境界知能の人たち (古荘純一)の書評

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書籍:境界知能の人たち
著者:古荘純一
出版社:講談社
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30秒でわかる本書のポイント

【結論】 境界知能は「治すべき病気」ではありません。重要なのは、本人を無理に「普通」に合わせることではなく、その特性を正しく理解したうえで、学校・家庭・職場の環境を調整し、力を発揮しやすい条件を整えることです。
【原因】 境界知能の人たちは、知的障害とは診断されないため、一般の学校教育や就労支援の枠組みの中で「同じようにできるはずだ」と見なされがちです。しかし実際には、学習の理解、段取り、対人コミュニケーション、複数指示の処理などで見えにくい困難を抱えやすく、その苦しさが周囲に伝わりにくいため、「努力不足」と誤解されやすい構造的な問題があります。
【対策】 だからこそ必要なのは、本人の能力を超えた要求を避けつつ、可能性まで奪わない「適切な期待値」を設定することです。そのうえで、合理的配慮に基づく具体的な支援、わかりやすい指示、段階的な学習支援、地域社会での見守りなどを組み合わせ、制度の狭間に落ちない支援の仕組みを整えることが重要です。

本書の要約

本書は、小児精神科医である著者の豊富な臨床経験に基づき、IQ70〜84の「境界知能」の人々が直面する困難を浮き彫りにしています。「普通」を強いられることで二次障害(うつ病や不登校など)に陥りやすい実態を詳述し、彼らが就学、就職、結婚といったライフステージごとの壁にどうぶつかるのかをリアルに描き出します。そして、単に現状を嘆くのではなく、どのように彼らと向き合い、社会をデザインし直すべきか、制度の狭間を埋めるための具体的なアプローチを提示しています。

こんな人におすすめ

・教育関係者や、職場で部下の育成に悩むマネジメント層
・「自分は周りと何かが違う、生きづらい」と感じている当事者
・グレーゾーンの子どもを持つ保護者や、支援職に就いている方
・多様性を重んじる組織づくりを目指す経営者・リーダー

本書から得られるメリット

・「努力不足」という誤解を解き、構造的な問題を理解できる
・子どもの頃の「なんとなくの生きづらさ」を見逃さない
・早期発見の視点が養われる
・診断名がつかなくても受けられる支援のあり方や、適切な期待値の設定方法がわかる
・「普通」という言葉の危うさに気づき、多様な知性のあり方を認める広い視野を持てる

境界知能とは何か?

境界知能は、知能検査の数値(いわゆるIQ)で、70から84の範囲にある状態のことをいいます。知的障害と平均値のボーダーにあるということです。(古荘純一)

現在、人口のおよそ7人に1人(約14%)が該当すると言われる境界知能。彼らは、かつての基準では支援の対象でした。しかし、基準の変更によって「健常者」の枠組みに入れられ、結果として支援の網からこぼれ落ちてしまった「忘れられた人々」でもあります。

ここで重要なのは、境界知能が「本人の性格」や「やる気」の問題として誤認されやすい点です。支援の枠に入りにくい以上、周囲は“平均的にできる前提”で接してしまいます。学校でも職場でも、困りごとそのものが見えにくくなります。見えにくい問題は、往々にして「怠慢」や「努力不足」と見なされてしまうのです。

 境界知能の人が抱える最大の苦痛は、世の中が彼らに「普通」を強いられることです。今のシステム上彼らに知的障害の診断が下りないため、通常のクラスで学び、一般的な就労を求められます。

しかし、学習のペースや複雑なコミュニケーションで限界を感じ、「なぜ自分だけできないのか」と自責の念に駆られてしまいます。 この苦しさを増幅させるのは、「できない」よりも「できたりできなかったりする」ことかもしれません。

単純作業はこなせる一方で、手順が増えたり例外処理が必要になった途端に混乱することがあります。会話のコンテキストを読む、暗黙の了解を察する、複数の指示を同時に保持して動く。こうした“見えない処理”が増えるほど、つまずきは目立ちやすくなります。

