保身の経済学 (森永卓郎)の書評

people walking on grey concrete floor during daytime

保身の経済学
森永卓郎
三五館シンシャ

保身の経済学 (森永卓郎)の要約

森永卓郎氏の遺作『保身の経済学』は、日本社会に広がる保身の文化が職場や組織を硬直化させ、生産性を低下させていると指摘します。とくに重要なのが、氏が提唱した4つの価値転換──「グローバルからローカルへ」「大規模から小規模へ」「中央集権から地方分権へ」「大都市一極集中から地方分散へ」です。これらは日本社会再設計の核心です。

職場での保身はなぜ起こるのか?

本質を追究するのではなく、目先の問題が発生しないようトラブルの回避に専念する。それこそが〝保身〟だ。 (森永卓郎)

先ごろ逝去した経済アナリスト・森永卓郎氏が、生前に遺した最終的な問題提起──それが保身の経済学です。 本質を追究することを避け、目先のトラブルを回避することに専念する「保身」という行動様式が、いかにして日本社会の活力を奪い、経済の停滞をもたらしているのか。森永氏は、鋭い視点と一貫した論理で、その実態を明らかにしました。(森永卓郎氏の関連記事

保身という行動は、個人がリスクを回避し、自らを守ろうとする点では理解可能です。しかし、こうした姿勢が社会全体に広がることで、組織の活力や意思決定の柔軟性が失われ、結果として社会全体の停滞を招いてしまいます。

森永氏は、保身の影響が最も顕著に表れる場として「職場」を挙げています。日本には「解雇権濫用禁止の法理」や「労働条件不利益変更の法理」など、法律に明記されていないものの、判例によって確立された労働慣行があります。

このため、一度正社員として雇用されると、企業は容易にその社員を解雇したり、賃金を引き下げたりすることができなくなっています。 その結果、正社員の地位が事実上の「利権」と化し、社員は自らの立場を守ることを最優先に考えるようになります。

特別な成果がなくとも、重大な不祥事を起こさない限り解雇されず、多少の業績不振があっても賃下げの対象にはなりにくいという状況が続いています。こうした制度のもとでは、社員が進んでリスクを取る動機が失われていきます。

厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」(2022年)によれば、50~54歳の転職経験のない正社員の所定内給与は月額47万7,000円であるのに対し、同年代で勤続年数ゼロの労働者は27万8,000円にとどまっています。転職によって、およそ42%の賃金が失われることになります。 このような格差が、中高年層にとっての転職を心理的にも経済的にも非常に困難な選択肢とし、「現職にとどまること」が最も合理的な判断として受け入れられているのが現状です。

たとえ会社の上層部から、企業の利益にならず、むしろリスクを生むようなプロジェクトを任されたとしても、多くの社員は異議を唱えません。命令に従っていれば立場は安泰であり、背けば左遷や冷遇といった不利益を被る可能性があるからです。そのため、「波風を立てずにやり過ごす」ことが、最適な対応とされてしまいます。

こうした判断に基づき、多くの中高年社員は「休まず、遅れず、働かず」と表現されるような姿勢に傾きます。これは怠惰の結果ではなく、むしろ保身を最優先とする制度と組織文化に適応した結果といえます。 この保身が蔓延する職場文化は、生産性の低下というかたちで経済全体にも悪影響を及ぼしています。

経済人類学者デヴィッド・グレーバーは、著書ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論のなかで、生産性を阻害する「ブルシット・ジョブ(意味のない仕事)」は5つに分類されると述べています。
・取り巻き・・・誰かを偉そうに見せるためだけに存在する人たち
・脅し屋・・・雇用主のために、他人を欺いたり脅迫したりする役割の人
・尻ぬぐい・・・誰かの能力不足や失敗を隠すために、後処理を担当する人
・書類穴埋め人・・・誰も真剣に読まない書類を延々と作り続ける人たち
・タスクマスター・・・自分では何もしないが、人に仕事を割り振ることだけが役割の管理者

こうした仕事が成り立ってしまうのは、組織内に「意味のない業務を意味あるものとして処理する」構造があるからです。そこにも保身が根底にあります。仕事の本質的価値ではなく、上司や組織の意向を優先することが目的化されることで、非生産的な業務が常態化しているのです。

ジム・コリンズの著書ビジョナリー・カンパニーで紹介されている「経営者は時を告げるのではなく、時を告げる時計を作らなければならない」という考え方は、持続可能な組織づくりにおける重要な指針です。この理念は、経営者が単に指示を出すのではなく、組織が自律的に機能する仕組みや文化を構築することの重要性を示しています。

森永氏は本書の中でこの考え方を紹介し、経営層が現場の自由な活動を容認する一方で、組織がバラバラにならないためには、揺るぎない経営理念の掲示が不可欠であると述べています。この理念に共感した社員が主体的に行動することで、組織の発展に寄与することが期待されます。

このように、経営者が「時計を作る」ことに注力することで、組織は経営者の存在に依存せず、持続的な成長と発展を遂げることが可能となります。これは、組織の文化や価値観を明確にし、それを全社員が共有することで実現されるのです。 この考え方は現代の経営においても非常に有効であり、多くの企業が取り入れるべき重要な視点と言えるでしょう。

保身ばかりのメディアに未来はない!

