健康の土台をつくる 腸内細菌の科学 健康の土台をつくる 腸内細菌の科学
内藤裕二
日経BP
腸内細菌の科学(内藤裕二)の要約
腸内には無数の細菌が共生し、健康維持に欠かせないパートナーとして働いています。これらの細菌は食事の一部を栄養源にし、有益な代謝物を生産することで、消化機能や免疫、さらには心身の健康や寿命にも影響を与えています。腸内細菌との共生が、私たちの健康を支えているのです。
腸内細菌が重要な理由
私たちは腸内細菌と共生関係にある。(内藤裕二)
私たちの体の中には、数え切れないほどの腸内細菌が共生しており、健康の維持に欠かせないパートナーとして働いていると、京都府立医科大学大学院医学研究科生体免疫栄養学講座の教授である内藤裕二氏は指摘しています。
これらの腸内細菌は、私たちが摂取する食事の一部を栄養源として活用し、その代謝過程で私たちにとって有益な代謝物を生産する役割を果たしています。腸内細菌の働きは私たちの消化機能や免疫、さらには心身の健康にも大きな影響を与えており、その重要性が近年ますます注目されているのです。
特に、腸内細菌が作り出す「短鎖脂肪酸」は、私たちの健康にとって重要な役割を果たしています。短鎖脂肪酸には、酢酸、酪酸、プロピオン酸といった種類があり、それぞれ異なる健康効果をもたらします。
「酢酸」は、強い抗菌作用を持ち、腸内の有害な菌の増殖を抑えることで健康な腸内環境の維持に貢献しています。また、酢酸には脂肪の蓄積を抑制する作用もあり、体脂肪をコントロールするのにも役立つとされています。
しかし、酢酸は私たちが酢を摂取しても小腸で吸収されてしまうため、大腸まで届く酢酸は腸内細菌が生成したものに限られます。このため、腸内細菌の働きは、健康的な腸内環境の維持に欠かせないものなのです。
「酪酸」は、腸内でのエネルギー源として利用されるだけでなく、免疫系の調整にも寄与します。酪酸は炎症を抑える働きを持つ免疫細胞を増加させ、腸内や全身の炎症を抑える役割を果たしています。さらに、酪酸は血糖値を下げるホルモンの分泌を促進し、ストレス軽減にも関与することがわかっており、私たちの心身の健康維持に欠かせない存在です。
「プロピオン酸」は、ビフィズス菌の増殖を促進し、腸内フローラのバランスを整える作用を持っています。また、プロピオン酸は食欲を抑えるホルモンの分泌を促し、過剰な食欲を抑えることで体重管理にも役立つと考えられています。
ただし、プロピオン酸を過剰に摂取すると、糖尿病や肥満のリスクが高まると報告されているため、バランスを保つことが大切です。 腸内細菌の役割は短鎖脂肪酸の生成にとどまらず、消化に欠かせない胆汁酸の代謝にも関与しています。胆汁酸は主に肝臓で生成され、食事に含まれる脂肪の消化を助けますが、腸内細菌はこれにさらなる機能を付与します。
腸内細菌は胆汁酸からアミノ酸を外すことで、「二次胆汁酸」を作り出し、これが脂肪の消化を促進するだけでなく、体内のさまざまなシステムに信号を送る役割を担っているのです。 最近の研究では、この二次胆汁酸が体内時計の調整にも重要な働きをしていることがわかっています。
私たちの体には、脳にある中枢型の体内時計と、腸や肝臓などの末梢型の体内時計が存在し、それぞれが連携することで健康的な生活リズムが保たれます。腸内細菌が生成した二次胆汁酸が腸の体内時計に作用し、特に朝食によって刺激されて1日のリズムが始まるのですが、腸内細菌が胆汁酸からアミノ酸を外せなくなると、末梢の体内時計が正常に働かなくなり、生活リズムが乱れる原因になることがわかっています。
たとえ朝に光を浴びて中枢の時計が整っても、腸の体内時計が機能していないと、体全体のリズムが乱れてしまうのです。 こうして見てみると、腸内細菌は私たちの体内で多くの役割を果たしており、その働きによって短鎖脂肪酸や胆汁酸を活用することで、健康を支えています。腸内環境を整えることは、私たちの生活リズムや健康に密接に関連しており、日々の食生活や生活習慣がいかに重要かを再認識させてくれます。
肥満にも腸内細菌が影響している?