一方で周囲は結果だけを見がちです。テストの結果、宿題などの提出物の遅れ、報連相なとのコミュニケーション不足、度重なる遅刻、ミスの多さなどなど。本人の内側では「努力しても追いつけない」感覚が積み重なり、外側では「やればできるはず」が積み重なる。このねじれが、自己評価を落としていくのです。

周囲の大人が彼らの特性に気づかず、「やればできるはずだ」「努力が足りない」と誤ったプレッシャーをかけると、不登校や強い落ち込みなどの二次的な不調につながるリスクが高まります。

知的障害の人は、就労前から学校卒業後の困難さに備えて支援を受けたり、職場や精神保健福祉機関と連携して相談体制をあらかじめ用意したりすることができます。しかし境界知能だけではその体制が整えられません。

境界知能の人たちの著者の小児科精神科医の古荘純一氏はその点を、データと実例を交えながら指摘しています。

知的障害と異なり、境界知能の人たちへの日本のサポートはまだまだ遅れているのが実情です。

適切な支援があれば軽減できたはずの彼らの負荷が、学校や社会から理解されないまま放っておかれると、心身はやがてさまざまな不調を示します。

境界知能の場合、「診断がつかない=支援が入りにくい」局面もあり、問題が放置されやすい構造があります。 早期発見の手立てとしては、日常の些細な「つまずき」を見逃さない視点が求められます。

境界知能の当事者をサポートするために必要なこと

人口の%、7人に1人いるとされる境界知能の人全員がサポートを必要としているわけではありません。しかしそのような人においても、予期せぬ状況に遭遇したり、大きなストレスに直面したりすると、一時的に支援が必要となることもあります。

当事者の困難は学校生活から就労、日常生活まで多岐にわたります。学校では、授業についていけず、場合によっては1学年下の内容でも理解が追いつかないことがあります。ただし通常学級で過ごすことが多く、支援の対象になりにくいため、困難が「本人の問題」として放置されやすくなります。

学習だけでなく、対人関係でも距離感の取り方や聞き間違いが重なって、トラブルや孤立につながる場合があります。

就労場面では、会話そのものは成立していても、複数のタスクを同時に扱う力や情報処理のスピードが遅く、段取りが覚えにくい、動きが遅れて見えるといった形で困難が表れやすいとされます。周囲がこの特性を知らないと、「怠けている」「やる気がない」と誤解され、相手との関係がこじれてしまうのです。

さらに、就職活動の段階で書類作成や面接の受け答えにつまずき、入口の手前で失速してしまうこともあります。 日常生活でも、意思を言葉にすることが苦手で誤解が生まれやすかったり、金銭管理が難しくトラブルに巻き込まれやすかったりします。

医療機関で生活指導を受けても、内容を理解し、計画に落とし込み、継続することが難しく、健康にも支障が出る場合もあります。

こうした問題が繰り返されると、「なぜ自分だけうまくできないのか」という苦しみが深まり、自己肯定感が育ちにくくなります。

ここで見落としてはいけないのは、問題が表面化するケースばかりではないことです。目立たず、その場を「何とかやり過ごす」タイプもいます。外からは適応しているように見える一方で、内側では消耗が進んでいることがあります。周囲が特性に気づかず、「やればできる」「努力が足りない」とプレッシャーをかけると、二次的な不調につながるリスクが高まります。

ここで押さえておきたいのは、不調が本人の弱さから生まれるというより、環境との摩擦が長期化することで生まれやすいという点です。努力で埋められない負荷を、努力で埋めさせようとする。本人の内側では無理が積み上がり、外側では悪い評価だけが積み上がる。この構造が苦痛を深くします。

早期に気づく手がかりは、日常の些細な「つまずき」にあります。口頭の指示だと動けないが、メモがあると動ける。予定変更に弱い。課題の最初の一手が遅れる。複数人の会話になると理解が難しい。これらの現象を「やる気がない」とか「怠けている」と断じるのは、あまりにも表面的な捉え方です。

