ゼロから創らない戦略 イノベーションを駆動する「価値移転」の法則
野本遼平
日経BP 日本経済新聞出版
30秒でわかる本書のポイント
結論: イノベーションの本質は「ゼロからの創造」だけではなく、既存リソースの「価値移転」にある。
原因: 新規事業の失敗は「発明さえあれば勝てる」という誤解から生まれる。成功企業は、ある場所で過小評価されているリソースを、高く評価される場所へ移している。
解決策: 6つのリソース(労働力、ネットワーク、トラフィック、遊休資産、知財、データ)を特定し、それらを自社のエコシステムへ取り込む「関所」を設計する。
本書の3行要約
イノベーションの本質は、無から有を生む「発明」だけにあるのではなく、すでに存在するリソースを異なる文脈へと配置し直す「編集」のプロセスにこそ宿ります。 かつて注目を浴びた「枯れた技術」や、特定の領域で眠っている「未活用の資産」を、それらがより正当に、あるいは劇的に高く評価される市場や制度へと移転させることで、爆発的な収益機会が創出されます。
おすすめの人
・新規事業開発を担当しているが、「画期的なアイデア」が出ずに悩んでいる方
・スタートアップの急成長の裏側にある「構造的な勝ちパターン」を知りたい起業家
・AIやプラットフォームビジネスの本質的な競争優位性を理解したい投資家・アナリスト
読者が得られるメリット
・「何を作るか」から「どこから持ってくるか」へ視点が変わり、アイデアの枯渇から解放される。
・NVIDIAやメルカリといった成功企業の戦略を、共通のフレームワークで分析できる。
・AI時代の究極の戦略である「非構造化データの労働力化」のメカニズムが理解できる。
イノベーションにおける価値移転とは?
価値創造は、すべての経済活動の源泉です。ただし、価値創造が行われる傍らで、資本主義の世界の中で勝利し、莫大な富を手にしてきたのは、価値移転をうまく取り入れた者たちでした。(野本遼平)
私たちは長い間、スタートアップやイノベーション企業について、ひとつの共通理解を前提にしてきました。成功する企業は未踏の製品を生み出し、イノベーションとはゼロから価値を創造することであり、起業家は新しいニーズを発見する——。この枠組みは今やビジネスパーソンの常識になっていますが、現実の成長事例を説明しきれていない面があります。
ゼロから創らない戦略 イノベーションを駆動する「価値移転」の法則で、グロービス・キャピタル・パートナーズの野本遼平氏は、飛躍した企業の実績から別の説明モデルを提示します。
大きく成長した企業を注意深く見ると、競争優位の源泉は「創造」そのものより、既存の価値を別の場所へ移し替える設計にある場合が多い、という主張です。
すでに存在する価値が過小評価されている領域から、より適切に評価される領域へ移すことで、収益機会が生まれます。本書はこのメカニズムを「価値移転」と呼びます。 この視点が有用なのは、イノベーションを「新規性の高さ」だけで評価しない点です。
価値は、必ずしも新しい要素の追加によって増えるのではなく、既存の要素が置かれる文脈の変更によって増えることがあります。したがって重要なのは、何を生み出すかに加えて、どの市場・制度・流通・顧客接点に配置すると価値が最大化するかという視点からビジネスを捉え直すことです。
また本書は、成長する事業が必ずしも最先端技術の上に成立するわけではない点も強調します。多くの成功事例は、いわゆる「枯れた」テクノロジー、つまり普及が進み、人材・ノウハウ・運用実績が蓄積された技術を土台にしています。
こうした技術は、開発・保守を担える人材の供給が厚く、運用コストが読みやすく、継続的な提供体制を組みやすいからです。
反対に、極端に先端的な技術は、担い手が限られ、開発・保守の基本動作の確立自体が難しくなり、事業のスケールを阻害しがちです。
したがって問われるのは「技術が新しいか」ではなく、「技術が安定的に供給され、広く欲求を満たせるか」です。 アップルのiPhoneは、既存の手段を置き換えることで普遍的な欲求に応えた例として整理できます。人は「つながりたい」「情報にアクセスしたい」という欲求を以前から持っていました。iPhoneは、その欲求の充足手段を、従来の電話中心の体験から、コンピューティング中心の体験へと移しました。