腸内細菌の研究が進む中で、肥満と腸内細菌の関係性が新たな視点として注目を集めています。腸内には何百兆もの細菌が存在し、それぞれが人間の代謝や健康に影響を及ぼしていますが、興味深いことにその中には「太りやすくなる菌」と「やせやすくなる菌」が存在することがわかってきました。
この発見は、腸内細菌研究を大きく前進させるきっかけとなり、私たちの生活習慣や体重管理に関わる新たなアプローチとして期待を集めています。 肥満に関する腸内細菌の研究は、まず動物実験でその存在が確認されました。たとえば、ある特定の腸内細菌を持つマウスが通常よりも太りやすくなる結果が示され、これが人間の腸内細菌にも応用できるのではないかと考えられました。
実際に人間でも腸内細菌の組成が肥満と深く関連していることがわかり、腸内細菌のバランスがエネルギーの吸収率や代謝に大きく影響を与える可能性が指摘されています。欧米では「肥満菌」と呼ばれる細菌が発見されており、この菌が多く存在すると腸内でエネルギーが効率よく吸収されやすくなり、体内に脂肪が蓄積されやすい傾向にあるとされています。
逆に、エネルギー消費を促進する「ヤセ菌」が多いと、体重が増えにくい体質になり、自然と太りにくくなることが確認されています。 最近の研究では、日本人特有の腸内フローラにおける「ヤセ菌」や「肥満菌」も発見されており、これは私たちが持つ腸内細菌の構成が人種や地域の食文化に深く影響されていることを示しています。
特に日本人の腸内には、伝統的な和食に含まれる食物繊維や発酵食品が影響を与えていると考えられ、これにより腸内フローラが健康的に維持されやすいのです。このような腸内細菌のバランスが肥満や体重管理に関係しているとされ、食生活を改善することが腸内環境を整え、健康的な体重管理につながることが期待されています。
具体的な腸内細菌としては、日本人の太っていない人に多いとされる「ブラウティア菌」が挙げられます。この菌はファーミキューテス門に属し、動物実験では高脂肪食による体脂肪の増加を抑制する効果が確認されています。しかし、ブラウティア菌を持っていても腸内での占有率がわずか1%程度と少ない場合には、肥満抑制効果が十分に発揮されないこともあるとされています。このように、腸内細菌の種類や割合が私たちの体質や肥満傾向に影響を及ぼすのです。
一方で、日本人の肥満傾向のある人に多く見られるのが「フシモナス菌」です。この菌もファーミキューテス門に属しており、高脂肪食を摂取した際に体内で悪玉脂質を生成し、肥満や炎症を促進する働きを持っています。動物性の飽和脂肪酸が特に悪影響を与えるとされますが、フシモナス菌が腸内に多いと、植物油であっても悪影響を及ぼす可能性が示唆されています。
このことから、食事内容が直接的に腸内フローラの構成を変え、それが肥満リスクに繋がり得ることがわかります。 さらに、腸内細菌の一部には体内でコレステロールを分解する作用を持つものがあることも発見され、これも健康維持に重要な役割を果たしています。コレステロールは人体に必要な脂質ですが、過剰に存在すると肥満や生活習慣病のリスクを高める要因となります。
こうした中、腸内でコレステロールを代謝する「オシリバクター」と呼ばれる菌が存在し、この菌は体内の脂質バランスを整えるため、肥満や高脂血症の予防に役立つと考えられています。腸内細菌の中には、コレステロール分解と逆の作用を持ち、動脈硬化リスクを高めるような菌もいます。
特に、動物性たんぱく質、特に赤肉(豚、牛、羊)を多く摂取する人は動脈硬化や心筋梗塞のリスクが高く、これは腸内フローラの構成と相互作用している可能性があります。 腸内フローラの多様性は、肥満だけでなく、体全体の健康に深く関わっています。
腸内フローラを健康に保つことは、単なる体重管理にとどまらず、生活習慣病の予防や健康的な老化、さらには日々の活力にも影響を与えます。腸内細菌は私たちの代謝や免疫機能に密接に関与しているため、バランスのとれた食生活や適切な生活習慣によって腸内環境を整えることが、将来の健康につながる重要な鍵となるでしょう。
厳密にはデイスバイオーシスと呼ばれる腸内細菌叢の乱れや多様性の低下、腸内細菌がもたらす炎症などが老化に影響を与える因子とされています。
腸内細菌は、私たちの体にとって不可欠な存在であり、短鎖脂肪酸の生成や胆汁酸の代謝を通じて、さまざまな健康効果をもたらしています。腸内環境を整えることは、私たちの生活の質を高め、健康を維持するために重要な要素であるといえるでしょう。
健康寿命と腸内環境