そうではなく、本人の脳内では「今、何をすべきか」というタスクの全体像が霧に包まれたように見えなくなっている、と解釈してあげるべきなのです。

一方で、最初から「できない」と決めつけるのも、本人の尊厳を傷つけます。必要なのは、「できる/できない」の二択ではなく、「どの条件ならできるか」「どの形式なら理解しやすいか」「どの分量なら処理できるか」を丁寧に見極める姿勢です。この見極めができると、本人の努力は空回りしにくくなり、成果につながる努力へと変わっていきます。 

口頭だけで伝えず文字や図で可視化する、指示を一度に詰め込まない、優先順位と締切を明確にする、タスクやステップを小さく分ける、役割や業務量を本人の処理能力に合わせる。こうした工夫は誰にとっても有益ですが、境界知能の人にとっては特に効果が大きいとされます。

とはいえ、環境調整だけで完結するわけでもありません。境界知能それ自体は単独では福祉サービスの対象になりにくい場合がありますが、日常の困難やトラブルの蓄積から、抑うつや発達特性など様々な症状が見られることもあります。医療機関で状態を把握し、必要に応じて公的支援や就労支援などサポートを充実することは有効な支えになります。

このときIQの数値だけでなく、日常生活や社会生活でどこに困難が出ているのかを具体例として共有し、実用面の困難として評価してもらう視点が欠かせません。 支援者の役割は相手の苦手なことを見つけ、サポートを行い、小さな成功体験を一つひとつ積み上げていくことなのです。

失敗体験が重なって自己肯定感が下がっている人に対しては、努力不足や育て方の問題にせずに、できない理由を丁寧に伝え、自分を責めすぎなくてよいと理解してもらうことが大切です。その上で、「これからどうすれば回るか」を一緒に考え、実現可能なゴールとそのステップを共有していきます。

また、ライフステージ(就学、就職、結婚など)の変化に伴い、求められるスキルが一段ずつ高度化していくことが彼らを苦しめます。学生時代は勉強の課題が中心だったものが、社会に出るとやるべきタスクが一気に増えます。手順だけでなく、相手の期待、例外対応、締切、優先順位など、処理すべき要素が増えると、彼らはより混乱してしまうのです。

タスクが増え、多様な状況判断が求められることで負荷は格段に跳ね上がります。だからこそ、短期的な対応で終わらせず、周りの人の継続的なサポートと診断名の有無に左右されない柔軟な支援が必要になります。

境界知能は人口の約14%が該当すると言われる一方で、支援者による情報発信は十分とは言えず、当事者の経験知も蓄積されにくい状況があります。継続的な発信そのものに負荷がかかりやすいこともありますし、社会の誤解や偏見が、当事者の語りを萎縮させている面も否定できません。

同じ体験談でも、闘病や喪失といったテーマは共感を得やすいのに対し、知的障害や境界知能の領域では、当事者の語りが対等なものとして受け止められにくいことがあります。さらに、困っていても目立ちづらく、反論しにくい人を「自己責任」の一言で切り捨てる空気が強いほど、支援につながる回路は細っていきます。

そして残念なことに、「境界知能」という言葉が差別や中傷の道具として利用されることもあります。本来は支援や理解のための概念が、差別のラベルとして扱われてしまうのです。このような偏見をなくすことも行政やメディアには求められています。

支援の成否は「本人の努力」ではなく、周囲の理解と設計に大きく左右されるという点です。学校や職場など周囲の人間が、本人の困難を怠けではなく認知の特性として理解し、適切な配慮を行うことが不可欠です。

境界知能の人はストレスに対する耐性が低く、孤立しやすい傾向も指摘されています。叱咤や精神論で押し切るのではなく、負荷を下げ、成功体験が積み上がる条件を整えることが大事になります。