ユーザー側の受容においても、欲求自体が変わったのではなく、手段が更新された点が重要です。新産業の立ち上がりは、新しい欲求の発明というより、既存の欲求の満たし方が更新される現象として捉えたほうが説明しやすい、というのが本書の考えです。
著者は、顧客便益の源泉を「リソース」と呼びます。リソースとは、便益を実現するための原材料であり、人材(労働力)、資産(有形・無形)、資金、情報(データ、知的財産、ブランド等)を含みます。
製造業であれば部品や設備、人材を確保しなければ製品は成立しません。プラットフォーム型であっても、既存の資産や人材を組み合わせて提供体制を作る必要があります。いずれにせよ、リソースの確保なしに顧客便益は生まれないのです。
ここで重要になるのが「仕入れ」という考え方です。本書では、仕入れを2種類に分けて整理しています。
①他社と同じ条件でリソースを確保する、一般的な仕入れ。
②あるエコシステムでは過小評価されているリソースを、別のエコシステムでの評価を見越して安価に取得する仕入。
後者の肝は、価値体系の差を利用して利潤を生み出すところにあります。これこそが、本書の言う「価値移転」です。
ただし、本書の要点は「価値移転か価値創造か」という二択ではありません。実務上、事業は両者の組み合わせで成立します。仕入れが優れていても、プロダクト設計や運用が弱ければ便益は届けられません。
反対に、体験設計が優れていても、必要なリソースを継続的に確保できなければスケールしません。重要なのは、どの段階で価値移転を効かせ、どの段階で価値創造に投資するか、その比率を設計することです。事業ごとに最適解は異なります。
この議論に説得力があるのは、著者が弁護士、M&A実務、ベンチャーキャピタルという複数の現場を経験しているからです。契約と権利関係からリスク構造を読み、企業価値評価と統合の実務でリソースの再評価を見てきたうえで、投資家として成長要因の差分に向き合っている。本書はその実績を背景に、イノベーションを「新しさ」ではなく「価値が移る設計」として整理し直します。
価値移転の6つのリソース
「スキル・労働力」「ネットワーク」「ユーザートラフィック」「遊休資産」「知財」「データ」という6つの類型

価値移転の対象となるリソースは、次の6つに分類できます。
1. スキル・労働力の移転
事例: アクセンチュアのオフショア開発、Uber・タイミーのギグワークプラットフォーム
企業は、高コストな先進国労働市場から、低コストな新興国や余剰労働力(主婦・学生・副業希望者)を活用することで、劇的なコスト削減を実現しました。Uberは、個人の車と空き時間という「労働力」を、交通インフラとして再定義したのです。
2. ネットワークの移転
事例: Facebook、LINE
LINEの成功は、まさに価値移転の教科書です。ガラケー時代、ユーザーの電話帳は「端末内に保存された個人的な名簿」にすぎませんでした。しかし、LINEは、この電話帳データをスマートフォンのエコシステムへと移転し、既存のソーシャルグラフをそのまま取り込むことで、ネットワーク効果を一気に立ち上げました。
通信キャリアはこのデータの価値に気づいていませんでしたが、SNS視点で見れば、それは「最も価値ある顧客資産」だったのです。
3. ユーザートラフィックの移転 事例
事例:Google・Facebookの広告事業、ZOZOのマーケットプレイス
Googleは、検索という無料サービスでユーザーを集め、そのトラフィックを広告主に「販売」しました。ユーザーは検索結果を得るという便益を享受し、Googleは広告収益という形でマネタイズする。ここには、ユーザーの注意(アテンション)という外部経済のリソースが、Googleの内部経済へと移転されています。
4. 遊休資産の移転
事例: Airbnb、メルカリ
メルカリは、「取引されなかったはずのリソースを新たな価値として可視化」しました。家に眠る不用品という「価値ゼロ」のモノを、匿名配送や安全決済という周辺インフラで支えながら、流通市場へと移転させたのです。 Airbnbも同様に、空き部屋という遊休資産をホスピタリティ市場へと移し替えました。