健康寿命とは、病気や体調不良によって日常生活に支障をきたさず、心身ともに健やかに過ごせる期間のことを指し、現代の医療の目標の一つでもあります。そのためには、老化や健康を損なう要因を理解し、適切に対処する方法を見出すことが重要です。
そして、近年注目される要素として「腸内環境」があります。特に、腸内細菌の多様性やその種類が長寿や健康寿命と密接に関わっていることが明らかになりつつあります。
腸内細菌と長寿の関係に関する研究は、2000年代から欧米を中心に進められてきました。中でも、2021年にフィンランドのトゥルク大学が発表した研究報告は特に興味深いものです。この研究では、成人約7000人を15年にわたり追跡し、腸内細菌の構成が健康寿命や寿命にどのような影響を与えるかが調査されました。
研究の結果、大腸菌やクレブシエラ菌、サルモネラ菌など、プロテオバクテリア門(現シュードモナドータ門)に属する菌の割合が多いほど寿命が短くなる可能性が高いことが示されています。この菌群には腸管の上皮に炎症を引き起こすものが多く、腸内での慢性的な炎症が全身に広がることで老化が進み、結果として寿命が縮まるのではないかと考えられています。
さらに、腸内フローラの多様性も、健康や長寿に重要な役割を果たしています。腸内には多様な菌種が共存し、それぞれが特定の役割を担っていますが、この多様性が減少すると、腸内環境が不安定になりやすくなります。腸内細菌の多様性が保たれていることで、各菌が互いの働きを補い合い、腸内バリアがしっかりと機能しやすくなるのです。
加齢とともに腸内細菌の種類やバランスは変化しやすく、特に酪酸産生菌やビフィズス菌といった健康維持に重要な菌が減少する傾向があります。これらの菌は、酸素のない環境で生息するため、腸管のバリアが崩れると酸素の影響を受けて減少しやすいのです。その一方で、酸素が少し存在しても生き延びられるプロテオバクテリア門の菌は増えやすくなり、結果的に腸内フローラのバランスが崩れ、炎症のリスクが高まると考えられます。
腸内環境が乱れ、プロテオバクテリア門の菌が増加すると、腸のバリア機能がさらに低下しやすくなり、炎症の原因となる物質が体内に入り込みやすくなります。炎症が全身に広がると、慢性炎症として定着し、老化の進行を速め、健康寿命が短縮されるリスクが高まります。腸内フローラの状態が私たちの健康に与える影響がわかりつつある今、腸内環境を整えるための方策が一層求められています。
興味深い例として、日本の研究チームが京丹後市と京都市に住む人々の腸内細菌を比較した結果、京丹後の住民には酪酸産生菌が多く、寿命の短縮に関連するとされるプロテオバクテリア門の菌は少ないことが確認されました。酪酸産生菌がつくり出す酪酸は、腸内の免疫系の調整に大きな役割を果たしており、特にTレグ細胞と呼ばれる抑制系の免疫細胞を活性化させ、過剰な免疫反応を防ぎます。
また、酪酸は腸管上皮のエネルギー源としても働き、バリア機能を強化する粘液(ムチン)の分泌を促進し、腸の健康を保つ役割も担っています。 さらに、腸内細菌の構成には地域の食文化が深く影響していることも示唆されています。
たとえば、日本人の腸内には、ブラウティア・コッコイデスと呼ばれる菌やビフィズス菌が多く見られ、これらが長寿に寄与している可能性があると考えられます。特に、ブラウティア・コッコイデスは麹菌の持つグルコシルセラミドをエサとして増殖しやすいため、麹を使った発酵食品が日本人にとって重要な意味を持つと考えられます。
麹にはセラミドにグルコースが結合したグルコシルセラミドが含まれ、ブラウティア属の菌がこれを栄養源にすることで増加するのです。味噌や醤油といった麹発酵食品は、京丹後でも頻繁に食べられており、こうした発酵食品が腸内環境に良い影響を与える一因と考えられます。
加えて、ブラウティア属の菌はビフィズス菌と同様に代謝物として酢酸を生産し、腸内で有害菌の増殖を抑える役割も果たしています。酢酸は腸管上皮の傷を修復し、さらに腸内にいる細菌やウイルスが体内に侵入するのを防ぐ働きを持つ19A抗体の産生を促進する効果も確認されています。腸内細菌を制御するカギが19A抗体であるとの見方もありますが、これは健康な腸内環境が全身の健康にどれほど影響を与えるかを示す重要な発見といえるでしょう。
腸内環境が健康寿命に深く関係するという事実は、日々の食生活や生活習慣が、老化や病気の予防、さらには寿命そのものに影響を及ぼすことを示唆しています。日本人には日本の食文化に根ざした腸内フローラが、欧米には欧米の生活習慣に合った腸内フローラが、それぞれの健康と長寿を支えているのです。腸内環境を意識し、バランスの取れた食事や生活習慣を保つことは、今後の健康寿命の延伸に欠かせない重要な要素であると考えられます。
腸内細菌に悪いこととは?
