨匠たちが描く女性像が、「妻」ではなく「母」に偏っていることを指摘します。彼らには「息子」や「父」としての自意識はあるものの、「夫」としての自意識がすっぽり抜け落ちているのだと分析します。
本書の中盤以降は、村上春樹作品の精緻な読解が大きなウェイトを占めます。『風の歌を聴け』や『羊をめぐる冒険』などを通して、男性が過去の権威への反発から「父になること」を拒絶し、パートナーとのディスコミュニケーションに向き合おうとしない「黙る夫」の姿が浮き彫りにされます。
また、短編『眠り』では、「父」のような夫に庇護されながらも自立できない「父の娘」としての息苦しさと、「傾向的に消費なんかされたくない」という自己の精神を取り戻そうとする妻の切実な声が描かれます。
さらに『ねじまき鳥クロニクル』や『木野』においては、自分自身の「痛み」や「欲望」から目を背けた結果起こる関係の破綻と、そこから関係の「ねじを巻き直す」ための再生のプロセスが提示されます。
著者は、坂本裕二脚本の『ファーストキス』や山本文緒の『なぎさ』といった作品を通して、現代における「稼ぐこと(生活)」と「夫婦関係」の両立の困難さを提示します。ブラック企業で疲弊し「黙る夫」と、言葉を飲み込む妻。その亀裂を修復したのは「第三者」の存在と、時間をかけた関係の更新でした。
東畑開人の言葉を借り、「シェア(傷つけ合わない関係)」と「ナイショ(傷つきを伴う真の親密性)」の違いを浮き彫りにし、関係は「傷つけあい、修復する」過程を通してのみ更新されるのだと説きます。
終盤では、タルコット・パーソンズの社会学やハルトムート・ローザの理論を引きつつ、労働による生活の「植民地化」を指摘し、「どうすればパートナー間のディスコミュニケーションは解消されるのか」という問いへ、「時間を急がないこと」という答えを私たちに示しています。
こんな人におすすめ
・夫婦関係やパートナーシップに漠然としたモヤモヤや葛藤を抱えている人
・組織のトップダウン(タテ)のマネジメントに限界を感じ、表面的な仲良しチームではなく、真の共創(ヨコ)チームを作りたい経営者やマネージャー
・「稼ぐこと」と「家族・パートナーとの時間」の両立に悩み、キャリアのあり方を見直したいビジネスパーソン ・村上春樹や山本文緒の作品群が映し出す「時代の深層心理」を知り、リベラルアーツの教養を深めたい人
・「親ガチャ」や「労働の植民地化」「シェアとナイショ」というキーワードから、現代社会を「構造で考える」力を身につけたい人
・AI時代に「人間にしかできない関係構築と意思決定」とは何かを探求している人
本書から得られるメリット
・「なぜ夫婦の悩みは語りづらいのか」という個人的な違和感が、社会構造として言語化され、思考がクリアになる
・「稼ぐ役割」と「夫をサポートする役割」の固定化がもたらす罠を客観視でき、組織マネジメントや意思決定の質が飛躍的に向上する
・「傷つけ合わない関係」がもたらす停滞に気づき、葛藤を乗り越えて深い信頼関係を築くための心理的覚悟が決まる
・閉塞した人間関係やチームに「時間をかけること」を許容し、膠着状態を打破する実践的なヒントが得られる ・国家や会社といった「共同幻想」に過剰適応せず、自分たちを守るための「対幻想」の価値に気づける
・他者との対話や葛藤をポジティブに捉え直し、知的な生産性やビジネス戦略に直結させることができる

なぜ物語から「夫婦」が消えたのか? 村上春樹が描く「黙る夫」の正体
村上春樹作品における「黙る夫」の存在について考えてきた。結果として、それは、ポストフォーディズム時代においてもなおタテ関係を堅持する従来の男性性を重視し、ヨコ関係で感情を伝えるコミュニケーションを忘れてしまった男性たちの姿であった。(三宅香帆)