5. 知的財産の移転
事例: Microsoft OS、ラクスのSaaS、NVIDIA、Netflix、LVMH
NVIDIAは、CUDAという開発ツールを通じて、世界中のAI開発者が生み出した研究成果という「外部経済の技術資産」を、事実上無償で取り込みました。開発者たちが自主的に生み出した成果が、CUDAを通じてNVIDIA製GPUで最大限のパフォーマンスを発揮するよう設計される──この構造により、NVIDIAは研究開発成果の「水源」を支配したのです。
ソフトウェア(外部経済)とハードウェア(内部経済)をセットで囲い込む、プラットフォーム型の研究開発企業。これこそがNVIDIAの正体です。
SaaSもまた、専門家の「業務ノウハウ」という知財を、ルールベースで自動化し、誰でも使えるソフトウェアとして有償化しました。ラクスが「業務の型」を社会に広めるのは、価値移転の典型例です。
LVMHのブランド戦略も同様です。低評価のブランドを買収し、高く評価されるエコシステムへと移転させることで、M&A型の価値移転を実現しています。
6. データの移転
事例: Netflix、Google検索・AI事業、OpenAI、Waymo、Tesla
Netflixは視聴データを活用し、ヒット確度を高める制作プロセスを構築しました。他社の原作に頼らず、自社コンテンツで高い粗利率(45%超)を実現しました。これは、ユーザーの視聴行動という外部経済のデータを、制作判断という内部経済へと移転した結果です。
一方、Spotifyは「フェアな市場」に留まることで、レコード会社への支払いが収益を圧迫しました。しかし最近では、ポッドキャストやオーディオブックといったオリジナルコンテンツへの投資により、Netflixと同じ思想を採用し始めています。
GoogleやOpenAIは、インターネット上に散らばるデータを無償で学習素材として取り込み、AIモデルという価値へと変換しました。Teslaは、全世界の走行車両から走行データを収集し、自動運転AIの学習に活用しています。 データ移転の本質: 非構造化データという「原材料」を、AIエコシステムへと再定義し、顧客便益を創出すること。
AI時代の究極の価値移転
今後、スキル・労働力は、「内部経済」において、ますます希少性のある高価なリソースになっていくことが予想されます。そのような状況下で、「外部経済」にて仕入れた非構造化データを、「内部経済」にて人間の判断や意思決定、作業を代替できる希少な労働力として仲介できる点にAIの本質があります。
AIの本質は、外部経済で仕入れた非構造化データを、内部経済で人間の判断や作業を代替できる希少な労働力として仲介できる点にあります。 先進国では少子高齢化により、労働力は「内部経済で最も希少性の高いリソース」になりつつあります。その状況下で、無償で収集したデータを学習し、人間の労働を代替する──これは、資本主義が追い求める「対価を支払うことなく利益を抽出できる新たなフロンティア」の理想形です。
AI企業にとって重要なのは、「ユーザーや社会との接点を確保し、継続的に新しいデータが流入してくる仕組み」を構築すること。これがAI事業における関所です。OpenAIがUXに徹底的にこだわるのも、WaymoやTeslaがハードウェアまで一体開発するのも、すべて「データが集まり続ける仕組み」を作るためです。
Amazonは、EC事業そのものでは価値移転が成立しにくい一方、広告事業やマーケットプレイス事業では価値移転を実現しています。その成功の理由は、「一等地」をいち早く確保した点にあります。 小売業において最も重要なのは、立地です。デジタル空間でも同じなのです。
GoogleやFacebookがアテンションの一等地を、Amazonが購買の一等地を抑えたからこそ、彼らはプラットフォーマーとして君臨しています。
一方、後発でも勝てる道はあります。それは「唯一性」「希少性」「非代替性」という武器を持つことです。独自のエコシステムを生み出せば、一等地でなくとも顧客は足を運びます。