薬の使用が食事、生活習慣、病気よりも腸内細菌叢に与える影響が強いことがわかった。
日本人約4200人の腸内細菌を対象に行われた研究では、腸内細菌叢(腸内フローラ)に対する外的・内的要因の影響が明らかになっています。腸内細菌叢は私たちの健康に大きく影響を与えるものであり、食事や生活習慣はもとより、特定の薬剤の使用がこのバランスにどれほど関与するかが注目されました。
その結果、腸内細菌叢に最も強い影響を与えるのは薬剤の使用であり、食事や生活習慣、疾病に対する影響の3倍以上にも上ることが明らかになったのです。 まず、薬剤の影響は、腸内細菌に最も強い変化をもたらす要因として挙げられました。薬剤の中でも、消化器疾患治療薬、糖尿病治療薬、抗菌薬、抗血栓薬の順に腸内フローラに与える影響が強く、これらの薬は腸内細菌の構成や多様性に直接的な変化をもたらします。
特に抗菌薬は、腸内細菌全体に対して広範な作用を持ち、菌の種類やバランスが急激に変わるため、長期的に服用すると腸内フローラに及ぼす影響が大きく、回復にも時間がかかることが知られています。また、糖尿病治療薬や抗血栓薬も腸内での栄養素の利用に変化を生じさせることから、細菌の種類や働きに影響を与えると考えられています。
次に、病気の影響も腸内細菌叢に対して大きな要因の一つです。病気により体内の糖代謝や脂質代謝が変化すると、これが腸内細菌の構成に反映され、腸内環境が変わることが指摘されています。しかし、病気の増加とともに薬の使用量も増えるため、病気そのものが腸内細菌叢に及ぼす影響は、薬剤の影響と複合的であるため、明確に分けて考えることが難しい場合があります。
つまり、腸内フローラへの影響は、病気そのものよりも、治療のための薬剤の影響が大きいことも考えられるのです。
また、年齢・性別・BMIも腸内細菌の構成に影響を与える要因として挙げられます。加齢に伴いホルモンの分泌や代謝機能が変化することで、腸内細菌叢の多様性が減少する傾向が見られます。
さらに、女性と男性では、ホルモンバランスや体脂肪率の違いが腸内細菌に影響を与えることが知られており、肥満やBMIの変動も腸内細菌叢に対して大きな影響をもたらします。薬剤や病気を除いた場合、これらの内的要因が腸内環境に最も影響を及ぼすものとして考えられます。
一方で、食事は腸内細菌にとっての栄養源であり、日々の食生活が腸内環境に与える影響も無視できません。食物繊維は腸内細菌にとっての発酵源となり、腸内フローラのバランスを整える働きがあるとされています。また、高脂肪食は特定の細菌の増殖を促すことがわかっており、食事内容により腸内環境が変化することが知られています。抗酸化成分を多く含む食事も腸内細菌の構成に影響を与えるため、食事を工夫することは腸内環境の改善につながると考えられています。
さらに、喫煙やアルコールの摂取も腸内細菌に少なからず影響を与えますが、他の要因に比べるとその影響は小さいとされています。喫煙は酸化ストレスを引き起こし、腸内フローラの多様性を低下させる可能性があることがわかっています。
また、アルコールも腸内に直接影響を与えるものの、その影響は一時的であり、腸内環境全体に対する長期的な変化は食事や薬剤ほどではありません。
以上の研究結果から、腸内細菌叢において薬剤が強力な影響力を持つことが明確になっています。日常的に服用する薬が腸内環境に与える影響を認識することは、腸内細菌を健やかに保つ上で重要です。また、食生活や生活習慣を見直し、腸内細菌叢を安定させる努力が健康の維持に役立つことも理解されるでしょう。
腸内環境が私たちの健康や生活の質に与える影響を知り、日々の生活で腸内細菌を意識した選択をすることが、今後の健康管理の鍵となるのです。
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