私たちが日々触れている物語には、社会の無意識の欲望や構造的な欠陥が映し出されています。本書『「夫婦」不在社会』で三宅香帆氏が鋭くえぐり出しているのは、現代の優れた物語作家たちが描く世界において、「夫と妻」という水平(ヨコ)の関係性が極端に希薄であるという事実です。
その太い背骨として論じられるのが、村上春樹作品です。私は高校時代に『風の歌を聴け』に出会ってから45年間、彼の作品を読み続けてきました。作中に登場する主人公の多くは、都会的で洗練されており、押し付けがましい権威を嫌います。
本書の分析によれば、『羊をめぐる冒険』などに顕著なように、彼らは過去の権威(=伝統的な「父」の役割)に対する強い反発を持っています。しかし、その「父になること」を拒絶した結果、彼らは対等なパートナーである「妻」と向き合うことからも逃避し、ディスコミュニケーションを放置する「黙る夫」になってしまうのです。
これは極めて現代的なビジネスの病理とも重なります。かつての猛烈なトップダウン(昭和的な父の権威)を嫌い、スマートでフラットな組織を目指したはずの現代のマネージャーたちが、いざ部下や共同創業者と深い意見の対立(葛藤)に直面すると、対話を放棄し「黙るリーダー」になってしまう現象です。
権威を否定することは簡単ですが、対等な「ヨコの関係」を築くには、面倒なすり合わせという労働が必要です。「黙る夫」とは、この関係構築の労働をサボタージュした現代人の姿そのものなのです。
村上春樹の短編『眠り』に登場する妻は、歯科医の夫に庇護され、何不自由ない生活を送っています。彼女はまさに「父のような夫」に守られた「父の娘」です。しかし彼女は突如として眠れなくなり、「傾向的に消費なんかされたくない」という強烈な自己の精神を取り戻そうとします。役割(良き妻・良き母)として消費されることへの、魂の抵抗です。
そして『ねじまき鳥クロニクル』や『木野』といった作品群において、村上春樹はついに「逃避の代償」を描き切ります。自分自身の「痛み」や「欲望」、そしてパートナーとの決定的な亀裂から目を背け、言葉にできない苦悩から逃避した結果、関係は取り返しのつかない破綻(失踪や死)を迎えます。
しかし『ねじまき鳥』の主人公・岡田トオルは、圧倒的な暴力や不条理が潜む井戸の底へ降り、関係の「ねじを巻き直す」ための再生のプロセスへと向かいます。
世界のねじを巻き直すこと、それは、「私」的な時間を取り戻すことそのものではないか。社会に必要なのは、「公」的な時間感覚だけではない。「私」的な時間感覚に自分の身体をずらすこともまた、世界のねじを巻き直すために必要なことなのである。
強い組織をつくる第一歩は、誰かが発している小さな痛みのサインを見過ごさないことです。 組織の中で、誰かが「一人の人間としてではなく、与えられた役割や成果を出すための道具として扱われている」と感じ始めたとき、チームにはすでに亀裂が生じています。
その痛みを「本人の問題」「よくある不満」としてスルーすれば、本人の意欲が失われるだけでなく、周囲にも諦めや不信感が広がり、やがて組織全体の協力関係が崩れていきます。 厄介なのは、こうした痛みが必ずしも明確な言葉で語られるとは限らないことです。
会議で発言しなくなる、提案を諦める、必要最低限の仕事だけをこなす。こうした小さな変化は、本人が発しているSOSかもしれません。一見すると組織が安定しているように見えても、実際には「何を言っても変わらない」という諦めが広がっている可能性があります。
だからこそ、リーダーは彼らの沈黙を同意と受け取ってはいけません。誰かが感じている痛みや違和感に気づいたら、立ち止まり、その背景にある感情や事情に耳を傾ける必要があります。「忙しいから」「成果は出ているから」と後回しにせず、これまで見ないふりをしてきた不満やすれ違いに向き合い、対話を重ねながら人間関係の「ねじを巻き直す」のです。