メルカリの成功は、出品と購入の両サイドを短期に獲得し、マルチサイドプラットフォームを早期構築した点にあります。ネットワーク効果と関所の構築──これこそが持続的成長の鍵です。
価値移転を持続させる3つの戦略
戦略1: 独自の経済圏と関所の支配
ピーター・ティールは「独占こそが最適なビジネス形態」と説きました。これを価値移転の視点で捉え直すと、自社が価値移転の関所を支配し、リソースの流れをコントロールできる状態を意味します。(ピーター・ティールの関連記事)
囲い込み、ネットワーク効果、ロックイン、スイッチングコストの向上──これらはすべて、「自社が管理できる分離したエコシステム」を構築するための手段です。
戦略2: 外部経済のリソースは有限
価値移転型の事業は、外部経済のリソースが存在する限り成長を続けられます。しかし、外部のリソースは有限です。枯渇したときには成長が止まります。 Facebookが社名をMetaに変更し、メタバースやAIへシフトしているのも、SNSユーザーという外部経済が枯渇し始めているからだと著者は指摘します。
企業の平均寿命は30年程度。長期成長企業は、「多業種・多市場展開」を成功させています。つまり、成長の限界に対抗するには、新たなフロンティアを探し続けるしかないのです。
戦略3: 創造と移転を融合させる
価値創造と価値移転には明確な境界線はありません。どちらも、既存のリソースを使いながら、異なる視点や仕組みで顧客便益を生み出す点では共通しています。 重要なのは、この2つを切り離すのではなく、適切に融合させ、行き来することです。
創業期には価値創造の比重を高めて市場の入口を開き、成長期には移転の比重を高めて一気に規模化と収益性を確保する。逆に、創業期に価値移転を先行させて市場シェアを急速に獲得し、その後に創造的アウトプットを積み上げることもできます。
ここで求められているのは、世界に散らばるリソースの価値を洞察し、再定義し、適切に取り入れる態度と、プロダクトやサービスだけでなく、価値が移り続ける「仕組み」も開発・構築する姿勢です。
価値移転によってもたらされた外部不経済のなかで、最も甚大なものが地球温暖化をはじめとする環境問題です。 私たちは産業革命を経て、地球(自然)というエコシステムから人間社会へ、大規模な価値移転を行ってきました。
しかし、その代償は計り知れません。 価値移転は、強力な成長エンジンである一方、その「負の側面」にも目を向けなければなりません。持続可能な価値移転とは何か──これは、私たちの世代が問われている問いです。
「ゼロから創る」ことを前提にすると、議論は才能や発想の話に寄りやすくなります。本書が提供する枠組みは、観察と設計の問題に落とし込み、再現可能な問いへ変換します。イノベーションを過度に神秘化せず、事業の成立条件として捉え直したい人にとって、有効な一冊です。多様なビジネスモデルを価値移転という視点から分析するjことで、成功要因の解像度が高まります。
本書のまとめ
成長の本質は「創造」ではなく「編集」である 成長とは、ゼロから何かを生み出すことではありません。それは、世界に散らばるリソースを再定義し、適切に組み合わせ、価値が流れ続ける仕組みをデザインすることです。
6つのリソース──スキル、ネットワーク、トラフィック、遊休資産、知的財産、データとAI──を通じて、Google、LINE、NVIDIA、Netflix、Teslaは、外部経済から内部経済へと価値を移転し、圧倒的な成長を遂げました。
自分たちのビジネスにおいて、まだ価値が認識されていないリソースは何かを考え、そこから新規事業を起こしていくのです。そして、それをどのエコシステムへ移し替えれば、最大の価値を生むかをひたすら考えます。価値創造と価値移転を融合させ、持続的な成長エンジンを設計する──それが、現代のリーダーに求められる最も重要な能力なのです。
本記事は書評家・ビジネスブロガーの徳本昌大が執筆しました。
















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