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「幸せ」をつかむ戦略
著者:富永朋信&ダン・アリエリー
出版社:日経BP
本書の要約
幸福には2つのタイプがあります。意味と結びついているタイプ2の幸福を理解して、タイプ2で働いている動機を、人に達成してほしいことと合体させることで、私たちは幸せになれるのです。ギバーになることは不合理な選択ですが、他者のために生きることを選択しましょう。
幸福には2つのタイプがある!
私は、2つのタイプの幸福があると思います。ここでは、「幸福タイプ1」と「幸福タイプ2」と呼びましょう。タイプ1は「ラクな幸福」です。海辺に座って、モヒートを飲む。これが私たちがよく考えるような幸福です。一方、別のタイプの幸福もあります。それは「意味」と結び付いていて、一見、その行為には幸福がないようなタイプのものです。(ダン・アリエリー)
予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」で有名な行動経済学の権威ダン・アリエリーの新刊は幸福論で、マーケティングのプロの富永朋信氏との対談から多くの学びを得られます。
ダンは幸福には2つのタイプがあると言います。「マラソンを走る」「山に登る」人たちはひたすら辛そうで、最後に「ああ、やっと終わった」という感情が来ます。マラソンなどの辛い体験は私たちにものすごい満足感、達成感、過去との結び付き、仲間意識といったものを与えてくれます。人生において、やりがいのあることをすべて考えてみると、笑いの瞬間がある行為はごくわずかなのです。
本を書く、事業を始める、子供を持つ。こうした経験は、大部分において笑って過ごす時間が少ないものです。大半の時間は複雑で難しく、労力が必要ですが、その経験から何かを得ます。とてつもなく重要で、私たちの存在の中核をなすこの何かを幸福タイプ2としましょう。タイプ1とは大きく異なるものです。
10年以上、私はこの書評ブログを書き続けていますが、当初はこの書く時間がとても辛いものでした。しかし、日々記事を書くことで達成感が生まれ、この達成感により私は幸せになれました。また、ブログをアップすることで、著者や編集者、読者とのつながりを強化できました。先日も、クライアントだった方とこのブログのおかげで再会でき、幸せを実感できました。
私たちは前向きに生きることで幸せな気持ちになれるのです。例えば、がんと診断されて、毎日死ぬかもしれないと思いながら生き、病気が生活のすべてを規定するかのように暮らすのは前向きな人生ではありません。前向きに生きるためには、「3つのもの」が必要であることがわかりました。
まず、「達成可能な目標」です。無理な目標ではないけれど、達成するのが簡単すぎてもいけない。2つ目は、そのゴールまで行く「道筋」を知っている必要がある。それから、「エージェンシー」が必要です。
自分の目標があり、それにたどり着く道筋があり、自分の主体性がなければなりません。自己をコントロールする力(エージェンシー)によって、人は幸せになれるのです。がん患者の生きる目的を確認し、患者と合意の上で投薬計画をつくることで、人は目標に向かって生きられるようになります。がん患者でも前向きになれるのですから、健康な私たちも目標、道筋、エージェンシーを持つことで、幸福感を高められます。
不合理の中の幸せとは何か?
もし人間が完璧に合理的であれば、どんなものが自分を幸せにするか分かっているはずだからです。例えば、人はものをたくさん買いすぎる一方、経験には十分にお金を払わないことが分かっています。他人に十分与えないこと、友人と十分な時間を過ごさないことは分かっている。瞬間的な幸福を最大化しないような、あらゆることを人間は行うのです。一方で、タイプ2の幸福は、完全に不合理ですが、良い意味で不合理です。もしかしたら、この点を強調することに価値があるかもしれませんね。私たちは時折、合理的=良いことと同一視しますが、合理性が常に良いとは限らない。
愛は不合理ですが、愛のない世界をつくりたいとは思いません。詩も芸術もすべて、ある意味では不合理です。人間の寛大さは不合理だとダンは指摘します
200人から成る合理的な社会に暮らしているとイメージします。私たちはここでは費用と効果だけに基づいて動くことになれば、すべての活動について、私はここから何を得られるか、何を失うかと考えるようになります。人は周辺の環境を見て、絶えず「自分は人から見られているときだけ良いことをし、絶対に誰にも見られていなければ悪いことをする」と考えます。合理的な社会では、人は社会性を失っていくのです。
人は他者の効用を自分の効用関数に組み込み、それに従って行動することで幸せになれます。通りを歩いていてゴミを見つけたら、「ほかの人が嫌がるだろうから、私が拾っておこう」という行動から、意味が生まれます。
つまり、意味というものは他人の効用を良い意味で自分自身の効用に組み込むことから生じます。一部は遺伝的なものかもしれませんし、一部は学ぶものかもしれない。両方が少しずつあるんでしょう。それが人間の進化の歴史の一部、私たちの能力の一部だけれど、とにかく意味はそこからくるんだと思います。
他人を自分の効用関数に組み込んだ瞬間に、人に見られているかどうかは関係なくなります。
良い人生を送るために自分でできることをすると、その人に良いことが起きる可能性がかなりあると考えることです。自分が正しい行いをするたびに、良いことが自分に起きる確率を少しだけ高めると考え、他者のために行動するたびに幸せになれるのです。ギバーになることは、不合理の中の幸を見つけることだと本書を読むことで気づけました。
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