真の心理的安全性とは、単に優しく接することでも、衝突を避けることでもありません。誰かの痛みを組織全体の問題として受け止め、違和感や反対意見を率直に語れる状態をつくることです。リーダーには、「本人が何も言わないのだから大丈夫だ」という思い込みを捨て、自分の中にある「沈黙による逃避」を自覚する姿勢が求められます。
誰かの痛みをスルーせず、耳の痛い声にも向き合うこと。メンバーを役割や機能として消費するのではなく、感情と意思を持つ一人の人間として尊重すること。その泥臭い積み重ねこそが、信頼に基づく心理的安全性を育み、困難な状況でも簡単には崩れない強い組織をつくるのです。
労働による「生活の植民地化」と「ナイショ(真の親密性)」の喪失
1979年の『風の歌を聴け』から見てきた、物語に描かれる日本のパートナーシップの問題は、半世紀弱経った2025年の『ファーストキス』に至るまで今も揺れ動いている。現代においても、パートナー同士のコミュニケーションはいまだ困難のなかにある。
本書の後半では、坂本裕二脚本の『ファーストキス』や山本文緒の『なぎさ』といった作品を通して、現代における「稼ぐこと(生活)」と「夫婦関係」の両立がいかに困難であるかが浮き彫りにされます。ブラック企業で疲弊し、帰宅しても「黙る夫」と、波風を立てまいと言葉を飲み込む妻が描かれます。
ここで著者は、ハルトムート・ローザの理論を引きつつ、労働の論理(効率性、スピード、KPIによるタスク管理など)が、私たちの私生活を「植民地化」していると指摘します。ビジネスの効率至上主義が家庭にまで持ち込まれ、「結論のない会話」や「ただ寄り添う時間」が排除されてしまうのです。
さらに、臨床心理士の東畑開人の言葉を借りて提示される「シェア」と「ナイショ」の概念は秀逸です。現代社会は、お互いを傷つけ合わない表面的な関係(シェア)を推奨します。
しかし、対等な人間同士が深く結びつくパートナーシップには、どうしても「傷つけあい、そして修復する」という泥臭い過程が不可欠です。この傷つきを伴う真の親密性こそが「ナイショ」です。
「公私の分離」が進みすぎた現代は、この「私的な傷」を受容し、ケアする余裕を社会全体から奪ってしまいました。 ビジネスにおいても、「波風を立てない(シェア)」だけのチームからはイノベーションは生まれません。
本気で意見をぶつけ合い、時には傷つきながらも、目的のために修復し合える「ナイショ」の関係性を築けるかどうかが、強いベンチャー企業を創る鍵となりそうです。
本書が扱うテーマはAI時代にこそ重要であると、私は確信しています。 現在、生成AIは驚異的なスピードで進化し、私たちのタスクを効率化しています。AIは、タテの関係における「完璧な部下」であり、こちらのプロンプト(指示)を一切の感情的葛藤なしに受け入れてくれる「究極の受容装置」です。
AIは決して反発せず、沈黙の理由を問いただすこともありません。つまり、AIとの関係は極めて効率的な「シェア」の世界です。 だからこそ、AI時代には「面倒くさいヨコの関係」の価値が相対的に爆発するのです。
AIには生身の葛藤や、意見の激しい衝突から生まれる予想外の飛躍(セレンディピティ)はありません。リアルな人間同士が、時に傷つきながらも本音で対話し、新しい価値を創造していくパートナーシップ。これこそが、AIには決して代替できない人間のコア・コンピタンスになります。
著者は、「どうすればパートナー間のディスコミュニケーションは解消されるのか」という問いに対し、「時間を急がないこと」という明確な答えを提示しています。
親密な関係性を築くには、時間が必要だ。なぜなら傷つけあい、修復しあうには、時間が必要だからだ。 しかし時間をとることがなにより難しい。現代においては。
最適解をすぐに求めるAI的なアプローチを人間関係に持ち込んではいけません。すれ違いを解きほぐすためには、結論を急がない会話の「余白」が必要です。
