自分のまわりの人たちがポジティブになるよう働きかけよう。大きな成果があがるはずだ。世界を変えることだってできるかもしれない。(トム・ラス)
今朝「海難1890」という映画を見てきました。
仲間の浦聖治氏が制作のために奮闘していたため
絶対に見ようと思っていた映画でしたが、ようやく本日鑑賞できましたが
とても素晴らしい作品で、日本人に生まれたことを誇りに思えました。
浦さんのご縁でとても良い映画を観ることができ、浦さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
本作品は1890年にエルトゥールル号が和歌山沖で座礁した際に
和歌山の漁民がトルコ人乗組員を救う話と
1985年のテヘランでのトルコ航空機による日本人救出劇の2部構成になっています。
和歌山の漁民たちは、思いやりの心で救助・看護活動を行い
少ない食べ物や衣服を言葉も通じないトルコ人乗組員に提供したのです。
この恩がやがて未来の日本人を救うことになるのです。
1985年のテヘランでは、今度は日本人が危機に陥ります。
サダム・フセインがイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言
多くの日本人がテヘランに取り残されたのです。
(当時の日本政府は、なすすべもなく、邦人を見捨てるのです。)
日本の官民からの要請を受けたトルコのオザル首相は
自国民を危険にさらすことになるという周囲の反対を押し切り
日本人の為の救援機の追加派遣を決断してくれたのです。
また、混乱したテヘラン空港でもトルコ大使館の職員ムラトが
かつて日本人が示してくれた真心にいまこそ報いるべきだと
トルコ人を説得してくれたおかげで
すべての日本人が飛行機に搭乗でき、無事に帰国できたのです。
以前から、浦さんからこの2つの心温まる話を聞いていたのですが
実際に映画を見ることで、改めてトルコと日本の友情を実感できました。
無私の心が人を幸せにすることを、この「海難1890」から学べたのです。
公開日時が限られてきていますが、ぜひ、本作をご覧いただき
トルコと日本の友情を知ってもらえればと思います。
また、本作を観終わった後で、トム・ラスとドナルド・O・クリフトンの
心のなかの幸福のバケツを読みたくなって、早速再読してみました。
その中に「バケツとひしゃくの理論」という話が出てきますが
「海難1890」から、この理論を思い出しました。
人は誰でも心にバケツをもっている。他人に何かを言われたり、されたりするたびに、このバケツの水は増えたり、減ったりする。バケツの水がいっぱいのときは気分がいい。バケツが空になったとき、気分は最悪だ。バケツのほかにひしゃくももっている、ひしゃくを使って、誰かのバケツに水を注げば一相手が明るくなるようなことを言ったりすれば、自分のバケツにも水がたまる。逆に、ひしゃくで相手のバケツの水をくみ出せば一相手を傷つけるようなことを言ったりしたりすれば、自分のバケツの水も減る。なみなみと注がれたカップとおなじように、心のバケツに水がいっぱい入っているとき、人は前向きで意欲にあふれている。(ドナルド・O・クリフトン)
人は自分のひしゃくを使って、相手のバケツをいっぱいにできます。
この思いやりが、お互いの関係を幸せなものに変えるのです。
日本とトルコの両国の国民はお互いのひしゃくを使って
両国のバケツをいっぱいにしたのです。
1890年の日本人の思いやりが、1985年の日本人を助けてくれたのです。
善行が未来を明るくすることを、この映画は私たちに教えてくれたのです。
「海難1890」の上映によって、両国の関係はますます良くなることでしょう。
お互いの功績を知ることで、日本とトルコの友情は今後も続きそうです。
バケツに水が一滴、注がれるたびに、人は強くなり楽観的になる。逆にバケツが空のときは、後ろ向きで元気がなく、意欲も低下している。バケツの水をくみ出されるたびに、人は傷つく。人はみな日々あらゆる場面で選択を迫られている。自分とかかわる人の心のバケツに水を注ぐのか、それとも水をくみ出すのか。これは重要な選択だ。まわりの人との関係や生産性、健康、そして幸福に大きな影響を与える選択なのだ。
1890年の和歌山の漁民は現代の日本人より
はるかに金銭的には貧しかったかもしれませんが
バケツとひしゃくには水がたっぷり入っていました。
彼らはその幸せの水を見知らぬトルコ人に与えていたのです。
当時の和歌山の人たちは、間違いなく幸福だったに違いありません。
私たちも当時の人たちを見習って、バケツとひしゃくに水をたっぷり注ぎたいものです。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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