合理的配慮を例外ではなく標準として組み込む。そうした社会の設計こそが、境界知能という見えにくい困難を「孤立」ではなく「参加」へつなぐ鍵になります。

コンサルタント徳本昌大のView

学校や地域社会の現場でも、「なぜこれだけができないのか」「どうして同じところでつまずくのか」と、理解しにくい困りごとを抱える子どもに出会うことがあります。

診断名がつかない、あるいは救済制度を活用できないことで、本人は「普通」のレールに乗せられたまま、徐々に疲弊していきます。 学校側が陥りやすいのは、彼らのつまずきを「努力不足」や「怠け」と誤読してしまうことです。

叱咤や根性論は、一見すると指導に見えますが、本人の処理能力の限界を超える要求であれば、逆効果になります。必要なのは、意志の問題にせずに、情報の出し方や課題の設計、評価の方法などをチェックする姿勢です。

社会の側にも同じ課題があります。「困っているのに目立たない人」「うまく反論できない人」が、自己責任の言葉で切り捨てられてしまうことで支援が届かなくなります。さらに「境界知能」という言葉が中傷の道具として利用されると、サポートが受けづらくなります。

「普通にできる」ことを過剰に求めるほど、境界知能の当事者にとっては大きな痛みになります。外からは同じように見えても、必要な処理の負荷が違う以上、同じ基準をそのまま当てはめれば、本人は「できない自分」を責め続ける構図に追い込まれます。

学校は“できる子”のためだけにあるのではなく、社会も“声の大きい人”のためだけにあるのではありません。見えにくい困難を「努力不足」と決めつけず、必要な配慮につなげること。 境界知能の人が支援からこぼれ落ちないように、学校や社会の側に仕組みを用意することが求められています。

ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』では、犯罪や非行に走る少年のなかに、境界知能や軽度知的障害が疑われる人が少なくないことが示されました。

ただし、著者が強調しているのは、知的障害や境界知能そのものが、直接、犯罪や非行につながるわけではないという点です。実際、非行や犯罪というかたちで表面化するのはごく一部にすぎないと言います。

境界知能の人は、人口のおよそ14%いるとされています。多くの人は、就労や日常生活、人間関係のなかで困難を抱えながらも、その苦しさが周囲に理解されず、必要な支援にもつながっていないのが現状です。本人の努力不足や性格の問題として片づけられてしまうことも少なくありません。 そもそも知的機能は、社会のなかで生活していくうえで欠かせない力です。

しかし、その実態はまだ十分に理解されているとは言えず、定義もあいまいで、支援策も手探りの段階にあります。だからこそ、見えにくい困難を放置するのではなく、社会全体で理解を深め、適切な支援のあり方を考えていく必要があるのです。

🖋 書評:徳本昌大 書評ブロガー・ビジネスプロデューサー

最強Appleフレームワーク


 

この記事を書いた人
徳本昌大

■複数の広告会社で、コミュニケーションデザインに従事後、企業支援のコンサルタントとして独立。
特にベンチャーのマーケティング戦略に強みがあり、多くの実績を残している。現在、IPO支援やM&Aのアドバイザー、ベンチャー企業の取締役や顧問として活動中。

■多様な講師をゲストに迎えるサードプレイス・ラボのアドバイザーとして、勉強会を実施。ビジネス書籍の書評をブログにて毎日更新。

■マイナビニュース、マックファンでベンチャー・スタートアップの記事を連載。

Ewilジャパン取締役COO
Quants株式会社社外取締役
Mamasan&Company 株式会社社外取締役
他ベンチャー・スタートアップの顧問先多数
iU 情報経営イノベーション専門職大学 特任教授 

■著書
「最強Appleフレームワーク」(時事通信)
「ソーシャルおじさんのiPhoneアプリ習慣術」(ラトルズ)
「図解 ソーシャルメディア早わかり」(中経出版)
「ソーシャルメディアを使っていきなり成功した人の4つの習慣」(扶桑社)
「ソーシャルメディアを武器にするための10ヵ条」(マイナビ)
など多数。
 
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