感情は風
吹く空の雲のようやってきては去ってゆく
気づきの呼吸は心の錨(ティク・ナット・ハン)
座る瞑想をどう行えばよいか?
ティク・ナット・ハン
の今このとき、すばらしいこのとき Present Moment Wonderful Momentの書評を続けます。瞑想にはいくつかのスタイルがあります。その中の一つの座る瞑想を行う時には、無理をしなくても良いと著者は言います。よく脚がしびれたり痛みだしたら我慢すべきだと言われていますが、苦痛に耐えるよりもマインドフルネスに集中した方がよいのです。足をくずす時に、自分の呼吸に気づきながら、一つひとつの動作をゆっくりと注意しながら行えば、集中が途切れることはありません。
もしも、痛みが強い場合には、立ち上がってゆっくりと歩くようにしましょう。瞑想の目的はマインドフルネスになることなのですから、今ここに集中することを優先すべきです。この話を聞いて気分が楽になった方もいると思います。私も足は崩してはいけないものだと思い込んでいました。
幸福の基盤になるのは、苦痛のない肉体であり、不安、怖れ、憎しみなどにとらわれない思考と感情です。座る瞑想によって私たちは安定した喜びを味わい、体の安定と明晰な意識を手に入れます。様々な「煩悩」に翻弄されることはなくなり、健やかな気持ちに満たされるのです。心の安らぎと喜びがつねにここにあるという気づきこそ、安らぎと喜びを感じる条件です。
座る瞑想の目的は、静けさと、安らぎと、喜びを確かなものにすることです。冒頭のガーター(偈頌)を意識し、船の錨のように、意識的な呼吸を捉えましょう。マインドフルに呼吸をすることで、私たちは常に今ここに集中できるようになり、気分をよくできるのです。
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歩く瞑想とは何か?
心はさまようあらゆるほうへと
けれど私は美しきこの小道を安らいで歩もう
一歩ごとにそよ風が吹き
一歩ごとに花がほころぶ
歩く瞑想の目的は、歩みそのものを深く楽しむことだとティク・ナット・ハンは述べています。この歩く瞑想はどこかへ向かうものではなく、ただ歩くことを意識することです。目指すのは、今この瞬間に存在し、一歩一歩を楽しむことです。そのために、あらゆる心配や不安を手放し、先のことは考えず、過ぎたことも考えず、今という瞬間をひたすら楽しみます。
私たち現代人のふだんの歩みは、歩くというより走っている感じです。忙しい歩みは、大地に不安や悲しみを刻みつけます。最初の一歩に安らぎがあれば、2、3、4歩、そして5歩目までまるごと、人類の平和と幸福のためになると著者は述べています。
心は、猿が落ち着きなく枝々のあいだを飛ぶように、あちらこちらへ動いてばかりいます。思考には何百万もの回路がありますが、私たちはその中を延々と引きずり回され、意識のまどろみの中に閉じ込められています。私たちの歩む道を瞑想の道に変えることができれば、一歩一歩は明晰な気づきに満たされるでしょう。
歩くことを楽しめるようになると、呼吸と歩みが調和し、心がくつろぎます。歩きながら「一歩ごとにそよ風が吹く」と唱えるごとにマインドフルになれます。、不安を手放し安らぎと喜びのうちに歩めば、一歩ごとに大地に花を咲かせるように気持ちをよくできるのです。
まとめ
座る瞑想と歩く瞑想によって、心をマインドフルネスな状態に保てます。2つの瞑想で不安をなくし、気持ちをスッキリさせ、人生をエンジョイしましょう。
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