大手メディアが既得権のうえにあぐらをかき、 保身のみを考えるのであれば、彼らに未来はないだろう。

保身の構造は、報道機関の内部にも深く浸透しています。森永卓郎氏が財務省を批判する書籍を出版した際、大手メディアから姿を消したのは偶然ではありません。編集部や記者は、彼と関わることで自社や自分自身の立場に不利益が及ぶ可能性を感じ取り、距離を置く判断を下したと考えられます。

実際、過去に財務省を公然と批判した報道機関や評論家の多くが、国税局による税務調査の対象となってきました。 朝日新聞の事例は象徴的です。2005年から2012年にかけて複数回にわたり税務調査を受け、その間に消費税増税に対する論調は徐々に後退していきました。

特に、取材経費や交際費といった報道機関が説明しづらい支出が重点的に精査され、追徴課税が発生したケースもあります。制度の枠内で行われた調査であっても、現実には批判的な報道への抑止効果が生じていたことは否定できません。 こうした状況下で、報道機関の内部には「波風を立てない」「組織に逆らわない」「定年まで穏便に過ごす」といった空気が広がっています。

本来、メディアは権力の監視と市民の代弁を担う存在であるべきですが、実態としては既得権構造に取り込まれ、批判よりも迎合を優先する傾向が顕著になっています。 森永氏の父親も新聞記者であり、氏は幼少期から新聞社の内情を知る立場にありました。かつての記者たちは、利権や癒着に鋭く切り込み、権力と正面から対峙する姿勢を貫いていました。その記憶との対比において、現在の報道機関が持つ態度の変化は極めて明確です。

もちろん、保身という行動原理そのものが常に否定されるべきものではありません。人が自身の生活や安全を守ろうとするのは自然な反応です。しかし、その姿勢が組織全体、そして社会の構造全体にまで広がったとき、問題が表面化します。誰もがリスクを回避するために沈黙し、責任から距離を置くようになれば、組織は硬直し、健全な機能を失ってしまいます。変化を拒み、現状維持に固執することで、未来を切り拓くための活力や創造性が失われていくのです。

森永氏はこうした状況に対し、具体的な行動を提案しています。新聞を購読しない、テレビを視聴しないなど、既存メディアに対する静かな拒否の姿勢を通じて、消費者側が明確な意思を表明すべきであるという主張です。迎合と忖度を繰り返す報道機関が自らを変えるためには、視聴者や読者からの圧力が不可欠であるという認識に立っています。

実際、多くのビジネスパーソンの間でも、テレビ視聴や新聞購読の優先度は低下しています。芸能ニュースや表層的な経済報道が中心となるメディアに対し、知的・実務的価値を見出すことが難しくなっているのが現状です。

今、求められているのは、理念に立脚した行動です。保身という無難な選択を超えた先にこそ、社会の再生と変革の可能性が広がっています。他者の判断や世論の動向を待つのではなく、自らが責任を持って行動し、意思を示すことが、現代社会における市民の役割となっています。

森永氏が遺した提言のなかで、特に象徴的だったのが、「民主党の野田代表と維新の前原氏が国民民主党の減税提案を潰した張本人である」という指摘です。これは単なる政局批判ではなく、日本の財政運営、そして税制政策をめぐる根本的な論点に対する鋭い問題提起でした。

消費税減税は、本来ならば政権の枠組みを超えて是々非々で議論されるべき課題です。それにもかかわらず、旧来の政治的パワーバランスや党派的な論理によって封じられた経緯があります。この構造を明らかにすることは、過去の検証であると同時に、将来に対する責任でもあります。

近年では、国民民主党などが掲げる「反緊縮」路線に対し、一定の支持が集まりつつあります。緊縮財政を当然視する政治家ではなく、経済の成長と国民生活の改善を重視する候補を選ぶという考え方が、社会に浸透し始めているとも言えます。 この夏の参議院選挙は、そうした市民の意識変化を反映する場としての意味を持ちます。

消費税を減税すべきか、据え置くべきか、あるいは増税すべきか。これは単なる税率の議論にとどまらず、日本社会がどのような価値観を共有するのかという本質的な選択です。 過去を直視し、現在に責任を持ち、未来を設計していく。その過程において、個人の姿勢と判断が問われています。

こうした現状認識のもとで、森永氏が本書のあとがきの中で示した「われわれに残された重要な役割」には、深い共感を覚えます。グレート・リセット後の日本社会が進むべき方向性として、次の4つの価値転換を提示しました。
①グローバルからローカルへ
②大規模から小規模へ
③中央集権から地方分権へ
④大都市一極集中から地方分散へ

これらは、単なるスローガンではなく、日本社会が直面する構造的課題に対する具体的な方向性を指し示すものです。いずれも、過去の成長モデルとは異なる価値観に基づいた社会設計を前提としており、既存の経済システムや行政構造に対する抜本的な再評価を促しています。

森永氏は、最後に「新しい経済社会のグランドデザインは、その時代を生きていく若者に託せばよい」と提案します。この言葉には、未来世代への信頼と期待が明確に込められています。

中高年世代の役割は、これまでの経験をもとに未来を規定することではなく、次の世代が自律的に未来を構築できる環境を整えることであると位置づけられています。 未来を生きるのは若者である以上、社会の設計も彼ら自身の言葉と感性によって進められるべきである。そのためには、既存の価値観や制度に基づく不要な枠組みや制約を取り払うことが重要です。

これまで当然とされてきたルールや慣行も、ゼロベースで見直されるべき局面にあります。 森永氏の提言は、単なる知識や情報の提供にとどまりません。それは、個人がどのように行動すべきかを示す明確な指針でもあります。現状に安住するのではなく、構造の変革に向けた一歩を踏み出すことが、今の時代に求められている姿勢だといえます。

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この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
株式会社INFRECT取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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