効率化はAIに任せ、人間は「急がない時間」を使って他者と深く向き合い、関係のねじを巻き直すこと。これからの時代、夫婦関係の再構築のみならず、あらゆるビジネス・組織戦略において、この「ヨコの関係」構築こそが最大の差別化要因であり、質の高い意思決定の源泉となるのです。
コンサルタント 徳本昌大のView
本書の価値は、家族や夫婦をめぐる物語の分析を通じて、現代社会における関係性の設計不全を可視化した点にあります。
著者は、村上春樹をはじめとする文学・映像作品を読み解きながら、親子に代表される「タテ」の関係と、対等な他者同士が築く「ヨコ」の関係を区別します。この枠組みによって、個人の性格や相性の問題として処理されがちな葛藤が、実は社会や時代が生み出した構造的な問題であることが見えてきます。複雑な現象を単純化するのではなく、背後にある力学を捉える思考法としても優れています。
私自身、45年にわたって村上春樹作品を読んできましたが、本書によって、それらの物語に「父」や「夫」という役割をめぐる時代の欲望や限界が反映されていることに気づかされました。慣れ親しんだ作品を別の角度から読み直す経験は、自分の解釈を絶対視せず、前提そのものを疑うメタ認知の重要性を教えてくれます。
さらに本書の議論は、家族論や文芸批評の領域にとどまりません。企業組織に置き換えれば、「タテ」は権限や評価によって人を動かす関係であり、「ヨコ」は対話と合意によって協働する関係です。業務効率を優先するあまり対話の時間を削れば、表面的には生産性が高まっても、異論や違和感が共有されず、組織の問題発見力は低下します。
心理的安全性とは、単に発言しやすい雰囲気をつくることではなく、利害や価値観の違いを引き受け、関係を修復し続けられる状態なのです。 生成AIは、情報整理や最適化、意思決定の支援には大きな力を発揮します。
しかし、傷ついた相手との関係を結び直し、言葉にならない感情を受け止め、簡単には一致しない意見と向き合う仕事まで代替できるわけではありません。
むしろAIによって効率化が進むほど、結論を急がず、相手との間に生じたズレを丁寧に扱う人間の能力が重要になります。 本書は、夫婦や家族の問題を論じながら、私たちが他者とどのような関係を築き直すべきかを問いかけています。
タイムパフォーマンスや即効性のあるノウハウでは捉えられない「関係性の質」に目を向け、人と組織に対する判断の精度を高めたいリーダーにとって、示唆に富む一冊です。
FAQ
Q1: 村上春樹の小説をあまり読んだことがないのですが、理解できますか?
A1: 全く問題ありません。著者が物語のあらすじや登場人物の心理構造を丁寧に解説してくれるため、未読の方でも「現代社会の心理」や「日本特有のディスコミュニケーション」を読み解くビジネス書・社会学の本として非常に面白く読める構成になっています。
Q2: 独身や、今のところ結婚の予定がない人にも読む価値はありますか?
A2: はい、大いにあります。「夫婦」という言葉を使っていますが、本書の本質は「フラットで対等な人間関係をどう築くか」「効率化の波の中でいかに対話の時間を守るか」という普遍的なテーマです。共同創業者、職場の同僚、友人との関係性を深め、質の高い意思決定を行うためのヒントが満載です。
Q3: 本書を読んで、ビジネスの現場で具体的にどう活かせばいいですか?
A3: まずはタスク管理やKPIといった「効率化の論理」を、人間関係に持ち込まないことが重要です。「シェア(互いを傷つけ合わない努力をする関係)」だけでなく、時には衝突し修復する1対1の「ナイショ」の関係性を築くため、あえて「結論を急がない対話の時間」をマネジメントに組み込むことが重要です。
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